29話 公爵令嬢の忠告
清楚に微笑むご令嬢を前に、私は言葉の意味を理解するまでに、ちょっと時間がかかった。
ウィルの元婚約者。
こんやくしゃ。
はあ。
そら、いますよねぇ……。
王太子殿下だったという言葉を信じるなら、それこそ三歳とか、生まれる前からそういう相手が決まっていても全然おかしくない。
ただ、いつも肩のあたりでふわふわと斜めになったり逆さになったりしながら好き勝手気楽に喋っている姿しか見ていないと、何というか現実感がない。
本当にいるのか……という、テレビの向こうの有名人が学校に来たような驚きを感じてしまう。
そして当のウィル本人は、私の背中に半分隠れながら、気まずそうに目をそらしているのが何とも言えない。
こんな可愛いお嬢様に対して、何をやっているのだろう。
侍女アメリがさりげなく私の腰に手を当てて、優しく前に押し出したので、私は慌てて紺のドレスをふわりとつまんで一礼した。
「カエルレウム公爵令嬢、お会いできて光栄です。あまりのお美しさに驚いてしまいました。まるで澄んだ湖が形となったようです」
改めて見ると、青い瞳と髪のカエルレウム公爵令嬢は清楚できゃしゃで、本当にお世辞ではなく、澄んだ水の雫のようだった。
ウィルともしも並んだら、金色と青色の二対の人形のようで、さぞかし絵になっただろう
「ありがとう。スペラード伯爵令嬢も、夜空で輝く星のような美少女だとは聞いていましたが、本当にお可愛らしいのですね」
そつなく微笑んで胸に手を当て、軽く目を伏せる略式の礼をした少女に私は内心舌を巻いた。
貴族の息女だったら珍しくはないのだけれど、それでも彼女は抜群に対応が大人びている。
おそらく、とても小さな頃からお茶会というものに慣らされて、大人と同じ対応をすることを求められていたのだろう。
ロビンハートお兄様は本当に優秀で周りからも評判だったけれど、それでもここまで完璧に『姿だけ小さな大人』という雰囲気はしていなかった。
「とても素敵なお茶会ですわ。無理を言って来てよかった。私は招かれざる客ですから、どうか気楽になさってね」
「まあ、そんな」
侍女アメリに案内されて席に着きながら、私は頭を必死に働かせた。
ウィルから変な追加情報までもらってしまったけれど、そもそもこのお茶会に急にこんな高貴な令嬢が来る予定はなかった。
招待客は私よりも身分が低い貴婦人ばかりなので、たとえ助け船でも途中で口を挟むことはできない。
主催者の孫娘である私を、緊張した顔で、あるいは微笑んだまま、またあるいはあからさまにハラハラした顔で見守るだけだ。
ウィルが、本当に幽霊みたいな陰気な声で「探りを入れるよ……」と囁いて、私の肩近くでひそひそと低い声を出すので、仕方なくその通りに喋った。
「スペラード伯爵領の華やかなお茶会ですもの。カエルラ湖の青い宝石も、つい崖の上まで引き寄せられてしまいますわ。お好きな色の花はありましたか?」
どんなご用があって来たのですか、というのはこんな言い回しができるものなのか。
やはり、どう考えても貴族社会の高貴な会話はウィルの方が上手くやれる。
案の定、貴婦人達から、感心したようなため息がもれた。
カエルレウム公爵令嬢だけが、完璧な微笑みを浮かべたまま微動だにしない。
「そうですね。やはり私は湖のほとりに澄んでいますから、青い花が好きです。特に今日は、紺の花が気になります。どうしてか、喪われた高貴な方を思い出すのです」
上品な言い回し過ぎて何を言われているかわからない私の代わりに、ウィルが背後で「うわぁ……」と何とも嫌そうなうめき声をあげた。
「今日、紺のドレス着てるのはユレイアだけだよ。君が目当てで来たんだってさ。公爵令嬢が高貴って言うような相手は王族だけ。最近喪われたのは僕ひとり。つまり、王太子の葬式に、縁もゆかりもない君が何でわざわざ来る予定なのか気になって探りに来たんだよ、公爵令嬢ご本人が……!」
うつろな声で「ちょっと膨らんだ袋をつっついたら、勢いよく破裂して中から蜂が飛び出してきたみたいだ」と付け足したウィルの機嫌はかつてないほど低空飛行だ。
こんな可愛い元婚約者に失礼じゃないだろうか、とは思いつつ、そんな反応をされると、こっちも緊張してしまう。
なんとか愛想笑いを浮かべながら、私はちょっと小首をかしげてみせた。
「……同じような雨にうたれた高貴な方に、勝手に思い入れる花など、珍しいものでもありませんよ」
「馬鹿ユレイア! 探り入れてるだけなんだから、君が王太子に関心があることを肯定しちゃ駄目じゃないか!」
なんてややこしいんだ腹の探り合い!
