スペラード伯爵の黒い城

第16話 葬送の日は嵐


葬式の日は、雨の嵐だった。


雷光で一瞬、六つ並んだ棺が白く浮かび上がり、次いで雷鳴が巨大な広間に響き渡る。


「トーラス子爵は、本当に美しく優しい方で……」


誰かの嘆きが、私の耳を素通りする。


黒い壁も灯りのともる燭台も、はるか高い天井も何もかも、暗雲のように暗く陰鬱だった。

激しい雨をはらんだ嵐の音が、獣のうなり声のように近づいたり遠ざかったりする。

冥府の神像が埋まるほど白い花の飾られた祭壇は、無数の蝋燭が揺れていた。

明るく照らされているはずの神像は、無機質な彫刻の瞳のせいで、死者と生者を隔てる厳格な門番に見えた。


お前たちはもう二度と、あの者たちに出会うことは叶わないのだ、と。


「隊長は、明るくて、とても強くて……」


知らない城の知らない広間で、知らない人達が悲嘆に暮れている。

泣き声がさざなみのように寄せては返し、ごくひそやかに耳を揺らす。


「彼女は本当に優秀で、騎士学院に来てくれるのを楽しみにしていました……」


私は棺にもっとも近い場所、冥府の神像の前で棒立ちになり、次々に現れる人に決まり切った言葉を返した。

父方の祖父だと言う人が、たまに現れて、私の前を達更に親戚を、挨拶しながら連れていく。


知らない親戚が次々現れて、私の身の上を哀れんだり、後ろの方でひそひそ話をしたりした。

知らない子供に鼻で笑われ、肘をつねられもしたけれど、何の感慨も湧かずに、ただ決まった言葉を繰り返す。


「優秀な少年で、彼のお言葉は、いつも正しくて……」


つるつると言葉が流れ落ちていく。

知らない誰かの声が、上滑りして消えていく。

私はぼんやり、他人事のように思う。


──そう。確かに、お兄様の言葉は正しかったわ


援軍は来た。

お父様の父だと言う人が、夜明けと共に軍勢を率いてやってきた。

逃げ惑う賊達を捕らえて制圧し、荒らされに荒らされた屋敷をくまなく調べた。

庭の足跡を丁寧に探し、井戸の底でうずくまっていた私を見つけ出しすらしたのだ。


──でも、来たって何の意味もない。


あちこちに投げ出された、もう二度と笑わない私の家族を元に戻してくれなければ、彼らが居たって何の意味もない。


「ずいぶん愛されていたんだねえ」


さっき紹介された知らない親戚が、妙に甲高い調子で、私の後ろの方で囁いていた。


──そうかもしれない。


色んな人の泣き声が聞こえる。

私の家族は、確かに愛されていた。


黒い絨毯の上で崩れ落ちて嘆いているのは、新年の贈り物を選ぶ時に、店の中まで追いかけてきていた騎士だった。

彼のそばに駈け寄ってきた、似たような体型の青年は、騎士を引きずって壁際に連れていくと、抱き合って共に嗚咽する。

背筋ののびた御婦人が、歯を食いしばってお母様の棺を見つめていたし、お姉様より少し上の幼い令嬢が、大声をはりあげて泣いていた。

騎士見習いらしい少年は、亡霊のようにお兄様の棺の横に立ち尽くして離れなかったし、皺だらけの老人が、何人も何人も現れては、祖父や祖母の棺に声をかけて、身体を折って涙にむせんだ。


