第24話 祖父と孫娘


冬枯れた枝が、月光に照らされ銀に光っている。

風が地を這うように吹くたび揺れる枝先は、まるで地から突き出した骸骨の指が手を振るようだ。

干からびたかのごとく白い木々に囲まれながら、スぺラード伯爵は低く囁いた。


「……出てこい」


その顔は苦悩に満ち、もはや彼の方が幽霊のようだと言われても、納得してしまいそうな青白さだった。


「もしも居るなら、でてこい」


右に、左に、ランプの光が揺れる。

そのたびに、骨のような梢の影がするすると伸びては、縮む。

背筋の伸びた老人は、胸の前にランプを掲げ、どこかすがるように、ひそやかに、掠れた声を絞り出す。


「私を恨んでいるんだろう。来るなら私のところだ、さあ」


それは胸の痛くなるような独白だった。

悲痛で、苦悩が滲んでいるというのに、まるで幸せそうに眠る子供の寝顔へ囁く親のように、柔らかい。


「言いたいことを聞こう。……さあ」


わずかにのばされた腕はからっぽで、その深い喪失を物語るようだ。

私は目頭がツンとして、わずかに鼻をすすった。


「誰だ!」


とたんに、スぺラード伯爵がぎらりと目を光らせて、こちらへ飛び出してきた。

私が逃げようとする前に、老人とは思えぬような身のこなしで壁まで走ってくる。

逃げようとする暇もなかった。

出遅れたウィルが「なになにあれ何こわい!」と叫んでいるうちに、気付けば狼のごとく鋭い眼光をしたスぺラード伯爵が、目の前に立っていた。

怯えきったまま硬直している私を見て、スぺラード伯爵が剣の柄から手を離す。


「ユレイア……」


何故ここに、と強く伝わるまなざしに、私はぶるぶる震えながら声を絞り出した。


「お、お父様の幽霊が出ると、聞いたので……」


ウィルが「うまいよユレイア! とっさにしてはすごい良い言い訳だよ!」と肩の横で上下に揺れながら励ましてくれる。私は、頷きそうになるのを必死でこらえて息を吸った。


スぺラード伯爵の変化は絶大だった。

疑念と疑問に満ちたまなざしに、さっと斬られたような悲しみがさしこむ。

強い共感が、お父様と同じ赤い瞳に見え隠れし、けれどすぐに厳格なしかめっ面にかき消された。


「幽霊などいない。……部屋まで送ってやろう。寝なさい」


それは困る。

今、当のスぺラード伯爵に夜中に出歩いている所を見つかったら、この後の監視はますます厳しくなるだろう。

せっかく幽霊騒動を起こしたのに、何も収穫出来ないままで帰ることなど出来ない。

私はぎゅっと両手を握ってスぺラード伯爵を必死に見上げた。


「お祖父様。私、お父様の幽霊の話が出た時、心が揺れてとても辛かったのです。それは、寂しいからだけではありません。私がどうして家族を失ったのか、何も知らなかったからです」