代わって欲しい。得意な人が代わって欲しい!
もっと早く言ってよ! と内心悲鳴をあげていたちょうどその時、観覧席の頭上に、わっと青と白の花びらが降り注いだ。
慌てて顔をあげれば、木立の影で馬にまたがった人影が、手すり越しによく見えた。
彫刻のように美しい顔立ちの神官が、弓を手に持ったまま微笑んでいる。
彼が、かなり高い位置の袋を、ほとんど同時にふたつ射貫いたらしい。
普段、筋肉の過剰摂取に辟易しているスペラード家の若い侍女達が、ついついきゃあきゃあと黄色い声をあげて手を振った。
ちらと口元だけで微笑んだ神官が手を振り返したので、その歓声はますます大きくなる。
騎士達にとっての見目の良さというのは、引き締まった腹や肥大した筋肉の総合力で決まる。
重要視されるのは目鼻立ちではなく努力が一目で見て取れる体格であり、結果、まあそこそこ全員いかつい。
だからこそ、たおやかな柳のような風情のある青年がこれほどまでの技量を見せるのは、どこか非現実的で、おとぎ話の妖精騎士のようなのだろう。
「あら、見事な腕ですね」
カエルレウム公爵令嬢が、そう言って神官を褒めた。
そのおかげで、今まで話題に入れず見まもっているだけだった貴婦人達も、ほっとした様子で口々に頷いては、珍しい参加者の健闘を讃え始める。
「ええ、スペラード伯爵家の騎士に比肩するなんて、中々出来るものではありませんわあ」
「街暮らしの灯火神官ではなく、王宮に仕える巡礼神官だそうですから、きっと鍛えていらっしゃるのよ。竜背山脈に建つ神殿を巡って、一年のほとんどは山歩きしているのですって」
「まあ、ローブで分かりませんでしたわ。細い方だと思っておりましたのに」
また、観覧席に色鮮やかな花が散った。今度は黄色と赤の花びらだ。
侍女達から、また大きなため息が上がって、浮き足だった気配があちこちのテーブルで漏れる。
主人の許しを得て、観覧席の手すりの方まで見に行ってしまった者達の背中を、うらやましそうな視線が撫でていく。
少し離れた机では、シレーネ大叔母さんの傍らに居た若い侍女が、観覧したいとねだっていた。
けれど、シレーネ大叔母さんはさっきアースをあの神官に馬鹿にされたのがまだ許せないらしい。
つまらなそうにお茶を飲んで、あんなのに浮かれるのは馬鹿しかいない、という意味のことを聞こえるようなため息と共に吐き出している。
気まずそうな顔をした若い侍女達を遠くに見ていた私の耳元で、ウィルがぼそぼそっと指示を出した。
さっきのは駄目でこれはいいのか、と意外に思いながら、私は近くに控えていた若い侍女をひょいと見上げる。
「神官様を見てきてもいいですよ」
「あ、いえ。そんな。でも……」
「行ってきてください。あなた達は姿勢が良くて言葉遣いがきれいだから、きっと神官様にも気に入っていただけます」
「まぁ……」
見ていてくださったんですか、と小さく若い侍女が囁いた。
もちろんです、と頷いて、私はちょっと声を低めて微笑んだ。
「よい情報を持ってきてくれたら、お祖父様に褒めていただくように、言っておきますから」
「……本当ですか?」
ぱっと目を輝かせる若い侍女に、私は何だか、今まで悪いことをしたな、と少し反省した。
侍女達がこの屋敷で働き、認められるには、私が評価して、スペラード伯爵や家令にそれが伝わるしか方法がないのだ。
だけど、私は今までずっと老練な侍女アメリに何もかもを頼んでいた。
最初に会った時に、とてもさみしそうで、私と同じように傷ついていたし。
有能で、任せておけば何でも過不足なく用意されていたから。
