第8話 囚われの巫女の話


 宮殿を出たふたりは、役人の案内で街へ下りて、用意してもらった宿代わりの家屋へと向かう。

 

 木で作られた平屋の家々がのきを連ねるメインストリートは、外部の者を寄せ付けない割に行きかう人々の活気に溢れている。


 背負った籐籠ふじかごには採れた野菜や果物を入れていたり、手には水のたっぷり入ったかめを下げていたり、仕留めた鹿を背負う者もいたりする。

 

 当然歩くシュカとヨルゲンには、好奇といぶかしげの片方あるいは両方の目が向けられた。

 

「なんか楽しそうだな? シュカ」

「うん。ふたりとも、全然変わらないから」

「変わらないっつか……まあ、なあ」


 肩をすくめるヨルゲンは苦笑しつつも、案内された家――メイン通りからは奥まった場所に建つ、小綺麗な東屋あずまやのような感じだ――に入ると、隅々まで観察しはじめた。

 

 その間シュカが役人に案内の礼を言うと、水の入った瓶と軽食を置いた後で、軽くお辞儀をして去っていく。


「うーむ。あいつのことだから何か仕掛けてるかと思ったが」

「魔道具とかは、なさそうだね」


 精霊の力を借りられる精霊王ガルーダは、魔素が凝縮された石――魔石に精霊の力をこめることができると言われている。

 風の精霊の力をこめれば、音を風に乗せて届けることも容易い。つまりは音石おといしがあるのではないかとヨルゲンは疑っていた。


「ふ、ふ」

「あ? なに急に笑ってんだよ」

「いや、音石おといしで浮気がバレたゲンさんを思い出して」

「そんな十何年も前の古傷をいじんなよ。てか、浮気じゃねえ」

「じゃ、本命?」

「……相変わらずグサッと言うよな……」

「ごめん。風の巫女から精霊王、がウルヒの夢だったもんね」


 精霊王は、一生涯を精霊に捧げる。

 

 それを知ったヨルゲンは、

 

 過去の所業について、シュカへどう伝えるべきだろうかと逡巡しゅんじゅんしていると、

「あ」

 シュカがぽん、と口を開けた。

 

「今度はなんだ」

「そういえば、風の巫女。いなかった……」

「っ!」


 本来なら次代の精霊王候補として、現精霊王の側にはべるはずの『風の巫女』。その姿がなかったとシュカは言っている。

 わざと会わせない、という思惑も考えられるが、存在すら感じないのは異様である。


「あ~、さっき街中歩いてた時よ、もっとこう余所者よそもの的な排除を受けるかと思ったが」

「……もしかして、あれは好奇心じゃなくて、期待だったのかな。ね?」


 特に女性たちから好意的な目を向けられたのが意外だったシュカは、そう言って天井を仰ぐ。


「さすが、元勇者」


 ひとりの男――黒フクロウの半面を着け、頭から上半身までをたっぷりとした麻織物で巻いている――が、天井のはりから逆さまにぶら下がっていた。

 それに驚くようなふたりではない。

 

「気配消すなんて、悪趣味だよね」

「どうせ俺らの腕試しだろ。悪趣味だな」

「音石などと無粋なことを、王はしない」

 

 男は、くるりっ、タンッと軽やかに床に降り立つと、ふたりの真正面から憮然と言葉を放つ。

 

 背丈はシュカより頭半分高く、ヨルゲンより頭ひとつ分低い。丈夫な黒なめし革の胸当てと太めの黒い腰布に、黒いズボン。膝丈ブーツは脇に小型ナイフが数本下げられていて、かかとやつま先には硬い何かが入っているのが分かる。


 細身だがよく鍛えられていることを感じる所作だな、とシュカは脳内で評価する。腰に下げられた大型ナイフのグリップも、丁寧に扱われているのが分かった。徒手も剣も手練てだれに違いない。

 

「影を放つのは、無粋じゃねえの?」

「……王の利益のためだ」

「ふうん? なんでもいいが、殺気消せてねえぞ。あ、ひょっとして浮気うんぬんが気に障ったか? あの時のウルヒは可愛かったしな~」

「っ貴様」

「ピイッ」


 シュカが止めるより先に、キースが鳴いた。

 その後、キーンと強い耳鳴りが走る。


「った」

「いてえ」

「ぐ」


 それぞれが耳を塞ぐほどの大きく鋭い音は一瞬で駆け抜けていき、残滓ざんしとしてしばらくの耳鳴りと沈黙を残した。

 

「今の、竜の慟哭だよね」

 静寂を破るシュカの低い静かな声に、男は

「さすが元勇者。よく知っているな」

 とあざけりを隠さずふんと鼻を鳴らす。

 

「野郎」

 

 瞬時に殺気を放って一歩にじりよったヨルゲンの腹を、シュカは腕を横水平に出して止めてから、穏やかに問う。

 

