第25話 休日は伯爵と城下町へ
「外に出るならば武器が必要だ。この祖父を使って、必要なもの全て揃えるつもりで過ごせ」
そう言って、スぺラード伯爵は私を城下町へ連れていく約束をしてくれた。
老伯爵は『将軍』の二つ名の通り即断即決。
「街道の守護者。滝の上にて輝く剣にご挨拶申し上げます」
「四翼の鷲なる騎士団の主に、追い風のあらんことを祈ります」
「当主様、どうぞいってらっしゃいませ」
「ユレイア様、お気に召すドレスが見つかりますように」
許可をもらった夜から一週間後には、私はスぺラード伯爵と同じ馬車に乗って巨大な黒い門を出ていた。
ガララ、と重々しく巻き上げられた木の格子の下を通り、澄んだ水の堀にかかる橋を渡ったのが、お尻に伝わる振動でわかる。
「単にお茶会用のドレスを買いに行くとははいえ、昼間に黒翼城を出るなんて初めてじゃない?」
ウィルがわくわくした顔で嬉しそうに耳打ちする。
私も胸が高鳴るのが抑えられず、小さく頷いた。
そう、外出だ。正式な外出なのだ!
私は黒翼城に入って以来初めて、正式に外出することが出来たのだ!
窓からちょっと顔を出して振り返れば、沢山の騎士や侍女、家令や下働きがずらりと城壁に背を向けて一列に並んでいる。
城壁の隙間を幾度か曲がり、水の流れる堀を渡る。また門が現れ、開く。そして再び門が現れ、開き、また堀を渡る。
こういう厳重な警備をつけられるのは慣れているのか、ウィルは「飛び越える方が楽しかったなぁ」とぼやく。
だが、私は物々しい警備の門が、馬車を見つけるたびに、自動ドアのように次々と開いていくのにわくわくした。
何度か鎖で格子を上げる門を抜けると、やがて白い朝日の差す山道へ出た。
黒い城の背後には、空を切り裂くように山がそびえ、峰の向こうから吹きおろして来た寒風が鼻先を冷たくこする。
山肌に生える冬枯れた高い木々の梢の先には、綿を引き裂いたような真っ白い雲がさらさらと流れて、霧となって長くたなびいていた。
気づかなかったけど、ここはかなり標高が高いらしい。
「みてみてユレイア! 城下町の向こうまで見えるよ!」
「わあ……」
幽霊のくせに夜目の利かなかったらしいウィルがはしゃぎ、私も目をまぶしく細める。
山道から見下ろすスぺラード城下町は、闇に沈んでいた時よりもはるかに広く、色鮮やかだった。
私が幽霊騒動を起こそうとしてうろついていた灰色のレンガ造りの城下街は、しょせん大きな壁の中。
街を囲む黒い城壁の向こうには、山の裾野を埋め尽くすように、茶色い木で建てられた雑多な町が広がっていた。
「すごいすごい、下々の暮らしって感じがする! 見て見て、あんなに沢山の人が働いているよ!」
さりげなく失礼な王子様発言をしつつ、ウィルが顔を輝かせて、小屋のような家々を指さす。
下町はまるで、木くずをひとつかみ置いて、無造作にざらざらと掌で広げたかのようだ。
家々の屋根から朝の炊き出しの煙がまばらに上り、小さな点のような人々が細い通路を行き交っている。
城の堀から流れていた水路は、城壁の内側では一本だったが、下町に入ればみんなが好き勝手に引っ張ったのか、細かく枝分かれしていた。
小さな水路を目で追っていた私は、やがてそれら全てが一本の川に注ぎ込まれていくのに気づいてため息をついた。
「大きな川……」
「あの川何だっけ。地図では見た! 地図には書いてあったんだよ、えーと、えーと……そう、
ウィルの声に、へえ、と眉をあげる。
カウダ川は、雑多な町の縁でのんきに寝そべる、巨大な青い蛇のようだ。
下町の水路は、その腹に集まる、細くて青い枝だろうか。
街から伸びた巨大な川は、ゆったりとうねりながら平地の畑を流れていく。
秋の収穫を終えた畑は枯れ色で、この巨大な川に潤されて育った作物をたっぷり育てたのだろうと感じられた。
「日当たり抜群だけど、南向きも考えものだよね。やっぱり見晴らしも大事だし、平原の景色って新鮮だなぁ。展望用の部屋新しくもらえないかな?」
