第12話 王都オーブの宝石店

「さあ、お母様には秘密だよ!」


そう言ってお父様は、五歳の私を抱き上げて、大きな馬車に乗せてくれた。

お父様は馬に乗るのも上手ければ、どんな御者よりも格好良く馬車を操ることもできる。


「私が抱っこする! ユレイアは私が抱っこするの!」

「僕が抱っこしたっていいじゃないですか!」

「はいはい、喧嘩するならお父様だよ」


お父様に軽くいなされながら、二人は軽やかに馬車へ駆け上ってくる。

最近ぐっと凜として美しくなったお姉様と、近頃またひとつ大人びたお兄様が、私の前だと急に子供に戻ったようになるのがくすぐったい。


「ちゃんと座ったかい?」

「大丈夫よお父様、みんな座ったわ!」


反対側にちゃんと席があるんだから、誰かが向かい合わせになればいいのに、お姉様とお兄様は私を真ん中にして、寒さで膨らんだ小鳥みたいにくっついてくる。


「それじゃ、しゅぱーつ」


お父様の楽しそうな声と共に、コートと手袋、ブーツでまん丸くなった私達は、ひとつの座席にぎゅうぎゅう詰まって、雪の積もった子爵屋敷の前を後にした。


「私、とうとう新年のお買い物に行けるんですね」

「ええ、もうユレイアはお姉さんですもの!」

「ユレイア、寒くありませんか? お兄様のコートをお膝にかけてあげますからね」

「あら、お姉様のお膝に乗った方があったかいわよ」

「大丈夫です。このままでも十分あったかくて……。むしろ、オーブに行くのが楽しみで、暑いくらいです」


アウローラ王国にクリスマスはないが、新年のお祝いをする時、家族や親しい者同士でお互いに贈り物をする習慣がある。

生まれた時から家族に山ほどの贈り物をもらっていたけれど、毎年自分で贈り物を選べないのが申し訳なかったのだ。

流石に去年は何とか自分で贈り物をこしらえようと、侍女シーラに頼んで一緒にクッキーを作ってもらい家族に配ったが、ただでさえ忙しい一年の終わりに無理を言ってしまって心苦しかった。


