47話 選びたいもの、戻れない道
「私が選んで、お祖父様を王にする……そんな前例のないことができるんですか?」
わずかな望みをかけて問いかけたのは、わざわざウィルという王太子を決めていたのが馬鹿みたいになってしまうじゃないか、という気持ちがあったからだ。
けれど。
「できる。竜のレガリアの名指しは絶対だ」
「伝統的に、前例のないことをするのが、竜のレガリアです」
ウィルとシレーネ大叔母さんが、隣と真正面から同時に言ったので、唇を噛みしめた。
確かに、侵略や領土問題など、回帰をしないと国が滅びるような事態に直面した時に生まれる英雄が、いわば回帰の王なのだ。
間違っている相手を指定した場合、国が滅びる。
今の歴史に残っている回帰の王は、竜のレガリアを信用した結果生まれた者ばかりなのだ。
それはもう、竜のレガリアの意見は絶対である、という伝統が生まれてもおかしくはない。
黙り込んでしまった私を見下ろして、シレーネ大叔母さんは静かに聞いた。
「ショーンは何かおまえに聞きましたか? 真の回帰の王は誰なのかと」
「いいえ」
「甘いこと」
ふう、とため息をついて、シレーネ大叔母さんはかすかに視線をあげた。
旦那さんのことを思い出しているのかも知れないと思ったけれど、続く言葉は相変わらず静かだった。
「必死に黒翼城に帰ろうとしているところをみると、回帰の王はレイモンド第一王子ではないでしょう。スペラード伯爵家は色めき立っていますよ。天命に目覚めたばかりの竜のレガリアが、我が城へ懸命に戻ろうとしている、と」
あっ、と私は声をあげ、ウィルは「だよねぇ……」と呟いたまま頷いて深くため息をついた。
「そこに回帰の王がいると思われているんですね……」
もはやスペラード伯爵領の人達は、ただ祖父を慕った孫が戻ってきたのだ、と考えてはくれないのだ。
私は、王様になれるあたりくじを手渡すことが出来る唯一の人間で、その人が近くに寄ってきてしまえば、誰だって期待せざるを得ないのだから。
けれども、私は力なく首を横に振る。
「お祖父様を、回帰の王には……しません。……というより、できないのです。多分」
ウィルがちょっと驚いたように「あ、そうなの?」と呟いた。当の本人が何を言っているのだろう。
私の役割は、王を見極めることではないのだ。
既に回帰の竜か、精霊か、あるいは妖精が決めてしまった回帰の王を、皆に報せに行く係の人。
いわば、お知らせの紙を手渡された郵便屋さんだ。
郵便屋さんは、手紙を書き直したり、自分の届けたい相手に届けたりすることは出来ない。
「そう」
スペラード伯爵領に迷惑ばかりかけて、と叱られることを覚悟したけれど、シレーネ大叔母さんは静かに頷いただけだった。
「では、ランタンの使い方は教えてくれずとも結構です。あんなの、ただ灯りをつければいいだけのもの。他に何の使い方もございません」
ランタンに込められた魔術の秘密を不要と断じて、シレーネ大叔母さんはすっと首をねじった。私は、イヴリンの安全の保障を買い取れなくて、ひそかに落ち込んだ。
「元気出して、初めての交渉にしては上手だったよ」
ウィルが、聞こえやしないのに小声で話しかけているのに目を伏せて返事をしていたら、シレーネ大叔母さんが私の隣に控えていたイヴリンへ、テーブルを指さして告げた。
「イヴリン、食事を私の旦那様に届けなさい。丁重に。完璧にこなせたら、おまえをユレイアの侍女に戻してやりましょう」
「……はい。かしこまりました」
イヴリンは、まだ私のそばを離れ難そうにしていたけれど、食事を渡せば戻れるという言葉が聞いたのか、丁寧に頭を下げてその場を下がった。
奥の調理場へ声をかけてバスケットと水筒、トレーをもらって、足早に食堂の扉を抜けていく。
「……食べながら話しましょう」
イヴリンがいなくなったと確かめたシレーネ大叔母さんは、テーブルへ静かに歩いて席についた。私も、大人しく後についていって、正面に座る。
ウィルだけが、残念そうに食卓を眺めていたけれど、大事な話し合いの席だと気を遣ってか、騎士のように足を肩幅に開き、私の後ろで護衛の姿勢を取った。
イヴリンが用意してくれていた焼きたてのパンはほどよく冷め、塩で焼いた鳥は食べやすい熱さだ。口に入れると小麦の甘さが広がり、鳥の塩気と合わさって、こんな時なのにほっぺたが落ちそうなくらい美味しかった。