ちょっと新しいお茶を一杯、みたいなノリで部屋を要求している幽霊の無茶を聞き流して、私は少し窓から身を乗り出した。
巨大なカウダ川がどこまで行くのか見たかったのだが、川は少し下ったあたりで、物々しい砦に囲まれたと思ったら、急にぷつんと消えている。
何だろう、と首をかしげ、もう少しだけと身を乗り出した。頬に冷たい風が当たり、襟元のリボンがひるがえる。
「滝だ」
急にスぺラード伯爵が喋ったので、私はちょっと飛び上がった。
ウィルの「うわああ喋ったぁ!」という失礼な悲鳴が私の耳にだけ響く。
広い馬車の中で、ずっと黙って背筋を伸ばして座っていたので、正直石像が突然話しかけてきたくらいの意外性がある。
「……カウダ川は大断崖に至り、大滝となる。その下には、
ウィルは「えっ、この下カエルラ湖なの!?」と叫んでいるから有名な湖らしいが、私の方は心臓がばくばく言っていて、それどころではない。
今まで完全に黙っていたし、雑談、というのが骨の髄まで苦手だと思っていたのに。
目をぱちくりさせて振り返る私に、スぺラード伯爵はひとつ咳ばらいをしてから、口ひげを撫でた。
「気になるならば教えよう。……だから、座りなさい」
私はぱっと顔を赤くして座り込んだけど、その時、馬車が最後の堀を渡り、城下町へと続く門をくぐってしまったので、結局他のことは聞けなかった。
領主屋敷に一番近い城下町は、太陽に照らされて灰色の石を明るく輝かせる小道と、両側に商店の続いた並木道が広がっていて、いかにも整っている。
幽霊騒動の時に、夜な夜な抜け出してこの辺りに来たことはあるけれど、馬車から見るのはまた違った味わいだ。
そもそも、ほとんど屋根の上にいたから、道を堂々と歩くこと自体が新鮮だ。
前後に護衛の馬を四頭も走らせた私達の馬車は、がちがちに護衛で固められて、ずいぶんと仰々しい。ざわざわと声がして、物見高い領民が、何だなんだと集まっては、少し離れた場所で遠巻きに眺めているのが分かる。
もしかしたら、情け深い半そでおじさんや、勤勉な針子のお姉さんもその中に居るのかも知れなかったが、大人しく背中を座席に沈めていたので、確かめることはできなかった。
しばらく街中を馬車で走り、たどり着いたのは美しく飾り付けられた品の良い屋敷だった。
冬だというのに緑鮮やかな庭木の小道を抜けた先にある、広々とした玄関の前で馬車は止まった。
貴族の屋敷のように見えたが、たぶんここが仕立屋なのだろう。
トーラス子爵領の、ログハウスみたいにかわいい仕立て屋さんとはだいぶ規模がちがう。
スぺラード伯爵が馬車を降りたので、私も彼を追いかけて出口に立った。
それから自然な仕草で両手を上げて、振り返ったスぺラード伯爵に、いぶかしげな顔をされた。
「ユレイア、何やってるの?」
ウィルまで不思議そうに肩の近くで首をかしげてきたので、私は小さく息を吸った。
身体に染みついていた。
勝手に身体が動いて、当たり前に抱き下ろしてもらおうとしていたのだ。
もう、お父様はいないのに。
急いで両手を下ろして、うつむいた。慌てて馬車の扉のふちに手をかけ、階段のように何枚か突き出した台に足をのせる。
恥ずかしさと悲しさで、頬が煮えるようだ。
こんなにも、家族に大切にされていたことが仕草の中に残っていることが、ひどく寂しくて、心臓が変な音を立てていた。
「……こうか」
その時、がっちりと胴体を掴まれて、身体が斜めにかしいだ。
伸びて来た腕に慌てて捕まれば、スぺラード伯爵は、私を空中で持ち上げたまま腕を半端に伸ばして黙っていた。
そのしかめっ面は、猫を抱き上げたら予想以上に伸びすぎてどうしていいかわからず、黙って抱えている猫初心者のようだ。
私も、突然抱えられてどうすればいいかわからず、私たちは、一瞬お互い硬直して見つめ合う。
「抱え方が! 下手!」
ウィルが私の言って欲しかった言葉を大笑いしながら叫び、そのおかげで、私はつられて顔をほころばせた。
そのまま豪華な上着へ包まれた肩へ両手を伸ばして、くすくすと笑いながら言った。