でもそのせいで、結果的に若い侍女達は、私に無視されているように感じていたのかも知れない。
寂しいだけならばまだしも、評価されないとなれば出世の道は絶たれて未来に希望が持てなくなる。
それでも、アメリは長い間務めているし有能だからと思って我慢していたというのに、急に現れたイヴリンをあれこれ気遣って、細々とした世話を頼んでいたのだから、それは良い気分がしないだろう。
自分達の技術を売り込む意味がない相手だ、と判断されてしまっても仕方が無い。
「私、ちゃんとあなた達のことを見ていますし、沢山働いていてくれて嬉しく思っているんです」
申し訳なさと共に、最後だけはウィルに指示された訳ではない言葉を付け足した。
今度はウィルも、文句など言わずに「あ、いいねそれ」と頷いたのでほっとする。
「ユレイアお嬢様……!」
嬉しそうに微笑んだ若い侍女は、深く頷いて一礼すると、するする観覧席の端まで小走りに去っていった。
私が若い侍女を見に行かせると、他の貴婦人達もほっとしたように席を立ったり、自分の侍女を向かわせたりした。
「皆様も、神官様をご覧になってきてください。巡礼神官様は沢山いるでしょうが、彼がここに居るのは今日だけでしょうから」
カエルレウム公爵令嬢の一言で、他の貴婦人達も一気に席を立った。
こういうのも、主催者側の私が先にやらなくてはいけなかったのだろう。多分、彼女に気遣ってもらったのだ。
お茶会って、勉強することばかりだ。
だとしたら、私は自分の得意なことで補助するしかない。
ざわついている周囲を待ちながらケーキをつつくふりをして、私はウィルにしか聞こえないようなごくごく小さい声で、皿に向かって囁いた。
「私のお皿のケーキを全部あげるから、イヴリンとアメリを守ってくれる? 二人が悲しい気持ちにならないように、出来る範囲でいいから助けて欲しいの」
神官を見に行った侍女達が私に恩義を感じてくれればいいが、そうでなければまた二人が面倒をこうむるだろう。
私に出来るのはこのくらいだけれど、しないよりはマシなはずだ。
妖精達の姿はちっとも見えなかったけれど、私は居るものだと信じて、食べやすいように小さくケーキを一口大に切った。
「ユレイア。後ろちょっと見て」
ふいに、貴婦人達が席を立つ、ざわざわとした音に紛れて、ウィルが耳打ちする。
何でもない風を装って、こっそり振り返れば、私の傍に残った二人の専属侍女が、観覧席の方を眺めていた。
イヴリンは相変わらずの無表情で、試験管に入った虫を眺める生物学者のようだったが、一緒に立っているアメリは、わずかに眉間に皺が寄って不機嫌だ。
何でだろう。
これで若い侍女がイヴリンに優しくしてくれたら悪いことは何にもないのに。
そう思いながらも、ウィルに囁かれた言葉をそのまま小さく口に出した。
「これでいつも通りの、静かで居心地のいい場所になったわ」
「まあ……」
とたんに、ざわめきの中でも耳ざとくそれを拾ったアメリは機嫌を直し、やんわりと微笑んで背筋を正した。
「こういう忠誠心の高い侍女にとっては、悪事に手を染めたかも知れないのに、幼い主に気を遣わせてる若い侍女が気に入らないんだよ。ていよくユレイアが追い払ったんだと思ってた方が、アメリにとっては平和なわけ」
親切に解説してくれるウィルに、心の中でひっそり同情のため息をついた。
ウィル、偉い人って大変ね。
盗み見たアメリは満足そうだけど、やっぱりどこか、騙した気持ちになる。
この立ち回りは、ほとんどウィルのお手柄だけれど、私だったら、使用人たちをどうしただろう。
どうやってまとめただろう。
この場合、どう戦うのが正解だったんだろう?
