三章 激浪に、抗う

第17話 もぞりと、迫りて


「まさか……『竜のあご』が閉じてしまうとは……」


 大帝国コルセアの宰相であるレアンドレ・バルバロイ侯爵は、帝城にある執務室で眉根を寄せながら、報告書に目を通していた。


 藍色の髪にアイスブルーの切れ長の目は、いかにも宰相。右の視力が生まれつき弱いため銀縁のモノクルを常に着けていることからも、第一印象は気難しい男と思われるのが常だ。


「原因は分からぬか……なんにせよ、ここぞとばかりに強欲王が攻めてきそうだよなあ」

 

 執務机前の応接ソファで、果実水の入ったグラスをあおりながら我が物顔にくつろいでいるのは、帝国騎士団長のイリダール・オルセン。


 白髪混じりの茶髪はワイルドに伸びていて、左目に黒い眼帯が特徴の壮年の男性は、団長という地位にも関わらず毎日の鍛錬を欠かさないため、騎士服の胸板も二の腕もはち切れんばかりである。


「まあ、そうでしょうね。正面突破はないでしょうが、こそこそ補給線を作り始めているようです」

「ふうむ……精霊国がなくなるなどと、考えたこともなかったが」

「はい。魔教連まきょうれん(魔道士世界教会連合)の主張が当たっているとすると、次の滅亡の危機がやって来ることになります」

胡散臭うさんくさいことこの上ねぇがな」

「ちょっ……」

わし、目に見えんもんは信じない主義」

「よーく知ってますけどね。どこで誰が聞いているか」

「帝国宰相執務室でもか?」

「はいはい、そうですね」


 グレーン王国の東にある精霊国アネモスから見て、さらに南東に広大な国土を持つ大帝国コルセア。


 数百年前に海賊として財をなした男を慕って、仲間が集まったのが国の起こりである。規模が膨れ上がり、国の形になってからは皇帝となって周辺諸国を次々取り込み、今の形になった。

 

 グレーンが、『王族』を絶対権力者として発展してきた一方で、コルセアは勇壮勇猛な海賊の血筋である。


 中でも現皇帝ギオルグ・バルバロイ――レアンドレの年離れた兄でもある――は戦闘も政治も他に類をみない『絶対皇帝アブソリュートエンペラー』と呼ばれている。


 偉大なる兄を、政治の頂点たる宰相として支えるレアンドレは、三十歳。皇帝は四十三歳、帝国騎士団長は五十歳なので、いつまでも小僧扱いされることに多少辟易へきえきしつつも、政策の鋭さでもって周囲のくだらないやっかみは蹴散らしてきた自負はある。


「……儂の嫌な予感が止まらん」

伯父貴おじきの勘は、当たりますからね」

 

 バルバロイ家の遠縁にあたるこの豪快な男を、レアンドレは親しみを込めて、普段は伯父貴と呼んでいる。

 

「レレ……くれぐれも気をつけろ。正攻法は通じん相手だ」

 

 イリダールもまた、家族内での呼び名でもって接した。

 

「強欲王の名に恥じない、強欲っぷりですもんね」


 山脈と森に囲まれた欲は、今までは谷と精霊にさえぎられていた。

 抑止力がなくなった今、大帝国の持つ資源を狙ってくるのは間違いない。特に鉄は、どんな武器防具、道具にも使える万能な資源だ。

 

「騎士団はもちろんですが、冒険者ギルドにも通達しましょう。特に北西の国境を警戒するようにと」

「だな。間諜も次々入り込んでいるだろうよ」

「冒険者カードじゃ防ぎようがないですから。入国後、クエストもミッションも受注していない者を、定期報告するように依頼します」

「うし。んじゃ~儂は……軍事訓練の回数を増やすとするかな」


 にひ、と笑ってイリダールが立ち上がる。


「鍛冶ギルドに払う金、用意しといてくれよ。たんまりとな」

「はい、はい」


 で摩耗した武器防具を買い替え・修繕する費用が莫大になるのなら、予め国庫の余裕を計算しなければならない。それもまた、宰相の仕事のうちだ。


 片手を挙げて退室するたくましい背中を見送りながら、レアンドレは机の引き出しからバサバサと紙の束を取り出し、ペンを手に取った。

 

 たくさんの申請、通達をあらかじめ書いてまとめてから、皇帝へ上奏しに行くためである。

 

 もちろん、その場であれもこれもと言われるのを見越して、だ。


「はああ。忙しくなるなぁ」


 こんな時、身軽な独身で良かった、とレアンドレは思う。――ただの強がりだが。




 ◇

 

 

 

 その頃、大帝国コルセアの誇る、皇都。

 職人街の一角にある鍛冶ギルドでは、騒ぎが起こっていた。


「なんてこった……に火が入らねえぞ!」


 半円のドーム型に組まれた、石の炉の前で職人たちが一様に青ざめている。

 

 コルセア南西にある鉱山では上質な石炭と鉄鉱石が取れる。


 空気を遮断した専用の炉で石炭に熱を加えて作られるコークスは、不純物のない『燃える石』であり、製鉄に欠かせない上質な燃料だ。鍛冶ギルド裏の倉庫に積まれてあるが、なぜか今朝からそれに火が着かない。

 

「濡れてる様子はねぇし……」


 分厚い皮手袋で、空中に掲げて見る黒い石に、変わった様子はない。

 木炭を敷き詰め、フイゴで強風を送り――という手順もいつもと変わらない。


 ところが、炉もかまも、冷え切ったままなのだ。


「やべえぞ……! これじゃ、何も作れねえ!」

「おいまさかっ、火竜かりゅう様に何かあったのか?」


 鍛冶ギルドにも当然、精霊国アネモスの噂は入ってきている。緑竜の加護がなくなった国は滅び、住処である竜のあごが閉じてしまったと。


 守護竜を持つ隣国同士、細々とした交易も行われていただけに、大帝国民にも多少の動揺が伝わっている。

 

「っ!!」

「いかん、すぐ冒険者ギルドに連絡しろ!」

「おおおおおれっ! いってきやすっ!!」

「おれもっ!」


 職人見習の若者ふたりが、泡を食った様子で駆け出して行った。


「親方……」


 皆が不安そうなのも無理はない。 

 鍛冶に欠かせないのは火だ。だから火竜を神のようにまつってきた。もしその『鍛冶の神様』に何か起きていたとしたら――

 

「アネモスみたいにならなきゃいいが」


 熱さと金属の響く音や、職人たちの活気に満ち溢れているはずの鍛冶ギルドが、設立以来初めて――しんと静まり返っていた。

 

 

 


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 お読み頂き、ありがとうございます!

 

 イリダールとヨルゲンのイケおじ対決が楽しみですね。

 作者の趣味全開ですみません。

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