──だけど、それが何だと言うのだろう。


「本日は来てくださりありがとうございました。家族も喜んでいることでしょう」



心が麻痺してしまって、何も感じない。

機械的に繰り返しながら、私の目は何も映していなかった。


           *


いつ埋葬が終わって、知らない大きな屋敷に戻ってきたかも、私にはわからなかった。


「父親が婿入りなんでございましょう? つまり正真正銘、おまえは子爵家の娘なのです。子爵なんて、貴族とも言えないものじゃありませんか。ほとんど農民と一緒ですわ」


そう言いながら私の前を歩くのは、暗がりでひそひそ私の噂話をしていたおばさんだった。

彼女の垂れ流す自慢話によると、私の肘をつねってきた少年の母親らしい。

確かに、底意地の悪そうな口元がそっくりだ。


「生憎と、伝統ある伯爵家の屋敷において、おまえに相応しい部屋は、ここしかございませんわ」


大げさにため息をついて、おばさんは階段の下にある扉を開いた。

中はほとんど倉庫らしく、斜めになった屋根の隙間に、辛うじて窓がついている。

突き飛ばされるように中へ入ると、木箱の上に敷かれた毛布の上に倒れ込んだ。

他に布らしきものがないところをみると、今日の私の寝台はここらしい。


「お義兄様に告げ口しようなんて馬鹿なことを考えたら、どうなるかわかっているでしょうね!」


それだけ怒鳴って、おばさんは乱暴に扉を閉めた。

とたんに、廊下の灯りが消え去って、小部屋は闇に閉ざされた。

彼女は私と親戚らしいが、あの優しい家族と似ているところは、二足歩行であることくらいしか見つけられなかった。

そのまま、力なく頭を埃臭い毛布に押しつける。


もう、涙も出ない。


湿った空気と、生々しい無力さは、簡単に私を前世に引き戻した。


──そうだ。可愛い五歳のユレイアは、あの日井戸の底で死んだのだ。


今、私はまた五年前に戻ってきただけ。

そう考えれば、こんな風に扱われるのも当たり前のような気がしてきた。

どれほど苦しんでも抵抗しても、目の前の残酷な事実は変わらない。

その絶望的に暗い現実が、あまりにも馴染みのある温度で、打ちのめされた心にいっそ甘かった。

強い納得が、喉のあたりにこみ上げる。


「そうだ。そうね……」


いつ忘れてしまったんだ。

お姉様に、下手くそな雪うさぎをもらった時か。

お父様に抱き上げられて、薔薇園を散歩した時か。

お母様におとぎ話をしてもらった時か。

それとも、お兄様と湖のほとりで泣きながら抱き合った時だろうか。

ふふ、ふふふ、と妙に乾いた笑いがこみ上げる。


「知ってたはずなのにねえ!」


期待したら駄目だって、あんなに強く思っていたのに!


「私が幸せになれるはずないって! ずっと前からわかってたのに!」


ダンッ! と乱暴に毛布を叩く鈍い音が、狭い部屋にこもった。

自分の馬鹿さ加減が面白い。いいや、ちっとも面白くない。

胸の中がずたずたで、何をしても出血がやまない。

苦しくて苦しくて、ぼろ布を掻き抱いて獣のように呻いた。それでも痛みが止まずに、何度も何度も布をひっかいた。爪が曲がって、白く変形して、隙間から血がにじむ。

けれどその痛みすらも、背筋を走り抜ける氷のような絶望の前では糸くずのようなものだった。

細い声で、順番に家族の名前を呼んで、その言葉の冷たさに咳き込んだ。


もう、返事をしてくれないのだ。

二度と返事が返ってくることは、ないのだ。


「うそだって言って……おねがい、おねがいだからぁ……」


枯れたと思った涙がまた滲んで、泣きはらした目に染みた。

こんなに泣いても、家族は戻らない。わかっている。何にもならない。

誰も私に、嘘だよと告げてくれない。

だったら、もう泣くことすらも意味がない。

どれだけ泣いても、ねじれた魂から染み出す血が止まることがない。

家族の居ないこの後の人生がまだこんなに残っていると思うと、その果てしない暗さに全身が砂になっていくようだった。

助けて、と浅い吐息で呻いた。涙で焼けて腫れた喉が、ぎしぎしと軋むようだ。


「あいたい……」


たった五年。

生まれた時から幸せだった。

その幸運が恐ろしかったのは、もしかしたら、こんな日がいつか来ることを、恐れていたからだろうか?

