第16話 諸行無常
――風の里、入口。
「メイ!」
「メイだ!」
瞳を潤ませる夫婦が必死で駆け寄り腕の中に抱きしめるのは、『風の巫女』として無理やりに宮殿へ連れていかれたはずの、実の娘だ。
「おとーちゃん! おかーちゃん!」
「あああ、よかった、無事で」
「ありがとう! 君が、送ってくれたんだね!」
涙でドロドロになりながら、ふたりはファロも強引に家に招き、素朴だが温かい料理を振る舞った。
手入れの行き届いた小さな家の、こじんまりとしたダイニングテーブル。野菜のスープを口に入れながら、ファロは目を細める。
「よかったね、メイ」
任務は終わった。食事が済んだら、どこへ行こうか。
元勇者たちを追いかけようか。役に立てるだろうか。
ファロの心は、落ち着きなくふわふわと浮いていた。
「ファロは、ずっとメイのそばにいるよね?」
が、不安そうな深緑の瞳に逆らうことはできなかった。
――その何年も後。
風の里は農作物に恵まれる、平和な場所になった。
精霊国中央から流れてきたたくさんの人々を、風の里の民たちは『メイを追いやった償いをしたい』と快く引き入れたのである。
精力的に水を引いて畑を広げ、やがて大きな集落になり、メイの両親が初代『代表』になった。
そんなメイの傍らには働き者の黒髪の青年が常に寄り添っていて、ある風の強い日、ふたりの間には元気な女の子が生まれた。
その子が笑うと、決まって暖かな風が吹くという――
◇
シュカたちが精霊国アネモスを発った、翌日の夕方。
「な、んだ、なにが、起こった……」
プーワイ家当主は、中央広場でガクガクと膝を震わせていた。
眼前には、喉をぐるぐると鳴らし
ギラギラと光る赤い目と黒い毛並みを持つ
「ブラックファング……!」
背後には、シルバーファングやヘルハウンドなど、犬の姿をした魔物が大勢
そのどれもが今にも飛びかかりそうな殺気を発しながら、ぐるぐると周囲をうろついている。
「いったい……なぜだ、どうしてだ!」
精霊国アネモスは、精霊の力に守られて
精霊王ガルーダは、プーワイ家の主張を受け入れ、国王を
そのことは、大々的にプーワイ家の『功績』として国全体に通達され、異を唱える者たちはそそくさと荷物をまとめて出国したし、止められることもなかった。
国民の半分を失ったとしても、権勢を誇る四大家関係者は、自分たちの行いを『正しい』と信じて疑っていなかった。なぜなら、
本物の風の巫女へ、正義の名のもとに
連れてきた血みどろの男たちは、女性を送り届けたことに安心したのか、どしゃりと膝を崩して地面に突っ伏すと、やがてぴくりとも動かなくなった。
周辺では逃げ惑う人々の怒号や悲鳴が、
魔物の群は、広場中央の結界内にいるプーワイ家当主とマフルを、いよいよグルルルルと喉を鳴らしながら落ち着きなく取り囲んでいる。タシタシと石畳を鳴らす足音以外は、いつの間にか静まりかえっていた。
鉄のような匂いが、風に舞って鼻腔を侵食していくのに吐きそうになりながらも、当主は
「マフル! 風を起こせ! 風の精霊を呼べ!」
「あああ、ああああああああぁぁぁ」
マフルと呼ばれた『風の巫女』は、恐ろしさに泣き叫ぶしかできない。
メイみたいな幼稚な子が、巫女のはずがない。私こそが
昨日まではそんな
だって、儀式で! 両腕を広げたら……強い風が吹いた後、虹が出たんだっ! 私が! この私が! 呼んだんだ!
バキバキと、そこかしこで、結界の割れる音がする。
雲は、ただ見下ろすだけだ。
なんの変わりもなく。
びしゃあっ
眼前を赤黒い液体が
あ、赤い虹……ほら、わたし、やっぱり巫女だっ――
◇
金糸の刺繍が美しい、光沢のある白ローブを身に着けた男が、重厚な樫の木で作られた執務机の上に両肘を突き、何度もため息を
緩やかな癖のあるキャラメルブラウンの髪は、耳に掛けられるほどの長さ。薄い唇の口角は、感情を乗せることなく常に上がっている。
「ウルヒの
ふう、と見上げる目線の先。
様々な空と星、そして太陽と月が描かれたドーム型天井の下、色とりどりのガラスで覆われたペンダントライトが吊り下がっている。
壁を埋め尽くす本棚は窓すら塞ぐ程で、部屋の中は薄暗い。そこかしこに、使い込まれているものの丁寧な手入れがされていると分かる、ガラス容器やブラシなどの道具が雑多に置かれているため、何かの研究室のようにも見える。
室内には、男以外誰もおらず静かだ。
一通り書類に目を通した後で、呟く。
「なら次は、帝国かな」
ぎしり、と椅子の背もたれに背中を預けると、さらに顎を上げて天井を見上げた。
開いているのか分からないくらいの細い目は、常に笑っているようで、感情が全く読めない。
「はやく会いたいな。なあ、レイヴン」
◇
「ほーお! 『竜の
何部屋目か分からない、王宮にある王の私室のうちのひとつで、グレーン王国国王アンドレアスは舌なめずりをしながら
歳若いメイドの失踪が続けて起きており、人手不足で年配のメイドしかいない。その熟練された仕草で淹れられた、紅茶の入ったティーカップを忌々しげに見てから、アンドレアスは手をプラプラ振って人払いをした。
真向かいにきちりと腰掛けているのは王太子となったマティアスだ。
「はい。報告を受けました」
「くく。邪魔な田舎者どもが居なくなって、やーっと道が通じたか! 帝国の喉元まで手が届きそうとは、血が湧き
「ええ。我が王国騎士団の誇る騎馬隊であれば、五日もあれば到達できるかと。補給線の確保については、既に根回しに動いております。父上に置かれましては、万事整うまで政務に集中いただきたく」
マティアスは、暗に無駄遣いと女遊びを控えろと言っている。
精霊国アネモスと巨大な谷である『竜の顎』によって遮られていた、大帝国コルセアへの道が
豊かな海洋と巨大鉄鉱山、それらを活かした造船技術と鍛治ギルドで賑わう大都会を、アンドレアスは手に入れたくて仕方がない。
「わかっとる。とはいえ、真正面からは無理だぞ?
「……コルセアには魔竜が二体いる、という噂をご存知ですか」
「伝承によると、
マティアスは、右側の口角をいやらしく歪めながら言う。
「片方だけですけどね」
伸ばした手でかちゃりとティーカップを持ち上げ、一口中身を含むと苦い顔をした。
「またこれは古臭い、じゃなかった伝統的な茶葉ですね」
「だろう?」
「父上のせいですよ。
「おお、気が効くなぁ」
マティアスは、この欲深い男を暴走させない術を、常に頭の端で考えていた。
「ま、今精霊国の辺りでは、田舎娘が路頭に迷っていることでしょう。救済ですよ」
「はっは! その通りだ!」
にっこりと微笑む美麗な王子の皮をかぶり、慈悲を装うその胸の内にあるのは何か。
「では、この辺で失礼させていただきます」
「おう。吉報を待っているぞ」
「はっ!」
廊下に出て、ふかふかと
「役立たずどもは、夢に
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次回から三章(大帝国編)突入です!
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