34話 実験室と世紀の発見

考えられる可能性を書き出した木片をあらためて眺めて、私は眉間に皺をよせた。


・ウィルは屋敷から出て、入れなくなっている→窓際に寄ってくればわかるはず。庭に入れなくても、大神殿に行く途中で気付く。

・ウィルは親しい人を見つけたけれど、その人が病気などで動けなくなっている。

→彼なら一度は帰ってきそう?

・ウィルは、私以外の幽霊が見える人に交渉を持ちかけられ、私の代わりに同盟を組むことにした。

→接点が幽霊なら、秘密に私と相手を橋渡しした方が効率が良い気がする

・白枝の儀を行われて、強制的にとこしえの喜びの野に送り出されていた。

→もしそうだとしたら出来ることが何もない。それに、白枝の儀が始まる前にウィルは帰ってこなかった。


どれも、あまりしっくり来ない。

ため息をついた時、扉が叩かれイヴリンの声がした。

はっとして振り返れば窓の外は薄暗く、暖炉の光が鈍く広がるばかりで部屋は薄暗い。

私は慌てて木札を暖炉に投げ込み、入っていいと返事をした。


「ユレイア様、失礼いたします」


イヴリンの淡々とした声に振り返り、私は悲鳴をあげて目をむいた。


「どっ……どうしたの?」


おばけかと思った。

まるで、懐中電灯で顎の下から光を当てたようだ。

少しして、見慣れない照明を抱えているからだと気付いたが、それにしても恐い。

薄暗い部屋で青白い顔に濃い陰影がついて、首だけ白浮きしているし、冷静な無表情のせいで、より本格的におばけに見える。


「譲ってもらったんです。私が、大神殿でずっと見ていたので」


凪いだ湖面のような顔でそう言って、イヴリンは両手で抱えた照明をあげて見せた。


あまりにも明るい照明だった。

その光量といったら、植物油のランタンとは比べものにならない。

暖炉の薄暗い光しかなかった部屋を、ほとんど半分照らし出してしまうくらいだ。私は、おろしたての蛍光灯を思い出した。


「最近ユレイア様はお元気がなかったので。持ってきました」

「……イヴリン」


私は頬が熱くなるのを感じた。

窓の外がもう暗い。

昼過ぎにアウローラ大神殿から帰ってきて以来、幽霊を探す、という無謀な挑戦に頭を悩ませていたせいだ。


「ごめんなさい、心配かけて」

「お気になさらないでください。大変な思い出のある土地なのですから、当然だと皆も言っています。そっとしてあげた方がいいと」

「……でも、イヴリンは来てくれたのね?」

「お邪魔でしたら、これを置いてさがります。部屋まで暗いと、恐いかと思って」


一本調子で言うわりに、イヴリンはたじろぐくらい真っ直ぐに私を見ている。視線の圧が強い。

その情熱に満ちた気遣いに、私はふんわりと笑みがこみ上げてきた。


「いいえ。せっかくだから、一緒に置く場所を探してくれる?」

「もちろんです」


深く頷いたイヴリンが、ひとまずといったように、部屋の真ん中のテーブルに照明を置く。

それは、淡い桃色の花と緑のツタ飾りのついた、まるっこくて小さなランタンに似ていた。

四角い金属の深皿の上に、ガラス板をはめ込み、木製の屋根をフタのように乗せている。

内側に吊り下げられた細長い塊がまばゆく輝くのに、煙の匂いはちっともしない。

私はまばたきして、すごいわ、とため息をついた。


「こんなに明るい照明、初めて見たわ。珍しいものなんでしょう? 持ってきて大丈夫だったの?」

「確かに首都で流行りの最新型らしいですけど、伯爵屋敷には毎日沢山の贈り物が届くので、ひとつくらい構わないそうです。これもきっと、ユレイア様に贈られたものですよ」


もっと近くでどうぞ、と心なしか胸を張ってイヴリンが言うので、私はありがたく手を伸ばしてみた。

大神殿で見たものと、光量は違えど仕組みは同じなのか、ビィー……とかすかな音がする。木製のフタに触れると熱くはあったが、煙の気配はない。


「どうして、こんなに明るく光るのかしら」


まさか本当に電気ではあるまいし、といぶかしんで腕を組む。

