第39話 三つ巴の戦略
「ルミエラが生きていたというのは、本当なのか」
ヨーネット王国の王城では、情報が錯綜していた。
国王のシス・ヴァロは険しい顔で王の座のひじ掛けに肘を突いたまま、様々な報告を聞いていた。
「は。帝国はそのように言ってきております。グレーンも、氷の花嫁になるような
「勝手なことを! ……棺が空になっていたのは事実だ……一体どのような手で抜け出したんだ……」
王の間には、ヨーネットの大臣や役人の他に、明らかに異質な衣服――雪国には似つかわしくない、魔法使いのフード付きローブ――を身に着けた者たちも壁際に控えていた。
そのうちアナテマとポエナという名のふたりは、高位魔導士が身に着けることを許される黒ローブ姿で、王の座の前に
「まさか、
シスの怒りを含んだ声を、アナテマが顔を上げ、微笑みの表情で受け止める。
「滅相もございません、陛下。それをする理由がございません」
「……」
「わたくしどもには、魔教連本部と繋ぐ音石がございます。お力になれることがあればなんなりと」
「ふん。帝国との会談に貴殿らを同席させるつもりはない。控えておけ」
「承知いたしました」
さっと立ち上がって礼をし、王の間から出て行く背中を、シスはじっと見つめる。
「このままでは……どこから狂った……」
人命でもってサファイアをレモラに作らせるのは、国王にのみ口頭で伝えられてきたヨーネットの
資源の少ない王国で十候の勢力を貢ぎ物でもって削ぐのはもちろん、自身の子よりも国民の利益を優先するという『王の儀式』でもある。
シスとて喜んで自身の娘を捧げた訳ではない。ヨーネットの王になった以上、避けられないことであったと思っている。
「どうしたら……良かったのだ……」
ルミエラの代わりに捧げた第五王女は、棺に無理やり入れられ、泣き叫んでいた――その声が耳から離れない。
「どうしたら……」
天井を見上げ途方に暮れる王に、誰も適した言葉を掛けることはできなかった。
◇
「三日後、ブラハウに辺境伯を寄越すだと?」
大帝国コルセアの帝城にある、大会議室。
皇帝ギオルグは、片眉を上げつつ宰相であるレアンドレからの報告を聞いている。
シュカたちは、隣にある控えの間から音石でその会話を聞いていた。
「ええ。ヨーネットの王城から帝国へは九日かかります。最短での会談をということなら、致し方ないかと」
ブラハウは帝国北の国境にある海沿いの街で、海洋貿易拠点の一つであり、青竜神殿が密かに建てられている小島を有している場所でもある。重要な土地という位置づけであるからして、ブラハウ伯はギオルグとも懇意の仲だ。
「ふむ……イリダールは、どう思う」
「は。宰相殿と同意見です。ヨーネットの辺境伯とは何度か酒を
「相手にとって不足なし、ということだな?」
「は」
「ならばよい。三日であればこちらからも間に合うだろう。誰を行かせる? イリダールは北西に行かねばならんだろう」
「いや、儂が行きましょう」
「グレーンはどうする」
「冒険者パーティ『天弓の翼』に任せます」
「!」
大会議室には、皇帝、宰相、騎士団長の他に十人ほどの上級貴族が詰めていたが、全員が驚愕の表情を浮かべていた。
「正気か、騎士団長!」
そのうちのひとりが、テーブルに拳をダンと打ち付けながら立ち上がった。
何かにつけイリダールを「武功伯爵」「田舎者」と下に見てくる
「儂は正気でありますぞ。侯爵閣下」
「帝国騎士団を行かせず、なんとする!」
「逆に、騎士団が行ってどうします?」
「なにを言うか!」
――ダン!
