④必然と偶然の再会

 一九八一年、一月半ば。正月の喧騒からまもない、深夜未明。

 漆黒を塗りこめたような車が、素卯しろう邸へと吸い込まれていった。もの寂しい温度の風が吹き込むなか、駐車場には黒服の男が控えている。車が停まると同時に、男は助手席のドアへ歩み寄る。慇懃いんぎんに開かれた助手席には、後賭場那優太ごとばなゆたが座っていた。

「……今夜も冷えるね」

挨拶がわりに那優太がつぶやくも、続く者はいない。あどけない面立ちを伏せながら、彼は立ち上がった。その背だけはグンと伸びており、一八十センチはある。アンバランスな成長ぶりに、黒服の男は怪訝けげんな様子を隠せなかった。那優太は、分厚い封筒を男に押しつけた。

「夜鳴きそばでも食べなよ」

返事を待たずして、那優太は玄関の戸を開ける。

 三和土たたきには、錐だった造りの革靴が整然と並んでいる。那優太は一張羅いっちょうらの靴を、唯一空いている端に寄せた。

「失礼つかまつります」

至極丁寧な挨拶が、虚空に届く。那優太は、冷えた廊下を進み始めた。

 義父のヰ千座いちざと別れて以来、彼ははじめて素卯邸に足を踏みいれた。だが那優太の足取りは、空白の期間を感じさせないものがあった。

 那優太がまだ幼かったころに、ヰ千座が間取りを叩きこんだのだ。有事の際に使う抜け道でさえも、那優太は掌握していた。いくつの部屋を経由したのち、那優太はとある襖の前で跪座きざした。

「後賭場那優太です。夜分遅くに、失敬します」頭を下げる那優太に、音もなく襖が動く。

 那優太を出迎えたのは、鷺山の懐刀こと瀧桜閣たきおうかくだ。

「瀧……」

囁く那優太に、瀧はかすかに目を合わせた。孤児だった那優太を拾ってくれたのは、まぎれもなく瀧である。彼なくして那優太は、成人を迎えられなかったであろう。いわば那優太にとっての瀧は、恩人であり、因果そのものだった。けれども再会の感傷が入りこむ余地は、ない。

 那優太は仏間に上がり、入れ違いに瀧は廊下へ出た。これより始まる会合は、他言無用である。瀧の仕事は、人払いの夜番なのだ。わずかな逢瀬おうせだが、那優太にとっては嬉しい誤算だった。那優太は、穏やかな気持ちで敷居をまたいだ。

「久しいな、後賭場の坊ちゃん」

上座にわす鷺山ろざんが、ゆったりと那優太をめつけた。その腕には、刀が抱えられている。

「ご健勝でなによりです」

敬う那優太だが、周囲にいる幹部たちは嫌悪をにじませていた。義父のヰ千座だけが、能面じみた無表情で那優太を見る。

「御託はいい。ここへ来る意味が分かっているんだろうな?」

引導を委ねられた那優太は、すぅと息を肺に通す。はらを決め、彼の口が開かれた。

此度このたび因羽いなばさんより預かった女を三十名。自害によって喪ったこと、誠に申し訳ございませんでした」

 那優太が預かっていた女とは、風俗嬢を指す。件の雪姫そそぎビルヂングに在籍する風俗嬢は、実に二百人近い。そのうちの三十名ともなると、一割以上の人損失となる。嬢一人が一晩に稼ぐのは最低でも二万円。単純計算でも百二十万のマイナス。二十営業日としても、月に二千万以上の金をしのぐ機会が失われたのだ。

 あくまでも、それは机上の計算である。実際にはそれ以上の商機と金額を、那優太は失ってしまった。因羽によって緘口令かんこうれいを敷いているが、それも長くは持たない。悪評が立てば、売上の見込みにも影響が出る。

