第28話 我に返るも、絶望


 女性は、ジャムゥの拒絶で初めて眉をひそめた。


『……燃えろ、と言った』

「いやだ」

『貴様。なぜ、燃えぬ』


 部屋を覆いつくす炎の勢いは、止まらない。

 シュカは懸命に魔法防御の魔法を唱えている。いるだけで肌がただれそうなほど部屋全体の気温が上がり、空気を吸い込むと気道が焼けるようだ。


「ガタガタうるせえな!」


 痺れを切らしたヨルゲンが、『蒼海』を両手で中段に構えた。

 青くきらめく刃から、水がとめどもなく溢れ出ている。


フォルティス・フラクタス強い波!」

「あっは!」


 シュカは思わず口を開けて笑った。

 前世で、技の名前を言いたくない(ダサいから)とゴネていたヨルゲンを、思い出したからだ。


「笑うなってええええおらああああああ」


 右へ左へ、上から下へ。

 縦横無尽に振るわれる『蒼海』の剣先から、じゃばじゃばと放たれる水が、壁と天井をっている炎を消し、水蒸気となっていく。

 

 白い煙が部屋を覆ったところで、ウルヒが「ウルラ!」と呼ぶと、白フクロウが大きく翼を広げて何度もはためかせ、弱めの風を起こしていく。キースもそれに呼応し、部屋の中をぐるぐると飛び回った。

 

「シュカッ! キリがねえぞ!」

「分かってるっ」


 幸い、シュカが前に喰らった呪いの炎と、部屋を燃やしているものとは、性質が違うようだ。ヨルゲンの技で消えるということは、ただの火である。

 

「火竜自身に、干渉しなければ大丈夫っ」

「なるほどっ、ねえっ! うおお!」

「ホロッホー」

「ピッ」


 ウルラとキースの活躍で、部屋に立ち込めていた水蒸気はかき消された。

 だが――メラメラと燃えたぎる女性を取り巻く炎が、だんだんとその物量を増していく。


「やっべ」

「従属を解くには、どうしたらっ!」


 さすがのシュカも、前世では全く経験のない出来事に、焦るしかない。

 

『目障りな奴らめ』


 すると、ジャムゥがぼそりとそれに応えた。

 

「おまえ、さみしいのか」

『!?』

「ウダカも、さみしがってるぞ」

『ウダ……』

「アウシュニャ」

『ちがう』

「ちがくない。おもいだせ」

『ちがう!!』


 カッと女性が目を見開くと、部屋全体を爆風が駆け抜けた。


「うぐっ!」

「あっちぃなぁおいっ!」


 すかさず両腕と蒼海で自身を庇ったシュカとヨルゲンだったが、戸口にいるウルヒのもとまで吹っ飛んだ。

 幸いにも呪いはまだ喰らっていないが、あまりの熱量に、再び近づくのは難しい。

 

 

 今やジャムゥだけが、女性と対峙している。


 

「おもいだせ」

『ちがう』

「まだ、間に合う。従属したばかりなら」


 ジャムゥの目に、より強い光が宿る。魔力を高めているに違いない、とシュカは身構える。

 数々の強大な魔物を従属させてきた魔王という存在が、ありがたいと思う日が来るとは、と苦笑いを浮かべながら。

 

『ぎぐぐ。もう、おそい』

「じゃあ、もうあらがうな。

『ゆず……。……?』

「大丈夫だ。オレたちがきっと何とかする」

 

 コクンと頷いて見せる元魔王に対し、女性は何度かゆっくりと瞬きをした後で、再び口を開いた。

 

『……われ……わた、わたくし、は――いらない人間なのです』


 口調がいきなり変わったかと思うと、真っ赤な両眼から黒い涙を流し始めた。部屋を覆う炎は、徐々に勢いが衰えていく。

 ジャムゥとの対話に気を取られている――シュカはこの間にと、次の手を考え始めた。


「いらない?」

『殺されるために、産まれました』

「どういう意味だ?」

氷の花嫁ヤ・モルシアン。それだけのため……ああ、あああ』

 