イリダールは、テーブルに拳を打ち付け返した。
「我ら騎士団が行ったら、グレーンとの全面戦争になる! その覚悟は、おありか! 用意周到に国を畳んだアネモスとは違う! 罪もない帝国民を、くだらぬ理由で何人も殺すことになるのですぞ!」
「帝国民を守るのが、貴様ら騎士団の役割だろうが! グレーンなど蹴散らせばよい」
「戦の最前線に立ったこともないくせに、よくもそのようなことを言えますな。命のやり取りをご存知か!」
「伯爵
イリダールの二の腕の筋肉が、見るからにぼんっと盛り上がった。
「双方、そこまでだ」
皇帝であるギオルグは、どちらの肩も持つべきではないのを分かっていて、あえて侯爵に冷たい目線を投げる。
「なぜ、戦争しようとする?」
「は?」
「現段階ではまだグレーンからなんの通達もない。ただ、王国騎士団が国境付近まで来ているというだけだ」
「我が帝国とやり合うつもりに決まって」
「アネモスはもうない。いわばあの地域は無国地帯だ。竜の顎の調査と言われたらどうする」
「ですが、こちらからも防衛線を展開しないと」
この時点で、最初はイリダールに反対だった出席者たちも疑問に思い始めた。これは、下手に刺激をしない方が良い。だからこそ、『剣聖』『精霊王』という世界に無二の称号を持つ冒険者パーティに任せるという判断は、真っ当に思える。なぜなら――
「防衛線展開の前に
「は。私が成人する前、南部の反皇帝勢力に拉致された事件はご存じですね? 誰もが肩入れを
「な……」
「目の前で次々人が吹っ飛ぶ光景はなかなかに衝撃でしたね。しかも、その報酬に求めたのはたった一枚のギルドカードですよ。剣聖に疲れたからBランクが良いとか言って、カードをもらったらさっさと居なくなった。再会できて良かったなあ」
イリダールの盛り上がった筋肉が元に戻っているのを見て、レアンドレはそっと息を吐き出し、ギオルグは再び冷ややかな目を侯爵へ向けた。
「
「は……?」
「グレーンから何を提示された? 金か。土地か」
「い、くら陛下でも、失礼にも程がありますぞ! っ、失礼する!」
憤慨しながら、返事を待たず会議室を出ていくでっぷりした体を、全員黙って見送った。あえて
「あれでも南部勢力に金をばらまいて抑えてもらってるからな。レレ、あとで金の流れを調べろ。不足しているようなら補充。欲をかいたようなら」
「はーい。しれっと増税しときまーす」
――ぞっ。
「ふは。一気にやりやすくなった」
「言うな、イリダール。さて、北西の国境対応と、北東会談の日取りだが……」
◇
「団長……いよいよコルセアの国境が見えてきそうです……」
「はぁ。分かっている。……それにしても、だいぶ減ったな」
ハンスは背後を振り返るや、眉根を寄せた。
遠征任務は危険で人気がない。雷竜討伐の時と同様、団長の招集命令に応じた騎士は所属人数の三分の一程度だった。しかもグレーン国王の王命は、失敗が許されない。いわば帰らずの任務であることは、周知の事実である。
撤退も許されない状況で、異常な数と強さの魔物たちと戦いながら進んできた。ハンスの持つ王太子直通の音石からは、もう『遅い』『役立たず』の罵声しか聞こえない。進むのは地獄の行程と言っても過言では無い状況だが、帰国しても縛り首なのは確実なのだから、もはや進むしかないのである。
「すまないなあ、デリック」
「何をおっしゃいます! 我ら一同、団長には感謝しているのです。どこまでもついていきます!」
王都の日の当たらない場所で、身を寄せ合うようにして生きていた孤児らを鍛え、生きる道として従騎士(騎士見習いとして、騎士の盾持ちや身の回りの世話をする)に誘ったのはハンス自身だ。
中でもデリックには剣技の才能があった。自分で馬や装備を揃えられたなら
あどけなかった茶色の瞳も、赤茶色のふわふわの巻き毛も、今や立派な青年である。
「あんな王国……逃げて冒険者にでもなりますか?」
「滅多なことを言うな。誰が聞いているか分からないぞ」
「怪しそうな奴らは、とっくに
「……」
王太子マティアスの罵声はもう聞きたくないので、音石は遥か離れた馬具の中に押し込んである。あんなもの、二日に一回で十分だと思っている。どうせ大して進めもしないのだから、と。
「せめてもう一度、会いたかったなぁ」
ハンスは、ふと青空を見上げた。
真っ白な鷹を肩に乗せた、不思議な雰囲気の少年と、伝説の剣聖。
共に雷竜へ
「ふう。さて、大帝国の騎士団長は、
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お読み頂き、ありがとうございます!
ハンス、覚えていらっしゃいますでしょうか。第四話と五話以来の再登場です。
お久しぶり!!
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