④罪悪の精算
足早く段を刻み、
「おっ、お前――!」
鷺山の隠し玉といえる瀧桜閣。その来訪とあれば、自然と因羽も察した。
「あんのクソ親父……!」
吐き捨てられた言葉に、瀧の口が動く。
「全部テメェのツケだぜ、因羽さんよ」
ギラついた殺意を滲ませる瀧に、因羽は握っていた散弾銃を下ろす。
「にいちゃん、絶対無理だって!」
因羽の弱音に、初老の護衛はニヤリと笑う。
「何言ってんだ因羽。こちとらAK-47だぞ」
しかし因羽は、瀧に背を向けてしまった。情けないその姿を撒くかのように、護衛は引き金に指をかける。
それを見越し、瀧は壁に沿って走りだした。瀧の影を、数瞬遅れをとった30口径弾が後を追う。ボディアーマーを軽々と貫く弾丸は、容赦なく院内の壁を
だが護衛の表情は、引きつっていた。瀧は、無傷だった。
「は、」
現実味のない光景に、護衛が笑う。無意識の
その好機を、瀧が逃すはずもない。空中にて投げ放った無銘を、寸分の狂いもなく瀧が受け止める。それが、護衛にとって最期の光景だった。
無銘は肉を断ち、骨を割る。護衛の生首は、弾みながら床へ着地した。酸鼻な赤い轍を踏み、白装束の
因羽は、新生児室に閉じこもっていた。色のない目つきで、瀧は新生児室の扉に手をかけた。鍵は、かかっていない。瀧がそのまま、押し入ろうとしたときだった。
「おい、鉄仮面」
面会用のガラス窓から、因羽は瀧に呼びかける。
「何言っても無駄だとは思うが、一暴れするならこっちにも考えがある」
そう言って因羽は、散弾銃を向けた。銃口の先には、八名の赤子たちが泣き叫んでいた。
「どうせ殺すつもりなんだろ? せっかくなら手伝ってやるよ」
血走った因羽の目つきに、瀧の眉間が寄る。
――
「今すぐに出ていけ」
瀧の思案を読むように、因羽は
背を向けながら、瀧は刀を納めた。瀧の視線は、左手にある下り階段を捉えていた。瀧の歩みが、階段向へ向かう。新生児室の向こうでは、赤ん坊がひたすらに泣き続けているのが聞こえる。だが瀧は、素知らぬ様子だった。
もったりとした歩調を見送り、因羽はふと思い出す。その昔、因羽が高校生であったころの記憶だ。
『
木刀を握り、記憶の中の鷺山は問うた。若かりし因羽が、息も絶え絶えに即答する。
『刀です。優れた抜刀術は、弾よりも早く攻撃ができるから』
『合っているが、気に入らねえな』
『まかり間違っても、お前は撃つなよ』
思い出すに、因羽の
逆転を前に、因羽の足が動く。瀧の右手は、空いている。殺しの達人といえど、弾速には叶うまい。断じた因羽は新生児室から飛び出し、白い
――因羽にとって不幸だった点は、二つある。
ひとつ。彼の脈拍が百を超えたせいで、銃口がブレた。弾は、瀧の右腹に向かっていった。
ふたつ。明確な敵意を相手に伝えるには十分すぎるほど、その場に緊張をもたらしてしまったこと。ここまで、彼の自業自得。
だが愚か者には、さらなる不幸が待ち受けているものだ。階段に目を向けていたはずの瀧は、反時計回りで身を返す。その左手には、
「待ってたぜ、因羽さんよ」
囁きとともに、因羽の甘ったれた腹に
因羽の目は見開かれ、親とはぐれた子のように顔をひしゃげた。
「にぃちゃ、」
言い終わらぬうちに、因羽は血海を這う。身を支える手足の橋から、糞の詰まった腸がこぼれる。
「ひぃいっ……!」
悲鳴を引きつらせ、因羽が転ぶ。内面の残虐さとは裏腹に、自身の苦痛には弱かった。情けなく身悶える因羽を、余すことなく瀧の目が焼きつける。鷺山の
「にぃぢゃんんん……」
怒声を濁らせながら、因羽は四肢を突っ張った。糸を引く血と、溢れゆく赤の音が静寂を
「ふざけんなよォ。…………クソ、たき、が」
「おめおめと、テメェにだけ……。殺しのライセンスなんか、も、持ちやがって」
一歩も動けない因羽に、瀧がしずしずと寄る。瀧の足が哀れな若頭のケツを、『兄』にまで追いやった。
「そういうところが、気に食わねえんだ!」
はっきりと瀧を見据えながら、因羽は叫喚する。
「どうせこの後、ガキを殺すんだ! テメェにはそれが許されてる! 親父に言われたから、なんでもしていいって、言われたから……!」
その眼差しの鋭さに、瀧の聴覚が揺さぶられる。赤ん坊の泣き声だった。死の化身たる瀧に、呱々の声がなだれ込む。罪のない、純真無垢な声だった。目に見えずとも、言葉が分からずとも、今日が命日だと理解している声だった。それでもなお、生きたい、救われたいと叫んでいる声だった。瀧は、虚につかれるばかりだった。
「にぃちゃん……」
ぐずる因羽の声に、瀧の
「やっぱり、ちがうじゃん」
『兄』の顔に、因羽の爪が食いこむ。