スぺラード伯爵はわずかに眉を揺らしたが、すぐに岩のように冷たく重いまなざしが動揺をかき消した。


「それは私が調べ、やがてお前に伝えよう」


スぺラード伯爵は、ランタンのつまみをキリキリと回し、灯心を伸ばして灯りを大きくする。

周囲は明るくなったけれど、私達の間に落ちる影も濃くなった。


「待つばかりは辛いのです。どうかスぺラード伯爵、外に出るお許しをください」

「ならん」


私の代わりに「あーーっ頑固者ーー!」と空中で地団駄を踏んでいたウィルが、拳を握って私を見た。


「ユレイア、もう今やるしかない! 幽霊騒動が効いてるうちに、スぺラード伯爵に揺さぶりをかけよう!」


一瞬、目の前の老人に嫌われたくなくて迷った。

だが、ウィルの言葉はもっともだ。

時間が経てば経つほど証拠は減っていく。王弟がトーラス子爵領に馴染む程に、力を得るごとに復讐の機会は失われていく。

例え、何もかもうまくいって、二年で大きな力を得て上手く王弟を追い詰めたとしても、その時に動かぬ証拠が残っているなんて保証はどこにもない。

私はぐっと口を引き結び、スぺラード伯爵を見上げて賭けに出た。


「トーラス子爵領襲撃の事件には、大貴族が関わっています」

「何故それを」


流石に、スぺラード伯爵の表情が変わる。

一歩前に踏み出され、私は少したじろいだが、顔を上げて静かに答えた。


「ショーン大叔父様が、私をお茶会に誘いに来ました」

「知っている」

「でも、ショーン大叔父様は私のことがお嫌いです。きっと、誰かに頼まれたのだと思いました。ならば、原因は最近の幽霊騒ぎです。お父様の幽霊の話を聞いた人が、ショーン大叔父さんを通して、娘の私に何か知らないかと聞こうとしたのだと思ったのです」


ほう、とスぺラード伯爵が呟いて、静かに顎を撫でた。

耳を傾ける姿勢にほっとして、私は一度つばを飲んだ。


「本当にお父様を偲びたいのでしたら、お祖父様に頼めば良いのです。なのに、ショーン大叔父さんを通して秘密でお父様の幽霊の話を聞きたがっている。そんなことをしたがるのは、トーラス子爵領襲撃に関わっている貴族である可能性が高いのだと思いました。そして、伯爵家に関わりのある大叔父様がそこまで気を遣うならば、伯爵家よりも大きな貴族です」


