第10話 風の巫女


 濃い新緑のような豊かな髪の毛と、翡翠のような瞳を持った少女が、とある小さな村に生まれた。

 両親ともに茶色の髪と茶色の瞳。凡庸な見た目の善人な農民であったため、この娘の色には大層驚いた。


 精霊からの授かりものに違いない、と大切に育てられた娘は、メイと名付けられる。

 

 物心ついたころ、メイは、風の声を聴くことができるようになっていた。


「あした、あめだけど、おひるからは、はれる」

 

「きゅうに、さむくなるよ」


「しばらく、おひさまは、でないみたい」


 両親が畑仕事をしていたから、そうやってよく天気のことをつぶやいて、そのすべてが――当たった。


「この子は、精霊王に捧げるべきだ」


 村の大人どもの勝手な言い分で、小さなメイは両親から無理やりに引きはがされ、精霊国アネモス中央区画へと送られる。


 そうして宮殿に入る前の修行のために、森の番人を冠するメロー家に引き取られると、朝から晩まで精霊の祈りを唱える毎日を強制された。


 幼いメイにとっては辛かったはずだが、いつか緑竜に身を捧げることを誇りに思っていた。『田舎巫女』とバカにされても、気にしないようにして。

 

「ねえファロ。メイ、いつまでここに居たらいいのかな」

 

 そんな毎日の中で、偶然メイの護衛についたのが、ファロである。


 信心深いファロは、メイの濃い緑の髪色と翡翠のような瞳を見て、『風の巫女』だと確信していた。

 

「さあ」

「そだよね。あーあ、修行やだな~。メイ、辛いのとか痛いの、ほんとは大嫌い。びゅーんて飛んで逃げちゃいたい」

「……頑張ったら、すげえかっこいい王子が迎えに来るんだってよ。あの絵本みたいに」

「ほんと!? じゃ、頑張る!!」


 数少ない名門家から集められた他の巫女候補たちは、無言で粛々と修行に励んでおり、所作も気品に溢れていた。このように無邪気な愚痴を言うのは、メイだけである。

 

 そんな一際目立つ、天真爛漫な姿に違和感を持ったたちは、メイを『金目当ての田舎娘』とさげすんだ。もちろんそれは、本人の耳にも入っている。


 だがファロの目には、風に愛される少女が映っていた。


 メイが笑えば、柔らかな風が吹く。

 嘆くと、冷たい風に変わる。


 なぜ、大人たちにはそれが分からないのだろうか、と首をひねることすら許されない。


「はあ……窮屈だよな」


 ファロは毎日溜息を呑み込みながら、メイを励まし、護衛していた。

 



 ◇




「メイ!」


 ファロの呼びかけは、風の檻に捕らわれた巫女には届かないようだ。


「メイ! メイ! くっそ」


 腰元の大型ナイフを抜いて構えると、頭上付近にふわふわと浮いているメイへと慎重に近づいていく。


「起きろ!」


 刃先でこじあけようとしてみるが、強い空気の抵抗で弾かれる。

 びょうびょうと音を立てて渦巻く風の壁は、何度武器を振り下ろしても、斬ることはできない。


 ファロからゼイゼイと発せられる呼吸音だけが、響き渡っている。

 

「せいっ! うらあっ! っし! はっ!」


 あきらめず、何度も何度もメイを包む風の檻に挑むファロを、シュカとヨルゲンは離れた場所からじっと見つめている。


「……どうする」

「ゲンさん。手を出すな、だったね」

「お? おぉ」


 シュカが、ひたひたとファロに近づいていく。夢中で斬り続ける彼は、それには気づかない。

 その証拠に、背後からとんっと肩を叩くと、驚いて飛び上がった。


「な!?」


 ――グルル、と緑竜が喉を鳴らし目を細めた。


「あ、手は出さないよ」


 にこり、と竜の抗議の表情へ微笑みで応えてから、シュカは言い放つ。

 

「ねえファロ。風にやいばは効かない。でも音は届くかも」

「!」


 ファロはこくりと頷くと武器をさやへ戻し、懐に手を差し入れて小さな横笛を取り出した。木を削って作られた、素朴な装飾のものだ。


「やってみます」


 下唇に当てて吹き始めたのは、精霊国アネモスに伝わる、風のロンド。踊るような高音と、唸るような低音の旋律を何度も繰り返す、風の精霊に捧げられる伝統曲である。

 

 

 ――ピルルル、ピルッル~


 ――ピルピル、ピピピ、ピ~ヒョロロロ~



「ほう、達者なもんだな」


 正確で滑らかなメロディが岩肌に跳ね返って響き、明るく軽やかなメロディは、気分を高揚させる。ヨルゲンは、つま先でリズムを刻みはじめた。

 

 

 すると。

 

 

 空中に、小さな風の渦巻きが生まれていく。手のひらほどの大きさのそれらは、クルクルとお互いの渦がぶつからないように回ったり、離れたり。まるでダンスをしているかのようだ。


