第11話 金貨のひまわり畑


お母様は、ちょっと、びっくりするくらい上手くやった。

まさか、たった二年でやってのけてしまうとは。


目の前には、一面のひまわり畑が広がっていた。


太陽を見る花は一面に同じ方向を向いて、同じ柄の絨毯のようだ。まばゆいばかりの鮮やかな黄色が、風が吹くたびゆったりとざわめく。

妖精はふわふわと周囲を忙しく飛び回り、花びらに腰掛けては、また気まぐれに次の花へと飛び交っている。


蜂がぶぅんと体をゆすって馬の鼻先を通り抜け、馬車道を横切り、また反対側のひまわり畑へと飛んでいく。

一面のひまわり畑を前に、けれど私は目を回さんばかりだった。


「ねえ、綺麗ね、ユレイア!」

「はい、あの、綺麗ですけどあの、お姉様。ロビンお兄様が見えなくなってしまって……」

「大丈夫よ、そのうち追いつくわ!」


お姉様は、私を馬の前に乗せ、器用に手綱を操ったまま朗らかに笑った。


内臓が出そうだ。身体が上下に揺さぶられて尻がすりむけそうなのに、お姉様の笑顔ばかりがひまわりよりもまぶしい。


私は上下しながらえげつない速度で通り過ぎる景色に、うぷ、と小さく呻く。


お姉様は本当に騎士になるらしく、冬にある試験に備えるという名目で、事あるごとに馬を乗り回している。

その実力たるや今ではもはやお父様以外は追いつけないのでは、と配下の騎士達が青ざめる程だ。

当然、二人乗りしている、ほぼ訓練を受けていない私にはちょっとしたオーバーキルアスレチックだ。


「ほうら、着いたわユレイア! あっという間だったでしょう?」


徐々に馬を落ち着かせて足を止めさせたお姉様は、軽やかに馬を降りると、私を抱き上げて降ろしてくれた。

まだ足元がふわふわする気がして歩くのがおぼつかない私を、ひょいと抱き上げて、彼女は朗らかに歓声を上げる。


「ここがひまわり市ね。去年よりずっと賑やかだわ!」


馬はお姉様をすっかり信頼しているのか、手綱を引けば大人しくついてくる。

私も、ちょっと目を回しつつ、はい、と頷いた。

白っぽい道沿いには天幕が張られ、人や動物の匂いが立ち込めていた。

のどかなひまわり畑を前に商人達が声を張り上げ、夏風が喧騒を飛ばしていく。


「ひまわりの茎から作った籠だよ。頑丈で香りもいいよ、どうだい?」

「今の季節に涼しい敷物だよ。長椅子の上に敷けば、風がよく通るよ」

「頑丈なロープだよ。水に強くて腐りにくい。こいつもひまわりから出来てるんだ」


楽しそう、とすぐ目を輝かせるお姉様は今にも走り出しそうだ。

一瞬もじっとしていられない彼女を引き留めるべく、私は一番近い店先が気になるとわがままを言うふりで、薄茶色の大きな籠を見せてもらった。

途端にぱっとひまわりが咲くように笑って、お姉様は私を抱き上げたまま店主へ人懐っこく話しかけた。


「綺麗な赤ね、私、赤色好きだわ。元気になるもの!」

「おっ、嬉しいこと言ってくれるじゃないか。この染料はね、ひまわりから作ったんだよ。他の色もあるから……」

「ヴィクトリアお姉様!」


澄んだ少年の声がして、お姉様は「あら?」と無邪気に振り返った。

見れば、汗だくで肩で息をし、何とか今馬から降りたばかり、という風情のお兄様が、信じられないという顔でこっちを睨んでいる。

後ろについていた護衛騎士の方が、かなりショックを受けた顔をしているのが可哀そうだが、お姉様はけろっとして肩をすくめた。


「あらロビン、早かったわね! やっぱりあなた、お勉強だけなんて嘘だわ。絶対に騎士の才能あるわよ」

「これで全力です。勘弁してください……」

「お兄様、大丈夫ですか?」

「ユレイアぁ! あなたこそ大丈夫でしたか、家から半日も馬で走られて、大変だったでしょう。怖い思いはしませんでしたか」

「大丈夫よ、とっても風が気持ちよかったわ!」

「お姉様には聞いていません」

「ちょっと怖かったですけど、楽しかったです」