 天井を仰ぐ彼女の頬から、黒い涙がとめどもなく流れ落ちていく。

 ベッドの上に浮いている体が、慟哭どうこくに合わせてゆらゆらと上下している。


「ルミエラ! ルミエラ・ヴァロ殿下か!」


 ウルヒが、弾けるようにその名を叫んだ。


「ヨーネット王国、第五王女! っ今年の! 氷の花嫁だっ!!」


 さすが精霊国アネモスの元国王は、周辺諸国の政治・行事に精通していた。

 

「氷の花嫁ぇ?」

「二十年に一度の儀式だね。氷竜に花嫁を捧げるっていう」

「捧げるて……おいおい今時そりゃ」

「うん。ゲンさん。時代錯誤もはなはだしい、人命を犠牲にするいにしえの儀式だよ」

「ってかよ、?」

「……ほんと、人の欲ってさ。過ぎたら害しかないね」


 肯定も否定もせず、すっと細められたシュカの目に怖気おぞけを感じ、ヨルゲンはぶるりと身震いをした。


「とにかく、ジャムゥに任せてみよう。ゲンさんは、最悪――斬る覚悟をして」

「……分かった」

「ちっ、死なせたくないねぇ」

「うん。ウルヒ。僕もだよ」

 

 ジャムゥが首をコテンと傾げ、それから――


「変だな。


 失言としか思えないものを、放った。

 

「うおい! あっの、ばっか!」

「ウルヒ、最悪は離脱っ」

「あいよ!」


 焦る三人。ところが――


「存じております。存じた上で、崇拝しているのです」

 

 浮いていた女性の足が、やがてぺたりと床の上に着地した。それから痛々しい包帯まみれの腕で、カーテシーの仕草をする。

 先ほどまで荒々しい炎の化け物となっていたのが嘘だったかのように、一変して王女の気品をまとっている女性の姿に、全員が息を呑む。

 

 

「青竜に成りたくとも成れなかった、あわれな氷の精霊レモラ。ブオリ山に篭り、その涙が雪となっています。彼を慰めなければ、ヨーネットでも火は使えないと言われています」

「ふーん。だからって呼んでるのか」

「左様です」

「なら、お仕置きだな」

「お仕置き?」

「竜は神聖な生き物だ。神とおなじ。その真似をするなんて、精霊界では大罪たいざいのはずだぞ」

 

 ルミエラの目が、まんまるに見開いた。その赤みが徐々に薄まってきているのは、理性が戻っている証拠なのかもしれない。


「たい、ざい……?」

「うん。精霊が人の命を吸ったら、闇堕ちするものだ」

「!」


 がくがくとルミエラのあごが震えている。


「そ、れは」


 会話を聞きながらシュカは、この出来事は、誰かが意図してルミエラを陥れたに違いないと感じていた。その核心を突くために口を開く。


「ルミエラ殿下」

 

 ルミエラは、返事の代わりにびくりと肩を波打たせ、おびえるような表情を浮かべる。


「殿下に禁呪を施し、火竜を従属にしろと促したのは、誰ですか」

「っ」

「ヨーネットを救うためと言われたのではないですか?」


 ヨルゲンとウルヒが、ハッとする。


「そういうことか!」

「はん。くだらないこと考える奴がいるもんだね。ヨーネットに火竜を連れてったって、無駄だよ」

「え」

「ルミエラ殿下。あたしは元・精霊王ガルーダ。その立場ではっきりと言う。竜や精霊は、もの」

「!」

「力があるからって無理やりに連れ帰ったところで、死ぬか暴れるかだけだ」


 ぎりり、とルミエラが下唇を噛み「そんなっ……騙され……」と吐き出した。


 途端にまた炎が巻き起こる。先ほどよりも苛烈な勢いであることは、すぐに分かる。


「ならば、もうっ……あああああ」

「ちっ」


 ヨルゲンが、再び『蒼海』を構え直した。


「頼むぜ、愛剣……」

 


 火竜の炎にさえ打ち勝つための、水を。青竜の加護を。

 願う剣聖から立ち上るのは、青く澄み渡った魔力だ。

 


「俺にっ! 火は効かねんだよっ!」

「アアアアアアアアアア!!」

 

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