数年間、浴び続ける愛情の存在を、認められないほどに。

現世からの逃亡を図るほどに、今みたいな時間が恐ろしかったから……。


ふと、すばらしい考えが頭にひらめいて、私はゆっくりと顔をあげた。


あるじゃないか。

この恐怖から逃れられる、簡単な方法が。


「ああ、そうね……そうだわ……」


私はよろよろと立ち上がり、暗闇の中、手探りで寝台の上によじ登った。

小さな倉庫の、三角形の壁に狭苦しく収まった窓が、ゆらりと傾く視界にうつる。

外からの淡い灯りをとらえてほの明るい窓ガラスに、血の気のない子供の顔が反射していた。


幽霊みたいな顔をした、げっそりとやつれた少女だ。目ばかりが異様に光っている。

十字の木枠がはまった窓へ、衰弱して白い手が、よろよろと伸びる。


「そう、考えると……今回は……」


急に、目の前がぱっと明るくなった気がした。

そうだ、生まれたばかりの時にやっていたじゃないか。

戻って来ただけ。最初からやろうと思っていたことを、ただ遅ればせながらこなすだけ。


体中が冷え切っているのにおかしくって、ふふ、ふふふと低く、ひきつったように笑う。


「短くっても、いい人生だったわ……」


お母様。お父様。お姉様。お兄様。お祖母様。お祖父様。

あなた達の愛するユレイアが、いまお傍にまいります。


──かたん


ふいに、窓枠が震えた気がして、私はぐっと目を見開いた。


濁ったガラスの向こう側に、不思議な光がよぎった気がしたのだ。

金色に光る何かが、ゆらめいている。


目の錯覚かも知れない。

私は今、何もかもおかしくなっているのだから。

自分を疑いながらも、よろよろと窓ガラスに額を強く押しつけて、私は外を凝視した。

あれは何だったのだろう。まばたきすれば、幻だったと分かるだろうか。


思った瞬間、再び金の光がひるがえる。

今度は、幻ではない。


──れ……て……


風の音に紛れて、人の声めいた何かが聞こえた、気がした。

瞬間、私は窓の鍵の鍵を跳ね上げていた。

片開きの窓を押し開けて、嵐の中に両手を広げて絶叫する。


「入っておいで! 入っておいで!」


顔中に冷たい雨粒が当たる。

喪服の腕や胸が濡れてますます黒くなる。髪がみるまにぐっしょりと濡れたが、何もかも構わなかった。

さっき見えた金の影の名残を探して、喉の限りに絶叫する。


「どうか怖がらないで! 入っておいで! 入っておいで!」


誰でもいい、誰でもいい。

お母様でもお父様でも、お姉様でもお兄様でも。お祖父様でもお祖母様でも、侍女のシーラでも料理長でも弟子でも!

誰だって、私は心から歓迎して、生まれてから一番本気で愛してるって言うわ!

その後私に憑いて殺したって、笑って手を繋いでついて行くわ!


「どうか入っておいで! 入っておいで! 入っておいでったらぁあ!」


痛む喉も構わずに、身体を折って絶叫する。

突風さかまく豪雨の中、ピカッと空に真っ白なひびが入り、雷光が走った。

一瞬、広い裏庭が照らし出される。

ほとんど同時に激しい鞭打ちのような、すさまじい雷鳴がたたきつけられた。

びりびりと空気を震わせた落雷の余韻が、耳の奥をしびれさせる。


キーン……と鈍い耳鳴りの中。

私はふいに、後頭部の皮膚がざわりとしたのを感じた。


視線を、感じる。


後ろに、誰かの気配を感じた。

それも濃密な。

息づかいがある訳でもない。声がする訳でも、衣擦れがあるわけでもない。

けれど、否応なしに背筋がぞわぞわと泡立っている。

何か、冷えた空気の塊みたいなものが、後ろに物言わず、たたずんでいる……。


私は、ずぶ濡れのまま、ゆっくりと振り返った。


「素敵な嵐の夜だね」


子供の声だった。

狭い物置の中に、うすい煙に似た影のようなものが、音もなくゆらめいていた。

金色の髪と目をした、喪服の子供だ。

お兄様と年の頃は同じくらいだろうか。ビスクドールのように、精緻に整った顔をしている。

白い唇が、笑みの形になってひらめく。


「こんばんは。ひさしぶりだね、ユレイア嬢」


胸に手をあて、片手を広げ、薄い影はあまりにも優雅に一礼する。


「幽霊……?」


私は、呆然としたまま呟いた。

微笑みと共にかけられた声は、親しみに満ちているのに、私には何の心当たりもない。


「かわいそうなトーラス子爵令嬢。こんなところに閉じ込められて」


くすくすと、耳の奥を撫でられるような笑い声がする。

ねえ、と薄く透きとおった影は、絹のように優しく囁いた。


「復讐したくはない? 不幸をはねのけたくはない? こんな悲劇をなかったことにしたくない?」


言われている意味がわからない。

呆然と立ち尽くす私の元に、幽霊はするすると近づいて、距離を詰めてくる。

微笑む作り物めいて美しい顔は、半分透けて奥の扉が見える。

透きとおった手を伸ばし、幽霊は優雅に腰へ手をやった。


「さあ、この手を取って。ユレイア・トーラス」


まるでダンスを申し込むように手をさしだし、蜂蜜のように魅惑的に微笑む。


「僕の願いを叶えてくれたら、君の両親を、家族を生き返らせてあげる!」

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