ほら、という顔をお姉様とお兄様が同時にしたので、笑ってしまった。


「ねえ、あっちの天幕で羊のチーズをあぶってるわ。お姉様がおごってあげる、行きましょう?」

「駄目ですよ。晩御飯が入らなくなりますよ」

「どうせロビンもお腹減ってるでしょう?」

「それは……」


と言いさしたあたりで、お兄様のお腹が代わりに返事をしたので、お姉様はにっこりして護衛騎士に馬をあずけ、弟の手を取って歩き出した。


「……お姉様、僕もユレイア抱っこさせてください」

「まだ息が上がってるからダメよ。落っことしたら大変じゃない」

「お姉様、私、歩きます。それで、お兄様と手をつなぎたいです」

「だめー。ユレイアだって、まだ疲れてるでしょう? 地面に降ろしたら、倒れちゃうわ!」


だとしたら、どうしてお姉様はこんなに元気なのだろう。将来が有望すぎる。

そうは思いつつも、私は大人しく頷いて、お姉様に抱き上げられながら、そういえば、と首をかしげた。


「お父様達に、私達が着いたこと、教えなくていいんですか?」

「あら、どうせまだお母様もお父様もお仕事よ。しばらくかかるんですもの、遊んでましょう」


ほらあっち、と指さしたいくつもの天幕の向こう側には、小さな真新しい屋敷がある。

あそこで、この出来たばかりの市がうまく回っているか、諍い事はないかを管理するのだ。

巡回する騎士や監査に入る代官の報告を受けて、私の誇るべき両親達が何か重要な判断をしているのだろう。


何しろ、ここのひまわり市を作ったのは、二年前北方を荒らしていた盗賊達なのだから。

あの日、私がお母様に持って行ったひまわりがきっかけで、トーラス領は少しだけ変化した。


「すごいですよね、お母様。」


私は天幕の下でいきいきと働く人を眺めながら囁いた。

色鮮やかな敷物や籠を売っているのは、がっしりした体格の老女達だ。

彼女たちは、二年前まで、夏でも草木に乏しい岩がちの山で飢えながら、黒麦を盗む村人の帰りを、ただ待っていた。

北方の農村を荒らす盗賊の家族達。

彼らは、彼女たちは、いずれ捕まる恐怖に震えながら、それでも盗まれる農家の子供ではなく、飢えを満たしてくれる仲間達の方を案じて待っていたのだ。


「ええ、僕らのお母様は本当に……ああ、ほら、旅芸人が人形劇をしていますよ」


お兄様に言われて目をやれば、確かにちょっとした人だかりの中に、木枠で作った小さな舞台があった。

一人の娘が楽器を弾き、青年が人形を操って歌う。

青年の足元で、綺麗な緑の瞳をした人形が、腕組みをしながら空中をうろうろしている。


「ああ、困ったわ……北で飢えた民が、作物を盗んでいる。困ったわ……」


すると、小さな女の子の人形が駆け込んできて、お母さま、と高い声で歌った。


「ひまわりをさしあげます。お母さまの気が晴れるように!」


それを聞いた緑の瞳の人形は、ぴょんと飛び上がって思いつき、夫の騎士団へ命令をする。


「盗賊を捕えてきて!」

「もちろんです、我が愛しき主よ!」


捕らえられた盗賊達は、ごめんなさい、と泣きながら反省をした。

そこで慈悲深い緑の瞳の人形は、この地を一面のひまわり畑にしたら許してあげましょう、と伝えるのだった。


簡単な筋書ではあるが、実際あったこともおおむねそのような事だ。


盗賊達は、山のふもとに広がる農村を襲い、村ぐるみで夏に収穫する黒麦を盗んだ。

北の山間部に住む集落の人間は、岩がちの山では秋の実りもわずか。夏の黒麦畑を襲わないと生きていけない、というのが盗みの理由だ。


こういう場合、首謀者は大抵死罪、残りの関係者も投獄だ。

ただ、彼らは大規模な盗みを働いたが、目撃者に怪我をさせただけで死者は出ていないようだった。

死者が出ていないのならば、と慈悲深い領主様のお口添えもあって、盗賊達は、三年の労役を言い渡された。