「私は、ユレイアがお義兄様を王にするつもりがあるのなら、今すぐ鳩を飛ばすつもりでした。そして、スペラード伯爵家全ての騎士達を使ってカエルレウム公爵令嬢の元へ向かったでしょう。次期国王の傍系たるアースの婚約者とすることを条件に兵を借り受け、アウローラ宮殿にて正式に王位の譲渡を望むつもりでした」
口に入れたパンでむせそうになりながら、私は目をむいた。
そんな猛烈にアウローラ王国を支配することを考えていたのか。
シレーネ大叔母さんの言う通りになれば、あっという間にスぺラード伯爵が国王になってしまいそうだ。
「でも、おまえの王はスペラード伯爵ではない」
シレーネ大叔母さんは優雅にわずかな量を食べながら話しているのに、私の方はあまりにお腹が減って、しっかり噛んで呑み込んでから頷くくらいしか出来ない。
オリーブが美味しい。油がたっぷり含まれた甘酸っぱい酢漬けが美味しい。
「はい……」
「民衆は勝手なものです。外れるような期待をかけただけのくせに、裏切られたと誹るでしょう。伯爵家一族は今、熱狂的に味方であるスペラード伯爵家の人間達の立ち上がった足を、気分良く座らせてあげなければいけない義務を負いました」
私は、ちらりとテーブルの上を見た。
薄切りのハムやチーズはまだ乾いていなかったし、酢漬けのオリーブは風味豊かだ。
水は少しぬるくなっていたが、柑橘類の汁が垂らされていたのか、とても爽やかだった。
これらを当たり前のように提供される私に、課せられるもの。
暴れたがる民の手をなだめること。
「はい……」
理不尽だとも思ったし、当然だとも思った。
統治ということが何か、まだ私にもちっとも分かっていない。
けれど、それでも、こんなに暖かい食事が誰に言われずとも勝手に出てくるのは、この世界では当たり前ではないことくらい、察しはついている。
後ろに立っている幽霊の王子様を見ていれば、嫌でもわかろうものなのだ。
「一度だけ聞きます、ユレイア」
シレーネ大叔母さんは、ひどく厳しい顔のまま真正面から私を見た。
「おまえ、子供でいたいですか?」
「えっ……?」
驚いたように息を飲んだのは、後ろのウィルも同様だった。
まるで考えてもいなかった選択肢に、私は思わず水の入ったカップを降ろした。
「ショーンも、お義兄様も、アメリも……屋敷の人間のほとんどは、おまえをどう守るかを第一に考えています。幼くて世間知らずな子供を相手に、それを悪いことだとは思いませんが」
ひとつ、迷うような呼吸を入れたけれど、それでもシレーネ大叔母さんの口調が揺らぐことはなかった。
「でも私は、お前に選ばせるべきだと思っています」
私は呆然となって手を止めた。
何かしろと言われるのだと思った。
私はこの世界にまだ慣れていないし、子供だし、負うにはあまりに大きな責任まで背負ってしまったのだから。
「ユレイア。自分でアウローラ王城に行けるよう交渉できる程度に、あなたは賢い。そして、こんな大叔母にランタンを渡そうとしてしまうくらいに、優しい。何を選ぶのかは、あなたが決めなさい」
「私が……?」
「ええ。よく考えなさい。自分がなってしまった存在の重みを。その権力を使って何が出来るか、何をしたいか。上り詰めたいか、支配したいか、守られたいか……逃げ出したいか」
でも、シレーネ大叔母さんは目をそらさなかった。
私はそれを怖いと思った。
理不尽だから怖いのではない。
正しいから、怖いのだ。
「……逃げることまで、選べるのですか」
細い声に、シレーネ大叔母さんは頷いた。
こんな時ばかり、ウィルは何も言わない。
いつもはうるさいくらいなのに、まるで本物の護衛騎士のように、余計な口を挟まず、静寂そのもののように沈黙している。
「普通の娘としての人生を望むなら、逃亡劇の最中にあの森に迷い込み、死んだということにもできます。いっそ、スペラード伯爵家にとっては、その方が面倒がないくらいです」
スペラード伯爵にもう会えなくなるかも知れないのに、シレーネ大叔母さんは淡々としている。
冷たい言い様に胸が痛んだけれど、でもシレーネ大叔母さんだって、元の家族とはもう決別しているのだと思えば、死に別れたぶん私の方が辛い、とは言えない。
優しい家族と二度と会えないことと、顔も見たくない家族を持つこと。
珍しいことに私は両方を体験したが、どちらも理不尽で最悪だ。
