②流血の花筏

 時は戻り、鷺山の病室にて。

 ヰ千座が去ったのを確認し、鷺山はベッドから飛びだした。ヨチヨチ歩く鷺山は、壁に寄りかかる。壁には同じく、軽量アルミの刀がもたれかかっていた。二振りの刀と引き換えに、瀧が置いていった刀である。安っぽい鞘を腰に下げ、鷺山は呼ぶ。

「居るのは分かってんだ。とっとと出てきな」すると病室の窓が、ひとりでに開いた。

 現れたのは隻腕の老婆――怪人エゴチェンバーだった。古びた窓枠に、怪人は腰かけた。

「わざわざ招いてくれるなんて、嬉しいよ。アンタって、意外と優しいのかい?」上機嫌な怪人は、リノリウムの床へ降り立つ。

「それとも、ヰ千座かいいぬに似たのかな?」挑発に動じぬ鷺山の足は、しっかと地を掴む。寿命を差し出した体とは思えないほど、しゃんとしたたたず まいであった。

「長かったよ」エゴチェンバーが、ポツとつぶやく。

「ずっとずっとこの日を夢見てきた。アンタを殺すためなら、なんだって厭わなかった」

「そうかい」取り出された拳銃を見て、鷺山は嘲笑あざわらう。

 意外にもエゴチェンバーは、平静を保ち続けていた。

「そうさ。怪人アタシは、人間アンタに敵わない!」憎悪のままに、エゴチェンバーは引き金に指をかけた。瞬時に鷺山は、アルミ刀を構える。引き金を引くよりも早く、刀は姿をあらわす。安っぽいまたた きが、エゴチェンバーの目を射る。

 そうだ、と老婆の目は弧を描く。刀身の中の老婆の目も、また弧を描く。

 だが鷺山は、それを捉えることができなかった。アルミ刀の刃は、鷺山自身の首に食い込んでいた。修羅の居合は、頸動脈けいどうみゃく頚椎けいついも、空気のように斬り進む。くすんだ床に、噴き出た鮮血が散る。

「アッハッハッハッ‼」エゴチェンバーは、勝利を確信していた。拳銃など、こけ脅しの一つにすぎない。

 自ら死地に立つ男の覚悟を逆手に、自殺へと導く。魔法せんのうだけが、唯一にして最優の武器である。

 だからこそエゴチェンバーは怪人の商人――バッドボーイズパートナーと取引をした。抗争にて重傷を負った六出に、自らの血を輸 血わけあたえることができた。本来であれば、彼女の血は無害そのものだった。だが今日という日を迎えるまで、エゴチェンバーは潜伏していた。

 彼女が身を隠したのは、代田組の事務所――濯姫を閉じこめた地下室。仇敵に見つかるリスクを背負ったことで、彼女の血にも洗脳の魔法が宿ったのだ。

 六出に注がれた怪人の血は、長い年月をかけて狂気を産みだした。

 くびきとなったのは、六出と鷺山に残る濯姫の死である。亡き姉をおもい、おおらかな義兄への劣等感は格好の餌食となった。六出の正気は狂気にすり替わり、執拗な復讐劇が因羽の暗殺へ導いたのだ。エゴチェンバーにとって、これほど愉快な話があるだろうか。悪趣味な老婆かいじんは、ニタニタと微笑を浮かべていた。

 いまや鷺山の刀身は、首の半ばも過ぎようとしている。文字通り薄皮一枚を断てば、この男は死んでしまうのだ。エゴチェンバーの笑いは、ますます強気を増していった。

――鷺山は、わずかな走馬灯に身を沈めていた。天を剥く両目が捉えているのは、今は亡き父の姿である。

『たしかにお前の抜刀は、眼を見張るものがある』

血を帯びた竹刀しないを拭いながら、師父しふは言う。

『だがな。先手を取ろうとする時点で、お前は負けているんだ』師父は、青き鷺山を見下している。

『肝っ玉のちっせぇ男は、長生きしねぇ』

鷺山の胴が、鷺山の首を手放そうとしている。

『息する間もなく相手を殺すな。学ぶよりも先に斬るな』

一息に言う師父は、もはや明滅する影にしか見えなかった。

『たかが頭一つよ。れてやるつもりで、戦え』

ぼやけた声が、噴きだす血の脈動によって掻き消されていく。

『出来ねぇなら、テメェなんざ死んじまえ』分かっている、と鷺山の首は思った。地に落ちながら、彼は反論する。

 元より、そのつもりであった、と。

「――――な、」エゴチェンバーの口から、間抜けな声が漏れる。

 首を失しても、なお鷺山は斃れない。斬首を執行した右腕が、からだ を回転させる。その勢いのまま、二歩三歩と足が繰り出す。

「あ、ぁ、っ!」固まるエゴチェンバーは、思わず発砲する。鷺山の歩みは、止まらない。床に転がる首が相手では、得意の魔法せんのうも通じない。

 自らを断首した侍が、死の舞踏を乱れ打つ。もはや彼を止める手立てなど、エゴチェンバーに遺されていなかった。

 ゾブ、と安刀の刃が、人外の肉に沈む。鷺山はようやく膝をつき、刃が落ちるままに袈裟斬けさぎりを見舞った。

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