近づいたり離れたりしながら、つくづく照明を眺めている私に、イヴリンがこてんと無表情で首をかしげた。


「気になりますか?」

「あ、ええ。まあ……」

「わかりました」


イヴリンは、こっくりと深く頷いた。

かと思うと、急に確固たる足取りで壁に引っかけていたごく普通の油を使うランタンを掴み、暖炉から火種をもらってひとつつけた。

温かみのある光がともって、植物油に混ぜた香油の香りがする。

そのまま彼女は普通のランタンをテーブルに置くと、最新の照明を掴んで、台座の側面についていた花の飾りを中に押し込んだ。


ふっと最新の照明が消えて、テーブルにはランタンの橙色の灯りだけが残る。

普段はこの光で過ごしているはずなのに、随分と暗く感じた。

イヴリンは、スカートの内側の巾着から畳んだ布を取り出すと、照明のフタの部分を包み、くるくると回して外し始めた。

そればかりではなく、木製の枠にはまったガラスの板を引っこ抜きはじめたのだ。


「ちょっ、ちょっと! イヴリン、何しているの?」

「分解しています」

「な、なんで?」

「だって、わからないじゃないですか」


ならば調べるのみ、とばかりにイヴリンは台座を見つめ、何度か振ってはカタカタと音をさせていた。

中が空洞だと確認すると、今度は台座をひっくり返して継ぎ目を探し始める。


そこまでは言っていない。言っていないけれど、あまりにも真剣なので止められない。


彼女が視線だけで穴が開きそうなほど台座を見つめるので、私は思わず、鏡台から細い髪飾りを持ってきていた。

かんざしに近い形をしているので、先がマイナスドライバーのように平べったい。


「……使う?」

「ありがとうございます」


またイヴリンが真剣に台座に向き直ったので、私まで面白くなってきた。


「ここ、動きそうじゃない?」「駄目でした、ただの飾りです」「じゃあこっちは?」「あ、動きました」「さっきのところ、ずれてる」「なるほど……」


こそこそ二人で声を低めながら、木製の花やツタの飾りを押したり引いたりしているうちに、かたんと音がして台座が上下に分かれた。


「すごいわイヴリン!」

「まかせてください。……何でしょう、これ」


台座の中に入っていたのは、大人の親指くらいの長さと太さの棒だった。

片方の先端に、ガラスに封じ込められた液体。もう片方に、動物の牙か角のような、薄黄色の塊がはまっている。

台座の中で出っ張っている棒に引っかかっていたので、外してやったらくるくると勝手に回り始めた。

まるで、S極とN極で反発しあってする磁石のようだ。


「この棒が、ずっと台座の中で回ってたってことなのかしら?」

「さっき押し込んだつまみが邪魔して、動かなかったみたいですね」


イヴリンと首をかしげながら話していたら、木の棒が回る速度はどんどん上がっていき、ついには金属の器を飛び出してしまった。

テーブルの上では何の反応もなく、そのままころころと無力に転がっていく。


「……不思議ですね」


心なしか、イヴリンの目が輝いている。

彼女は木の棒をつまんで、再び金属の器に入れてみた。また激しく回り始める。

私もつい楽しくなってきて、木の棒をつまみあげて、さっき台座をこじ開けるのに使った金属の髪飾りを近づけてみた。

木の棒が、見えない空気の層に弾かれたように、勢いよく弾けとんだ。


「……反発してる」

「組み立て直してみましょう」


私達はわくわくしてしまって、顔を見合わせてうなずき合った。

台座をもう一度正しくぴったりはめるのは難しかったが、おざなりでも形にはなる。

中に封じ込めた木の棒が、また回り始めてビィー……と音を立てた。

木枠にはまったガラス板を、台座の溝にさしこむようにして立て、木製のフタをかぶせる。

「あ、もう光るのね」

「でも光が小さいです」


イヴリンが、くるくると木製のフタを閉めるほど、光の量は強くなった。

輝いているのは、革紐にくくられた透明な石だ。多分水晶だと思う。