ぼんやり考えていたら、いつの間にか、テーブルに残っているのはカエルレウム公爵令嬢と、私。それから私達の専属侍女だけになっていた。
主催者として歓待しなければ、と思ったのだけれど、その前に彼女が軽く手を振って、自分の侍女をさがらせてしまった。
ひた、とカエルレウム公爵令嬢の青い瞳がこちらを見る。
私が同じようにすることを疑いもしない、清楚な微笑みが浮かんでいた。
「秘密の話があるから、さがらせてって……」
ウィルが心底嫌そうな声で、無言で発せられる貴族語を翻訳してくれる。
傍についてくれる味方を自分から遠ざけるのは不安だったけれど、それでも私の所にはウィルが居る。
やったことはないけれど見よう見まねで手を振って見せると、アメリはちらっと心配そうな顔をした。
けれど侍女らしく一礼して下がり、堂々と胸を張ったまま私の傍を離れないイヴリンに気付くと、素早く彼女を回収して、再度下がっていった。
「あー……やだーー……この空気、ほんっとうにやだ……。呼び出しじゃん……個別の呼び出し……胃がねじれそう……」
何かしらのトラウマでもあるのか、私よりもよっぽど嫌そうなウィルが美しい顔を呪い人形みたいに歪めて肩の近くで漂っている。
助力を期待していいのか不安になっているところで、カエルレウム公爵夫人が、優雅な仕草でお茶を飲んで微笑んだ。
「よい采配ですね」
急に何を褒められたのか分からなくて、ウィルに耳元で言われた通りに「まあ、光栄です」と微笑んだ。
「やがてあの侍女達は、あなたを慕うこととなるでしょうね。大叔父様の夫婦や、その息子ではなく」
ウィルが死ぬほど嫌そうな顔で「どこまで内情出てってるの! 恐いよ! 誰、情報漏らしたの、誰!」と悲鳴をあげている。
「そういうつもりで許しを出した訳では……」
私が思わず素になって答えたら、あら、と笑みを深められてしまった。
「そういうつもりだった時の方が、まだ誰にとっても救いがありますわ。侍女達にとっても、あなたの親戚にとっても」
追い落とすつもりだった方がいいはずがないだろう。
私は、さっと頬を撫でる不快感に、わずかに唇を歪めた。
家庭内で権力を持った者が力を振りかざして、相手を追い詰めることの醜さを、私は骨の髄まで知っているつもりだ。
もしも私がスペラード伯爵家で力を持ったとしても、大叔父夫婦やアースがどれ程嫌な人間だったとしても。
私は、絶対に、そんなことはしない。
ウィルがどちらとも取れる曖昧な返事を耳元で囁いて来たけれども、私は無視してカエルレウム公爵令嬢をさっと見返した。
「好きではないのです、そういうの」
思いの他強い声色に、カエルレウム公爵令嬢はちょっと驚いた顔をした。
けれどすぐにその色は消え、また曖昧で清楚な微笑みにかき消されてしまった。
そうですか、と鈴を転がすようなため息と共に、彼女は優雅に茶器を置く。
「けれどあの少年に、あなたの正義が伝わることはないでしょうね」
「アースのことですか?」
「興味のない方の名は覚えません」
ウィルが「えっ、君ってそういう事いう人だったっけ?」と驚いたような声を出した。不安になるからやめて欲しい。
「覚えてあげてください。きっとアースは喜ぶでしょう」
「そうでしょうね。私が彼に何の感情も持たず、あなたがどれ程彼に情け深く接しているか、気にもせず」
どうやら、情報が漏れているだけではなく、私とアースのやりとりまでしっかり見られていたらしい。
私は、さっきアースに優しくしたことを後悔したことも忘れて、カエルレウム公爵の青い瞳を見返した。
「それでも、私はアースを追い落とすような真似はしません」
ウィルが「待って待って待って勝手に答えないでユレイア」と慌てているが、知らない。誰も聞いていないということは、多分この少女は本音で話したいのだ。
私がどういう人間なのか、確かめようとしている。
ほう、と悲しげなため息をついた少女は、年に似合わない大人びた仕草で目を伏せた。
「傲慢というんですって、そういうの」
どこまでも大人びたカエルレウム公爵令嬢は、切なそうに頬に手を当てていた。
「彼はあらゆる夢を横からあなたに攫われるのですから、あなたを憎むことは仕方の無いことです。当主への夢も、尊敬する騎士からの関心も、この家での居場所も……すべてはあなたの手に渡ることでしょう。そういう相手に情けをかけるのは、傲慢というのだと私は教わりました」