ツラァ上げな」

鷺山は許すが、那優太は土下座を崩さない。素直に顔を見せれば、不遜と言われるに違いなかった。三度みたび呼吸したのち、鷺山は再び口を開いた。

「死んだ姫さんたちを取りまとめていたのは、お前なんだな?」

平伏のまま、那優太は答える。

「間違いなく、責は私に御座います」

「――どう落とし前を付けるつもりだ」

鷺山の恫喝に、幹部らは雁首がんくびを揃えて那優太を責め立てる。罵詈雑言の合唱だが、那優太は動じない。

「今月の上納アガリに関しては、すでに確保しております。因羽さんのツテで、私の内臓をいくつか売り払う予定です」

「ツテだと?」

言葉を差したのは、輪島白兼わじましろがね。武器の調達から各人への支給を担当する、代田組の総務だ。

「いうて内臓の一つや二つ、値段たかが知れてますけど」

気だるげに算段するのは、大路赫哉おおじかぐや。日本三大財閥である緋大路ひおおじ家の血を引くも、放蕩ほうとうにより絶縁。だが狡猾こうかつな金策と持ち前の縁故を買われ、今は経理相談役として組に仕えている。

「いずれにせよ、きな臭い話だ」

同じく続いたのは、青葉竜胆あおばりんどう。警察と内通して人払いを行う、折衝役せっしょうやくだ。鉄砲玉の育成も手掛ける彼は、修羅場の気配にもさとい。

 兵站へいたんを司る三者は、代田組の外交関係を掌握している。数多あるコネクションから漏れた、という縁。幹部たちは、警戒と緊張を強めた。

「どこのどいつに売るつもりだい?」

「まさか、中島組と仲良しごっこをしているわけじゃなかろうな」

 白兼しろがね竜胆りんどうの恫喝に、那優太の肩が震えた。さしもの兵六ひょうろくも、怯えているのだろうか。だが赫哉かぐやは、理解してしまった。

 後賭場那優太は、笑っていた。笑っているのだ。すぐにでも癇癪玉が破裂し、自身の五体がバラバラに砕け散るという状況下。だというのに彼は、笑っている。

「何がそんなにおかしい?」

つぶやいた赫哉に、那優太はようやく顔を上げた。

「鷺山さん。ひとつ宜しいでしょうか」

「勝手なこと抜かすんじゃねぇ」

反射的に噛み付いた竜胆だが、後ろ背なから殺気を感じた。それは手の形をしていて、竜胆を宥めるよう肩に置かれた。思わず竜胆が振り返るも、なにもない。ただ静かに、鷺山が那優太を見つめているだけだ。しりごむ竜胆は、那優太の発言を許可した。

「因羽さんが、どこから臓器売買のツテを得たとお考えでしょうか?」

恐れ知らずな問いかけに、鷺山はスッと立ち上がった。

「それよりも先に、俺は言いたいことがある」

言い終わるよりも早く、鷺山は那優太を立ち上がらせていた。いな、違う。鷺山は、那優太を蹴りあげていた。

 襖まで吹き飛ぶ那優太。その首元、わずかに緩んだネクタイを、刀の鞘が絡めとる。鷺山は鞘をグンと引き寄せ、那優太の襟元を引っ掴む。これが、またたきのに行われていた。長年の付き合いを持つ白兼と竜胆以外、何が起きたのか理解できていないだろう。那優太自身でさえ、分かっていなかった。

 鷺山ろざんは、わななきながら口を開く。

ずは仏になった姫さんたちに、申し訳ないって気持ちは無ぇのか。手前テメェは、因羽から何を学んできやがった!」

まさしく、義憤ぎふん忿怒ふんぬに満ちた言葉であった。だが那優太は、感銘を受けた様子もない。

「俺の質問に、答えて戴けますか」

「人の心ってモンがぇんだな。よくそれで、後賭場ごとばの姓を戴けたもんだな」

 思わず手が出かけた鷺山だが、すんでのところで止まる。義息子の醜態を間近に見る、後賭場ヰ千座ごとばいちざの様子が不意に気にかかった。

「お前――」

鷺山は、那優太の襟を取りこぼした。盗み見た先に控えるヰ千座は、平伏していた。

「なんだ、それは」

意図が掴めず、鷺山はヰ千座に問いかける。

「申し訳ありません。鷺山さん。因羽のはらぁ、探らせて戴きました」

 絶句する鷺山は、思考に纏まりがつかない。三十人余りの集団自殺。臓器売買。那優太に見えた情緒の欠如。因羽のツテ。その答えを、ヰ千座は知っているとでも言うのだろうか。