「どうしてこれで光るんでしょう……?」


まったく理解しがたい、という顔で、イヴリンが真剣に首をかしげる。


「そうね……」


そう言って頷きながらも、私は前世でやっていた理科や科学の実験を思い出した。

ペットボトルで風車を作って、豆電球を光らせた。

あるいは、半分に切ったレモンに亜鉛版と銅板を差し込み、電球を光らせた。


電子の仕組みを教えてくれたのは、大好きな長老先生だった。

好きな先生の授業というのは、やたらとやる気がでるものだ。私は暗記だけではなく仕組みをきちんと理解しようと必死で、だから授業の後によく質問をしに行った。


──どうして、ただのシャーペンの芯が、電気で光るんですか。


いつだって、長老先生は嫌な顔ひとつせず、穏やかに授業のおさらいをしてくれた。

正しい流れで電子とは何か、その仕組みやふるまいを教えてくれた後に、まだ納得いっていない顔の私に、少し雑ですが、と前置きして言ってくれたのだ。


──電子がぶつかり合うからです。強くぶつかり合うと、光るんですよ。


頭の中で、金属がぶつかり合った時の火花がイメージできたので、それでようやく私は納得した。

ひとまず、勢いよく流れるものの間に、強い抵抗を挟めば光るのだ、と理解したのだ。


「……面白いですね」


イヴリンの囁きに、私はふっと物思いから戻ってきた。

彼女の声は相変わらず平坦だったが、湖面のような瞳は朝日が乱反射したかのごとく光輝いている。


「ユレイア様、色々試してみましょう。一体、何がどうして光るんでしょう。光っているのは、水晶でしょうか」

「もう一度分解してみる?」


はい、とイヴリンに髪飾りを手渡した瞬間、私達はあっと声をあげた。

清楚な花を模した髪飾りが、淡く光っている。

金属の棒部分は何ともないが、イヴリンの指先が触れたダイアモンドは、白っぽい光を放っているのだ。

私は一瞬で青ざめた。


「イヴリン! 照明のフタから手を離して!」


彼女が驚いたように手をひっこめると、髪飾りのダイヤモンドは輝きを失った。


「大丈夫? 何か、痺れたりとかはしていない?」

「いえ……少し、身体が温かい気はしますが」


私はほっと息を吐いた。

電気ではないようだけれど、感電に近い何かが起きていたらどうしようかと思った。


「身体がざわっとして、面白いですよ。ユレイア様もやってみてください」

「そうね……」


少し恐くはあったが、危険だったら投げれば良い。

それに、物が光る仕組みはとても気になって、私は神妙な顔で頷いた。


「うん、やってみる」


輝く照明の木製のフタに指先を当て、イヴリンからダイヤモンドの髪飾りを受け取る。

一瞬、ふわっと抵抗があって、金属の棒が逃げ出しそうになったので、慌ててダイヤモンドのついた花飾りの方を掴んだ。


「──っ!」


途端に、ダイアモンドの髪飾りが激しい光を放って、私は息を詰めた。


何かが流れている。

私の中に、勢いよく流れる、血液とはまた違う水に似た質量を感じた。

上手く言えないが、寒い日に冷え切った時、熱いお茶を飲んだ時の感覚に近い。

喉からすべりおちた暖かい液体が、胃まで届くのがわかる感覚。

指先から血管に急にお湯が流れ込んで、全身が温まりながら流れていくようだ。


「……っ!」


思わず髪飾りを取り落としたが、身体が温まって波立つ感覚は余韻として続いた。


「ユレイア様、大丈夫ですか?」

「うん……。驚いたけれど、痛くもないし、痺れてもいない」


不思議と、周囲には冷たい雪の日みたいな空気が漂っている。まるで、誰かが窓をあけたみたいだ。

光の副作用かも知れないけれど、イヴリンがほっと息を細く吐いて「よかった」と囁いたのでそちらに気を取られてしまった。


「心配かけてごめんね」

「……大丈夫です。私より、ユレイア様の方が光っていましたね。この違いは何でしょう?」

「さあ……?」


私の中にも、何かを光らせる成分が含まれているのだろうか。

