第5話 白鷹と少年と、おっさん



 凱旋がいせん帰国をするハンスの胸中は、複雑だった。


 ブレスを吐き出し、戦闘力のほとんどを削られていた雷竜は、普通の冒険者ならそれでも手こずっただろう。だが、仮にも一国の騎士団長が愛用している剣だ。ヨルゲンの『蒼海』によって既に傷ついていた鱗を問題なく貫くことができ、弱った竜は為す術なく倒された。


「このような……っ」


 お膳立てされた戦果を到底受け止められなかったハンスに「王国を納得させるため」「報酬代わりに、貸しとして欲しい」とふたりの冒険者は言い捨て、あっという間に去っていってしまう。


「……あれは、きっと……いや、何も言うまい」


 姿形も、年齢も全く違うはずのシュカと名乗った少年は――かつて少年だった自分が憧れた勇者に、なぜかぴたりと重なる。そんな自身の勘を、ハンスは信じている。


「再び世界を救うために、舞い戻ってくださったのだな」

 


 いつか助けが必要になった時のために、蓄えよう。財も力も、名声も。



 そう割り切って、ハンスは久しぶりに晴れた青空を、馬上から仰いだ。

 

 ――眩しすぎたのか、目が潤んで仕方がなかった。




 ◇


 


 今から二十年前。

 いつの間にか生まれた『魔王』が、その力をあからさまに行使し始めた世界に恐れを抱いた人間たちは、勇者を探す。

 剣技に優れ、魔力が豊富で、使命感と正義感に溢れた者こそが、世界を救うのだと。


 ひとり、才能にあふれる十五歳の少年が、とある小さな村から旅立った。

 魔物を倒しながら世界を旅し、腕を磨き、仲間に恵まれ――四年かけて魔王の住む城へとたどり着き、そして命からがら倒すことに成功した。


 人々はその知らせに、喜んだ。世界は、平和になったかに思われた。

 

 

 ところが、その後いくらも経たずに、勇者は世界の核と言われている『キーストーン』を破壊する。

 


 これにより大気中の魔素が大幅に乱れ、魔王という絶対悪がなくなった代わりに、世界各地に魔竜や魔物が溢れるに至った。

 

 旅や交易が困難なものになり、命や経済が脅かされた人間たちは、勇者を恨むようになる。なぜなら、キーストーンの管理者かつ研究者である『魔導士世界教会連合魔教連』が、全世界に向かって「キーストーンの破壊は、勇者の悪行である」と発信したからだ。


 それから、十五年――



「ずっとね、違和感があったんだ」


 ガタガタと揺れる古い荷馬車の荷台。

 刈り取られた麦穂にまみれないよう、一番後ろに小さく座るふたりの冒険者がいる。

 乗ってくかい? とグレーン王国国境で明るく声を掛けてくれた、麦農家だという老人の厚意に甘え、楽でゆったりとした旅路を楽しんでいた。


「違和感?」

「うん。僕は、僕じゃない、て」


 そう語る銀髪黒目の少年の右肩の上で、白い鷹がつんつんと近くにある麦の実をつついている。


「なるほどねぇ」


 荷台の縁に右肘を乗せて頬杖を突くヨルゲンは、自身の乗る荷馬車の車輪が辿ってきたわだちをぼんやりと見ている。


「そいや、前に『自分は勇者だ』て思ったのも、十五歳の時って言ってたなあ」

「そんなの、覚えてたんだ」

「物覚えは、良い方だぞ?」

「女癖は悪いけどね」

「おいこら」

「ふ、ふ」

「俺、もう三十六だぞ? しかもうだつの上がらねぇおっさん冒険者だしな。誰も相手にしてくんねっての」

「おっさん……ぶ、ふ、ふ」


 ヨルゲンは、ごつ、と拳でシュカの眉間を軽く叩く。


「なあレイ……」

「シュカだってば」

「シュカ。なんで世界の核、壊した?」

「……さあ……ね」

「そいつと、関係あんだろ」


 顎をしゃくって指す先には、白い鷹のキースがいる。羽繕いをすると、その首元にきらめく小さな石が並んでいるのがチラチラ見える。黒、茶――そしていつの間にか、紫が増えている。


「武器になる鷹なんざ、聞いたことねぇ」

「まだ、内緒かな」

「そうかよ」


 まだ、ということは、話す気がある。

 それだけ分かれば、ヨルゲンには十分だった。


「んでこれ、どこに向かってんだ?」

「精霊国アネモス」

「うっげー」


 大きく口を開けて舌を出すおっさん冒険者は、心底嫌だという顔をしている。


 シュカが、どうしたの? とばかりに首を傾げると、苦笑しながら

「苦手なんだよ、ああいういかにも伝統! なとこ」

 あーあ、と大きく上に伸びをする。

 

 それを、羽繕いを終えたキースが不思議そうに眺めている。

 

「グレーンのが良い?」

「まさか。相変わらずのえげつねえ守銭奴しゅせんど国王。大嫌いだね」

「ふ、ふ。一応ゲンさんから見たら、なのに」

「あのなあ。知ってんだろ? あーだこーだあって絶縁したの」

「そう言いつつ、雷竜が気になるから帰国したんでしょ?」

「まさか、それ見越してグレーンに来たってのか。俺と会うために」

「うん」

「っかー、動きを読まれるたぁ……この俺もヤキが回ったもんだぜ」

「ゲンさんって、単純だもん」

「タンジュン」

「あ!?」

「あ、こらキース」

「鷹が、喋った!」

「ゲン、ダマレ」

「えっ、はい! ……えぇ……」


 眉尻を下げるシュカ、ぷいっと顔を逸らすキース、そして

「ちょっと待て、俺のが下……?」

 当惑しきりの、ヨルゲン。


 ガタガタ揺れる荷馬車は、順調に精霊国の国境にさしかかろうとしていた。

 

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