第35話 火の巫女は、語る
「置いてくなんて、酷いぞ!」
「わあ」
「遅かったな、イリダール」
「戻りましたぞ、陛下ぁ」
むわりと汗と男の匂いを立たせながら、手近な椅子に勝手にダンと座った騎士団長は、恨めし気な目をシュカに向けた。
「ったく。儂が儀式を許可してやったってのに、置いていくとは何事だぁ」
「えぇー!? だってあれは青竜様が」
「八つ当たりぐらい、させろ」
「理不尽すぎます」
ふたりの遠慮のないやり取りに、ギオルグもレアンドレもポカンとした後で笑いだした。
「ふはは、さすがだな。イリダールにも
「叔父貴、さては楽しいんでしょ」
「楽しい! けど置いてくのはダメだぞ! ぐあははは! ……ん?」
豪快な隻眼騎士団長が、ルミエラに目を留めた。
「どなただろうか」
「あ。僕の婚約者です」
「ほー……あ!?」
ルミエラはすっと立ち上がり、イリダールに向き直ってカーテシーの姿勢で話し始めた。
「……ヨーネット王国第五王女ルミエラ・ヴァロにございます。今回、火竜様に害をもたらした張本人でございます」
「なっ!! それがどうしてレレの婚約者になる!!」
カッとなって椅子から立ち上がるイリダールの手が、帯剣の柄にかかっている。
咄嗟に間に入ろうとしたヨルゲンを、ウルヒが腕で遮った。
「陛下! お戯れか? これほどの罪、即時斬首であろう。レアンドレ、貴様も寝ぼけておるのか!?」
ギオルグは肩をすくめるだけであるし、レアンドレは微笑んだ顔で座っている。
ルミエラの覚悟を試しているのかもしれない、とシュカも黙って様子を見守る。
「なにか、言え!」
「あの! わたくしの! 一目惚れなのです!」
「ひと……っ!?!?」
「うにゃっ!??」
驚愕するイリダールは、目を白黒させている。
想像もしていなかった答えに
「火竜様は、そちらにおわします精霊王陛下のご尽力にて、我が体内に精霊として留まってくださっております。我が王国の過ちを正し、真に大帝国コルセアへ火竜様をお戻しするまで、どうか猶予を!」
「な、ん、を」
「てことだ、イリダール。ようやく見つかったレレの伴侶だ、見守ろうじゃないか」
「陛下ぁ」
「だいたい、こんな細っこい王女ひとりで成し得ることではないだろう。いわば、大事な生き証人と思わぬか。この直情暴走ワイルドボアジジイめ」
「!!」
「っっ」
「ぶふ」
吹き出す大人たちを見ながら、ジャムゥが無邪気に言う。
「オレもイノシシって思った」
「ジャムゥ、しーっ」
シュカはそれを
帝国に刃向かった大罪人への助命へ、宰相の婚約者だけでなく証人の観点で身柄保護の理由付けをするとは、である。
「火竜様がその身の内にあると言うのなら、余計丁重に扱わねばならぬだろう。また、その身に何者かがなんらかの術を施したというのなら、それこそ証拠である。だからこそ、失敗したら死ねと言われていたのではないか?」
カーテシーの姿勢から頭を上げ、悲しそうにルミエラが頷く。
「ふむ。……どうだ、イリダール。納得したか?」
「言われたことに頷くだけなら、どうとでもできましょう。誰に何をされたかこの場で話して初めて判断できます」
「だそうだが……残念ながら余の謁見時間はもうない。聴取は騎士団長に委任。良いな、ルミエラ」
「異論ございません」
「そう肩に力を入れるな。婚約届はこちらで作り、本国へ送る。それからひとつだけ条件がある」
「はい」
「ヨーネットには戻るな。要人会談が必要なら帝国で行え」
「っ! ですが」
「そなたは、火の巫女だ。帝国外に出たらまた帝国の火が失われる――まったく精霊王め。助命のためとはいえ
驚愕の顔でルミエラがウルヒを見やると、いたずらっぽく笑いながらウインクをする。
「はあ。ルミエラよ……ヨーネットの問題も把握しておるが、いきなり相手の懐に飛び込むのは相手の思う壺だぞ。レレの婚約者となったからには、状況を冷静に把握し、感情を排除して