ウィルが頷きながら、隣で「がんばれ!」と目線を送ってくれる。

私は大きく息を吸ってスぺラード伯爵の顔を見た。


「お祖父様、ユレイアは子供ではありますが、自分で頭を使うことができる、一人の人間です」


スぺラード伯爵はしばらく黙った後、一度目を伏せて呟いた。


「優秀だと家庭教師から聞いていたが……これ程とはな」

「では……!」

「ひとつだけ、わからぬ事がある」


身を乗り出した瞬間、じろりと厳しい目で見下ろされて肩がはねた。

ウィルが「やだやだ話してるだけなのに圧がすごい圧が」と、半透明の身体を両手で抱えた。嫌がっているくせに律儀に私の肩の近くに浮いて、一緒に視線を受け止めてくれる。


「部屋の前の護衛騎士を、どうやってかわした」


ウィルが心底焦った顔で「うっ」とうめき、私も視線を泳がせた。

やっぱり、護衛騎士は監視と同じだったらしい。

スぺラード伯爵は私が約束を破って外に出ようとすることも十分考慮していたのだ。

私は内心冷や汗をかきながら、五歳なんだから許してくれと、こんな時ばかり小さな身体を頼みにして、指をこねながら囁く。


「……よ、妖精の力を借りました」


私の真横で、ウィルが「こんばんはー、妖精さんでーす」とやけくそ気味の引きつった笑顔で手を振った。

下手な嘘をつくなと叱られるだろうか。それとも不気味がられるだろうか。

どちらも、あるいは両方を覚悟していたが、スぺラード伯爵はため息をついて、額に手を当てただけだった。


「そうか。おまえはいにしえの聖地、トーラス子爵領の娘だったな」

「は、はい」


正確には幽霊なのだが、まあ不思議なことである事に変わりはない。

ウィルは「幽霊信じないのに妖精は信じるの、変だよねえ?」と不満そうに唇を尖らせている。

それは確かに不思議で、私は首をかしげた。


「お祖父様は、妖精は信じてくださるのですね。ならば、どうして幽霊は信じてくださらないのですか」

「妖精は、かつて、戦争に使おうという話があった。その時に、存在を信じざるをえない幾つかの出来事に遭遇したからな」


間髪入れない答えに、まばたきする。

トーラス子爵領は平和そのものだと思っていたけれど、大人の世界では様々なやりとりや契約があったらしい。

私が生まれた時に、確かに色んな話を聞いた気がした。

けれど、あの時はまだ本当に赤ん坊で、日々を過ごすのに精一杯で、言われてようやく、そんなこともあった気がすると思い出すくらいだ。


「でも、だったら街での騒動や噂話はどうなのですか。幽霊だって……」

「そうだそうだー! 居てもおかしくないよー!」


伝わる訳がないと知りつつ大手を振って存在の主張をするウィルの前で、スぺラード伯爵はきっぱりと断言した。


「いいや。幽霊などいるものか」


冷静だったはずの、静かで淡々とした声が、わずかに揺れた。

カタカタとかすかな音がする。

スぺラード伯爵の手に握られたランタンが軋んでいるのだ。

私達を照らす光が、寒さで凍えるように、震えている。


「でなければ、何故、妻は、娘は、私の元に現れない」


それは怒りに近い、血を吐くような寂しさの吐露だった。

スぺラード伯爵は眉間の皺をますます深くし、吐き捨てるように言った。


「私はともかく、こんなに可愛い娘を置いて逝った馬鹿息子は、どうしておまえの前に現れないのだ……」


あまりにも激しい怒りに満ちた声に、私はびくりと両手を胸に当てる。

スぺラード伯爵が、静かに目元を手で覆い、ふーっと幾度か大きく息をついた。

ゆっくりと手が外れた時に、その赤い瞳に残っていたのは、深い疲労と苦さだった。

かわいそうに、と切なそうにスぺラード伯爵は囁いた。


「家族を失って、おまえはすっかり大人になってしまった……。子供らしい我が儘も言えず、いつも精一杯良い子であろうと気を張って……」


それは、遠くで誰かが苦しんでいるのを聞いて胸を痛める、どこか他人事の「かわいそう」ではなかった。

同じ冷たく寒い場所に立っているけれど、相手を助けることのできない、謝罪に近い連帯の言葉だった。


──この人は泣けないのだ。


ふいにそう気付いて、私は急にスぺラード伯爵がとても可哀想な人のように思えてきた。

泣けないから、ただ怒ることしか出来ない。

重たいものを背負い過ぎて疲れているのに、もうその荷物を預ける人が誰もいなくて、途方に暮れていて。

スぺラード伯爵は私を可哀想だと思っていただろうけれど、私もまた同じように彼を哀れんでいるのが不思議だった。


──この老人を、一人で戦わせてはいけない。


ごく自然に私は、そう思った。

こんなに恐ろしくて、年を経てなお力と権力を持った威厳あふれる将軍伯爵を、私は助けてあげたいと思ったのだ。


「お祖父様、私を王太子殿下の葬列に参加させてください」


スぺラード伯爵が眉間に皺を寄せて「頑固なのはランドルフ譲りか」と呟いた。

その言葉で更に勇気が出て、私は胸の前で両手を組んだ。


「私はきっとお役に立ちます。そうでなければ、ショーン大叔父さんのお誘いに乗って、どこかへ出かけてしまうかも知れません」


スぺラード伯爵は、頭痛でもするかのようにこめかみに手をあてながら、低く突き放すように言う。


「ショーンは、今屋敷内に謹慎させている。くだらん手紙を持って、飼い主の元に向かおうとしているところを捕らえた」

「飼い主?」

「最近、義弟夫婦が茶会に招待されて回っているのは知っているだろう。その時に、どうやら何かしらの取引をしたらしい。最近は、おまえを社交に出せとせっついて来ていたが、とうとうお前を無理に連れだそうとしていたようだな。だが、もう……」

「お祖父様」


無礼とは思いつつ、私はスぺラード伯爵の言葉を遮り、下から睨み付けた。

どうして、自分のことを助ける時よりも、同じ状況になった誰かを助ける時の方が、ずっと感情的になるのだろう。


「いい加減に教えてください。私は、どうして外に出てはいけないのですか」


ふつふつ湧いてくる怒りと共に、教えてくれるまで絶対に動かない、という姿勢で口元を引き結ぶ。

スぺラード伯爵は深く深くため息をついて、ゆっくりとうつむいた。


「……葬式の夜以降、お前を養子に欲しいという声がかかっている。王族を含め、複数の大物家門からだ。不用意に外に出れば、誘拐の可能性があった」


ウィルが抑えきれなかったように「あっ」と小さく呟く。


──私なんかを何故?


けげんに思った瞬間に、ひとつだけ思い当たって、ざっと血の気が引いた。


──私は、妖精が見えた……!


