30話 勇気ある人
「はあ、面倒くさかった」
南棟にある自室にようやく戻って来られて、私はため息をついた。
わざわざ部屋の前まで着いてきて「お前を認めていない」だの「王宮に行くのをやめろ」だのとわめくアースを振り切るために、無駄に時間を使ってしまった。
今は、護衛騎士のハーバードに、私のコートを着せた侍女のイヴリンを抱き上げてもらって、しばらく影武者として中庭を歩き回ってもらっている。
「うん、大丈夫。着いてきてないみたいだ」
にゅるっと壁から出てきたウィルが、指でマルを作って顔の横にあげたので、私はほっとため息をついて、三つ編みをするするとほどいた。
部屋は老侍女アメリのお陰でか綺麗に整っていたが、流石に彼女もお茶会の片付けで忙しいのか、姿は見えなかった。
だが、可愛らしい飾り棚の間には、陶器の器に花びらがいくつか飾られて、薔薇に似た花びらからは、良い香りがただよっている。
騎士達が競べ弓で撃ち残した花びらを、お茶会の思い出代わりに置いてくれたのだろう。
ソファにぐったりと深く座り込みながら、私はダイヤモンドの髪飾りをひとつひとつ外しては、テーブルに置いていった。
「家の中に嫌いな相手が居る状況、大嫌いなの。ああ、カエルレウム公爵令嬢の方が全然楽だったわ」
何でもかんでも素直に口に出す性質のウィルが、珍しく「まったく信じられないし一切同意できない」という感情を如実に表した高貴な微笑みを浮かべたまま黙っていたので、私はちょっと眉をひそめた。
「ねえウィル。お茶会の間中ずっと思っていたけれど、あんな可愛い子に対してそんなに嫌がるのは失礼じゃないの?」
元婚約者だったんでしょう? と付け足せば、ウィルは軽く肩をすくめて、実に貴族的な微笑みを浮かべた。
つまり、何を考えているか分からない、気品はあるけれど踏み込ませない微笑みだ。
その表情のまま、ウィルは何でもないことのように、穏やかに告げた。
「僕が最初に死んだのは十六歳、毒殺だった」
さっと血の気が引いて、私は思わず髪飾りを外す手を止めた。
「まさか……」
「うん、疑ってる。当時、僕以外との相手といい仲になっているって噂もあったし、彼女と飲んだお茶に毒が入っていたから」
微笑みながらさらりと告げるウィルに、私は二の句が継げなかった。
偉いって大変ね、といつものように気楽な感想が出てこない。
あの可憐なカエルレウム公爵令嬢がそんなことをするなんて信じられない。
だけど、流石に四六時中一緒にいるウィルの言葉は、私にとって重い。
それに、ウィルが十六歳になれた世界線の話では、状況も違うだろう。
きっと、誰もが敵に思えるような状況だったのだ。
「ごめんなさい、ウィル……」
しゅんと落ち込んで囁けば、ウィルはテーブルを挟んで私の向かいにふんわり腰かけ、気にしないでと少し得意そうに笑った。
「君は知らなかったんだから、その反応も当たり前だよ。誰だって、誰かの世界じゃ世間知らずだもの」
「……そうね」
前にした口げんかは無駄ではなかったのだ、と思えば嬉しくて、私もつられて微笑んだ。
「ウィルってば吸収が早いのね。流石だわ」
私が気付いたことが嬉しかったのか、ぱっと顔を輝かせたウィルが空中に浮かび上がり、わざわざもったいぶって優雅に一礼した。
「光栄です、レディ。幽霊の上に偏屈では、それこそおとぎ話に出てくる悪い幽霊になってしまいますから」
「意外とそういうの気にするのね……」
「えっ、だって王子様って格好つけるのも仕事のうちだよ?」
意外と王子様ってイメージ商売なんだな……と思いながら苦笑していると、ウィルが再び私の肩の近くに浮き上がりながら戻ってきた。
「でも、確かに僕は今、かつてないくらい素直かも。身体が幼いからかな? 結構、精神引っ張られるよね」
「あっ、その感覚はわかるわ」
「わかるの!? こんなのわかってくれたの、ユレイアが初めてだよー!」
「でしょうね」
