第12話 邂逅、そして



 徒歩で森に分け入ったシュカ、ヨルゲン、そしてファロは、突然視界が開かれたことに戸惑っていた。


「……」

「うーわ」

「これが、パチチ草原!」


 円形に開いた暗雲の間からさんさんと降る日光に照らされて、草の海がキラキラと光り輝いている。

 

 絶え間なく訪れる小動物たちが、小さな泉の水際に並んで喉を潤し、その上を色とりどりの鳥たちや虫たちが連れ立って飛んでいく。

 

 水は底が窺えそうなほど透明度が高く、量も豊富でこんこんと湧き出ているのが窺えた。


 澄んだ空気を肺の奥いっぱいまで吸い込みたくなる。

 

 そんな、自然の力を感じる場所だった。

 


 ――タタタッ

 


 唐突に泉に向かって駆け出したファロの左肘を、ヨルゲンが後ろから咄嗟に掴んで止める。


「待て!」


 明るく清らかな風景と真逆で、ヨルゲンの表情は暗く厳しい。


「っ、離してください」


 ファロは腕をぶんぶん振ってその手を引き剥がそうとする。その目はまるで、この景色に魅入られたかのようで、焦点が合わない。

 

「待てって」

「はなせ! はなせ!」

「ちっ」

 

 気絶でもさせるか、と逡巡した一瞬の隙に、ヨルゲンの眼前をなにかがさっと横切った。


「!?」

「だめっ!」


 シュカの短い叫び声も虚しく、ヨルゲンの手から力が抜けていく。

 

 ファロは力の抜けたヨルゲンを振りほどいて走り出し、途中で身を投げ出すように倒れ込んだ。

 

 ヨルゲンの碧眼からは光が失われ、だらりと両腕を垂らしたかと思うとずしゃりと草の上に両膝を突いて、呆然とした表情のまま動かなくなった。



「いつ仕掛けられたんだ……」

 

 シュカがそう独り言を放つと

『武器を抜いたとき』

 耳の中で風が囁くような声がした。


「ファロか!」


 倒れたファロの右手の下に、抜身のナイフがある。

 

『剣聖といえども、人を通じればなんとか入り込める』


 ナイフを風で震わせ、最初にファロを催眠状態にし、その体に触れたヨルゲンを共振で道連れにする。

 シュカは脳内で魔法力学の知識を展開し、構築してみる。そしてこの催眠を解けないことを悟った。


「……君が、カルラ?」

『そうだ』

 

 声は耳元で聞こえているにも関わらず、辺りを見回しても誰もいない。


『危害を加えるつもりはない。すまないが、こちらへ来てくれるか』


 警戒すべき誘いではあるが、シュカは躊躇ためらわずに頷いた。

 

 経験上、

 

「僕を誰に会わせたいの?」

『……会えば分かる』

「僕たちを精霊国へ呼んだのは、君?」

『そうだ』

「なるほどね。おかしいと思ったんだ。偶然麦を売りに行く荷馬車に、タダで乗れるだなんて。幸運すぎるもん」

『風で誘うのは得意なのだ』

「僕は心底嫌いだな」


 シュカの目力が静かに増す。


「そうやって勝手に人を操る君らが」

『……』

「まあ、とやかく言うつもりはないよ。で、どっち行けば?」

 

 ひゅるる、と風に乗った葉が踊るように眼前を通り過ぎて、泉の向こう側へ消えていく。

 

「わかった」


 馴染んだ古いブーツの足先が、動く。

 

 向かう途中で、膝立ちのまま呆然としているヨルゲンの体を、そっと草むらに横たえらせてやった。


「その代わり。彼らに危害、加えないでよね」

『約束する』

「そんな簡単に約束して良いの?」


 精霊の約束は、拘束力が非常に強い。


『精霊王と風の巫女が、それぞれ大切にしている男たちだ。危害など加えるわけがなかろう』

「なるほど。僕には誰も執着してないもんね」

『……っ、勇者、おぬしは』

「その呼び方、嫌いだよ」

 

