第9話 緑竜の試練


緑竜りょくりゅう住処すみかは、『竜のあご』と呼ばれる谷の奥底です」

 

 竜の顎は、精霊国南西部の山間にあった。

 

 早朝に出発し、人の足で下りられる場所まで馬でやって来たシュカとヨルゲン、そしてファロは、近くの木に手綱たづなくくり付けると、岩肌に沿って谷底に視線を落とす。


 深すぎて手近な場所しか見えず、黒い大きな裂け目にしか思えない。ヒョオオオ、と冷たい風が耳を撫でる以外の音はせず、生き物の気配もない。


「ぜーんぜん、底が見えねえな」

 

 ヨルゲンが手で太陽光を遮るようにして覗きこむと、呆れ声で言う。

 

「ファロは、下りたことあんのか?」

「……ないです」

「じゃあなんで道案内できる?」

「書物で学んだので」

「書物、ねえ」


 途端に不安そうになるファロの背中を、

「大丈夫だよ、キースがいるから」

 ぽんぽんとシュカは優しく叩く。その左肩の上で、ぴっと小さく白い鷹が鳴いた。


「まあ、慎重に行こうぜ……歩きながら、緑竜の話してくれ」

「なぜですか」

「黒、地、雷は魔竜だが、緑竜が守護竜って言われる訳が知りたい」


 一瞬立ち止まった後で、ゆっくりと一歩を踏み出すファロが語り出した。

 

「緑竜は、世界の核である『キーストーン』崩壊前からこの世界に生きている、最古の竜です」

「ほう」

「精霊王いわく、現在確認されている九体の竜のうち、崩壊後に生まれた魔竜は五体です。黒、地、雷、金、銀」

「ふむふむ」

「緑、白は守護竜、青と火は海と鍛冶の神として信仰されています」

「へ~。てことは倒さなきゃなんねーやつと、そうじゃねーやつがいるんだな」

「……乱暴に言うと、そうなりますね」

 

 ちょっと気が楽になった、とヨルゲンが眉尻を下げるのに、ファロは首を傾げる。

 

「どういうことです?」

「ゲンさんは、全部倒さなきゃいけないって思ってたんだと思う」


 ふ、ふ、とシュカが笑いながら補足する。


「だってよぉ、シュカが何にも言わねーからよー。あと二体ならまあ、何とかなるかー?」

「どうかな」

「どうでしょうか」

「なんだよ、ふたりして」


 ファロが、大きく息を吐いた後で

「金竜と銀竜は魔竜ではなく真竜しんりゅうと言われ、世界を終焉しゅうえんに導くと言われています」

 歩みを止めずに告げる事実に、ヨルゲンは唸った。

 

「真竜ってまさか……太陽と月をつかさどるってやつか」


 ピイィ、とキースが高く鳴く。まるで正解、とでも言うかのようだ。

 

「さすが剣聖ですね」

「うーわあ。一気に逃げたくなってきた! 雷竜一匹でさえ苦労したのに。無理だろー」

「やっぱり、無理なんでしょうか。魔王を倒したあなたでも?」


 ファロの問いに、ヨルゲンは肩をすくめて見せる。


「この通り、年、取っちまったからな」

「……」


 一方でシュカは、黒く潤んだ瞳を何度も瞬かせている。

 その頬を、頭頂ですりすりとこするキースの仕草は、まるで慰めているかのようだ。

 

 それから三人は黙ったまま、谷の裏側を削って作ったと思われる砂利道を、底へ底へと降りていった。




 ◇



 

 谷底に鉄靴サバトンかかとを付けたヨルゲンは、はるか上の空を仰ぐようにして、来た道を振り返る。

 

 耳を打つように吹き抜けていく冷たく重い風は、かすかに湿り気を帯びている。日の届かない暗い場所の真上、爪でかいたような青空は、やたらとまぶしく見えた。


「それにしても、見事だな。底まで下りられる道があるとは」

「緑竜に会うことは、風の巫女だけでなく王の側近になる者にとって必須の修行なんです」

「てことは、結構人が来るのか?」

「いえ。精霊王の許可が必要です」

「まーそら、そうだろなあ」


 ヨルゲンとファロが話す間、シュカは押し黙ったままだ。不思議に思ったヨルゲンが

「どうした、シュカ」

 と声を掛ける。

 

「……拒絶、されてる」


 

 ――ビュオオオオオッ


 

 言い終わるや否や、突風が三人を襲った。

 シュカの肩に留まっていたキースは、すかさず翼を開いて風に乗り、はるか上空へ退避している。


「ウインドウォール!」


 それを目で見送りながらシュカが唱えたのは、風で壁を作る防御魔法だ。

 強風を相殺し、谷底から空へと巻き上げると、砂や石がバチバチと岩肌を叩いていく。

 

