第11話 草原へ


「え……?」


 メイは戸惑った顔のまま、へたりと両膝を下に着け、その間に腰を下ろす姿勢で座っている。

 ひょんひょんと鳴る風の檻は、変わらず宙に浮いていた。メイと目が合わないことから、向こうからこちらは見えていないと推測できる。


「緑竜様。試練は合格じゃないの? 解放してあげて」

『それなんだがな。その檻は我でもくことができぬ』

「え」

「ああ!?」

「そんなっ!」


 がくがくと唇を震わせるメイが、真っ青な顔で

「っごめんなさい」

 と深く頭を下げた。

 

「どういうことだ?」


 ヨルゲンがファロから手を離して詰め寄ると、メイはたちまち涙ぐむ。


「ゲンさんの声、怖いもんね。大丈夫だよ、怒ってない。心配なだけ」

「おいぃ!」


 すると躊躇ためらいつつも、風の巫女はすまなそうに眉根を寄せて言う。

 

「……あのね……カルラにお願いしちゃったの。もう帰りたくない、って」

「カルラ……って」


 絶句するファロに代わって、緑竜が事も無げに告げた。

 

『精霊王に宿る、風の精霊だなぁ』

「よりにもよって、親玉じゃねーか!」

「どうしたら、良いんですか!」


 ばっと顔を上げるファロの肩を、ヨルゲンはすかさずぽんと叩く。


「あきらめるな。何か手はあるはずだ」

『その通り。精霊石を持つ者よ』

「教えてくださいっ!」

「ふむ……風の檻ってことは、開錠には『風の指輪』がいるよね?」


 顎に手を当てて何かを考えていたシュカが、緑竜に向かって無遠慮に言葉を投げつけた。内心相当怒っている様子だ。


「今、どこにあるの?」

『はっは。さすがよく知っているな。さあてどこだろうか』

「それもまた、試練?」

『試練というか、邂逅かいこうだな』

 

 はあ、と大きく息を吐いてから、銀髪の少年は巫女を見上げた。


「風の精霊カルラが好きな場所は、どこ?」

「え、と、パチチ草原」

「わかった。ゲンさん、ファロ、行くよ」

「おう」

「えっ」


 胸の前で手のひらにぱん、と拳を打ちつけて同意する剣聖と、戸惑う黒フクロウ。


「パチチ草原で、カルラに会う」


 シュカの有無を言わさぬ語気に、ファロは思わずごくりと喉を鳴らす。

 

 その肩を後ろからまたぽんと叩くヨルゲンが

「あいつが、一番こえぇんだよ」

 ニカ、と楽しそうに笑った。


 

 

 ◇


 

 

 パチチ草原に入るには、管理人である花の狩人プーワイ家の許可が必要だ、とファロが焦る。

 

 だがシュカは

「キース。悪いけどウルラに伝言頼める?」

 とあっさり正式な手順を打ち破ることを決めた。

 

 鞄から持ち歩き用の小さなインク壺、そしてナイフケースの端に差していた羽根ペンを取り出して、ささっと紐とじされた紙の束の中の一枚に走り書きをする。

 

 キースの足に破った紙片を巻き付けると、

「キッ」

 白鷹は小さく鳴き、あっという間にばさりとシュカの肩から爪を離し、精霊王の愛鳥でありアネモスの象徴である白フクロウの元へと飛んでいった。

 


 それから一行は、緑竜に別れを告げて谷底から上がり、それぞれの馬にまたがる。

 

 

「で、どっちだ?」

 

 ファロを振り返るヨルゲンは、黒フクロウ面の下で口元がぽかんと開いているのを見て、笑った。

 

「おーい。案内。頼むぜ」

「え? は、はい!」


 ヨルゲンに促されて馬首を東へ向けるファロは、馬の腹を軽くあぶみで蹴る。

 彼が、決意の固まらないまま流されているであろうことは、シュカも分かっていた。

 