そして、その何らかの物質が勢いよく流れ、宝石に注ぎ込み、ぶつかって、強く抵抗しながら流れたのだろうか。

だから光った、と考えれば納得はできるけれど……。


「面白いですね。ユレイア様、他にも持ってみましょう」


考えこんでしまった私に反して、静かにやる気をみなぎらせたイヴリンは、手当たり次第に部屋の中から様々な素材を集めてきた。


ウサギのぬいぐるみ。分厚いコート。鹿の角のボタン。陶器の人形。豚の毛のブラシ。ツルで編んだ籠。火かき棒。レンガの欠片。羽ペン。


あまりに山盛りに持ってくるので、私も気楽に使える木片を持ってきて、次々積まれる素材を書き付けた。


「では、私、ユレイア様の順番で持ってみましょう」

「お互いに、体調が悪くなったらすぐに言うこと。約束よ」

「もちろんです」


イヴリンは真顔のままだが、青い瞳はごんごんと情熱に燃えていたので、ちょっと疑わしい。

それでも、興味と面白さは抑えきれなくなってしまったのだから、私も同罪だ。


この照明の光り方は、世界独自の法則なのだろうけれど、前世の知識を使ってある程度までなら解明できるかも知れない。

私が一番最初に法則を発見できるなんて、胸がドキドキするじゃないか。


照明のフタに手を当てながら、私達は次々と色んなものに触ってみては、結果を書き付けた。

しばらくして、木片にはびっしりと実験結果が書き込まれた。


ウサギのぬいぐるみ。→少しだけ光る気がする。流れる感覚は普通。

分厚いコート。→ほぼ光らない。流れる感覚は普通。

鹿の角のボタン。→艶が増す程度。すごく流れる感じがした。

陶器の人形。→明るく光った。本体が暖かくなった。あまり流れる感じはしなかった。

豚の毛のブラシ。→艶が増した。流れる感じがややあった。

ツルで編んだ籠。→ほぼ光らない。とてもよく流れた。

火かき棒。→光らない。反発して、指から逃げる。流れる感覚なし。

白いレンガの欠片。→あまり明るくないが、きらきらした。かなり流れる感覚があった。

羽ペン。→全体の艶が増した。とてもよく流れた。

フタについていた水晶→明るく光った。あまりうまく流れない。

ガラスの板→ちょっと反発して触りづらかった。流れない。


○イヴリンは全て光らず。ユレイアのみ光った。


「……面白いですね」


イヴリンが、口元をにま……と微笑ませて目をギラギラ光らせた。

初めて見た笑顔が、地底から沸いてきた悪霊みたいな笑顔だったことに謎の味わいを感じながら、私は頷いた。


「やっぱり、あまり流れる感覚がないものがよく光るわ。でも、流れが止まるとまったく光らなくなる……。今のところ、やっぱりダイヤモンドが一番明るく光るわね」

「はい。私でも光ったくらいですから。……植物は光りません。植物が元になっている布もあまり光りません。動物の身体が元になっているものは、少し光ります。金属はまったく光らなくて、宝石はすごく光ります。同じ地面から出てくるものなのに、金属と宝石で真逆になるのが不思議です」

「……もしかしたら、金属は形を作る時に一回溶かすから、その時に小さな隙間みたいのが消えてしまっているんじゃないかしら。そのせいで、何かが流れる隙間がなくなってしまって、まったく光らない、とか……」

「なるほど。金属の元になる石だけなら光るかも知れません。あ……でも、白いレンガはとてもよく流れていますね。やっぱり物によって違うだけでしょうか。でも……」


ぶつぶつと口の中で何か呟きながら己の世界に没頭してしまったイヴリンが、最新型の照明をがっちり掴んで、指でなぞった。


台座は金属。枠とフタは木製。四角い枠にはまっているのはガラス板。フタから革の紐で吊されているのは水晶。

そして、台座の中には、回転する不思議な棒。


「……この棒から何かが流れて、木製の枠を通って、革紐を通って、水晶に繋がって、また革紐と枠を通って戻ってきている……何かが、光の元みたいのが、ぐるぐる回っているはず……」


