④必然と偶然の再会
一九八一年、一月半ば。正月の喧騒からまもない、深夜未明。
漆黒を塗りこめたような車が、
「……今夜も冷えるね」
挨拶がわりに那優太がつぶやくも、続く者はいない。あどけない面立ちを伏せながら、彼は立ち上がった。その背だけはグンと伸びており、一八十センチはある。アンバランスな成長ぶりに、黒服の男は
「夜鳴きそばでも食べなよ」
返事を待たずして、那優太は玄関の戸を開ける。
「失礼つかまつります」
至極丁寧な挨拶が、虚空に届く。那優太は、冷えた廊下を進み始めた。
義父の
那優太がまだ幼かったころに、ヰ千座が間取りを叩きこんだのだ。有事の際に使う抜け道でさえも、那優太は掌握していた。いくつの部屋を経由したのち、那優太はとある襖の前で
「後賭場那優太です。夜分遅くに、失敬します」頭を下げる那優太に、音もなく襖が動く。
那優太を出迎えたのは、鷺山の懐刀こと
「瀧……」
囁く那優太に、瀧はかすかに目を合わせた。孤児だった那優太を拾ってくれたのは、まぎれもなく瀧である。彼なくして那優太は、成人を迎えられなかったであろう。いわば那優太にとっての瀧は、恩人であり、因果そのものだった。けれども再会の感傷が入りこむ余地は、ない。
那優太は仏間に上がり、入れ違いに瀧は廊下へ出た。これより始まる会合は、他言無用である。瀧の仕事は、人払いの夜番なのだ。わずかな
「久しいな、後賭場の坊ちゃん」
上座に
「ご健勝でなによりです」
敬う那優太だが、周囲にいる幹部たちは嫌悪をにじませていた。義父のヰ千座だけが、能面じみた無表情で那優太を見る。
「御託はいい。ここへ来る意味が分かっているんだろうな?」
引導を委ねられた那優太は、すぅと息を肺に通す。
「
那優太が預かっていた女とは、風俗嬢を指す。件の
あくまでも、それは机上の計算である。実際にはそれ以上の商機と金額を、那優太は失ってしまった。因羽によって
「
鷺山は許すが、那優太は土下座を崩さない。素直に顔を見せれば、不遜と言われるに違いなかった。
「死んだ姫さんたちを取りまとめていたのは、お前なんだな?」
平伏のまま、那優太は答える。
「間違いなく、責は私に御座います」
「――どう落とし前を付けるつもりだ」
鷺山の恫喝に、幹部らは
「今月の
「ツテだと?」
言葉を差したのは、
「いうて内臓の一つや二つ、
気だるげに算段するのは、
「いずれにせよ、きな臭い話だ」
同じく続いたのは、
「どこのどいつに売るつもりだい?」
「まさか、中島組と仲良しごっこをしているわけじゃなかろうな」
後賭場那優太は、笑っていた。笑っているのだ。すぐにでも癇癪玉が破裂し、自身の五体がバラバラに砕け散るという状況下。だというのに彼は、笑っている。
「何がそんなにおかしい?」
つぶやいた赫哉に、那優太はようやく顔を上げた。
「鷺山さん。ひとつ宜しいでしょうか」
「勝手なこと抜かすんじゃねぇ」
反射的に噛み付いた竜胆だが、後ろ背なから殺気を感じた。それは手の形をしていて、竜胆を宥めるよう肩に置かれた。思わず竜胆が振り返るも、なにもない。ただ静かに、鷺山が那優太を見つめているだけだ。しりごむ竜胆は、那優太の発言を許可した。
「因羽さんが、どこから臓器売買のツテを得たとお考えでしょうか?」
恐れ知らずな問いかけに、鷺山はスッと立ち上がった。
「それよりも先に、俺は言いたいことがある」
言い終わるよりも早く、鷺山は那優太を立ち上がらせていた。
襖まで吹き飛ぶ那優太。その首元、わずかに緩んだネクタイを、刀の鞘が絡めとる。鷺山は鞘をグンと引き寄せ、那優太の襟元を引っ掴む。これが、
「
まさしく、
「俺の質問に、答えて戴けますか」
「人の心ってモンが
思わず手が出かけた鷺山だが、すんでのところで止まる。義息子の醜態を間近に見る、
「お前――」
鷺山は、那優太の襟を取りこぼした。盗み見た先に控えるヰ千座は、平伏していた。
「なんだ、それは」
意図が掴めず、鷺山はヰ千座に問いかける。
「申し訳ありません。鷺山さん。因羽の
絶句する鷺山は、思考に纏まりがつかない。三十人余りの集団自殺。臓器売買。那優太に見えた情緒の欠如。因羽のツテ。その答えを、ヰ千座は知っているとでも言うのだろうか。
「アンタ、いったい何の話をしているんだ?」
鷺山に代わり、白兼がヰ千座に問いかける。
「過ぎた話ですが、俺は教鞭を取っていました。今まで何人もの子供を見てきたが……。俺は、どうしても因羽を信用できなかった」
「――何故だ」
「だって、笑ってたんですよ。燃える児童館の中に、鷺山さんが飛びこんだのを見て」
まるで、親の死を望んでいる様子だった。言外に、ヰ千座は答えていた。
「だからって、言えばよかったじゃないですか」
呆れて笑う赫哉が、言葉を絞り出した。対するヰ千座は、黙って首を振る。
「
ヰ千座の挑発に、カッと赫哉の頬は赤らんだ。
「今、その話は関係ねぇだろ!」
赫哉が殴ったのを皮切りに、幹部たちはヰ千座を囲んだ。鷺山の視界から、ヰ千座の姿が消える。
「大路さん、因羽も同じなんですよ!」
ヰ千座の叫び声が、人でできた柵の中から聞こえる。
「本当に欲しいものが得られないから、人は反抗するんです」
身もふたもないヰ千座の言葉に、
だが鷺山の脳裏には、耳鳴りのように沈黙が響き続けていた。やはり因羽は、任侠になど向いていなかった。――そんなことはずっと判っていたはずなのに。
「だからね、鷺山さん」
リンチに遭いながらも、ヰ千座は言葉を止めない。
「因羽の写し鏡となる子供を、俺は見出したんです。ああいう手合いは、よく似た存在を囲うから」
それが、後賭場那優太という存在なのだ。鷺山の冷えた背に、真実が伝う。
「それ以上、
「もういい!」
鷺山の怒声に、白兼の足が止まる。竜胆ともども振り向くと、鷺山は立ちすくんでいる。その手には、那優太の手が握られてた。
「
「――――分かりました」
湧き上がる言葉を各々飲み込み、誰ともなくそう返す。それを合図に、スッと障子が開いた。夜番の瀧が、機転を利かせたのだろう。渋々と去る白兼たちを、鷺山は見送る。
いっぽう那優太は、廊下の闇に馴染む瀧を目に焼き付けていた。先ほどの
その目の前で、襖が静かに閉じられた。和紙の向こうにいる瀧は、再び腰をおろしたらしい。鷺山は、彼に離席を命じなかった。瀧に対する鷺山の信頼は、それだけ
想像がつかない那優太の手を、鷺山が離した。慈悲によるものではない。義父たるヰ千座ともども、鷺山に見下ろされる為である。那優太とヰ千座は、鷺山を挟む形で跪座した。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます