第13話 幸福な新年祭
首都の子爵屋敷は、無事に今夜新年を迎えられる事を祝って、華やかに飾り付けられていた。
新年の基準は冬至で、最も力を失った太陽が復活することを、光の主神に感謝して、眠り続ける回帰の竜が良い夢を見られるように祈る。
玄関ホールから入ってすぐの大広間には、主神による光の祝福を現す緑のリースがいくつも飾られ、その周囲には弟妹神の加護を象徴する色とりどりの蝋燭がいくつも灯された。
温室から切ってきた銀雪の薔薇が生けられた花瓶からは華やかな香りがして、屋敷中の人間は銀色の晴れ着をまとっている。
外は雪嵐だったが、パチパチと暖かに燃える暖炉の前には寒さも暗さも届かない。
お父様が大きなピアノを軽やかにつま弾く中で、せーの、と声を揃えて、三人きょうだいは小さな箱を揃ってさしだした。
「「「お母様、新年おめでとうございます!」」」
お祖父様とお祖母様が、ぱちぱちと暖かな拍手を送る中、お母様が微笑んだ。
黄金の指輪をはめた手が、黒い長方形の箱を開く。
中から現れたのは、大ぶりのブローチだった。
エメラルドの葉とルビーの花びらを持つ薔薇の上にたたずむ、アメジストの瞳をした一羽の銀の小鳥だ。
結局色々話し合って、全員の色が入っているのがいいだろうと、首飾りからブローチに変更になったのだ。
「まあ、きれい……」
色蝋燭の光に照らし出され、お母様は、いつもよりなお一層美しかった。
新年を祝う銀のドレスは、金羊の羊毛が織り込まれて、動くたびにきらきらと光っている。嬉しそうに微笑んだお母様は、金の刺繍で飾られた襟元に、その場でブローチをつけてくれた。透きとおるような白い頬を薔薇色に染めて、ため息をつく。
「ありがとう、大切にするわね」
ブローチの近くに妖精が歓声をあげながら近づいていき、ころころと鈴のように笑いながら幾度も光る。
お母様はたおやかな笑顔を浮かべたけれど、目元がちょっと濡れていたのは見間違いではないと思う。ぐったりするまで話し合い、選びに選んだ甲斐があったというものだ。
お母様から三人まるごとぎゅっと抱きしめられて、私達はしきりと照れた。
「お母様も、新年の贈り物ありがとうございました。天球儀と星図盤、大切にします」
礼儀正しく胸に手をあて、優雅に礼をしたお兄様が幸せそうに微笑んだ。
それを皮切りに、私とお姉様も一斉にさえずるようにお礼を言う。
「お母様、新しい歴史の本と、物語の絵本、とっても欲しかったんです。私、いっぱい読みます」
「お母様、新しい乗馬用の靴、とっても嬉しいわ! 手入れの道具も。私、騎士学院に行ったら毎日これでお手入れしますから!」
お姉様にそう言われて、お母様は感慨深げにため息をついた。
「そうね。もうトリアは来年にはお家を出てしまうのね。あなたはとびきり明るくて綺麗な声で笑うから、私、きっと寂しくなるわ……」
ちょっと緑の目を潤ませたお姉様は、けれどにっこり明るく笑って胸を張った。
「大丈夫よ、お母様! 私、とっても立派な騎士になって、絶対、家族に近づく悪い奴らみんな倒してあげるから!」
「お姉様なら本当に出来そうで怖いですね……。それじゃあ、僕は、お姉様がおられない間、レイアを膝に乗せて勉強を教えてあげます」
「それはあなたが楽しいやつじゃない、ロビン?」
「だって僕も来年から貴族院の寮暮らしですから。残り短い時間を、レイアと楽しく過ごしたいんです」
「まだ一年あるじゃない!」
「ねえお兄様、寮に行っても、お休みには帰ってきてくれますよね?」
「勿論ですよ。お手紙もいっぱい書きます。お土産も沢山贈りますからね」
「お土産よりお兄様がいいです……」
「ユレイア……」
「ねえユレイア、お姉様は? おーねーえーさまーはー?」
「お姉様、騎士学院、いかないでほしいです……」
「え、困ったわ! それは困っちゃうわ! ごめんなさいユレイア、お土産をいっぱい買ってあげる約束をしたかったの!」
泣かないでー! と悲鳴をあげたお姉様が、鼻をすする私をぎゅうっと抱きしめる。
お姉様の腕の間から、珍しく、ちょっと羨ましそうな顔をしたお兄様が袖を掴んだのが見えた。
「まあロビン! なんてかわいい私の賢い弟!」
顔中で笑ったお姉様が、私から腕を放してから、顔を赤らめた少年を抱き上げた。
「やめてください、僕は、ユレイアを抱きしめてあげたかっただけで……うわあっ」
「お姉様、お姉様! お兄様が落ちます!」
「大丈夫、私これでも力持ちよ!」
流石、騎士学院に行くことが決まってるだけあって、うわー! と悲鳴をあげるお兄様に構わず、くるんと回っても落とさない。
ハラハラしながら長男を物理的に振り回す長女を見守っていたら、お父様がパンパンと手を叩いて声をかけた。