「そう? あのね、新年の前のオーブはね、街全体にガラスの街灯がついていてね。たとえ雪に閉ざされて暗くても、月が百個も二百個も落ちてきたみたいに明るいのよ」

「正確に言うと、僕らの子爵屋敷も首都オーブなんですけどね。ここに住んでいる人達は、王城前の一番賑やかなあたりをオーブって呼ぶんですよ」

「何でもあるのよ。かわいい物も珍しいものも、格好良いものも、何でも! 絶対にお母様の喜ぶ新年の贈り物が見つかるわ!」


ガタガタと跳ねる座席の上でも、お姉様とお兄様がせっせと私に話しかけるので、私は目を輝かせ、うんうんと何度も頷いた。


「私、絶対にお母様に喜んでもらえるものを選びます」

「あら、お姉様だって負けないわ!」

「僕だって……。あ、いいえ。こういうのは勝負ではありませんよ」


家庭教師みたいな口調でお兄様が言うので、私とお姉様はくすくすと笑って「はぁい」と声を揃えた。

首都の子爵屋敷は貴族街の中でもかなり郊外にはあったが、きゃあきゃあと姉兄と話していればあっという間だ。


「さあ、着いた。滑るから気をつけるんだよ」


お父様が優雅な所作で馬車をあけると、お姉様が弾丸のように飛び出して、雪の積もった広場に降り立った。

慌てて追いかけたお兄様がかかとを滑らせかけたところを、お姉様が素早く受け止める。

私は大人しく両手を広げて、お父様が抱きあげてくれるのを待った。


「大丈夫よ、ロビン。お姉様がおまえのこともしっかり守ってあげるからね」

「ありがとうございます……。でも、僕が転ばなければ、お姉様は絶対に迷子になっていましたよ」

「あら、私もう来年には騎士学院に入るのよ。迷子になったりしないわ!」

「ロビンハート、ヴィクトリアの手をしっかり掴んでるんだよー」

「もちろんです、お父様」

「お父様ってば、ちょっと心配性が過ぎるわ」


仕方ないわね、と肩をすくめたお姉様は、その直後に美しいドレスが飾られた店を見つけると「あれは何かしら!」と元気よく走り出した。

お兄様はまるで巨大な犬の散歩をする飼い主のようにずるずると引っ張られていく。


「おいおい、お父様を置いて行かないでくれよー」


お父様は、広場に常駐しているらしい身なりの良い使用人に銀貨を渡して馬車を預けると、私を片腕に抱えたまま二人を追いかけた。

実際、お姉様でなくても王城前に広がる街は華やかで明るくて、心底わくわくした。


白い霧の向こうに、三本の塔を持つ立派な王宮が立っている。

その正門から続いているらしい大通りはどこも清潔で、灰色の石畳が敷きつめられていた。

赤いレンガ造りの店には大きな窓がつけられ、十字の木枠越しに色とりどりの商品がよく見える。

冬枯れた街路樹の下は、私達と同じように新年のための贈り物を探す中級、下級貴族でごった返し、赤や深緑色をした貴婦人のドレスが鮮やかにひるがえる。


妖精達もトーラス領とは違って、青白く光る半透明の馬や、赤い小さなトカゲに似た翼竜。銀色のヒレで宙を泳ぐ魚なんかが行き交っているのが面白い。


「お父様、あれは何かしら?」

「武器屋さ。ヴィクトリアにはちょっとまだ早いかなー」

「ねえレイア見てごらん。あそこに天球儀が売っている店があるよ」

「本当ですねお兄様……。あ、見てください。綺麗な羽ペンがあります!」


色んな店を見ていたら、ちょっと高価な食料品店に、トーラス子爵領のひまわり油がひっそり陳列されていた。


今までは、料理油と言えば、高い輸送費をかけて南の方の領地から運び込んでいたオリーブ油か、匂いのきつい動物油が主流だった。

ひまわり油は、そこに新たな選択肢として考えてもらえる程度には、良い味だったのだろう。

去年にはなかった、とお兄様が教えてくれたから、首都でもちょっとした評判になっていると見ていいはずだ。

そう考えると、やっぱりちょっと嬉しくて、私はふふふと頬をゆるめた。


季節の行事や飾りつけなんかを見て何となく察している程度だが、ここ三年でトーラス子爵領は、やや貧乏な貴族から、やや裕福な貴族くらいに、ひっそりと格上げしたのだと思う。