「その呼び方、嫌だな。僕はシュカだよ。君は?」

「……ファロ」

「ファロ。何か頼みがあって来たんでしょ? 精霊王のお使い、しなくていいの?」

「なぜそれを」


 眉根を寄せて答えに詰まったシュカに代わり、ヨルゲンが無遠慮に腕を組みながら、鋭利な言葉を放つ。

 

「精霊国アネモスにはがたくさんいるんだろ」


 精霊の加護を持った人間は長寿だ。つまり、何世代にも渡り精霊王の側近として権勢をふるう者たちがいる。


 小さいが精霊の恩恵を受ける豊かな国で、いびつな自尊心を抱えて長く生きる者ほど厄介な存在はない、というのは前々から『風の巫女の愚痴』として聞いていた。


「宮殿ではまともな話ができない。誰が聞いてるかわかりゃしねえからな。忠実な影を寄越すぐらい、想像つくさ」

 

 そんな国、『蒼海そうかい』で滅ぼしてやろうか? ――背にある大剣を親指で示す剣聖の冗談に、風の巫女は「こら」と怒った後、ころころと嬉しそうに笑ったのを思い出す。


「で。どこにいるんだ、風の巫女は」


 ところがファロは、唇を嚙みしめて黙っている。

 

「ああ? 伝言あるんだろ。吐け」

「ちょっとゲンさん。ダメだよ追い詰めたら」


 シュカはこの大人げない剣聖をたしなめてから、立ち尽くしている男に向き直る。


「ファロ。陛下が君を選んだ。つまり、とても信頼されている」

「っ!」

「僕たちも、君を信頼したい」


 そこでヨルゲンは、ようやく気付いた。

 

 この影は、幼い――


 実の年齢は、今のシュカと変わらないのかもしれない。だから簡単なあおりに乗るし、殺気も漏らす。

 逆を言えば、そのような人材に頼らねばならないほど、この国の中央には信頼できる者がいないとも推察できる。


「……悪かったよ。俺のもただの腕試しだ。お前もやったろ? おあいこでどうだ」

「っ、剣聖と、おあいこ?」


 ヨルゲンは、たちまち相好そうごうを崩す。

 

「なんだよ。可愛いじゃねえか」

「可愛くなんか、ない!」

 


 ――ほどけかけたのに、また余計な一言を……とシュカが思わず額を押さえたのは、致し方ないことだろう。


 

 

 ◇



 

「囚われている?」

「ほーう。一体何が起こった?」


 板張りの床の上。円座に胡坐あぐらをかいて膝を突き合わせる三人の目の前には、水の入った杯と軽食が並んでいる。

 

 飲食を共にはできない、と固辞するファロにヨルゲンが

「友人になろうぜって誘ってんの。面は取らんでいい。何か言われたら俺のせいにしとけ。な?」

 と肩を掴んで強引に座らせた。

 

 ちみり、と遠慮がちに水を口に含むファロは、意を決して顔を上げる。


「実は今朝、巫女の最有力候補が、緑竜の元へ向かったのです。修行中の身にも関わらず」

「え? それは変だね。竜とえにしを結ぶ儀式をするには、精霊王の承認がいるはず」


 顎に手を当てて考えるシュカに、ヨルゲンはパンをかじりながら 

「承認ってなんだ?」

 と問う。

 

「竜と繋がるということは、普通の人間の器では耐えきれない。だから風の精霊を体に取り込んで、耐性を作るんだ」

「うえ~大変そうだな」

「さすが、よく知ってますね……精霊王は巫女の体に精霊が馴染んだかどうかを判断し、認める。そのことを『承認』と呼んでいます。ところが巫女候補者たちは、まだ誰一人として風の精霊を持っていません」


 ファロの言葉に、シュカもヨルゲンも顔を見合わせた。


「……じゃあなぜ最有力候補の巫女は、竜の元に?」

「まともな巫女なら、んなことしねーだろ」


 両膝の上で、ファロの拳がぎゅっと固められた。


「誰かがそそのかしたに違いないと王は言っています。彼女――メイは小さな村出身で、その、以前から巫女にはふさわしくないという声が……」

「っかー、嫌んなるぜ! どうせ家柄だうんぬん言い出す爺どもがわんさかいるんだろ」


 ヨルゲンが、両手を後ろの床に突いて天井を仰ぐように顎を挙げる。

 それを合図に、退屈していた様子のキースがバサバサと羽ばたいて、頭上のはりに留まった。

 

「なるほどね……精霊を持たない巫女が竜に会ったら、心が囚われて動けなくなった、てことかな」

「はい。それで緑竜も悲しんで鳴いているのです」


 こうべを垂れるファロを横目で見て、剣聖はあっさりと言う。

 

「そんなん。助けりゃいいだろ。行こうぜ」


 ぱっと顔を上げた黒フクロウの面越しにある、深く青い瞳に光が灯ったのが見えたシュカは、にこりと笑顔で告げた。

 

「でも今日はもう暗くなるから、明日の朝ね」



 ファロは、ようやく緊張を解いてから、静かに頭を下げた。

 


 

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 お読み頂き、ありがとうございます!

 ファロは、マオリ語で『素直』という意味のファーロから取りました。

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