「さあ、おてんば姫。弟を離してやってくれ。そろそろ夕食の用意が出来たみたいだ」
扉の方を振り返れば、有能なる侍女シーラが、銀の料理ワゴンを運んで来たので、大広間はあっという間においしそうな香りに包まれた。
お姉様が歓声をあげ、ちょっと目を回したお兄様が、わあっと微笑む。
私がはしゃいでいる間に、凝り性の料理長と、アマガエルよりおしゃべりな弟子が腕によりをかけた新年のごちそうが、大広間のテーブルに並んでいった。
ハーブをすり込んで焼いた骨付き羊肉の塊と、山盛りのマッシュポテト。さっくさくの山盛りの唐揚げに、酢漬けのオリーブ。
ほくほくの根菜をたっぷり詰めた鳥の丸焼きに、チーズをたっぷりかけて焼いた白身魚の包み焼き。
湯気の立つとろとろのシチューは銀の容器にたっぷり入って次々と注がれ、特別に今日のために出したガラスのグラスには、薄めた林檎酒がしゅわしゅわと注がれた。
バターの塊を添えてあるのは、夏に摘んだベリーで作ったパイと、糖蜜をたっぷりかけたレモン酒風味のクラッカー。
私はお腹がきゅうっと鳴って、慌てて白いテーブルクロスが垂らされた長テーブルに腰かけた。
「では、私達の新たなる年を祝って」
全員が食卓に着いたことを確かめた御母様が、グラスを掲げて挨拶をする。
光の主神に祈りを捧げて感謝を終えると、楽しい食事が始まった。
目の前で切りわけてもらった鳥は、皮がパリッパリなのに肉汁と野菜の水分がスープみたいにあふれて、お皿に流れ出す。
「おいしい! ああ、騎士学院に行ったら、この料理が食べられなくなっちゃうなんて辛いわ」
「ユレイア、そっちの羊肉食べましたか。おいしいですよ」
「お兄様も、白身魚の包み焼きを食べてみてください。たぶんお兄様の好きな味です」
「チーズの上に、マッシュポテトを足して、羊肉のソースを垂らしてみるといいかもしれないわ」
「お母様、それとっても禁断の味ってやつだわ! 私もやってみようっと」
お姉様が、給仕に頼んでバターの風味たっぷりのマッシュポテトを取り分けてもらうと、びっくりした顔で「禁断だったわ!」とお兄様に告げた。
しゅわしゅわと冷たい林檎味のグラスを傾けて、にこにこ眺めていた私は、ふっと耳の端で、お父様がお祖父様と話している声を拾い上げた。
「やっぱり、あの子は騎士になるつもりかぁ……」
「いい機会だ。ランドルフ君もお父様に会いに行きなさい。私達だけ可愛い孫を独り占めしているなんて、道理にあわない」
「いえ、それはまだ……子供達も小さいですし」
「そうかね。だがいずれ話し合わねばならないことだ。私はつねづね、あの実直なお方から、こんなよく出来た息子を奪ってしまったようで、寝覚めが悪いと思っていた」
「……会うと、怒ってしまいそうなんです。お義父様と違って、話を聞いてくれない人ですから」
「だったら、私も行こう。君の話を聞いてやってくれと、一緒に頼ませてくれ」
お父様が、何か小さくお礼めいたことを呟いたけれど、お祖母様が途中でパンパンと手を叩いたので聞き取れなかった。
「まあ重要な事だけどね、その話は後にしようじゃないか。そろそろ皆もお腹が満たされてきただろう?」
私はきょとんとしたけれど、他の家族は心得たようにうなずき合っていた。
お母様がすっと立ち上がり、窓辺に寄ると、カーテンの影から何かを取り出して私の元に歩いてくる。
「ユレイアに誕生日の贈り物があるわ」
そう言って差し出されたのは、私の両手に収まるくらいの小さな木の箱だった。
よく磨かれて、細かい鎖のような模様がびっしりと入っている。
「え、あの、私のお誕生日は、もう少し先ですけれど……」
目を白黒させる私に、お姉様がにっこり笑ってみせた。
「だって当日には私がいないもの! だったら、一緒にお祝いしたくって」
勿論、当日にだって贈り物を届けるわ、と得意げに胸を張られて、私はきゅっと胸が締め付けられるのを感じた。
今年の誕生日は、きっとさみしいだろうと思っていたから、思わぬお祝いに鼻がちょっと熱くなる。
木箱を開けてみると、中には白い布が敷かれ、特別濃い色のエメラルドがはまった小さな指輪が差し込まれていた。
可愛いけれど、思ったよりも古びている。
不思議そうな私に、お母様が微笑んだ。
「我が家門に伝わるトリケの指輪よ、はめてみてね」
そう言えば、お母様の指にいつもはまっている金の指輪とよく似ている。
私はおそるおそる指輪を持ち上げて、一番太い親指にはめてみた。
それでも少しぶかぶかだったが、はめた途端に石から緑の光がふわっと放たれ、まぶしさにまばたきをする。
『指輪をはめたの? おめでとう』