お陰で、新年祭に備える今日くらいは、ご機嫌な買い物にやる気を出してもそう罪悪感がない。


姉兄達と、きゃあきゃあ言いながら色んな店をのぞき込み、やがてたどり着いたのは小さな装飾品が並ぶ宝石店だった。


お母様に新しい首飾りを選ぼう、というお父様提案は、満場一致で賛成を得て、私達は飴色の扉の前に立つ。


「皆できるとは思うが、お行儀良くしているんだぞー」


はーいと元気よく返事をして、三人姉弟が店に入ろうとした瞬間だった。


ごーん、ごーん、ごぉーん……


重たく鐘が鳴り響き、私は驚いて足を止めた。

道行く人は誰も驚いた顔をしないけど、お兄様だけはびっくりした顔をしている。


鉄の臭い

鉄の臭いのする鐘が鳴る


黄金の王子様、黄金の王子様

夜空を見てたら

黄金の王子様、黄金の王子様

あっという間に真っ逆さま

よくばりな王様も、三人の王妃様も、不運な王弟様も、もう誰も王子様を戻せない


妖精が一斉に歌い出す。

あまりの大声に、私がさっと耳を塞いだのに気がついて、お兄様はさりげなく私の腕を取ってくれた。


「どうしたんでしょうね……?」


歌声は聞こえないながらも、お兄様も何か不穏な気配を感じたのか小さな声で囁いた。

はい、と小声で頷いて私は付け足す。


「湖にピクニックへ行った時も、こんな風に妖精が騒いでいました……」


そしてあの後すぐ、お父様のお姉様、私達の叔母様が落馬事故で亡くなったという報せが届いたのだ。

私は会ったことがなかったけれど、叔母様に憧れていたお姉様は随分と泣いていた。

それ以来、気まぐれに毎日将来の夢を変えていたお姉様は、絶対に叔母様のような騎士になると言って、とうとう本当に騎士学院への合格を取り付けてしまったのだ。


「ロビンもユレイアも、どうしたの? ほら、行きましょう! お店の中、とっても素敵だわ!」


呆然と通りを見ている私達を見とがめて、お姉様が駈け寄ってきてお兄様の手を引く。

私は、白く煙る霧の向こうに漂う城の影を眺めながら、手を引かれて宝飾店の扉をくぐっていった。


  *


「いらっしゃいませ。ようこそおいでくださいました。新年の贈り物ですか?」

「ああ。妻へ贈りたいんだが、いいものはあるかな?」

「もちろんでございます。そちらへお掛けください。お姉様方もどうぞ」


店員さんに促され、お姉様はさっきまで走り回っていたのが嘘のようにとびっきりおすましして、凜とてきぱきした所作で腰かけた。

お兄様も変わらず優雅な仕草で隣に座るので、お父様にそっと座らせてもらった私も精一杯背筋をのばす。


「こちらはいかがでございましょう? 質の良いエメラルドは中々手に入りませんが、当店ではこのように小鳥の瞳にはめ込んだものがございまして……」


店員さんが商品が書かれた冊子を見せてくれるので、家族は身を乗り出すようにしてあれやこれやと選び始めた。

ただ、私は座高が低いので、中々ソファに座ったままだと冊子が見づらい。

代わりに壁際の棚を見回すと、冊子にも書いてある商品がずらりと見本として並び、厳重にケースに納められている。


ふと、ひときわ高い位置で、ガラスケースへ納められた首飾りが気になった。

細い銀糸のような鎖に通され、ごく小さなダイヤモンドがあしらわれているのは、歪んだ虹を閉じ込めたように淡く光る、雫型の宝石だった。

すぐ近くで、半透明の翼が生えたトカゲのような翼竜が、気持ちよさそうに寝そべっている。


「あれ……?」


妖精の涙だ。

どう見ても、領主屋敷の裏手に広がる森に落ちている、よく光る小石にしか見えない。

だというのに、美しく飾られた妖精の涙は、まるでこの店の目玉とばかりに、一番注目を集め、しかし手が届かないような高い場所に仰々しく飾られている。

私は思わず、店員さんが商品を取りに席を立った時を狙って、お父様の上着をそっとひっぱった。


「お父様、あれ、あれはお姉様がくれたものですよね? 森で拾って……」


こそこそと指をさしたら、お父様は唇の前で指を立ててしー、と囁いた。


「気付いちゃったか。ユレイアはめざといなぁ。だけど黙っててくれるかい?」

「どうしてですか?」


妖精の涙は、お姉様がよく取れる場所を教えてくれたので、私自身も楽しくてよく集めていた。

お陰で私の部屋のひきだしには、数年間かけて貯めこんだ妖精の涙が、大きめの木箱いっぱいに詰まっている。

いくらになるか知らないが、あれを売ればそこそこのお金になるんじゃないだろうか。お母様に豪華な贈り物を買ってあげられる。

首をかしげる私に、お父様は苦笑して声を低めた。


「あんまりこういう事が知られると、王都中の求婚者がお母様のところに詰めかけてしまうだろう?」


私はぱちぱちとまばたきをした。

どうやら、トーラス領で妖精の涙が拾えることは、知られていないらしい。

不思議そうな私の前で、お父様は肩をすくめておどけてみせた。


「お父様よりいい男はそりゃあいないだろうが、俺は小心者だから彼女が目移りしてしまったらと思うと気が気じゃないのさ」

「……わかりました、黙っておきます」


神妙な顔で頷いてから、私は黙って腕組みをした。

たぶん、トーラス子爵領は小さいから、大きな産業を持った時に訪れる、もろもろの面倒事を処理するだけの力がないのだろう。

それにしても勿体ないとは思うが、特別事を荒立てず平和に過ごせれば、それでいいのかも知れない。

うーん、と物思いにふけっている私の前に、ひょいと商品が書かれた冊子がさしだされた。


「ねえユレイア。お母様は緑の瞳で綺麗だから、エメラルドの瞳の小鳥がいいと思うの」