 よく観察すると、渦の中心に小さな人型の何かがいる。薄緑色で、背中に小さな鳥のような翼が生えている、少女のような見た目だ。


 

 ――ピルルル、ピルッル~


 ――ピルピル、ピピピ、ピ~ヒョロロロ~



 繰り返される軽やかな旋律に、緑竜も心地よさそうに目を閉じ、耳を傾けているように見える。


「……」


 シュカは、風の檻を注視し続けていた。左肩に居るキースも同様に、宙を見つめてじっとしている。


「……」


 弾ける音の合間に、少女の吐息が聴こえた気がした。

 ぎゅ、と眉間にしわが寄り、もぞもぞと膝が動いている。


「……」


 丸まって寝たまま身じろぎをする巫女の姿を見つめながら、ファロはさらに強く吹く。


 吹きながら片足ずつでぴょーんぴょんと跳ね、振り上げた足で前を蹴るようなステップをしながら、肘を外に張って肩も左右に揺らす。

 

 ヨルゲンも咄嗟に同じようなステップを踏み、笛を吹く代わりに、跳ねた瞬間パン! と体の前で手を叩いた。


「あは! ゲンさん、さすが上手だね」


 ヨルゲンは口の端だけニヤッと上げて、さらに左右に体を揺すりながら、ファロの横で即興で覚えた振りを踊り――様になっていた。

 

 かつては傷だらけの冒険者をねぎらうため、無理やりにでも陽気に振る舞っていた剣聖の姿を思い出して、シュカの瞳が潤む。

 音楽とダンスで、ますます小さな風の精霊たちの動きが活発になってきた。


 

 ――うぅ~ん! はああ……

 

 

 ゆっくりと上体を起こした風の巫女が、そう言っているかのように大きく伸びをし、右手の甲で右目をこすりながら周囲を見回す。


「?」


 寝ぼけまなこで何度かキョロキョロと首を巡らせてから、ようやく瞳に光が灯る。

 緑竜が、再び首をもたげた。


『笛で起こすとはな』


 ピーヒョロロロロッ!

 

「ピイイィ!」


 最後のメロディと呼応するように、キースが鳴いた。同時に、宙でダンスを披露していた風の精霊たちの姿も一瞬で掻き消える。

 


 ――耳鳴りがするほどの静寂の中、


「メイ!」


 笛から唇を離したファロが叫び、元の空気に戻った。シュカは肩の上のキースのくちばしの下を撫でてから、ヨルゲンの二の腕をぽんぽんと叩いて、ねぎらった。

 

 一方、まだ風の檻の中にいるメイは、眉根を寄せて苦笑する。


「ごめんねファロ。メイ、巫女失格なんだって」


 声が聞こえたことにホッとしてから、ファロがにじり寄る。

 

「誰がそんなこと言ったんだ!」

「メロー様。せめて、緑竜様に身を捧げろって」

「っ!」


 メイの身柄を引き取った、森の番人の名を冠する名門、メロー家。

 風の精霊、森の番人、泉の管理人、そして花の狩人。精霊国の最大権力である四大家のうちのひとつで、この国では誰も逆らうことができない。


「な、ぜ、そんな、ことを……」


 今にも膝から崩れ落ちそうなファロの肩を、ヨルゲンがガシッと掴んで支えた。

 

「昨日。朝の儀式でね、マフルが、虹を呼んだんだって」

「!」


 シュカが静かに

「マフルって誰?」

 と問うと、ファロは歯ぎしりしながら

「風の巫女候補のうちのひとりです。花の狩人プーワイ家」

 がっくりとこうべを垂れた。


「……プーワイ」

「なんだシュカ、思い当たることでもあるのか?」

「うん。入り口の役人、狩人の格好してたね」

「おお」


 ヨルゲンは、いわゆるお姫様抱っこをした中年男性を思い出して、苦い顔になる。


「僕らのこと呼びに来るの、すごい遅かったよね」

「ああ……」

「なるほどね。虹を呼んだのは、マフルじゃないよ」

「あー! あれか、雷竜の力を試して雨雲をちょっと動かしたやつか」


 雨が動けば、そこに虹ができるのは必然だ。

 

「……利用されちゃったかなぁ」

 

 シュカが突然発した冷酷な声に、ヨルゲンの背筋がぶるりと震えた。

 その震えは、がっしりと肩を掴んでいたファロにも伝わり、シュカを慰めるようにキースがバサバサと翼をはためかせる。


「ねえファロ。緑竜は、この試練をなんて言ったか覚えている?」

「え? ……『風の巫女を、起こしてみよ』……!?」

「あ!」


 驚愕に目を見開くふたりの男が顔を見合わせる一方で、シュカはにっこりを口角を挙げて、風の檻へ近づいていく。


「メイ。聞こえた?」


 

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