「お祖父さま、ぎゅってしてください」
果たしてスぺラード伯爵は、生まれて初めてわらび餅を食べた外国人のようにおそるおそる、ぎこちなさ極まる仕草で私を胸の近くに抱え込んだ。
私は慣れたやり方でぎゅっと首にしがみつき「腕そっちです」「ちがいます、こっちです」などと指示を飛ばし、何とかスぺラード伯爵の腕に安定して座ることに成功した。
ふう、と一仕事終えた顔で周囲を見回すと、馬車を守ってくれていた年かさの護衛騎士達は、衝撃と動揺を隠せぬような目で私達を凝視し、直立不動の石像みたいになっていた。
屋敷から現れた、上品な茶色いドレスのご婦人も「ようこそおいでくださ……えっ?」と要ったきり固まって、それから胸を押さえて深呼吸している。
「子供が目の前でぼりぼり岩食べ始めたみたいな顔じゃないか!」
ウィルだけが、スぺラード伯爵の耳の近くあたりでふわふわとひっくり返り、思う存分腹を抱えて笑っている。
スぺラード伯爵はますますしかめっ面になったけれど、私は心から満足して飴色の扉を指さした。
「お祖父様は、私に何色のドレスが似合うと思いますか?」
途端に世界中の時が再び動き出したように、ご婦人や護衛騎士は慌ててせかせかと歩き出した。
*
貴族相手に仕立て屋を経営する商人達は、どことは言わないが、ちょっと貧乏な子爵家よりも裕福そうだった。
私が今過ごしている部屋くらいの大きさの応接室が布で埋もれてしまうほど、ありとあらゆる布地を持ってきては、あれが良い、これが良いと次々私の顔の近くにあてては微笑んだ。
あまりにも量が多くて、到底午前だけでは決まらず、結局おおざっぱに色と形を決めてから、休憩がてら庭の見える大きな窓辺のソファに案内された。
「はーー! 楽しかったね! やっぱり服選びは最高! ちょっと色の選択肢は狭いけど、久しぶりに色々見られて僕とっても満足だよ!」
ごきげんなウィルにニコニコと頷いて、私も茶器に手をのばした。
香り良いお茶と、バターたっぷりの焼き菓子に生クリームを添えた皿は、布を選びすぎて疲れた頭に心地よく染みわたる。
爽やかなハーブの香りを楽しんでいると、ややくたびれた風情のスぺラード伯爵が、重々しく口を開いた。
「訓練は、どうだ」
まるで戦争に使う軍馬の調子を聞くかのような言い方だから戸惑うが、これは最近の私の様子を聞いているのだろう。
今までは、家庭教師のアルマ先生に、興味のある本を読んで感想を伝える程度のことしかしていなかった。
それでも、大きな文字のアウローラ王国神話の内容をそらんじてみせるだけで、随分と優秀だと喜んで褒めてくれたのだ。
それが一転。
乗馬、剣術、発声練習、舞踏、礼儀作法。
物理的に体力が必要な授業の先生が次々と現れては、私にその技術を叩きこみはじめたのだ。
王宮に連れて行ってください。いいですよ。
そんな約束一つで、今日明日のうちに王宮に行くことが出来るとは思っていなかったけれど、スぺラード伯爵は思った以上に慎重だ。
「乗馬訓練は、この間初めて速足で走ることができるようになりました」
「あの速度は速足じゃないよ! どう見ても全力疾走だったよ! 小さなレディにやらせる速さじゃなかった!」
ウィルが額を押さえて叫んでいるけど、スぺラード伯爵家の騎士や使用人が全員「あれは速足」と言っているから多分速足なんだと思う。
自分で習ってみて初めて知ったけれど、ヴィクトリアお姉様は天才だったと思う。
よく一緒に乗せてもらっていたから乗馬なんて簡単だと思っていたけど、とんでもない。
気の良い、優しい馬にほとんど任せてはいるけれど、とにかく速さを怖がらないでいられるのに時間がかかった。
「そうか」
静かに、けれど満足そうにスぺラード伯爵が頷くので、私は続けた。
「基礎的な剣術は、少し苦手です。でも、この間先生の武器を一本、奪う事ができました」
「あれ基礎って言ってるけど、どう見ても暗殺者対策に特化してたからね……?」
だいぶ引いた顔をしているウィルが、ぼそっとぼやく。
