二章 緑風、吹き抜ける

第6話 精霊国アネモス



 精霊国アネモスは、自然豊かな谷間に栄えている小さな国だ。

 

 国というよりひとつの村といった方が良いぐらい、国土の大きさも国民の数も小規模であるものの、風の精霊に守られているのがその名前の由来であり、精霊を宿す王が統治しているという権威のある国である。


「精霊サマサマだからなあ。俺なんてピンッて弾かれちまうよ」

「真面目なふり、してよ」

「(キリッ)」

「ふ、ふ」

「……笑うなって」


 シュカとヨルゲンは、谷の入り口で荷馬車から降りた。さすが精霊に守られていると豪語するだけあって、ここまで魔物に襲われずに来ることができたのは、驚きの状況である。

 

 商人たちは基本的には入国せず、手前でアネモス側からやってくる仲介業者に荷渡しする。業者はそれを検品してから国内に持って入る。

 つまり外部の者は滅多に国内へ入れない仕組みになっているため、麦農家の老人とはここで別れた。

 

 そんな谷の手前の『検閲所』――実際はただの広場に役人が何人かいるだけだ――に、ふたりはいた。

 冒険者として入国の手続きをと申し出てから、予想通りだいぶ待たされている。早朝に着いたにも関わらず、もう昼前だ。


 ヨルゲンは、手の中で自身のギルドカードをもてあそびながら、ぼうっと路肩の大きな石の上に腰かけていた。カードは、ランク『B』を示す銀色である。

 シュカは雷竜から手に入れた力を、そうと分からないようにこっそり試してみたり(遠くにある雨雲を少し横にずらしてみた)、キースと戯れたりしてみたが、それでも暇を持て余していた。


「ゲンさん……B?」

「生きやすいぜえ」

「……」


 剣聖と呼ばれた男は、当然冒険者ランクはSのはずである。

 

「安心しろ。ちゃあんと、さ」


 ヨルゲンは何でもないかのように言うが、名誉称号のSランクであれば受けられるはずの、数々の特別待遇を全て放棄していることと同じなのである。シュカの胸は、たちまち苦しくなった。


「気にするなって。どこ行っても注目されんのは嫌だ、つって俺がゴネたら、大帝国コルセアのギルマスが便宜を図ってくれたのさ」

「……そう」


 勇者パーティだった面々は、どこへ行ってもその名を知られている。

 もし『蒼海そうかいの剣聖』と分かれば、その身に行き場のない恨みをぶつけられることは、間違いない。

 

 ヨルゲンとて「まさか……?」と声を掛けられることがまれにあるから、このようなうす汚い冒険者の格好をわざとしているのだ。言い伝えにある剣聖は、『数々の女性たちが恋焦がれる、爽やかな好青年』である。無精ひげの生えたおっさん剣士が同じ名をしていようが、気にもされないのは助かっていた。


「それよか、のことは、聞かねえのな」


 ヨルゲンが、水筒の中身をあおりながら横目でシュカを見ると、彼はキースの頬をくしくしと撫でているところだった。


「……もう、知ってるから……」

「そか」


 シュカが口を開きかけたところで 

「そこの冒険者ふたり!」

 と、ようやく役人に呼ばれた。鳥の羽根を幾重にも重ねた茶色い外套がいとうに、濃い緑色のフードをかぶり、背には大弓を背負っている大柄の中年男性だ。

 腰には大ぶりのナイフと、ぎっしりと道具の詰め込まれた革袋を下げている。今すぐ狩りに行けそうな装備であり、役人というより狩人かりうどの方が似合っている。

 

「ギルドカードと、入国目的を」


 シュカが差し出すカードは、Dランクだ。十五歳にしては高いランクであるが、ヨルゲンがBランクなので、役人は納得したようだった――ふたりパーティなら身軽にこなせるミッションも多い。


緑竜りょくりゅうを見たくて」

「んあ!? 正直に言うやつがあるかよ」

「ガルーダ・エリークに嘘は通じない」

「あー……ガルーダだもんな」


 ふたりの冒険者の発言を聞き、役人はたちまち怒りで顔を真っ赤にした。

 

「っ、精霊王を呼び捨てるな!」


 シュカはハッとしてすかさず深く頭を下げ、ヨルゲンもそれに続く。

 

「ごめんなさい」

「すまん」

 

 ガルーダ・エリークというのは、風の精霊ガルーダの名を代々受け継ぐ精霊王の末裔であり、現アネモス国王の名だ。

 血統ではなく、風の精霊が認めた者が王位を継ぐため、を引き継いでいっている。


 と――


「ホゥ」


 突然、眠そうな顔をした白フクロウが飛んできて、遠慮なくヨルゲンの右肩にばさりととまった。

 

「いだっ」

「ウルラ!」

「なんだウルラか。元気そうだな~」

「ホッホウ」

「は!?」


 目を白黒させる役人に、ウルラと呼ばれたフクロウは、足に巻き付けていた筒をくちばしで差す。

 

「え、は!?」

 

 アネモスの人間にとって、精霊王の愛鳥であり、この国のシンボルである白フクロウに接することなど、大変恐れ多い。

 役人の男性は震える手で筒から取り出した紙を広げ、中身を見た後、真っ赤な顔を真っ青にした。


「……なんて書いているんですか」


 シュカが聞いてみるが

「えっ、え、え、えええ」

 役人はまともに発言ができなくなっている。


 その肩越しに手元を覗きこんだヨルゲンが代わりに 

「会いに来い、だとよ」

 あっさりと告げると、いよいよ役人はふっと白目になり、ふらりと倒れた。


「うお、あぶね!」

 

 慌ててその肩を支えながら「うおーい! 誰か手ぇ貸してくれー!」と叫ぶ冒険者に、警戒し武器を構えつつじりじりと寄ってくる役人たち。 

 

「なにもしてねーって! 早くしろ! こいつ、重い!」


 なんだなんだ、と広場にいた人間たちが興味津々で見ている中、ヨルゲンは――

 

「抱くならおっさんじゃなくて、美人が良いんだよ俺は!」

 


 大声で毒を吐きながら、役人を横抱きに持ち上げていた。

 

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