苦しさの種類は違うが、存在したはずの人生や、他の人が当たり前に持っている大きな幸福をうらやむようになるのは変わりない。
「私、は……」
私は黙って水を飲み、死んだことになった自分を想像した。
スペラード伯爵家の誰かが手配してくれた守の奥深くで、隠されて暮らすのだろうか。
ウィルが回帰するまで、いずれ訪れる大地震の対策を考えながら静かに暮らす。
それは、案外悪いことではない気がした。
ここまで大きくなってしまったあ騒動の渦中に居続けるというのは、これからも襲われたり、利用されたりする人間とやりあうと言うことだ。
争いたくない。穏やかな気持ちで暮らしたい。そういう気持ちはもちろんある。
自分のために自分で家事をして、ゆっくりと窓辺で御茶が飲めたらどんなに幸せだろうと、前世の私はささやかな夢として描いていた。
だけど。
「……私は、トーラス家襲撃事件の犯人を捕まえて、その罪を償わせたいです」
だけど、ここで死んだことになれば、家族の復讐は出来なくなる。
苦労してアウローラ城へ行った意味がなくなる。
「私の家族は、傷つけられたままで、奪われたままでいい人達ではなかった。竜のレガリアになるのならば、力が手に入るのでしょう? 私は、それを使って、犯人を捜し出したいんです」
自分でも意外なくらい、しっかりとした声が出た。
シレーネ大叔母さんは、かるく眉をあげてまばたきした。
「そう……許していないのですね」
「当然です」
流されてばかりの私自身が驚くほどに、それは圧倒的な事実として口から出た。
「あの事件を取り扱う覚悟はあるのですか。竜のレガリアであるならば、犯人を捕まえることは、不可能ではないかも知れません。けれど、おまえが察しているよりも、あの事件の根は深いと私は考えています。強い政治の意図を感じるのです。もしかしたら、犯人を捜し出せば弁明を始め、例えば、彼らが死なねば数百、数千の民が飢える可能性があったと判明するかも知れません。探して見つけ出した犯人を前に、家族の罪を知るかも知れません」
シレーネ大叔母さんは、珍しく早口だった。
生家の家族を信じて、そして裏切られたことがあるのかも知れないとふと思ったけれど、そんなことは関係なかった。
言い訳をする犯人を想像したら吐き気がして、私は顔を歪めて告げた。
「もしも本当に、私の家族死が必要だったのなら、殺す前にそう言えば良いんです。最後まであがいた上で、誰にも代われないのだと伝えて、頼めば良い。シレーネ大叔母さんのように、選ばせればいいのです。犯人は、人を殺す罪と非難を背負って、そんな方法しか使えないことを詫びるべきです」
「権力を持つ者が詫びれば、民衆は傘に着るものです。絵空事のような案を声高にわめき、何故全てを丸く収めないのか非難するでしょう」
「私の両親が、必要な死を恐れて逃げると言いたいのですか? あの人達はそんなことしません。もしも万が一、死ぬのが怖くてそう言ってしまったとしても……命を賭けろと命ずる側は、甘んじて受けとめるべき言葉ではありませんか」
じわりと目頭に涙がにじんで、私は拳を握りしめた。
身体が熱く、怒りの熱が渦巻いている。
「そんなことも試さずにトーラス子爵家を襲ったのは、私達を下に見ていたからです。都合良く動く、自分の仕事と生活を彩る歯車のひとつだと思っていたからです。私は、その面の皮の厚さが!」
船の外で風が吹き荒れる甲高い音がして、船員の足音が響く。加速した船がまたわずかに揺れた。
魔力が垂れ流されているのだと思って、私は大きく息を吸って、吐き、震えそうな言葉を何とか押さえつけた。
「いつだって、憎くて、大嫌いで……自分がそうなっていないか、恐ろしい」
ふと、気がついた。
私に今、権力があること。
それが私には怖いのだ。
裕福になれると、無邪気に浮かれることなど出来はしない。
いつか自分が、あの醜い前世の家族のようになるのではないかと思うと、まるで自分がおぞましい虫や怪物になるのではないかというものに近い恐怖を感じて、怖くて怖くてたまらない。
だからこそ、竜のレガリアとして生きる道を、真剣に考えないようにしていたのかも知れない。
黒翼城に帰りたいと泣いたのかも知れない。
「それでも、私は復讐の道を選ぶでしょう」
権力を握るのは恐ろしい。自分が前世の家族のようになるのが恐ろしい。