いにしえの聖地と呼ばれるトーラス子爵領。そこに生まれた姉兄と比べても、一番よく見えた。

そして、妖精を戦争に使おうとしている誰かが、かつて絶対に存在したのだ。

戦争の決定権を握れるほどの権力を持った、誰かが。


お母様が、妖精を戦争に利用させることを頷く訳がない。

きっと妖精や領地を守るために戦ってくれただろう。トーラス子爵の身分や、お父様、色んな人が尽力し、協力だってしてくれただろう。


──けれど、幼い子供を引き取って育ててしまえば?


その思考に至った時、最悪の可能性に気付いて、私は目の前が暗くなった。


──私のことを連れ去ろうとしたのが、子爵屋敷を襲撃した理由だった?


いいや、違う。

全身に寒気を感じながら、私は恐ろしい考えを懸命に否定する。

だって、王弟は真っ先に指輪を奪った。私が目的なら、先に拘束をするはずだ。

あんな風に恐ろしい目に遭わせたら、協力してくれる訳がない。

きっと、目的は指輪だった。そうだ、そうに決まっている。


だけど、どうしよう。

それでも、心当たりがありすぎる。


だって、殺すのだけが目的なら、馬で踏み潰せばよかった。

わざわざ雪玉で転ばせずに剣を投げればよかった。

死なないように捕らえようとしなければ、彼は私に片目を蹴られ、潰されることはなかったのだ。


信じられない。信じたくない。


救いをもとめてウィルを見たら、彼は目を見開いて口元をおさえている。

その動揺しきった姿を見た瞬間、私は雷光のように彼との出会いを思い出した。


──君は僕にとって三回目の人生で、はじめて現れた人間だったんだ。


──トーラス子爵屋敷が急に襲われたって聞いたから、慌てて会いに来たんだ。


ぐらりと目の前の地面が回ったような気がした。

ウィルは慌てた。初めての出来事だったから、慌てたのだ。


──ウィルが過ごした前の二回の人生で、トーラス子爵領は、襲われていない!

 

「おまえのせいではない」


いつの間にか、全身がびっしょりと冷や汗で濡れていた。

ウィルが耳元で「ユレイア、ユレイアしっかり!」と叫んでいるのが、キーンと耳鳴りと共に響いている。


「おまえのせいではない、ユレイア」


もう一度繰り返して、スぺラード伯爵ががたがたと震える私の肩を、片手でぐっと掴んだ。


「すべて私のせいだ……」


この人は何を言っているのだろう。

どう考えても全部私のせいだ。

私が居たから皆が襲われたのに。私だけがのうのうと生き残っているだけなのに。

そんな事実は火を見るより明らかなのに。


なのに、どうしてこの老人は、腹を抉られたような声を出しているのだろう。


「トーラス子爵家に婿入りすると言った息子の話を聞かず、ただ頭ごなしに否定した私のせいだ。スペラード騎士団を指揮する身分にありながら、あの夜のうのうと屋敷の椅子に腰かけていた私の責任だ」


私を励ますために言っているのかと思ったが、その顔は苦痛と怒りに満ちていた。

傷だらけでなお唸り声を上げる老いた狼のように恐ろしく、同時に痛々しいほどだった。


「ランドルフもジョセフィーヌも、優秀な騎士だった。素晴らしい部下で、私にはもったいないような、出来た子供だった……。手元に置きたかっただけなのだと、もっと早く気付かなかった私に、責任がある……」