彼女は黒いドレスのせいで、身体の小さな未亡人のような色気すらあった。
もしもこんな子供がごろごろしているのなら、貴族の社交界というのは本当に恐ろしいものだ。
そして、私がそこまでスペラード伯爵家で不気味がられなかった理由もよくわかる。
子供は吸収が早い。
優秀な子供なら、環境に合わせてあっという間に変化してしまうのだ。
「情けは無用ですよ。あなたの施しが伝わる日はないのですから」
囁きは甘い蜜のようだ。
子供がしていい顔じゃないな、と自分のことを棚に上げて思っている私の横で、ウィルがふわふわ浮きながら拳を握っている。
「あ、ユレイア騙されちゃ駄目だからね。優しい言葉を囁いて、スペラード伯爵家の内部分裂を煽ろうとしてるだけだからね。しかも、勝手にそっちがやりました、みたいな態度取るつもりだよ」
そこまで悪意のある見方をするのもどうかと思うが。
単に、身分がある人の苦労を思って、楽な気持ちの持ち方を助言してくれているだけなのかも知れないし。
「カエルレウム公爵令嬢のおっしゃる通りかも知れません」
そう言いながら私は目を伏せて、テーブルのお皿をみつめた。
さっき切ったケーキが、いつの間にか半分以上消えている。ナッツとドライフルーツがたっぷり入ったケーキを、妖精達はお腹一杯食べただろうか。
そして、約束通りイヴリンとアメリを守ってくれるだろうか。
わからない。
わからないけれど、きっとこういうの、妖精を信じるようなものなのだ。
見えない人にはわからなくても、私はちゃんと意味があると信じている。
「でも、私は悲劇を防ぎ続けているのです。誰も知らなくても、私が知っています」
カエルレウム公爵令嬢は、静かな目で私を見つめていた。
湖面のようだ。口元だけはずっと笑っているけれど、何を考えているかは分からない。
「それは……」
彼女がそう言いかけた時、観覧席がわあっと湧き上がった。
赤、青、白、三色の花びらが同時に降り注ぎ、風に巻き上げられて鮮やかに舞い踊る。
思わず私達は競技場を見た。
三つも同時に袋を射貫くなんて、どんな凄腕なのだろう。
あの美形の神官の弓かと思ったけれど、立っているのはスペラード伯爵だった。
「うわあ、意味わかんない! 三つ同時って何事!」
ウィルが子供みたいにはしゃいで、すごいすごいとくるくると空中で回ってみせた。
私も勝手に顔が輝いてしまって、いつの間にか半分くらい身体がねじれていた。
スペラード伯爵の活躍を見逃していただなんて、不覚だ。
どうせ老将軍だと侮っていた招待客の護衛騎士達が目を丸くしているのは、さぞかし気分がいいに決まっているのに!
「カエルレウム公爵令嬢、お祖父様の活躍を見てきてもよろしいかしら?」
ついつい腰を浮かせたら、許しますと言うように彼女は頷いた。
逸る心を抑えながら一礼をして、アメリとイヴリンを呼び寄せて、観覧席の端の手すりの方まで歩き始める。
軽く会釈をしながらカエルレウム公爵令嬢の横をすり抜ける時に、ふっとかすかな声がした。
「傲慢ですわ、ユレイア嬢」
どこか子供っぽい、拗ねたような声だった。
大人びた彼女の貴族然とした顔ではなく、ずるい、と言わんばかりの不満そうな声。
「私の婚約者であった方に、そっくりです」
凍り付いた私が振り返った時には、カエルレウム公爵令嬢は既に自分の侍女を呼び戻していて、私の方など気にもしていなかった。
「ちっとも似てないよ」
そう呟いたウィルが深くため息をついて、ちらりと元婚約者の背中を見やって、初めてちゃんと声をかけた。
「嫌になるくらい似てるのは、僕と君の方だよ。カエルレウム公爵令嬢」
そんなことないと思ったけれど、既にウィルは彼女から背を向けて「はやくはやく! スペラード伯爵がもう一度走るよ!」と私を誘ったので、詳しいことは何も聞けなかった。
その日の競べ弓大会は、スペラード伯爵が文句なしに優勝をもぎ取った。
私はお茶会の淑女を代表して、銀雪の薔薇の冠を優勝者に被せる役を指名されたけれど、アースが悔しそうにしていたから、一緒に乗せようと提案した。
スペラード伯爵は、親戚の子供二人から、優勝者の冠を捧げられたけれど、やっぱりアースからのお礼は一言もなかった。
私は相変わらず腹が立ったし、また後悔したけれど、たぶん次もやるのだろうな、と心の隅でちょっと思った。
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