「うひー、こりゃ、進めねえぞ」

「なぜですか! 王の許可は持っている!」


 ファロが焦った様子で、首元に手を添える。苦し気な様子で魔法を唱え続けるシュカが絞り出す声はか細いが、かろうじて耳に届いた。

 

「っく。そこに、竜石りゅうせきがあるの?」

「いえ、これはただの精霊石です」

「そう……」


 ぐ、と見上げる先にいるキースへ、シュカは何かを唱える。


「ピイイイィィイィィッ」


 応えるように甲高く鳴いた白鷹の胸元が、キラキラと光っている。


「奪いに来たのでは、ない!」


 それからシュカは、声を張り上げる。


「話に、来た!」

「ピイイイィィイィィッ」

 

 

 ――フォンッ



 途端に凪いだ風の音が、言った。


『キースに免じて、通そう』




 ◇




 風の止んだ谷底をざくざくと歩くこと数分。

 

 三人の目の前に、大きく口を開けた洞窟が見えてきた。入り口の天井付近には、緑色の魔石でいろどられた、とぐろを巻く竜の紋章がある。


「あ、れが、緑竜様の住処すみかです」


 ファロの歯の音がガチガチと鳴っている。

 

 精霊国アネモスの住民にとっての神が居るのだから、極度の緊張も当たり前だろうとヨルゲンは眉尻を下げ

「すまんな、こんなとこまで」

 バンバンと少し乱暴にその肩を叩く。

 

「いえ。名誉です」

「……命を懸ける価値が、あったらいいんだけど」


 シュカの冷たい言葉を聞いて、黒フクロウの仮面の下にある唇が、ぎりりと噛みしめられた。

 

「は? どういうことだ?」


 ヨルゲンは眉根を寄せてファロの横顔を見つめた。だが、少年は答えない。

 代わりに、シュカが淡々と言ってのける。

 

「ガルーダ・エリークは、ファロを生贄に寄越したんでしょ。代わりに巫女を返せと。だから精霊石を持たされている。違う?」

「ああ!?」

「っ自分が、志願したのです!」


 シュカの漆黒の目が、決死の覚悟を持つ黒フクロウを射貫く。

 

「そんなことを、守護竜が望むはずがない。王が、長老どもの声に屈した。これは、その嘆きだ」

「!!」

「だろう? 緑竜」


 淡々と歩みを進めるシュカの後ろに、ふたりは黙って従うしかできなかった。

 

 やがて眼前に現れた広い空間には、天井の隙間から日の光が一筋だけ落ちている。

 

 きらめく砂塵の向こうに、ぱちぱちと深い青が瞬いている――それが竜の目であると分かったのは、中央まで進み出てからだ。

 

『愚かな人間どもには、あきれ果てる』


 硬い岩の床に寝そべる緑竜は、ねたような態度で口を開いた。装飾のまったくない、岩をくりぬいたような空間に、きらりきらりと緑色の光を放つのは、鱗だ。

 

 緑竜の持つ威厳に気圧されながらも、伝統的な挨拶を行おうと片腕を動かしたファロの仕草は、その青い目線だけで制された。


 三人は横並びで、強大で神聖な存在と相対する。

 

『元勇者よ。そなたがを全て背負うというのか』

「うん。仕方ないよね」

『……そなたもまた、愚かよ』

「知り合いの命ぐらいは、守りたいってだけ」

『はっは』

 

 緑竜が首をもたげるだけで、ぐおおおお、と風が鳴く。大きな口吻こうふんの中で、今にも巨大な嵐が漏れ出てきそうなぐらいの風が、渦巻いているのが見える。


『世界を救う、と言われたら噛み殺してやろうと思っておった』

「そんなこと。僕には

『ふっはっは』


 ごわわ! と小さな嵐が吹き抜けていった。

 三人の前髪がぐしゃぐしゃに舞い上がって、ヨルゲンは直したいのを必死で我慢した。ひと仕草すらも油断できないからだ。

 

『そこの愚かなにえ


 びくっ! とファロの肩が波立つ。


『勇気に敬意を表して、試練をくれてやろう』

「!!」

『勇者と剣聖は、手を出すなよ』


 ばさり、とキースが上空からシュカの左肩へと戻るや羽繕いをはじめ、ヨルゲンは両手を挙げて肩をすくめた。

 ファロが黙って進み出て、地面に片膝を突いてこうべを垂れると、上空からゆっくりと宙に浮く一人の少女が下りてきた。


 膝を抱いて丸くなった姿勢で風に包まれ、目を閉じて眠っているようだ。


『風の巫女を、起こしてみよ』

 

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