「! っ、わた、わたくし、は」
「案ずるな。海賊にとって同じ船に乗った人間は、家族と同じなんだ。じゃ、あとは頼んだぞイリダール」
「はっ」
ニカ! と豪快に笑って、ギオルグは退出していく。
静かに涙を流すルミエラに、レアンドレはびくびくしながら、隣から言った。
「まあ、その……とりあえず、美味しいお茶でも飲みませんか」
「っ」
――シン。
「あちゃー」
と即座に額に手を当てるヨルゲンに
「……なるほど。絶対モテない人だ」
頷くシュカ、
「お茶? 飲みたい」
ジャムゥはマイペースで、
「あたしは酒がいいけど」
とウルヒ。
「にゃーん」「ホロッホー」「ピュイッ」
と続いて最後にイリダールが
「はあ。茶を持ってこさせよう。話はそれからだ」
大きく手を叩いて、メイドを呼んだ。
ルミエラは、泣きながら「はい」と微笑んだ。
◇
生まれた時から『
国のため、国民のため、と刷り込まれてきた思想は、彼女自身を軽んじ周囲を重んじるという生き方をも植え付けた。
転機は、十歳の時のこと。
ある貴族の女性が、退屈なお茶会を抜け出してきたと笑いながら、ルミエラの居住空間にある裏庭に紛れ込んだのだ。
「この庭、素敵ね。落ち着くわ」
以来、何かにつけやってくる彼女は、ふたつ上の兄の婚約者候補だと後から知った。
本当は婚約よりも、将来はあれがしたい。あれも食べて、あれを見て――
キラキラした目で語る、自分以外の生き方に触れ、はじめて羨ましいと思った。
「羨ましいことですわ。わたくしは、ここから出られないまま、死ぬのですから」
「え」
「氷の花嫁ですから……でも貴女様のためにもなるのなら、それでも良いですわね」
「あなたが……? そんなっ! 命は、大事なものよ!」
「大事?」
「そう! 大事よ! あなた自身も!」
そう言って泣きながらルミエラを抱きしめてくれた温度や力強さは、感じたことのないものだった。
――血が、通っている。
今まで誰にも触れたことがなかった、とルミエラはそこで気づいてしまった。
「わたくしも、人間だわ……」
家庭教師たちを言いくるめ、氷の花嫁や氷の精霊レモラに関する記録を読み漁った。
最もルミエラの心を動かしたのは、国の天候と収穫高の記録の変遷だった――
「変わりが、ないのです」
ティーカップを持ち上げて、こくりと一口だけ中身を飲み下したルミエラが寂しそうに微笑む。
「……気づいてしまわれましたか」
レアンドレは、気遣って背を撫でたいが、触れて良いか分からず空中で手を泳がせてから、膝に戻した。
「はい。氷の花嫁で精霊を慰めているというのなら、儀式の直前は天候も悪くなり収穫高も少なくなるはずです。ですが過去百年間、五人の花嫁が捧げられた記録をさかのぼりましたが、変化はありませんでした。であれば、無くしてみるべきです」
「非常に理性的な判断ですね。遅らせてみるだけでも、すべきだと僕も思います」
「ところがそれはできません。なぜなら『十候の貢ぎ物』が必要だからです」
「……二十年に一度、氷の花嫁のために贈られる膨大な金銭が国庫を潤し、十候の勢力を削ぐ」
レアンドレの捕捉に、ヨルゲンが吐きそうな顔をする。
「なーにが慰めるためだよ。ただの政治じゃねえか」
「っ……ところが、安定していたはずの天候が急激に悪化し、十侯に儀式の意義を問われ、父は追い詰められた」
ぶふー、とイリダールが大きく息を吐いて、ルミエラを見据えた。
「まさか、
「……はい。すぐに調査団がやってきました。その中から氷の花嫁の体調管理のためにと、ふたりの侍従がつけられたのです」
ルミエラが、キッと顔を上げる。
「そして、彼らにこう
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