「発声練習は、先生に前の倍声が出るようになった、と褒められました」
「言っとくけど、あれ子供にさせる量じゃないからね! あんなに腹筋させて可哀そうだと思わないの!」
私としては、腹筋中にずっとウィルが頭上でハラハラしていたから、笑いそうで大変だったのだけれど、彼としては大いに不満であるらしい。
「訓練は、辛くないか」
時折頷いて、黙って話を聞いていたスぺラード伯爵が、静かに尋ねる。
ウィルは私の隣で半透明の腕を振り回し、
「わかりにくい! 説明不足! 騎士団に所属させるのかと思った!」
と力いっぱい不評を叫ぶ。
けれど、私としては、不審者からの逃亡手段、その場で戦う力、とっさに悲鳴をあげる力をとにかくつけさせようとしているのが分かったから、体は辛かったけれど文句はない。
「出来ないことが、出来るようになるのは面白いです。でも……一週間後のお茶会は、少し急ではありませんか?」
軍属らしいきっちりとした訓練と並行して、スぺラード伯爵の黒翼城が『春の訪れを願い、日々戦う騎士達をねぎらう』という名目でお茶会を催すと知らされたのは昨日だ。
喪中だから華々しく私の名を使わないが、そこで、私という新たなスぺラード伯爵家の孫娘が、お披露目という形になるのだろう。
「不安か?」
「ちょっと……」
舞踏と、礼儀作法の先生は優しいのだけれど、大叔父さんと大叔母さんがいるのだと思うと、完璧にやらなくちゃいけないと思ってどうにもうまくいかない。
それに、ウィルが片手間のように真似る仕草が、先生よりはるかに優雅なあたりもちょっと落ち込む。
流石に、宮廷の最高峰だと思いたいが、ウィルが平均だったらどうしよう。
「急な予定を組んだ。ひとつふたつ、慣れないのは仕方がない。だが、目的のためにやるべきものだ」
少し眉間にしわを寄せ、ぼそりと呟くスぺラード伯爵に、ウィルがひょいと肩をすくめた。
「あー、まあ、お茶会に関しては、まあ、わかりやすい甘やかしだもんね」
そこの感覚は私にはちょっとわからない。
よくわかっていない顔の私に気づいたのか、ウィルがふわふわ漂って私の横に腰掛け、洒落た仕草で足を組んだ。
「つまり、お茶会は王宮に向かう前の前哨戦なんだ。選りすぐりの良さげな紳士淑女を集めてあげるから、好きな子とお友達になって味方につけて王宮で安全に過ごしなさいってことだよ」
そんな武器商人の市場みたいなことをお茶会という名前で開催しようとしていたのか。
「そもそも、わざわざあの『将軍』伯爵がお茶会開くんだもん。周囲に対して盛大に『うちの孫娘をよろしく』しつつ『しなかったらわかってるよな?』って言ってるんだよ」
そんな上司の娘への接待会のような手段でお友達を集めるのは、ちょっと嫌かも知れない……。
だが、そんな甘ったるいことを言っていられる状況でもないのだ。
やれる事はすべてやらなければ、私はリチャード王弟の影も踏めないだろう。
その手助けをしてくれるのだったら、全てありがたく受け取るべきだ。
ウィルの話を聞いていた結果、そこそこ長い間黙っているのが気になったのだろう。
スぺラード伯爵は、静かに茶器を置いて「他に」と低く呟いた。
「何か望むことは、あるか」
私とウィルの発言は同時だった。
「いえ、これで十分です」
「いくらでもあるに決まってるじゃないか!」
これだけやってもらって何を……と思いながらごまかすようにお茶を飲んだが、ウィルは腰に手を当ててスぺラード伯爵を、あたかも王太子殿下のごとく偉そうに指さした。
「スぺラード伯爵は、伯爵としては素晴らしいけど、お祖父さまとしてはちょっとわかりづらいよ!」
それはそう、と思わずお茶を飲みながら思った。
「もっと愛してるって言うとか、頭を撫でてあげるとか、会ったら嬉しそうにするとか、膝に乗せて昔話を聞かせてあげるとか、やれることなんかいくらでもあるじゃないか!」
あまりにもわがままなウィルの言い様に頷くのはちょっとしゃくだったけれど、全面的に同意するしかない。
