第15話 精霊王の決断



「王子?」

 

 びしり、と固まったシュカが口だけで問う。答えるファロの歯切れはすこぶる悪い。


「あーそのー、メイは、絵物語を信じていて……」

「良い子にしてたら、王子様が迎えに来るの! だから、修行頑張った!」

 

 当の本人は、キラキラの瞳で両拳をぐっと体の前で握っているので、シュカは目の前で片膝を突いて微笑んでみせた。風の檻にいたときは分からなかったが、思っていたよりだいぶ幼い。十歳ぐらいだろうか。


「ごめんね、僕は王子じゃないんだ。でも元気に過ごしていたら、きっと出会えるよ」

「……そっかあ」


 何か言いたそうにむずむずしているヨルゲンに、ジャムゥが横でズバッと言う。

 

「風は無邪気で自由」

「なるほどね……ウルヒもそういやそうか。つかお前、近寄るとほんとちっせえのなー。意外だったわ」

「オレ、ちいさいのか」


 シュカよりも少し華奢な体躯のジャムゥが、赤い目で見上げてくる。

 後ろめたくなったのか、ヨルゲンはポンポンとジャムゥの頭頂を優しく叩いてから、誤魔化すように大きな声を出した。


「うおっほん。おーい! もう夜になるぞ。戻るか留まって朝出発するか、どうする?」

「緑竜様が良いなら、僕はここで休んで行きたいかな」


 シュカが仰ぎ見ると、巨大な竜は大きな口吻こうふんで微笑んだ。


『ゆっくりしていくがいい』

「ありがとうございます」

 

 シュカの「慌てて戻るよりもきちんと休んでからにしよう、メイの体調も気になるし」という提案に全員が頷き、野宿の準備をはじめることになった。

 一度上へ戻って、寝具やランプ、食料などを取って来ようと動き出してから、ファロが気づく。


「緑竜様の前で、寝る……?」

「はっは! 良い思い出じゃねーか! ほら、手伝え。荷物多いんだからよ」

「……うぅ……恐れ多い……」

「あ、ジャムゥはそこでメイと待っとけ」

「わかった。ねえメイ、ジャムゥも王子じゃないぞ」


 メイはじっとジャムゥを上から下まで見てから、はあ、と息を吐き出した。

 

「そりゃそうでしょ」

「そう……か……」

『はっは。気にするな、ジャムゥ』


 ショックを受ける元魔王を緑竜が慰める光景を目の当たりにしたファロが、いよいよ呆然として動けなくなった。見かねたのかキースが肩に飛び移り、黒フクロウの面をつんつんとくちばしでつつく。


「はあ~キースさん、ありがとうございます……」


 ほわり、と柔らかなお腹の羽毛も撫でさせてもらい、癒されるファロであった。



 

 ◇


 

 

「パチチ草原は、わが領分! 勝手に入るなど、言語道断である!」


 精霊王の宮殿、玉座の間。

 

 動物の皮をなめして作った狩人装備を身に着けた白髪白髭の男が、一方的に激高している。

 

 円座の上に胡坐あぐらをかいた姿勢で、指を振り唾液をまき散らし、怒りのまま言葉を吐き出す様を、精霊王ガルーダは御簾みすのように薄い布で隔てた場所から冷めた目で見降ろしていた。

 

「で?」

「な! 王はわたしどもをないがしろにされるか!」

「わらわは『で?』と聞いただけだ。なにがだ」

「……侵入者どもを、わが手で裁く!」


 白フクロウの面の内側で、ガルーダは目を細めた。

 要は、風の巫女を自身の家が推すマフルに決定づけるために他ならない。

 

「花の狩人プーワイよ」


 言いながら立ち上がり、当主をじっと見つめる。

 

「悪いことは言わない。それは、やめておけ」

「やはり王は、われらの意見をないがしろになさる!」

「はっは。精霊を蔑ろにする貴様らに、言われる筋合いはない」

「ふん! くせに、よくも今までのうのうと……われらには、正真正銘の風の巫女がいるのだ! 今すぐ王位を禅譲ぜんじょうしていただきたい!」


 精霊王ガルーダは、片膝を立てて迫る中年の男を凝視する。その無礼を今さら指摘するつもりはなかった。花の狩人プーワイ家だけではなく、四大家の当主全員が宮殿内に控えていることを知っている。これが、いわゆるクーデターだということも。


 ついに、この時が来てしまった――予想していたとはいえ、精霊王ガルーダの胸は絞めつけられている。これから起こる悲劇が、確定されてしまったからだ。

 

「そこまで言うのなら、譲ってやる。誰も殺さなければ、禅譲の儀式もしてやる。だが覚えておけ。わらわは、ぞ」


 言い捨てると、振り返らずにその場を去った。


 ウルヒが風の巫女になった時、既に四大家の権力は、宮殿奥深くにまで及んでいた。

 