ひとつ、ひとつ、指でなぞりながら囁いているイヴリンに、私はちょっと目を開いた。

すごい。

私は前世の知識があったから予想がついたけれど、何もなしでその予想にたどり着くなんて。


「すごいわイヴリン。あなたもしかして天才かも知れない!」


顔を輝かせて拍手したら、イヴリンは大きな瞳をいっぱいに見開いて私を見つめた。

少しは照れてくれたのかな、と期待したけれど、イヴリンは何故か深く頷いて、急にドレスの裾をつまむと、たどたどしいながらも淑女の礼をした。


「ユレイア様が言うなら、天才になります。そして、その天才の力をユレイア様のために使います」

「そ、そこまで重くとらえなくてもいいのよ。嬉しくなって褒めただけなんだから」


しまった、ウィルの大げさな物言いが移ったのかも知れない。

慌てて両手をさまよわせたけれど、イヴリンは真顔のまま首を横に振った。


「……ユレイア様は、見えないものが『ある』と言っても不気味がったり、笑ったりしません。私が好きなことをしても、喜んでくれます。だから、私はユレイア様のおそばにいると、とても良いんです」

「な……るほど?」


確かに、私は妖精も幽霊も存在を確信しているから、イヴリンにとってはお互いに都合がいい相手なのかも知れない。

自分にとっていい雇い主なので居なくなってしまっては困る、という話ならば、まあ理解できる。

だが、こんな風に真っ直ぐに、静かながらも情熱的に忠誠を捧げられてしまうと、頬が熱くて困る。

私は照れ隠しに台座をかぱりと開き、回転している棒を指さして笑ってみせた。


「そ、それじゃあ楽しい実験を続けましょう!」

「はい」

「絶対にこの棒に秘密があるのよ。一緒に調べてみましょう?」

「はい」


照れ笑いで誤魔化す私と違って、イヴリンはずっと真顔で淡々と頷き、静かに私の隣に立った。

両端に違う素材がくっついた棒をつまみあげ、ひっくり返したり触ったりしたイヴリンは、しばらく考えた後鹿の角のボタンを持ってきて、並べてみせた。


「回る棒ですけど、たぶん、片方は鹿の角だと思います」

「それじゃあ、もう片方のガラスに入れられた方は……油かしら。薄黄色だし、傾けるとゆっくり動くし」

「外してみます」

「気をつけてね」


ハラハラしながら言う私に頷いて、イヴリンはガラス部分をつまんで揺らしてみた。幸い、元々取り外せるように作っていたのか、ネジのようにくるくると回ってガラスは外れていった。

外れたガラスの先端にはコルクがぎゅっと詰め込まれ、更に蝋で封がしてある。

慎重にコルクを外したイヴリンが、ガラス瓶の中の匂いをかぐ。


「オリーブ油です」


私にも差し出されたので指をさしこんでちょっと舐め、本当だ、と呟いた。


「……中身、入れ替えてみない?」


ちょっとした実験心が湧き上がって提案してみたら、既にイヴリンは部屋をうろついて様々なものを用意しはじめていた。黙って見まもっていても暇なので、私も部屋の中をうろついて探し始めた。