ここ五年で、私の家族が雪のようにしんしんと注いでくれた愛情は、表情も言葉も惜しまぬ形のものだった。
愛情には色んな形があるけれど、そして、向き不向きがあるのはもちろんわかっているけれど、それでもやっぱり、少し寂しい。
率先して愛していると言ってくれたのはお父様だったから、もしかしたら、スぺラード伯爵の反面教師だったのかも知れない。
私の表情を読み取ったのか、聡い幽霊は調子に乗って「言葉にしないと伝わらないよ! はい、はい、はい!」とリズミカルに手を叩いている。
比べることはしたくないけど、せっかく聞いてくれているんだから、少しぐらい要望を言ってもいいかも知れない。
しばしの沈黙の後に、何度か深呼吸してから、私はおそるおそる告げた。
「でも……もしできるならば、お話を沢山、聞かせて欲しいです」
スぺラード伯爵は、どこかほっとしたようにひとつ息をついて、頷いた。
「ランドルフのか」
「何でもです。黒翼城のことも、城下町のことも、お祖父様のことも」
スぺラード伯爵は、急に難題を押し付けられたかのように、眉間にしわを寄せてから、ぼそりと低く呟く。
「面白い話はあるまい」
「お祖父様は、自分用の新しいお衣装は仕立てないのですか?」
「式服ならば腐るほどある。家令に任せればどうとでもなるだろう」
え、と私は小さく呻いた。
スぺラード伯爵家ではこれが普通なのかと思っていた。
すごいなあ、流石伯爵だなあ、と思っていたのに、どうして当主を差し置いて私だけ服を作ってもらっているのだ。おかしいだろう。
ウィルも「えっうそ質素倹約すぎない?」と引いた顔をしているじゃないか。
「そんな、お祖父さま。えっ。そんな……私は作っているのにですか?」
「葬列のパーティーは三日続く。同じものを着るわけにもいくまい。夜会服と昼の服、予備も含めてあと三着はあつらえる」
なんてことだ、午前に選んだ三着だけではまだ足りなかったというのか。
呑気に「わあいやったぁ!」と喜んでいるおしゃれな幽霊を黙殺して、私は極力震えないようにしながら、かちゃんと茶器を机に戻す。
「帽子と襟を変えて飾り方を工夫すれば十分です!」
お母様はそういうのがやたらとうまくて、帽子と襟とスカーフとオーバースカートの組み合わせを変えることで、どう見ても新作にしか見えないドレスを虚無から十着は錬成していた。
あそこまですごいことは中々できないだろうが、大なり小なりどこの子爵家でもやっていることだと思う。
アメリは裁縫がうまいのだから、ここで購入した三着があれば、この先二シーズンは余裕で着まわせるはずだ。
「乗馬服も、運動着も、沢山いただきました。小さな騎士の鎧までいただいてしまったんですよ!」
「あれは元からあったものだ」
「いやあの新しさは嘘でしょ。絶対にジョセフィーヌさんのじゃないよ、使った形跡ぜんぜんなかったし」
鎧は高価なのだ。貧乏騎士は自分の叙爵用の鎧を買うために、王都や領地に向かう貴族の護衛をして、五年は金策をするのに。
「お祖父様、叔母様は頂いた鎧を新しいままに置いておく方ではなかったと聞いています」
嘘をつかないで、と遠回しに言えば、スぺラード伯爵はわずかに窓の方へ視線を走らせ「嘘ではない」と呟いた。
「外に出るならば武器が必要だ。この祖父を使って、おまえに必要なもの全て揃えるつもりで過ごせ」
言いながら、給仕の者が来るのを待たず、自分の手で茶器にお茶を注ぐ。
淡い湯気が、カップの上にふわりと立つ。その儚い影が、老人の声と共におだやかに揺れた。
「どうせ、孫のために作るだけ作って送れなかった乗馬服など、いくらでもあるのだから」
私は目をぱちくりさせてから、黙ってお茶を飲んでいる老人の耳元を眺めた。
お父様とよく似た少し大きな耳の上が夕焼けのように赤い。
「……はい」
私は、切ないような嬉しいような気持ちで泣き笑いし、彼にならって暖かなお茶を静かに飲んだ。
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