耳元で親しげに囁かれて、私は振り返った。肩のあたりをふわふわ飛んでいた妖精が、私と視線を合わせて、嬉しそうに微笑んでる。
「妖精の声が……」
普段は、くすくすした笑い声や、きゃあきゃあとはしゃぐ声しか聞こえないはずだ。
妖精というのは、時たま不吉な歌を一斉に歌う時以外は、喋れないと思っていたのに。
『ああよかった、会いたかった』
『会いたかった、私達ずっと触れたかったのよ。私達の星の娘』
「星の娘?」
首をかしげると、妖精は私の頭にぽすんと腰かけて、そうよ! と頷いた。
今までは、どれほど近くても風のように感じるだけだったのに、はっきりとほの暖かい感触がある。
『あなたは新しい時を開く星の娘』
どういうことか問い正そうとした時、お父様が面白そうな声をあげた。
「レイア、頭がくしゃくしゃになってるな。こいつは妖精の仕業かい?」
「あ、はい……」
私は頷いて、自分の周りではしゃぎまわる妖精を見て、胸に泡立つような喜びがわき上がってくるのを感じた。
私がこの世界に生まれて初めて見たのが、妖精だ。
彼らは何もしてはくれなかったけれど、いつだって親しげにそばに居てくれた。
「お母様、ありがとうございます」
彼らがもっとはっきり見えるだなんて、こんなに嬉しい誕生日の贈り物はない。
「さて、お父様からはこれだ。ラピスラズリで出来たフクロウの首飾り」
「ユレイア、お誕生日おめでとう! 私からも贈るわ。私が作った、妖精の涙の耳飾りよ」
「ユレイア、僕からはこれです。一番きれいな羽ペン。これで一緒に勉強しましょうね」
その後、お祖母様からは人魚の花を干して作った万能の煎じ薬を、お祖父様からは温室で咲く銀雪の薔薇から作った香油をもらった。
煎じ薬の効果はかつて溺れかけたお兄様でよくわかっているし、眠れない夜にはよく誰かしらが香油を焚いてくれる。
家族の贈り物はどれも嬉しく、私はずっとあわあわしながら、綺麗に包まれた箱をもらうたびに何度も何度もお礼を言った。
ほっぺたが熱くて、ぼうっとしてしまう。
こんなに幸せなことがあっていいんだろうか。
何度お礼を言っても足りない、と思っていたら、何故だかふいに前世のことを思い出した。
──チカちゃんに、お礼言いたかったな。
前世では、どれほど彼女に救われただろう。
あの日も、せっかくお誕生日プレゼントを用意してくれたのに、私が彼女に見せられたのは、石段から落ちた姿だった。
家庭の事情を理由に遠ざけないでいてくれた優しくて強い彼女に、恩を仇で返してしまったと思うと、胸がつきんと悲しく痛む。
「はやく……はやく大きくなって、お返ししたいです……」
せめて、今の家族にはちゃんと恩を返してあげたいと思って呟くと、お父様が頭を撫でてくれた。
「なーに。どれだけ大きくなっても、どこに行ってもお父様の娘だ。いつだって駆けつける。そんなに急ぐことがどこにあるんだい?」
お父様に軽口のように言われた、きらきら輝く贈り物のような言葉に、私はこくんと頷く。
胸が熱をもって、心が満たされて、どこか泣きそうだ。
「わ、私だって家族みんなに、ちゃんと別に新年の贈り物を用意していました。あとで、ちゃんと受け取ってください」
涙声をごまかすように言ったけれど、家族にはバレバレだったらしい。
お父様は愛おしそうに目を細めて、懐かしいあだ名で私を呼んで、頷いた。
「もちろんだよ、泣き虫姫」
その時だった。
妖精達が、急に一斉に歌い始めた。
鉄の臭いがする馬が走る
鉄の臭いの男を乗せて走ってくるよ
ついさっき聞こえるようになった、個々のささやき声ではない。
あれは、鳥のさえずりのように、同じように聞こえながらもそれぞれ個性というものがあった。
だが今妖精達の口から響くのは、まったく同じ音階で、まったく同じ声質だ。
まるで、誰かが妖精達の口をスピーカー代わりに、楽曲放送でもしているみたいだった。
指輪をつけているからこそ分かる違いに、私は動揺して妖精にたずねた。
「ねえ、どうしたの? 何があったの?」
お父様、お父様。鉄の馬が走ってくるよ、恐いよ
ああ息子よ それは雪嵐だ
お母様、お母様、鉄の男が来るわ、どうしましょう
ああ長女よ それは新年の使いよ
お祖母様、お祖父様。鉄の足音が響くよ、忍び足で迫るよ
ああ、そうだね、あれは鉄の臭い
トーラスに立ち上る 鉄の臭いだね
「お母様、ねえ、鉄の臭いって……」
お母様の顔を見て、私は言いようのない不安に襲われた。
「お母様……?」
トーラス子爵家当主の顔色は、今まで見たことがないほど青ざめ、震えていたのだ。
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