 古くからの精霊信仰は形骸けいがい化し、金と欲によって根元から腐る一方。


 風の精霊カルラも、声は聞こえこそすれ『事情がある』と姿を見せることはなくなっていた。

 

 なんとか事態を打開しようと、ウルヒは魔王討伐の栄誉でもって精霊王に就くことはできたが――勇者が世界の核であるキーストーンを破壊したと伝わると、たちまちその立場は危うくなった。


 精霊王ガルーダとしてのこの十五年は、なんとか精霊国を立て直そうと孤軍奮闘してきた時間だった。

 

 変えられないのなら、せめて

 

 勇者が生まれ変わって自分の元に来たことは天啓だと思い、同時に「やっと解放される」と思った。

 


「やれることはやり尽くしたが……情けないな、力が足りなかった」

 

 

 そんな精霊王の嘆きを知らず、プーワイ家当主は場をはばかることなく高笑いをする。


 

「やった……! ついに、やったぞ! マフルこそが、風の巫女だ! プーワイ家、繁栄の時代が来るぞ!」


 宮殿の外には、黒く冷たい夜が訪れていた。

 夜風はまるで泣き声のように『ひょおおお』と吹き抜けていき、国民たちは不安な心を抱いて眠りについた――誰もが悪夢に身をよじりながら。

 



 ◇




 真夜中、寝床を抜け出したシュカは、竜の洞穴ほらあなから出てすぐの場所で、岩の上に片膝を抱えて座りながら夜空を見上げていた。

 その耳に、緑竜の嘆きがじかに流れ込んでくる。



「どうしたの、緑竜様」

『嗚呼シュカよ。精霊国は選択をした』

「……ウルヒ、王様やめちゃった?」

『仕方がない。もはやは名乗れまいて』

「そっか。またたくさん人が死んじゃうね」

『それもまた、人の選択よな』

「なら、緑竜様も」

『そちらは、ことわりだな。なあに、慣れている』


 シュカの黒い目は、また一層暗さを増す。


「孤独には、慣れないでしょ」

『そうでもない。そなたは少し思考が先回りしすぎだ。目に見えるものも大事なことだぞ』

「……」

ごうゆえ、苦しみは分かるがな』

「あなたも、そうだった?」

『はっは。さ……さあもう眠るが良い。明日は大変だぞ』


 促され素直に寝床に戻ると、ヨルゲンが大の字になったせいで、寝場所がなくなっていた。

 

 溜息をつくシュカを緑竜が懐に誘ってくれたので素直に甘え、組んでくれた腕の上でブランケットにくるまるようにして、ようやく安心して目を閉じる。


 ――翌朝、緑竜と共寝するシュカを見た全員が

「さすが王子様っ!」

「うーぁー……恐れ多すぎます……」

「ジャムゥもそこで寝たかった。さむかった」

「んあああ! 背中と腰が痛ぇ! 俺も竜の上で寝りゃよかった」

 とそれぞれ騒ぎ出したので、シュカは起き抜けに声を出して笑うはめになった。


 腹筋がぴくぴくするぐらい笑うのは久しぶりだな、と思いながら。


 それから荷造りをして出発する一行へ、緑竜が『旅の無事を祈ってやろう』と特別に加護をくれたことは、大変な名誉になった。

 竜の加護は、とても希少で神聖なものだからだ。

 

『さらばだ』


 一行が『竜のあご』と呼ばれる谷から十分に離れると、開いていたその深い狭間がゴゴゴと大きな音を立てて閉じていく。

 キースの胸に光る緑の竜石りゅうせきへ力を託し、緑竜は永遠に近い眠りについたのだった。




 そうして日の高くなる前、精霊国アネモスの中心区画にたどり着くと――


「新たな風の巫女は、マフル・プーワイ! 虹を呼んだのがその証拠だ!」


 目立たぬように裏道を歩いていたシュカたちは、中央広場が騒がしいことに気づいて、建物の陰からそっと様子を窺う。


「なんだありゃ」

「あれは……プーワイ家の当主です」


 眉をしかめるヨルゲンに答える、ファロの声は暗い。びくりと怯えるメイの肩をしっかりと抱き寄せて、厳しい顔をしている。

 念のため周囲に気を配り物陰に身を隠し続けながら、その演説へ耳を傾けた。

 