わいわいと話しているうちに、髪飾りのダイアモンドは綺麗にテーブルの上に並べ直された。
ウィルがぱちんと指を鳴らせば、ばらばらの髪飾りは射られた弓のように鏡台の上へ飛んでいく。
私が軽くなった頭を振って、火をもう少し強くしようかと暖炉の方へ歩いて行くのと、使用人のための扉のからイヴリンが戻って来るのは同時だった。
「ユレイア様、ただいま戻りました」
「イヴリン、お疲れ様。ありがとう。バーナードは扉を守ってくれているのかしら?」
「はい。お父さ……バーナード郷は、余計な相手は誰も入れないと意気込んでいるので、しばらくはご安心いただけますよ」
羽織っていた私のコートを返却し、丁寧にクローゼットに戻しながら、イヴリンは心なしか胸を張った。
影武者としてアースを振り切る仕事は、首尾良くいったらしい。
改めていたわろうと思っていたのに、報告もそこそこに、イヴリンは嬉しそうにアイスブルーのドレスの内側を探り始めた。
「見てください、ユレイア様。これもらいました」
スカートの内側に吊った巾着から出てきたのは、小さな布巾の包みだ。
「あら、どうしたの。これ?」
「アース様付きの若い侍従からもらいました」
「ど……どうして?」
ウィルも「嫌がらせしてきていた張本人達でしょう!」と私の背後で叫んでいる。
言葉の意味がよくわからない、という表情を無表情の中にほんのり浮かべたイヴリンは、ちょっと首をかしげてから、頭から事情の説明を始めた。
「アース様が私達を見失って、諦めて戻っていったので、私達、こっそり後をつけたんです。部屋に戻るまで確かめようと思って。そうしたら、アース様の部屋近くで侍従に見つかって、君達も大変だねって、お菓子をもらいました」
ウィルが私の肩に飛んできて、ひそひそと声を低めた。
「ユレイア。流石に毒殺はないかも知れないけど、もしかしたらお腹を壊すくらいの嫌がらせがあるかも知れない」
「なので、バーナード郷とわけあって、その場で侍従と三人で食べました」
「もう食べちゃったの!?」
幽霊の悲鳴など届かず、イヴリンは自信満々に堂々と胸を張って告げた。
「出来たてで美味しかったので、ユレイア様にもあげたくて、お持ちしました」
清潔な布巾の内側から出てきたのは、見るからに厨房のコック達が今日のお茶会で使った材料のあまりを使って作りました、といった風情の焼き菓子だった。
スコーンに似ていて、チーズの塊と燻製肉の切れっ端、青い豆と香草がごろごろ入っている。
「あー……うん、まあ、三人で食べたのなら、変なものが入ってる可能性は薄いかな。うん、出来たてだし……えっ、何、今度はアースからユレイアに乗り換えますよってこと? 判断速くない?」
忙しく眉を跳ね上げるウィルを横目に、私はそこはかとなくほくほくして、テーブルの上で布巾を広げているイヴリンに首をかしげてみせた。
「いいの? 朝まで、あなたに意地悪をしてきた人達でしょう?」
イヴリンは、焼き菓子をふたつに割りながら、平らな雪原のような目で、しばらく不思議そうな顔をしていた。
それから、ふたつに割った焼き菓子の大きな方を私の方に寄せて、こともなげに言う。
「あの人たちに好かれることに興味がないので、別に」
「え……っと?」
とりあえず、いただいた焼き菓子をありがたく受け取って、私は戸惑いながらかじりついた。
イヴリンも、小さい方の欠片を口にしてから、淡々と静かに付け足す。
「嫌いなら、そうですか、と思います。勝手に謝っても、やっぱり、そうですか、と思います。そして、この焼き菓子は美味しいです」
まだ湯気が出ている焼き菓子は、思いのほかしょっぱくて香草が利いていた。
みっちりと詰まった生地からオリーブオイルの香りがして美味しい。
変なものが入っている味はしない。むしろ、ちょっとした名物になる、美味しいまかないの味がした。
「だから、私は今、とても得した気持ちです」
