第29話 絶望の霧は、晴れるか


「まずい! ここで抑えないと……外に出しちゃ、だめだっ」


 巻き上がる熱風の中片腕で顔を庇いつつ、シュカが青玉せいぎょくを握りしめ葛藤していると、ジャムゥが赤い目を細めてこちらに顔を向けたのが見えた。

 それだけで、十分に伝わる。

 

「! そうか! 風の精霊カルラに教わった、結界!」


 気道が焼け、頬が焼けただれるのもいとわず、その歩を前に進めながら宙に魔法陣を描いていく。指先が、じりじりと痛い。


 

 風の精霊カルラは、魔素に風を編んでいた。今は、水を編めばいい――シュカはひたすらに指を、腕を動かす。


 

「ゲン、さ、……」

「おう! フォルティス・フラクタス強い波!」


 ぶおん、と両手で大剣を振り回すヨルゲンは、リミッターを外したようだ。まとわりついてくる炎の波を、ことごとくぎ払っている。

 

 空中を縦横無尽に駆ける竜のように、大量の水が渦を巻いてはキラキラと蒸発していく。


 八の字、ウェーブ、太刀筋に合わせて発生する水の太縄が、全員の理性と希望をこの場に縛ってくれているようだ。


 なんて心強いんだろう! とシュカは口を真一文字に結んで、目の前の魔法に集中する。


「さがっとけ!」

 

 ウルヒとジャムゥはヨルゲンの指示に従い、『蒼海』の射程圏内に入らないよう部屋の隅まで退いて合流し、懐にそれぞれウルラとキースを庇った。


「い、き……が……」


 呼吸が苦しくなり、たまらず床に片膝を突くウルヒに、ジャムゥが寄り添う。

 延焼の可能性があるため窓を破るわけにはいかないが、ジャムゥの心を占めているのは、シュカとの『壊さない』という『約束』の方だ。

 

「ウルヒ。くるしいか」


 眉を寄せて尋ねるジャムゥに、ウルヒは汗を垂らしながらかろうじてニヤリとしてみせる。心配させまいとするその態度に、ジャムゥの胸はきゅううと締め付けられた。


 助けられなければからか。いや、きっとこの気持ちはそうじゃない。


「これが、くるしみ……」


 鼻の奥がツンとするような不思議な感覚に、ジャムゥは戸惑う。


「キース……でもオレ、壊すしかできない……」

 

 途方に暮れ、話しかけてくる魔王に対し、キースはピルッと鳴いた後で「コワセ」と言った。


「いいのか?」

「イイ」


 金色の目が、まっすぐに天井を見ている。キースが許すのなら、とジャムゥは考えた。そしてさらに、もし約束をたがえたことになり自身が滅んだとしても、ウルヒが助かるのなら――と。


「わかった」


 すく、と立ち上がったジャムゥの腕の中からパタパタと飛び出た白鷹は、ウルヒに抱かれてぐったりと目をつぶっているウルラに寄り添う。

 

 ジャムゥは、赤い目を輝かせたかと思うと、天井を睨んでと唱えた。


サンヴァルタ・カルパ破壊の劫


 

 ――ドン!



「!?」


 意識朦朧もうろうとしつつも間近で見ていたウルヒは、あんぐりと口を開ける。肌を撫でる清涼な風に誘われ顎を上げたのは、呼吸をするためではない。

 

 頭上に、青空がある――非現実的な出来事を、受け止めきれなかったからだ。


「……魔王……」


 たらりと背中を流れる汗は、炎の熱によるものではなく、恐怖がつたったもの。その冷たさに、身震いした。

 

 頑丈なレンガ造りの建物の一階から屋根までを、一瞬で破壊する。

 そんな芸当のできる生き物が、華奢な女の子の皮を被っている。これを魔王と言わずして、なんと表現できようか。


 ハッと我に返った時には、切なそうな顔でジャムゥが見下ろしていた。


「オレ、……魔王か?」

「っ! 違う!」

 

 慌てて立ち上がりながら二の腕を掴んで引き寄せ、華奢な体を胸の前にかき抱いた。バサバサとウルラとキースが飛び、近くのガレキの上に留まる。白い羽根が、いくつか舞った。


「ちがう、ちがうよ! ごめん! 驚いただけ! ありがとう! 助かった、助かったよ!」


 思わず漏らした呼称に彼女を慰めるのに、ぎゅうううと力いっぱい抱きしめるしか、ウルヒにはできない。

 

「そ、か」


 胸の谷間に、ふ、ふ、と温かい息が当たる。

 くすぐったいな? と胸元を覗き込むと、満面の笑みを浮かべる赤い目がそこにあった。


「ウルヒのおっぱい、やっぱりすごい。柔らかくていい匂い」

「あっは!」

 