鹿の角の代わりに、ブラシの豚の毛、白いレンガの欠片、木製のボタン、花瓶に挿してあった銀雪の薔薇。


オリーブ油の代わりに、髪を固める時の蜜蝋、ただの飲み水、ミントの香水、ランタンの植物油。


「もっと明るい組み合わせを見つけたら、発見よね」

「工房に行って教えてあげましょう。きっと皆、ユレイア様に感謝します」

「あら、これを始めたのはイヴリンだわ。褒められるならあなたよ」

「では、一緒に褒められに行きましょう」


くすくすと笑いながら顔を見合わせた私達は、テーブルの上にまたごちゃごちゃと新しい材料を集めた。


「外れがなさそうだし、ランタンの植物油から始めましょう。これって、何油かしら。私の故郷では、羊の脂を使っていたけれど」

「トーラス子爵領から取り寄せたひまわり油だそうです」

「えっ、聞いたことないわ」

「アメリさんが教えてくれました。スペラード伯爵は、トーラス子爵領がひまわり油を売り出した最初の年から、ランタンの燃料を全てひまわり油に変えていたそうです」

「そう……」


胸に、何とも言えない切なさが広がって私は唇を引き結んだ。

お父様は、気付いていただろうか。

少しは、あの不器用な老伯爵を懐かしがってくれただろうか。

それとも、そんな事をするくらいなら会いにくればいいのに、と更に腹を立てただろうか。結構、筋を通さないことには頑固な人だった。勇気を重んじる人だったから。


「ユレイア様、できました」


イヴリンの声にはっとして、私は慌ててお礼を言った。

元々入っていたオリーブ油は小さなティーカップに移し替えられ、ガラス瓶には淡い黄色の油が満たされている。


「反対側も試したいけど……」

「鹿の角は、多分、膠でくっついていると思います」


うーん、と私達はちょっと腕組みした。

ガラス瓶は簡単に入れ替えることが出来ても、くっつけられた鹿の角は中々外れない。

仕方が無いので、裁縫箱から持ってきた糸で、鹿の角の上から銀に近い真っ白な花びらをくくりつけることにした。


「どうせなら、水晶もダイアモンドに変えてみましょう、ユレイア様」

「イヴリンって、おかず食べ放題の時に山盛りにしたことあるでしょう」

「何で知っていらっしゃるんですか」


盛れるだけ盛りたいタイプのように見えたからだ。

くすくす笑って、私は中身を入れ替えた短い棒を、開いた台座の下の部分に押し込んだ。


「あっ」


思った以上に反発が強くて、中に入れるなり弾け飛んでしまった。

とっさにイヴリンが横から台座の上半分を掴み、逃げる虫を捕まえるかのようにして封じ込めた。

ぎゅうん、とさっきよりも激しい音がして、台座の中で激しく棒が回っている気配がした。

「ユレイア様、照明に、ダイヤモンドとフタをつけてみてください」


台座を両手で押さえたイヴリンが、ぐっと首を直角にひねって、熱烈に私の顔を見つめる。

物凄く楽しそうだ。

慌てて私はフタを手に取ったけれど、イヴリンの「はやくはやく」と言わんばかりの熱心な視線に焦って間違えた。


髪飾りを片手に握りながら、フタをつけたのだ。

しかも、ダイヤモンドの花飾りの部分を握ったまま。

すさまじい何か暖かい流れが、照明の木枠から流れ込む。


「わっ!」


さっきよりもよほど強く激しいその感覚に、私は思わず硬直した。

流れは勢いよく指先に向かい、激しく反発しながらダイヤモンドに流れ込む。

手元から、閃光めいた白い光が強く放たれる。

ぱきぱき、と小枝を折るような音がした。


冷たい空気が頬に触れる。額に、こつん、と何かが当たった。イヴリンの息を飲む声がする。

私も目を見開いた。


握った拳から少しだけ離れた場所。

ちょうど私の胸あたりに、透明な塊が浮いている。


氷の塊だった。


透明度が高く、水晶の塊に似ている。

氷の塊は冷気をまき散らしながら震え、ぱきぱきと音を立てながら震えては、冷たい空気をまといつかせて大きくなっていく。

まるでネイチャー番組の早回しビデオみたいだ。

あっけに取られて固まっている私達の目の前で、氷の塊はみるまに新しい棘を生やし、また増やし、花開くように大きくなっていく。


床に霜が降りる。吐息が白くなる。頬に当たる風が切り裂くようだ。

どんどん大きくなっていく氷の塊に、私の顔が反射する。目を見開いて、呆然としている少女の顔。


イヴリンがはっとして、私の腕をぐいっと押した。

途端に、腕が照明から離れて、ダイヤモンドが輝きを失った。身体を巡る猛烈な流れがぶつんと途絶え、私は大きく息をつく。


ごとん!


大きな音を立てて、氷の塊がテーブルの上に転がり落ちた。

夢だと思いたいのに、明確な証拠がそこにある。

私達は黙って顔を見合わせ、明らかに不自然な、どうあってもそこにあってはいけないもの──人の頭くらいの透明な氷の塊を見つめ、そしてまた互いの顔を見て黙り込んだ。


「……どうしましょう」


イヴリンが、淡々と囁いた。

相変わらずの無表情だったけれど、それでも表情が硬くなっているとわかる。


「……どうしましょう」


私も細い声でうなずいた。

心臓がばくばくと走っている。

何故か、ウィルが居なくてよかった、と思った。こんなの絶対に叱られる。

いいや、むしろ居てくれた方がいい。叱られてもいいから、一緒に考えて欲しい。


だって私達はおそらく、とんでもないことをしてしまった。


この世界独自に成り立つ何かの法則を、私達は発見してしまったのだ。

そして多分それは、私の知る限りの知識で、こう呼ばれる。


イヴリンを見つめ、私は掠れた声で囁いた。


「私達、魔術を発見してしまったんだわ……」


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