そしてその労役の内容というのが、王都街道に近い東の原野を開拓してひまわり畑にせよ、というものだった。

もともと、食い詰めて盗賊になった者達だ。

労役は償いなので、畑を作るのはタダ働きだが、最低限の衣食住は保証される。

前の山間の暮らしよりも、よっぽど人らしい暮らしができたようだ。


秋のうちに、トーラス領地内にあるひまわりの種を取って回り、冬にはそれらの茎や根を乾燥させたもので縄や籠を作る。

春先にまだ手付かずの原野に小屋を作らせて民を住まわせ、そこにひまわりを植えさせた。

野菜を植えるのと違って、そこまで深く耕さないで済んだので、それだけでかなりの規模のひまわり畑が出来た。

そしてその花畑を、貴族達に新しい観光名所として宣伝したのだ。


近くの農民は、いちいちひまわりの花を見に来たりなぞ来たりしないが、貴族は違う。

夏の早い時期に花を咲かせる品種を植えたら、領地に帰るついでにちょっと寄り道、程度で一面のひまわり畑が見られるのだ。


物見高い貴族にウケて、それなりの数の貴族が、もののついでに観光に来て、冬に作った素朴な籠も中々の良い値で売れるようになった。

貴族だって人間だし、誰だって物珍しくて綺麗な景色は見たいものだ。


それに、ひまわり市が生まれるきっかけが、三歳の領主のご息女だった、というあたりも中々にドラマチックでよかったらしい。

難しい会議に頭を悩ませている大人のもとに、花を抱えた幼い娘が現れる……という歌語りは、旅芸人達の間でちょっとした前座に丁度良かったようだ。


お陰でこの市場は、そこそこ裕福な商人や貴族達がまばらに行き交い、領主の子供達がうろついていてもそんなに目立たない。


「……もしも歌がお気に召しましたら、拍手をいただけますよう!」


結びの言葉が聞こえて、私ははっとした。

中々よい声をしている旅芸人に、見物客も喜んで薄い銅貨を投げ与える。

お姉様も、気前よく二三枚の銅貨を投げると、上機嫌で他の露店を冷やかして回った。


「いい歌だったわね! お母様役の声がきれいだったわ」

「でもお姉様、私、もっとお兄様やお祖父様も出てきて欲しかったです」

「あら、ひまわりを持って行ったのはユレイアよ。あっ、あの店新作が出てると思うわ、行きましょう」


お姉様が指さしたのは、ひまわり市で唯一の、天幕ではないちゃんとした店構えの小屋だった。

そこには身綺麗な商人達が何人か列を作って、物珍しそうに新しい商品を見ている。

お姉様に抱き上げられたまま伸びあがって店内を覗き込めば、陳列されているのは、ひまわり油の小瓶だ。

労役に就いた元盗賊達は、ひまわりが枯れる秋には、種を収穫して油を絞り、領主に献上するのだ。

彼らが収穫した油は今、食用と、化粧品用に分かれ、綺麗なガラスの瓶に入れられていた。

値段はそこそこ張るが、それでもだいぶ好調に売れているようだ。

お姉様も、領主のご息女とは思えぬ気楽さできちんと列に並び、料理用の小瓶を入手してほくほくしている。


私はちょっとふくれっ面をしてお姉様に抱き着いた。


──本命は、こっちなのに。


「私は、このお庭に沢山生えているひまわりは、去年に潰してみたら、種から油が沢山でてきたんです、って言っただけです。みんなもっと沢山、活躍しています」


鶏の餌として保存していたひまわりの種を調べて、その中でも油の多い品種を割り出したのはお祖父様だし、それを手伝ったのはお兄様だ。


黒麦を奪われた農村の者たちは腹を立てていたが、それを宥めたのはお父様の騎士団だ。

ひまわり油の収益で得た分の収入を、この農村補填にあてるから、税が軽くなる。

結局、山から盗賊は除かれ、税は軽くなったのだから、結果的に悪いことなどないじゃないか、と説得してくれたのだ。


勿論、税を軽くする判断をしたのはお母様だし、ひまわり油はすべて領地に納める代わりに、茎を使った細工物に関しては、騎士の監視の元、自由に商うことを許可したのもお母様だ。