 ◇




 一方。

 シュカは懸命に結界の魔法陣を編んでいた。

 その脇で『蒼海』を振り回すヨルゲンは、冷静にルミエラを牽制けんせいしている。


「今助けっからな! 姫様よぉ!」

「アアアアアアアア!!」

「落ち着けって! 美人が、台無しだぜええええ!」


 ジャムゥの空けた天井の穴のおかげで、苦しかった呼吸が戻ると同時に火の勢いも増す。けれども、ヨルゲンの活躍でシュカに火の手は及ばないし、ルミエラの視界や動きを封じることができている。


「さすがっ! 剣聖けんせいっ!」

「っは! ご期待には、応えねえと! なあっ!」

「アアアアアアアアア! 燃えロ! モヤセ、……」

 

 シュカの黒い目に、強い光が宿る。描き終わった眼前の魔法陣の中心部分に、青竜から託された青玉をはめこむ。それから左右両端にある文字に手を合わせ、外側から内側へドアノブをひねるように動かす。左親指で文字の一部を拭いて消すように撫で、叫んだ。


ナイ解放を、ソト捕縛に!! アクア・カヴェア水の檻ッ!」



 ――パキィンッ



「ぃよっしゃ!」

「イギャアアアアアアアアアアアア!」


 


 絶叫ののち、発生する濃霧。その上に、複数の人間の姿が映し出され始めた。

 青く光る魔法陣内に隔離することはできたものの、ルミエラから発せられる不可思議なものに、全員戸惑いを隠せない。



「これは!」

「なんだぁ!?」


 シュカとヨルゲンの背後で、ジャムゥを抱きしめたままウルヒが叫ぶ。

 

パトス・メモリア共感記憶だ!」

「っ、誰かの、記憶ってこと? ……僕の水に共鳴したのか……!」

「おいシュカ、見覚えがある場所だぞ」

「そうだよゲンさん! これ! 火竜神殿だ!」


 

 火竜神殿内。シュカたちが発見した大理石の床に描かれた赤い魔法陣を囲んで、怪しげな儀式をする人間たちがいる。

 

 

「しかもこりゃぁ、シュカがやったことと同じじゃねえか?」

「召喚、魔法……!」



 ヨルゲンの愛剣『蒼海』の代わりに床に置かれたのは――



「火の指輪だ」

「やっぱそうかよ」


 やがて魔法陣の上に、燃えるような赤い竜の姿が現れる。

 

「あれが、火竜?」

「アウシュニャだ」

「思ったよりだいぶちっせえな!」


 シュカ、ジャムゥ、ヨルゲンそれぞれの呟きに、ウルヒが頷く。

 

「火の精霊、サラマンダーが神格化したのが火竜さ」

 

 サラマンダーは、別名『火とかげ』。人の手のひらに乗るぐらいの大きさであるが、その赤い鱗は常に燃えたぎったマグマのように炎をまとっていて、青く鋭い目と長い舌で、すばしっこく走り回る。

 火竜が通り過ぎた後は、全て跡形もなく黒焦げになると言われるほどの、苛烈な火のである。


 映像の中では黒ローブのフードを深くかぶった人物が、手の甲を上にし右手を前に差し出していた。

 火竜は首を左右に振ってジタバタと暴れ、嫌がる様子を見せるが、右手首に吸い寄せられるようにして絡まる。


「推測に間違いなかったね。やはりあれは、従属の印だ」

 

 ウルヒの言葉を合図にしたかのように、場面が切り替わる。


「ん? 別の場所か?」

「……おそらく、ヨーネット王国にある氷殿ひょうでんだな。中央に棺があるだろう。氷の花嫁が入るものだ」

「ウルヒの言う通りだと思う。床に描かれているのは、はっきりとは見えないけど、氷魔法の陣だよ」

「プージャナー。人間を精霊に捧げる意味だ。キライだ」



 やがて、白ローブのフードを深くかぶった人間たちが、ぞろぞろと棺を取り囲んだ。

 それぞれの手には、先端が片翼のような形に装飾された木の大きな杖があり、高く掲げている。

 


「おうおう、見るからに怪しいじゃねーか」

「ゲン……あの、ローブ……」


 ウルヒが切ない声を出し、目を向ける先の人物に、ヨルゲンも目を留めた。

 

「!」


 ぎりぎりと奥歯を噛みしめる音が鳴り響く。


「……んなとこで、何してやがる……ファルサ!」


 ウルヒから離れたジャムゥが、キースを胸の中に呼び込んで抱きながら、首を傾げた。

 

「ファルサって、誰だ?」

「覚えてない?」


 シュカが寂しそうな顔で告げる。


「ファルサ・スローシュ。別名『』だよ」


 ウルヒとヨルゲンが、それに続いた。

 

「世界最高峰の聖魔導士さ」

「そんでもって、魔導士世界教会連合魔教連の、だ」




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 お読み頂き、ありがとうございます!


 影をちらつかせてまいりましたが、九万字弱かけてようやく名前出せました、勇者パーティ最後のメンバー。

 今後の展開も是非お楽しみください。

 

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