「違います、お祖父様!」


私は首を強く横に振った。


「お祖父様。私、わたしのせいなんです。だって私は、妖精が見えて……だから……それを狙って……」


けれど、私のせいで家族が死んだなどと言うのは、例え本当のことでも、いいや、本当のことだからこそ、胸を自ら刃物で貫くような痛みだった。


「私が一番小さくて、使いやすそうで、馬鹿に見えたから……」


声を出そうとするたび、喉が引きつった。眼の奥が熱くなって、奥歯がガタガタ震える。

復讐をすると決めた時に押し込めていた、死んでしまいたい、という感情が、きつく鍵をかけた心の箱を激しく揺らしている。


「違うでしょう!」


頬をひっぱたくように叫んだのはウィルだった。


「何言ってるの二人とも! 馬鹿じゃないか!」


ウィルはびゅんびゅんと私の頭の上を飛び回っていた。

叫ぶだけでは足りないとばかりに。全身で伝えなければ何もならないと言うように。

私の肩にぶつかり、背を抜け、ついでにスぺラード伯爵の頭まで通過する。

頬を紅潮させて目をつり上げ、どうしてこんなに簡単なことも分からないのかと言わんばかりに地団駄を踏む。


「どう考えても悪いのは、襲撃をしようと決めて襲えって命じた奴でしょう!」


ウィルが「君達二人とも全然悪くないからね! しっかりしてよ、もう!」と私の頬を両手で包み込む。

顔を、ひんやりと冷たい風が触れた。

寒い夜のことで、既に身体は冷えていたはずっだった。

それでも、きゅっと心配につり上がった金の瞳を見つめながら浴びる冷気は、朝の空気のように私の心を静かに冷やした。


「……どうしたのだ、ユレイア」


スぺラード伯爵は、私が急に黙り込んで空中を目で追いはじめたので、動揺しているようだった。

私の肩に力を込めすぎていたことに今更気付いたように力をゆるめ、不器用に頭を撫で始める。


「……妖精が、励ましてくれたんです」


お父様とは比べるべくもない、おっかなびっくりの、煙でも撫でるような掌に、私は何とか笑ってみせようとした。

多分、ほとんど泣いているような顔になっていた。


当のウィルの方は「励ましとかじゃなくて、ただの事実だってば」と唇を尖らせていて、それが余計にありがたい。

私は、スぺラード伯爵の顔をじっと見つめた。

皺が深く刻まれた、お父様と同じ赤い瞳を持つ顔を。


「……お父様が言っていました。人生はなるようにしかならないって。良いことをしても、悪いことをしても、何かが起きる時は起きるのだと。それでも、きっと大丈夫だと思いながら立ち向かった方が、少なくとも今だけは気が楽だって」


ふふ、とスぺラード伯爵はうつむいて、わずかに肩を震わせた。

嗚咽のようにも、笑い声のようにも聞こえる、腹の奥にいる生き物が呻いているような音だった。


「息子は、私よりもよっぽど良い父親だったのだな」

「最高のお父様でした」


言ってしまってから、これではスぺラード伯爵が悪い父親だったことを肯定してしまったようで「あの、ええと」と口ごもる。

けれどスぺラード伯爵は、ほんの少しだけ目元の皺をうすくして、「ユレイア」と静かに告げた。


「ひとつだけ、約束を守れたら、王太子の葬列に参加することを許そう」


突然の許しに、私は一瞬何を言われているか分からなかった。

けれど、徐々に意味が胸に落ち、わっと顔を輝かせる。


「本当ですか!」


私の頬から手を離したウィルが「やったーー!」と叫んでくるくる回りながら快哉を叫ぶ。


「ありがとうございます、お祖父様……! 約束とは何ですか。頑張って守ります!」


興奮気味の私に、スぺラード伯爵は私の頭から手を離した。

代わりに、ゆっくりと跪いて、ランタンを地面に置いた。

私の顔に視線を合わせ、しわがれた声で囁く。


「私のそばを離れぬと」


そんなこと、身の安全のためにならちっとも構わない。

浮かれた気持ちでそう思ったが、スぺラード伯爵の両手が肩に乗ったので、首をかしげる。


「多くの者が、お前を求めて甘い言葉を囁くだろう。お前自身にも、あるいはその方が良いのかも知れぬ。私とて、お前がこの伯爵屋敷に来てから、辛いことだらけだったのはわかっている。だが、どうか。息子には遠く及ばぬ不出来な祖父だが、どうかここにいてくれ」


スぺラード伯爵は一度ぎゅっと目をつぶり、祈るような顔をした。

悲しいくらい不器用に、中途半端に私の肩をぎゅっと握り、大きな両腕で抱きしめる。


「無事に成長する姿を見せてくれ」


耳元で響く震え声は、今までで一番泣いているように聞こえた。


「それだけが、たったひとつ、お前に望むことなのだから」

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