「ファロ。戸惑いも分かるけど、風の檻はんだ。急ごう」

「!」


 ファロへの説明は、それだけで十分だった。――瞬間で馬の足が速まる。


 

 しばらく走っていると、頭上を照らしていた太陽が大きな雲に遮られ、視界がふっと暗くなった。


 

「おーおー、暗雲立ち込めてるねえ~」

「……いや、緑竜の援護だよ」


 馬上で声を張り上げるヨルゲンの耳に、シュカの呟きは届かないが、それでも吐き出さずにはいられなかった。


「いったい何との画策かくさくしたんだ……」

 

 今回の件は、明らかにこちらの動きを悟られ、いざなわれたに違いない。

 それが精霊王ガルーダによるものか、緑竜の意思なのか定かではないが。

 

 ざわつく胸騒ぎを抑えるように、何度も唾液を飲み込む。

 いつも肩で慰めてくれるキースがいない。それがこんなにも心細くなるとは、思ってもみなかった。


「慎重に……じゃないと……」

 

 肩に、自然と力が入る。

 

 十五歳になったばかりのこの器は、

 

 逆に剣聖であるヨルゲンは、自身では衰えていると自嘲しているが、今が最も強いのではないかと雷竜戦で感じていた。

 グレーン王国騎士団長へ戦果を譲って正解だった、とシュカは確信している。などという存在が、この世界でどう扱われるか――


「もう少しで、入り口です!」


 そんな思考の波を、ファロの声がかき消した。

 

「なんだあ、ありゃ」


 ヨルゲンがそう漏らすのも無理はない。

 黒い雲が、眼前の場所の上でだけ円形に晴れているのだ。


「パチチ草原は、精霊に祈りを捧げるための、神聖な場所なのです」

 

 くらから少し腰を浮かせて前傾姿勢を取っていたファロが、腰も速度も落とした。

 自然と追従していたふたりの速度も落ち、やがて一行は入り口と思われる場所で馬を止める。

 

「ふーん。なーんか……神聖とは真逆のやつがいる気がすんな~」


 どうどう、と馬を落ち着かせる間延びした声とは裏腹に、剣聖から立ち昇るのは紛れもなく覇気だった。


 馬たちは、首元を叩いても落ち着くことなく、何度もいなないたり、首を振ったりしている。

 ぴりりと走る異様で緊迫した空気を、肌で感じているからだろう。

 

 その証拠に、カカ、と馬首をそろえたシュカが、

「さすがゲンさん」

 見たこともないぐらいに厳しい顔をしていた。


「……油断ならない気配を感じるね」

「だな。ファロ。悪いが守ってやれる余裕はねえ。危なかったら逃げろ。ためらうな。良いな」

「え」


 ヨルゲンは言い捨てると馬から降り、首や肩をぐるぐる回しはじめた。いつもの飄々ひょうひょうとした雰囲気はない。

 同時に下馬したシュカもまた、ぶつぶつと防御や強化魔法を唱え、あたりにキラキラと小さな魔法陣をいくつも浮かべていた。


「す、ごい……」


 魔法を重ねがけするためには、非常に高度な魔法体系の知識と、膨大な魔力量が必要だ。

 そのことを知っているファロは、シュカの度量に恐れおののき、またヨルゲンの禍々しいほどの覇気に気圧けおされていた。


 

 出会い頭に「元勇者」と軽口を叩いた自分を、今から戻ってぶん殴ってやりたい。

 

 

 生まれて初めて感じる畏怖いふで足元が震え、それ以上に

「自分も、できる限りのことをっ」

 腹の底から湧いてくる高揚感に抗えず、無意識に抜刀した。


 シュカとヨルゲンはそんな少年を見て軽く肩を竦めると、草原の方へと向き直る。

 

「うし。ま、なるようにならぁな」

「行こう」

「はい!」

 



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 お読み頂き、ありがとうございます!

 カルラは、ガルーダの別名です。同じやんけ、ということですね。

 

 

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