「ユレイア、お兄様は、肌の白いお母様にはルビーの薔薇がいいと思うのですが」


拳を握って力説するお姉様と、知的に指を立てて説明するお兄様に、私はくすくす笑って言った。


「お姉様もお兄様も、自分の瞳の色をつけてほしいんですねえ」


かわいいなと思って言っただけだったが、姉兄はうぐっと口ごもって顔を赤らめた。図星だったらしい。


「でもお母様、もう赤い石の耳飾りを持っていたと思いますよ」


さらにそう続けると、あっ、とお兄様が口に手をあて、赤い瞳のお父様が、器用に小さく口笛を吹いて目をそらした。

どうやら、もう既に贈ってしまった誰かさんが居たらしい。


子供三人からの視線を受けて、わざとらしく窓を見て道行く人を眺めていたお父様だったが、ふいに目を見開いて固まった。

私もつられてそちらを見ると、大きな窓に両手をついて、一人の背の高いお兄さんが店内を凝視している。

気になる商品があるというより、どう見てもお父様の顔を見て涙ぐんでいた。


「お父様、あの人お知り合いですか?」

「いやあ、はっはっは。ユレイアは可愛いなぁ」


お父様は素早く私を抱えて窓に背中を向け、せっせと頭を撫でてくれた。

けれど、すぐに飴色の扉が開き、さっきのお兄さんが店内に踏み込んでくる。


「隊長!」


青年がそう言って大股で近づいてきた。

よく通る声は感極まっていたが、お父様が頭痛をこらえるように額を押さえている。

彼が片肩にかけている短く赤い布を見たお姉様が、目を輝かせて「あれ、騎士の証のマントだわ」と耳打ちしてくれた。


「オーブに来られていたんですね。お久しぶりです、隊長」

「いや、もう隊長じゃないって」

「俺にとってはいつまでも隊長です」

「まあまあまあ、声が大きいよ。店の迷惑になるから抑えて抑えて」


そう言いながら、お父様はソファを立って、騎士の青年を店の隅に引っ張っていく。

私達は全員そっちが気になっていたけど、ちょうど店員さんが候補の商品を持ってきたので、追いかける訳にはいかなかった。

だが、ぼそぼそと続けられる会話のせいで、贈り物を選ぶのにも身が入らない。

とうとうお姉様は私の手を握り、こしょこしょと低い声で耳打ちした。


「ユレイア、あなたは賢くて記憶力がいいわ。ちょっとお父様のところに行って話を……」

「いいえ、駄目ですよお姉様。ユレイアは諜報の真似事なんていたしません」


さっと私を抱えたお兄様の腕をぺちぺち叩いて、私はくるりと首を斜め後ろにひねった。


「お兄様、私、行きたいです」

「流石ユレイアだわ! ね、ね、ロビンいいでしょう? お父様には、全部私が頼んだって言うから」

「私もお役に立ちたいです、お兄様」


姉妹に揃ってじいっと見つめられて、お兄様は、うう、と呻いた。


「その……レイアは諜報なんてしませんけれど……ええと、ただ、僕達が選んでいる間に退屈して、お店を歩き回ってしまうことはあるかも知れませんね。そうしたら、ちゃんと見ていなかった、僕達の責任です」

「うふふ、ロビンなら分かってくれると思ったわ!」

「はい、お兄様。私、すっかり退屈してしまいました!」


私は大きく頷くとにっこり笑ってソファから飛び降り、忍び足でお父様の方に歩いて行った。

一応、店の中を見ているというふりをして、商品を眺めながらうろついた。

さ動物をかたどった耳飾りが並ぶ商品棚の影へさりげなく近づき、お父様達の話しに聞き耳をたてる。


「戻ってきてください、隊長!」

「だから、買いかぶりすぎだって」


暑苦しい青年の声に、お父様の困ったような笑い声が重なる。


「何を言っているんですか、俺にとってはいつまでも隊長は隊長です。隣国との戦は、スペラード家のお陰で……」

「まあまあ、昔のことだよ。放蕩息子は無事に婿入りして勘当されてるからさ。頑固親父は俺のことを許しちゃくれないよ」

「そんなことありません! 将軍伯爵はいつだって、隊長のお帰りをお待ちしています」

「やめてくれって。どうしてたたき上げの騎士っていうのは声が大きいんだろうな。鼓膜が割れちゃうよ」

「す、すみません。ですが、本当に俺達は今、真の主の帰還を求めているんです」

「偉大なる親父がいるだろ?」

「わかっておられるでしょう。跡継ぎのお姉様が、二年前落馬事故でお亡くなりになって以来、スペラード騎士団はおかしくなってしまいました。規律は保たれていますが、陰気で、希望がなく、笑い声ひとつない……。隊長が居た頃とはまったく別物です」

「相変わらず強いんだから、いいじゃないか」

「よくありませんよ! 隊長、言っていたじゃないですか、張り詰めるだけじゃすぐ折れちまう、辛い時でも笑っていこうって、それで俺はあの戦場から帰れたんです……!」

「すまないけど」


騎士の声を遮って、お父様はため息交じりの低い声を出した。


「俺はもう、トーラス子爵家のただの夫で、父親だ。それが一番、俺にとって幸せなんだ」


なおも食い下がろうとする騎士に「子供が待ってるから」と言ってお父様が背を向ける。

私は棚の影からそろそろと足を忍ばせて抜け出すと、今度は手頃な値段の水晶が飾られている商品棚の影に隠れて、うろうろとあちこちを見てまわるふりをした。


「決められたかい?」


お父様がそう言っているのを聞きながら、お姉様達のところへ歩いてく。

私は、うなだれた青年がとぼとぼと店の外に出ていくのを、棚の影からじっと見つめていた。

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