お陰で、天幕の下で働く、元盗賊の領民たちの表情は、明るい。

労役が終わったら、そのお金を持って帰りたい者は故郷の山間に帰るのだろう。


そして、そうなるように根回しして収めたのは、結局のところ皆の努力だ。


だが、人形劇に登場しなかったことにこだわりは無いのか、お兄様は澄んだ赤い瞳で柔らかく微笑んだ。


「それを言ったら、行政裁判官として盗賊を裁判したのはお祖母様ですし、お姉様だってご友人にひまわりの籠を勧めてくれました。でも、誰もそんなこと気にしていませんよ」


ちなみに、労役をさせている領民たちの衣食住にかかる費用は、かつて外交官だったお祖父様が、どんな手段を使ったのか古馴染みの貴族から借り受けて来た。


「でも……」

「なんでもいいじゃない。どっちにしろ、私はお土産が買えて満足だわ。ひまわり油、ソースにすると美味しいんだもの……あ! シーラだわ!」


お姉様が伸びあがって手を振った先には、確かに馴染みの侍女が手を振っていた。

きっと両親の仕事が片付いて、私達を迎えに来たのだろう。

お腹減りました、と悲しげにお兄様が呟いたのがちょっと可愛くて、私は結局それ以上の文句を言うことはなかった。


  *


美味しいというのは、強い。

食堂に集まり、楽しげに雑談をしていた家族達は、提供された皿に乗った見たことのない料理に首をかしげていたが、一口食べた途端に、無言になった。


歯を立てれば、さくっ、と砕けて音を立てる衣。噛めば、熱い肉汁がじゅわっとあふれ、柔らかな繊維がほろほろとちぎれる鶏肉。噛むたびに追いかけてくるのは、衣の中に入った香草の爽やかな香りだ。


「いやあ、これは料理長の新作かな。美味しいねえ!」

「ねえ、これ初めて食べるわ! すごい、私これ大好き、いくらでも食べられちゃうわ!」


お父様とお姉様がそっくりの表情で目を輝かせている横で、お兄様とお祖父様が、優雅かつ無言でせっせと咀嚼していた。

私はにこにこしながら、目の前の皿に盛られた、からりときつね色に揚がった鶏肉に微笑みかける。


──よく来たね、唐揚げ!


口の堅い料理長と何度も試食し、これぞという味にようやく辿り着いた唐揚げは、まばゆく輝かんばかりだ。

なんとなく、ひまわり騒動があった後に「私が作りました!」と言うのは気まずくて隠してしまったが、皆の喜ぶ顔を見られただけで満足だ。


ひまわり油で揚げた唐揚げは、まろやかで口当たりよく、お肉の味を邪魔しない。

お祖母様は高齢だし大丈夫かな、と思ったら、お父様に負けない勢いでもりもり食べていた。健康そうで嬉しい限りだ。


「お母様、美味しいですね」


しっとりと目を伏せて、変わらぬ優雅さでナイフとフォークを操っていたお母様が、ふいに不思議なまなざしで私を見た。

何もかも見透かすような、柔らかな緑の瞳が私を射抜いて、一瞬、心の中を読まれた気がした。


「そうね、ユレイア。ありがとう、とても美味しいわ」


心臓が跳ねた気がしたけれど、お姉様のはしゃぎ声に意識が持っていかれて、結局私は何も言えなかった。


「ねえ、これを名産品して売ったらいいんじゃないかしら? これだけ美味しければ、きっと皆大喜びするわ」

「油の生産量が上がったら、それもいいかも知れないね。また一儲けできるかも知れないよ」


ふふ、お祖母様が楽しそうに頷くのを、お祖父様がちらっとたしなめた。

私は頷きながらも、こっそり横目で再びお母様を覗き見る。

彼女は、とても美しく非常にたおやかな表情で、


「ええ、金貨っていいものだわ……」


そう呟いていたのは聞かなかったことにした。

トーラス子爵様は苦労しておられるのだわ。


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