 シュカは、眉間にしわを寄せて行先を凝視した。


「よくできてるね、あの。やり方教えて?」

『報酬ということか』

「うん」

『わかった』


 ざくざくと草を踏みしめ、目隠しと呼んだ辺りに近づくと足を止め、宙に手のひらをかざす。

 

 すると、大きな魔法陣が現れた。黄緑色に光り瞬いている。


『魔素に風を編むやり方だ。視界と感性をゆがませる法則が練り込んである』

「へえ」

 

 人差し指を立て、描かれている文字や線をなぞるシュカは、まるで指揮をしているかのようだ。


「うん。覚えた」


 指を止め、魔法陣の端と端に手のひらを合わせたかと思うと、ある文字をゆっくりと左回りに少しだけ回し、ある文字は右回りに少し回す。両手で外向きに少し手を回すような仕草だ。

 

 それから左に回した文字の点を、延ばすように指で書き足した。


ソト捕縛を、ナイ解放に」

『……恐ろしいな』

「ふ、ふ」


 目の前で魔法陣がキラキラと霧散していき、眼前に現れたのは、大木の根元に仰向けで横になっている人型のなにかだった。




 ◇

 



 二十年前に突然現れた魔王は、神出鬼没。

 

 世界各地に突然現れては、街や家々を破壊していった。当然滅んだ国、町、村は数知れず。

 

 暴虐の限りを尽くすその存在は、腰まである黒く長い髪と、少しだけ先の尖っている耳を持ち、鋭く赤い目をしていた。


 背中には、蝙蝠のような形の大きな黒い翼があり、長く伸びた爪も黒。

 

 重装備ではなく、魔法使いがよく着るような真っ黒なローブ姿で、突然人々の住む街のはるか上空に現れたかと思えば――無表情で建物を壊し、生き物を殺していく。


 無尽蔵で高度な攻撃魔法の前に、誰も魔王には近づけなかった。

 

 唯一、勇者以外は。


 

 

 ◇




「確かに殺したはず……なんでかくまってたの?」

 

 シュカはぶつくさ言いながら、黒ローブ姿で横になっている人物の傍らに片膝を突く。白い肌に先の尖った耳、長い黒髪。その風貌には見覚えがあった。

 

「魔王だよね、これ」


 ところがカルラは、否定も肯定もしない。


『ジャムゥ・クータスタという名だ。呼んでやってくれ』

「ジャムゥ・クータスタ」

 

 即座にその名を呼ぶと、ゆっくりと目が開いた。その瞳は赤い。


「?」

「おはよう」


 覗きこむシュカに

「レイヴン。おはよう」

 と答える声は柔らかく高めで、シュカは意外に思った。そういえば、声を聴いたことがなかった、と今更気づく。

「今は、シュカだよ」


 ジャムゥと呼ばれた魔王は、ゆっくりと上体を起こし、顔だけをシュカに向ける。

 それだけで、頬の近くをびりびりと魔素の塊が駆け抜けていく気がする。


「シュカ。キーストーン、壊れた?」

「……え? うん」

「なら、ジャムゥも魔竜巡礼に行く」

「は?」

 

 シュカは思わず目を何度もぱちくりと瞬かせてしまった。


「勇者と魔王が、一緒に旅をする、てこと?」

「そう」

「ええ……?」

 

 ぽかんと口を開けたまま、シュカはしばらく動けなかった。

 

 


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 お読み頂き、ありがとうございます!

 魔法の言語体系は色々考えてみたのですが、分かりやすくカタカナにしました。

 だってアースウォールとか唱えてますし……


 ソを左回りに少し回して点を伸ばすとナになる。

 トを右回りに少し回すと、イになる。

 

 強引でしたねえ……ええ。

 

 ジャムゥ=魔法

 クータスタ=不変

 サンスクリット語から取りました。

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