おそるおそる瀧は、因羽と同じ視線を送る。因羽が見つめる男は――瀧と変わらぬ年齢にしか見えなかった。精悍と獰猛を併せもったはずの人相は、稚気と恐怖に歪んでいる。左瞼にあったほくろは、影も形もない。
怪人による整形手術。それ以外に適う理屈を、瀧は見出せなかった。
「俺だって、わかって、たんだ」
因羽は、囁きを噛みしめる。
「にいちゃんは、畜生以外に、いじめたことはなかった。じゃなか、たら」
ねばつく血の上に、清廉な涙が一粒落ちた。
同時に瀧は、因羽の首を落とした。あどけない遺言が、もう語られることはない。瀧には、十分わかっていた。
「……………………」
半開きになった因羽の目を、瀧の手が静かに伏せる。
質量化した耳鳴りのように、いまだ赤子は泣きつづけている。赤子にとって脅威となり得る存在は、もはや瀧しかいない。だが実際のところ、瀧の殺気はとうに消え失せていた。
「泣くなよ」
誰よりも泣きそうな声で、瀧はつぶやく。
瀧の身は、張り裂けそうになる。面会用の窓ガラスに、瀧は腕をつける。寄りかかった目線の先には、赤子が八人いる。
「泣かないでくれよ」
あまりにも小さい静止の声には、絶望が
瀧は、赤子を殺さなくてはならなかった。温情で助けたとて、彼らの過去を伝えることは許されない。それでは鷺山の
「――……」
鯉口を切りかけては戻すという動作を、何度繰り返したのだろうか。瀧の脳裏に、おぼろな記憶が蘇った。
瀧が、
『おい、ボウズ』
人情じみた口調で、鷺山が言う。
『悪党と任侠の違い、お前にはわかるか?』
瀧少年は、面食らった。
人の急所を習い、手を差し伸べるよりも切り落とすことしか、彼は知らなかった。少年は困惑のままに、ひたすら黙した。
ところが鷺山の忍耐は、少年の想像よりも遥かに長かった。秋の斜陽が障子に眩しい影を落とし、辺りが暗くなろうと、鷺山は待ち続けた。
『分からない、です』
ようやく絞り出した答えを、暗黒の中の鷺山はうなずいた。
『理屈で言えるもんじゃねえのさ』
鷺山はそう言ったくせに、
『だけども、よぉく考えな』
矛盾を突きつけて、瀧少年を現実へと送り返した。
考えねば、ならなかった。よくよく考えて、瀧は選択しなければならなかった。殺し以外に口を封ずる方法を。恐怖によって人を統治するやり口を。人情を掛けて背中を刺される覚悟を。長い目で見守る忍耐を。
「……そうか」
決断を後押しすべく、瀧は独白する。
「思い出すにゃ、遅すぎたんだな」
八つの無垢な命を前に、いよいよ鯉口が切られようとしたとき。ただ一人、泣き止んだ赤子がいた。気がついてしまった瀧から、殺意の握力が抜けていく。
宙を掴む小さな手は、力強く救済を乞うていた。その手つきは、鷺山の生命力を受け継いでいた。
くっきりとした目鼻立ちは、瀧の関心をいっそう掻きたてた。その
赤子の肌は白く、透けるような色合いをしていた。その儚さは、因羽の繊細さを示していた。小さくまたたく瞳は芯を持ち、窓越しに瀧を見据えた。その力強さは、まゆと同じ光を宿している。
『あかちゃんを、たすけてください』光のない眼光で、まゆは言った。
もう二度と、彼女は光を宿せないはずだった。だというのに、その残像は輝いている。命の光が、瀧の
「ダメだ……!」
瀧は、刀を手放した。
瀧は、因羽を殺してしまった。濯姫が遺し、鷺山が
これ以上、彼らから奪えるはずがない。瀧の
瀧の目が、ゆりかごに添えられた札を記憶する。出生日や体重などが、値段とともに記録された札だった。実子でさえも、因羽は売りつけようとしていたのだ。反吐を押し戻しつつ、用を済ませた瀧は三階から去った。
……後に残されたのは、いまだに泣く赤子と物言わぬ死体が二つ。
そして何者かが、血海めがけて着地した。
「やぁ、因羽くん」
機嫌のいい
「残念、残念。キミの人生は、これでおしまいのようだね」
「ぉ、オ――」
うつろな目つきで、因羽は
「いかがかな、蘇りの感想は?」
「コ、のゃ、」
呂律がまわらない因羽に、
「せっかくの取引が台無しになって、お悔やみ申し上げるよ。本当に、お気の毒様」
「な、ん、ノマネだ」
「今度は
キザな口調で、
「といっても、対価は格安でいいよ。キミにはずいぶんヒトを売ってもらったからね」
「た、スかる、ノカ……?」
ほっとする因羽に、
「うん、そう、助かるの。そのかわりに」
――安心しなよ、誰よりもいい
因羽の脳裏に、言葉が直に叩きこまれる。握り込まれた心臓が、しなびた男根に精を吹きこんだ。因羽の恐怖に反して、男根は屹立する。剛直と化した分身の真上には、
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