「王は、無法者がパチチ草原に入ったのを罰しなかった!」


 話を聞いていた周囲の様々な人々が「まさか」「ほんとうか?」と声を上げる。


「四大家は、王に禅譲を申し出、今朝儀式は終わった! 我がプーワイ家のマフルが、風の巫女であり精霊王である! ニセモノ巫女を探せ!」


 ファロがぎりりと拳を握りしめ、歯噛みした。


「なんということをっ! 禅譲させるために、メイを緑竜様の所へ行かせたのかっ」

「……とにかく、宮殿に行こう」


 シュカが短く言って皆を促すと、意外にもジャムゥが小さな巫女へ慰めの言葉を掛ける。


「ほんとの巫女は、メイ。間違いない。カルラも言ってる」

「! ほんと?」

「うん」

 

 建物の裏を選び、人の目を避けて早歩きをするシュカたちは、ある路地裏で行く手を阻まれた。

 

 その人間は、右肩に眠そうな白フクロウを乗せている。

 

「よお」

「え」


 動揺する一行に対し泰然と対峙するその人間は、腰に革のベルト付きポーチと大きなナイフを下げた旅装姿だ。

 

 ホットパンツにニーハイロングブーツの上から、茶色いマントをまとい深くフードを被っている。


 丁寧に編み込まれたプラチナブロンドのコーンロウがフードの脇から出ていて、目の色は判然としない。

 

 ぽってりとした赤い唇が開いたかと思うと、凛とした声で遠慮のない言葉が出てきた。

 

「シュカ。次はどこへ行くんだい?」

「え!? まさか」

「聞いただろう? 精霊王はクビになった。パーティにいれろ。わらわ……あたしも行く」


 ヨルゲンが、額に手を当て絞り出すようにうなる。

 

「……国を捨てるってのか」

「違うよ」

「あ?」

「もともと風は、自由だ。精霊王は、国など持たない。周りの人間どもがまつり上げて勝手に作ったってだけさ」

「お、まえ……」

「そっか! やっとわかった。ウルヒは、カルラを自由にしてあげたかったんだ。そうでしょ?」

「さすがだな」

 

 シュカの明るい言葉ににかっと笑い、フードを後ろに下げる――緑色の輝く瞳を持つ、かつてのパーティメンバーだったウルヒが、全く変わらない姿で現れた。

 気の強そうな瞳に、真っ白な肌。豊かな胸の上には、動物の牙と鳥の羽根で作られたネックレスがある。

 

「安心しろヨルゲン。精霊王は五年に一度しか年を取らない。十五年経っても、あたしは二十三だ」

「あ!?」

「あんたは多少……いやだいぶオッサンになったが。まあ良いだろう」

「おい」

「風の巫女メイ。精霊王としての、最後の頼みがある」

「無視かよ!」


 小さな肩が、驚きで大きく波打った。


「ひゃい」

「そなたの生まれ故郷、風の里で、精霊国からの移民を受け入れてやってくれ。ファロに手紙と金を託す。民を送る手筈は整えてある。ファロも護衛として、共に行ってやってくれ」

「「え!」」


 ぽかんとする黒フクロウと風の巫女は、お互いに顔を見合わせるしかできない。

 

「ウルヒ! 勝手に進めんなって!」

「ヨルゲン。時間がないんだ。竜の顎は閉じた。すぐにアネモスは滅ぶ」

 

 ウルヒに苛立つヨルゲンを、シュカとジャムゥも目で止めた。それからふたりは、同時に空を見上げる。


「……精霊が、いなくなった……だよね、キース」

「ピッ」

「シュカの言う通り。魔物来るの、オレ、わかる。はやくここ出よう。あぶない」


 ヨルゲン、ファロ、メイが息を呑む。そんな三人にウルヒは柔らかな笑みを向けた。

 

「そういうことだ。カルラよ、そこにいるのだろう? 久しぶりで悪いが……われらの姿と音をかく乱してくれるか」


『まったく。十五年ぶりの再会だっていうのに、相変わらず精霊使いが荒いよね』

 

 クスクスと耳元で風が笑っている。


「ふん。十五年分、こき使ってやるだけさ。皆、準備は良いか?」


 全員、ついていけずポカンの顔で、なんとなく頷く。

 

『ウルヒ・エリークの名の元にカルラは与える。インビジブル。ついでに……スプリント!』


 すると、お互いの姿が見えづらくなった上に――

 

「え」

「うお」

「きゃあ!」

「わっ」

 

 足が異常に速くなった。

 各々戸惑いの悲鳴を上げる中、ジャムゥだけが「移動魔法だ」と状況を楽しんでいた。


「ふ、ふ」

 

 シュカは、自然と笑いがこみあげるのを止められない。


「やっぱり、風の巫女って、自由だね」



 

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 お読み頂き、ありがとうございます!

 

 ウルヒ:精霊王ガルーダ

 ウルラ:白フクロウ

 カルラ:風の精霊の親玉


 です。わざと似た名前なんです。作者も間違えます! 覚えなくても大丈夫です!

 

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