「アンタ、いったい何の話をしているんだ?」

鷺山に代わり、白兼がヰ千座に問いかける。跪座きざに戻るヰ千座は、涙にまみれた顔で答える。

「過ぎた話ですが、俺は教鞭を取っていました。今まで何人もの子供を見てきたが……。俺は、どうしても因羽を信用できなかった」

「――何故だ」

唖然あぜんとする鷺山へ、ヰ千座は無理に笑った。

「だって、笑ってたんですよ。燃える児童館の中に、鷺山さんが飛びこんだのを見て」

まるで、親の死を望んでいる様子だった。言外に、ヰ千座は答えていた。

「だからって、言えばよかったじゃないですか」

呆れて笑う赫哉が、言葉を絞り出した。対するヰ千座は、黙って首を振る。

大路おおじさん、なんでアンタは任侠やってる? 緋大路ひおおじを継げば、なんだって手に入ったはずだ」

ヰ千座の挑発に、カッと赫哉の頬は赤らんだ。

「今、その話は関係ねぇだろ!」

赫哉が殴ったのを皮切りに、幹部たちはヰ千座を囲んだ。鷺山の視界から、ヰ千座の姿が消える。

「大路さん、因羽も同じなんですよ!」

ヰ千座の叫び声が、人でできた柵の中から聞こえる。

「本当に欲しいものが得られないから、人は反抗するんです」

身もふたもないヰ千座の言葉に、竜胆りんどう白兼しろがねは怒号を上げた。

 だが鷺山の脳裏には、耳鳴りのように沈黙が響き続けていた。やはり因羽は、任侠になど向いていなかった。――

「だからね、鷺山さん」

リンチに遭いながらも、ヰ千座は言葉を止めない。

「因羽の写し鏡となる子供を、俺は見出したんです。ああいう手合いは、よく似た存在を囲うから」

それが、後賭場那優太という存在なのだ。鷺山の冷えた背に、真実が伝う。

「それ以上、巫山戯ふざけたこと抜かしてみろ! 鯖折りにして――」

「もういい!」

鷺山の怒声に、白兼の足が止まる。竜胆ともども振り向くと、鷺山は立ちすくんでいる。その手には、那優太の手が握られてた。

しばらく、……席を外してくれないか」

「――――分かりました」

湧き上がる言葉を各々飲み込み、誰ともなくそう返す。それを合図に、スッと障子が開いた。夜番の瀧が、機転を利かせたのだろう。渋々と去る白兼たちを、鷺山は見送る。

 いっぽう那優太は、廊下の闇に馴染む瀧を目に焼き付けていた。先ほどの顛末てんまつを、彼も聞いていたに違いない。那優太のうらに、多少の羞恥がにじむ。ヰ千座によって飼い慣らされた倫理観にも、わずかな良心が残っていたようだ。那優太は、ほんの少しだけ人間らしさを取り戻せた。

 その目の前で、襖が静かに閉じられた。和紙の向こうにいる瀧は、再び腰をおろしたらしい。鷺山は、彼に離席を命じなかった。瀧に対する鷺山の信頼は、それだけあついものだろう。那優太は、思う。はたして今の瀧は、どんな顔をしているのだろうか。

 想像がつかない那優太の手を、鷺山が離した。慈悲によるものではない。義父たるヰ千座ともども、鷺山に見下ろされる為である。那優太とヰ千座は、鷺山を挟む形で跪座した。

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