だけど、どうしたいのかと問われれば、この気持ちから逃げ出すことはできない。
あの時受けた痛みを、苦しみを、なかったことには到底できない。
「いつか怖いものの話をしましたね。……今聞いたら、また変わっているのかしら」
シレーネ大叔母さんはひとつため息をついて、独り言のように呟いた。
けれど私が答える前に、すっと指を腹の前で組んで、よく通る声ではっきりと告げる。
「今はそんなことを話している時ではありませんね。では、おまえは竜のレガリアの運命を受け入れ、犯人を捜すためにこれから動くのですね?」
問われれば腹が据わり、私はぐっと顎をあげて頷いた。
「はい」
「では、今から私は、ユレイアを大人として扱いますわ。……交渉いたしましょう」
「交渉?」
ずっと黙っていたウィルが、わずかに風を動かす気配がした。
指先に当たる冷たい風に、何かの交渉事になら頼りにしてくれという意志を感じる。
私にしか声が聞こえないくせに喋らないところは、律儀なのか貴族らしいのか。
「……お聞きしましょう」
優秀な教師に問題を当てられたように緊張して、私は背筋を伸ばしてシレーネ大叔母さんの目を見返した。
「その復讐に協力いたします。今私が持っている限りの力で、あなたを育てます。代わりに、私が与えた分と同量の誠意でもって、スペラード伯爵家を守ってください」
「それは、当然……!」
拍子抜けするような内容に微笑みかけた私を、鋭い口調が遮った。
「誓えますか? 最も大切なものに賭けて」
頷きかける私の頭を冷たい風がおさえて、ウィルが小声で囁いてきた。
「気をつけて。貴族がこう言う時は、ほぼ決闘と同じだから」
似たような光景を思い出し、私はハッとした。
カエルレウム公爵令嬢が、かつて私を無事に送り届けるという約束を、スペラード伯爵家の銀鷲に賭けて誓った。
あれは、相手の大切なものを踏みにじった時、どのような不名誉や非難を受けても構わないという決意だったはずだ。
大人として接するということは、この誓いを「知らなかった」と言って甘えることは出来ないのだ。
わずかな震えが背筋を走り、緊張で口の中がきゅっとなった。
途中で降りることはできない。
もしも気が変わったなどと言ったら、シレーネ大叔母さんは、あらゆる手段で私を追い落としにかかるのだろう。
けれどきっと、守りさえすれば、必ず鋭いナイフのような味方になってくれる。
私は、ゆっくり深呼吸し、両手で掬うように胸の内の大切なものをさらい、そして残ったものを唇に乗せて、告げた。
「私の大切な人達と、妖精。また回帰の王陛下に賭けて、誓います」
ウィルが息を飲んだ音がしたけれど、私は振り返らなかった。
シレーネ大叔母さんは、ほんの少しだけ頬をゆるめ、わずかに満足そうな、微笑みに近い表情で頷いた。
「そう」
そしてすぐに、見たこともないようなおしとやかな微笑みを浮かべると、やはり聞いたこともないようなうやうやしい仕草で、急に胸に手を当てた。
「では、私を今日からユレイア様の侍女としてお仕えすることをお許しください」
別人かと思うような柔らかく上品な声でとんでもないことを言われて、私は思わず大きな声で「えっ!?」と叫んだ。
「王権の象徴たる竜のレガリア様のお側近くで、誠心誠意お仕えできる光栄と共に、その復讐がつつがなく果たせるよう、胸に刻む所存ですわ」
「し、シレーネ大叔母さ……?」
「いかがされましたか?」
その仕草と口調は、まるで生まれた時から私に仕えていたかと錯覚するような柔らかさだ。
ウィルが小声で「こわ……」と呟くのに思わず頷きそうになった。
侍女の演技まで出来たのか、と思うと恐ろしさしかない。
しかし、その柔らかな微笑みから圧を感じて、慌てて背筋を伸ばして頷いた。
「許します。わ、私に仕えてくれる限り、私はスペラード伯爵家を守ります」
「光栄に存じますわ」
あくまで控えめに、おしとやかに微笑むシレーネ大叔母さんの目が、油断なく私を見定めようとしている気がしてならない。
ウィルがちょっと呆然としたように「侍女っていうか参謀じゃないか……」と呟いたので、流石に私は動揺したふりをして小さく頷いた。
戻れない道を歩いてしまったのだという気持ちを、ふざけた仕草でごまかすみたいに。
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