③無辜の飛沫
こうして
――瀧は現在、ダンプカーの荷台に潜んでいる。
殺しを前に平然と、瀧は周りを
瀧は、無欲に眺めていた。ドス一本で渡世した身分ゆえ、瀧は謙虚だった。しかし幹部たちの心配りを
すると、なにかがすべり落ちる音がした。
「……何だ?」
薄明かりをあてに目を凝らせば、音の主が見つかった。わら半紙に包まれた、小さな小さな刀であった。驚きながらも瀧の指が、銀色の刃をつまむ。刃は軽く、粗悪なアルミを寄せて叩いたような造りだった。半紙に書かれた文字を、瀧は黙読し始めた。
差出人は、
「
つぶやく瀧は、感心せざるを得なかった。代田組の抱える
「験を担いでやるよ」
誰ともなく、瀧は誓った。入れ違いざまに、錆びたブレーキ音がトラックを震わせた。不気味な
瀧は、車から飛び出した。腰には二振りの刀を、
瀧が体当たりをくらわせると、あっけなく扉は、開いた。扉の蝶番は、甲高い女の悲鳴に似た音で看護婦を呼んだ。
「ちょっと、何してるんですか?」
年増の看護婦は、怪訝そうに受付からやって来る。
その後ろでは、若い事務の女が書類を整理していた。
「ぁ――」
看護婦の口から、かすかに声が抜ける。風船が割れるような、瞬間的な発声だった。
リノリウムの床に、看護婦の首が落ちる。首なしとなった女の手がゆらゆらと不恰好に動いた。
受付の奥を、瀧が見やる。あわただしい足音が、ロビーに飛びこんできた。
「
青い顔をした
「正子、正子。絶対になんとかするから――」
瀧の無慈悲な一閃が、寛治の首を刎ねた。宙を舞う寛治の眼差しは、瀧に憎悪を送った。医師の体は、いまだ正子の首を抱いているままだった。
「あっけないものですね」
受付の女が、無遠慮に距離をつめる。振り返りながら、瀧は会釈した。
彼女は、
瀧は、抜き身の刀を鞘に納めたロビーには、もう斬り伏せる敵はいない。言葉を交わさずとも、互いの仕事に敬意を払うべきだった。瀧の所作に、エリカはわずかに目を細めた。そして彼女は、血海を避けて入り口の扉に鍵を掛けた。ワルツの相手を
己が背をエリカに託し、さっそく瀧は二階に向かった。血海を踏みにじる無垢織の足袋は、やはり証拠を残さない。幽鬼と化した瀧が、登りつめようとしたとき。ゆっくりとした足音が、上から降ってきた。
踊り場まで瀧は引き返し、待ち伏せる。狭い階段では、リーチの長い刀は不利となる。無銘の鯉口を、瀧はそっと切る。遅い足取りが影となり、濃い色の現実として振り向いたときだった。
矢のごとき速さで、無銘の
「あぁ、ぁ、ぅ――」
その声は、たしかに聞こえた。血を噴き出しながら、寝間着の女はたしかに言った。だが瀧は、容赦しなかった。女の腹から、でろりと腸がこぼれる。悲しげな女の
二階は薄暗く、非常口を示す明かりが小うるさい明滅を繰り返していた。用心深い足取りで、瀧は立ち入った。廊下の突き当たりには手術室、その右手に経過観察室が控えている。さながら亡者を苛む、
手術室の扉は、重厚な造りをしていた。その隙間からは、わずかな光が漏れている。瀧の鍛え上げられた腕が、
手術台の上には、腹の膨らんだ女が見える。彼女を殺めようとして、瀧はギョッとした。女の体には、無数の包帯が巻かれていた。ガーゼを浸出する体液は、嫌な生臭さを放っている。かろうじて見える目や口は、真一文字に結ばれている。ひょっとしたらもう、死んでいるのではないか。そう思わざるを得なかったが、瀧は生死を確かめようと女に近付いた。
「いなば……」
女は、小さくうめいた。だが次の瞬間、女は瀧に飛びかかった!
「っ――!」
驚きながらも瀧は、鞘で女の体を押し返す。
血走った目の女は、瀧の顔に爪を立てようとした。瀧は、女を殴り、腹も蹴った。女の股から、ゼリーのような血が落ちる。
「わたさない、わたさなぃい!」
地を這うような声で、女は瀧にしがみつく。
瀧は、頭突きを見舞った。よろめく女に勝機を見出し、瀧は突き放す。刀を抜く瀧に、女は叫ぶ。
「かえして! わたしの赤ちゃん‼‼」
瀧の
「かえし、て、」
ゴボゴボと血を吐きながら、女が血に伏す。
「いなば、くん……」
「あんた、名前は?」
女のおぼろげな目からは、血の混じった涙が流れている。力なく動く唇が、かろうじて空気をつむぐ。
『ま、ゆ。』女は、そう名乗った。
「……すまねぇな、まゆさん」
もう一度、瀧は女を斬った。顔に飛んだ返り血を、あえて瀧は拭わなかった。
同時に瀧は、理解してしまった。先ほど踊り場で斬り伏せた女が、言った一言。
『赤ちゃん』
自分の身よりも、遺された子を案じていたのだ、と。
その隣にある経過観察室からは、儚げな音が聞こえる。扉のきしみさえ殺しつつ、瀧は経過観察室を暴いた。調子外れなオルゴールの音が、瀧の鼓膜を揺らす。
てぃん、とん、たん、たん。――陶器製の箱は、不快を
瀧の入室に、彼女は気付いていないようだった。さしもの瀧も、引っかかりを覚えずにはいられなかった。
抜刀、斬撃、血振、納刀。瀧の予想通り、手ごたえなく
やや遅れ、陶器の割れる音が反響する。錆びついたバネが、ベッド下にできた血の池で泳ぐ。まるでミジンコのようだ、と瀧は思った。虚無の感傷に浸る中、瀧の
瀧の背後を取ったのは、黒服の男であった。
だが瀧の顔面に、無用な化粧が及ぶことはなかった。居合の直前、瀧は左袖で顔を覆っていた。目隠しに等しい状態で、彼は立ち回りを演じたのだ。再び無銘の血を振るい、瀧は二階を後にした。
残るは三階――診察室と保育室、そして四部屋の病室のみ。エリカからの情報によると、取引を行う日はほとんど病室を開けているという。また病室の一部屋は、因羽が私物化しているらしい。斬った数を考慮すれば、これ以上の
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