もっしゃもっしゃと元気の良いハムスターみたいにスコーンを食べるイヴリンを前に、私はおののいてしまった。
ウィルも「つ、強すぎる……」と小さく呟いて、軽く引いた目をしている。
人に嫌われてやしないか、私はちゃんと出来ているか、と勝手に一人でうじうじしている私としては、見習いたいかぎりだ。
「イヴリンは……」
恐い物ってあるの、と聞くのは失礼かも知れない、と思って口ごもった時、ふいに続きの間に繋がる扉からノックの音がした。
入室を許しを出せば、出てきた老侍女アメリは、私に丁寧に挨拶をしてから、髪飾りを片付け、イヴリンを呼んで続きの間に引っ込んでしまった。
何か仕事があるのかな、と思った矢先、再び勝手に扉が開かれる。
イヴリンが忘れ物をしたのだろうか、と思ったが、現れたのは痩せて頬のこけた女の人で、私は息を飲んだ。
「まだ寝ていなかったようですね、ユレイア」
「シレーネ大叔母さん……?」
一番反応が早かったのはウィルだった。
彼は、一瞬でシレーネ大叔母さんの真後ろに立つと、青白くさめた白い顔で、冷たいまなざしを向けてぼんやりと彼女の首筋を見下ろした。
「ユレイア。話すなら、扉に近い位置で。ソファかテーブルを挟んで。もらった食べ物は食べないで。報せもなく、侍女を排除して訪ねてくる親戚なんて、ろくなもんじゃない」
完全に暗殺慣れした助言に、私は背筋に氷を当てて滑らせたような悪寒がした。
さっきカエルレウム公爵令嬢の話を聞いたばかりなのだ。その危機感で肌がびりぴりするようだ。
慌ててウィルが指さした場所へ歩いていってから、ばくばく震える心臓をおさえてシレーネ大叔母さんを見た。
「シレーネ大叔母さん。こんな時間に何かご用ですか」
シレーネ大叔母さんは、ふんと軽く鼻を鳴らしただけだった。
銀のレースをあしらった濃い緑のドレスが、どうにも彼女を冷たく陰気に見せていた。
私の質問には答えず、シレーネ大叔母さんは無言でドレスの内側に吊った巾着から小さな木の板を取り出し、私に突き出した。
「覚えなさい」
戸惑っている私に軽く眉をあげると、シレーネ大叔母さんはテーブルに木の板を置き、指先で弾いた。薄い木の板はくるくると滑りながら私の元に届き、思わず両手で受け止める。
持ち上げて目を走らせれば、そこにはびっしりと人の名前がインクで書き込まれていた。
今日来た貴族の名前もあったし、若い侍従の名前もあった。
アメリやイヴリンの名前はなかったけれど、シレーネ大叔母さんに一番可愛がられている侍女の名前はあった。
ウィルが慌てて私のところにまですっ飛んで来て「えっ、あ……うん……ええっ?」と奇妙な声を上げている。
「覚えましたか?」
もちろん一回で覚えられるはずがないが、ウィルが背後で「覚えた」と囁いたので、ひとまず頷いた。
「では、暖炉で燃やしなさい」
「ユレイア、危ないから動かないで。そのまま投げて」
シレーネ大叔母さんの厳しい声と、ウィルの切羽詰まった囁きの双方に頷いて、私は木の板を暖炉の方へ投げた。
ウィルが指を鳴らすと、私の手元から飛んだ木の板は綺麗な弧を描き、赤々と燃える暖炉の真ん中に、火花を散らしながら落下した。
シレーネ大叔母さんは、暖炉につかつかと歩み寄ると、黙って火かき棒で木片が燃えていくのを手伝った。
完全に燃えたのを確かめてから、彼女は振り返って、低く、低く囁く。
「今のはすべて、間諜の名です」
息を飲んで固まる私をよそに、シレーネ大叔母さんはまた黙って、今度は手紙の束を取り出し、机の上に並べた。
「これは、お茶会のお返しにと、屋敷へ招待し、あるいは王宮での同行を申し込む手紙です」
あらかじめ用意していたのだろうが、今日のお茶会の招待客達はお礼状をもう届けてくれたらしい。
シレーネ大叔母さんは、手紙の山をきっぱりと二つに分けて、また私の方へとずらしていった。
「すごい……と、思う。あっちの山が間諜、あっちの山が安全な招待客だよ」
囁くウィルの声にかぶせて、シレーネ大叔母さんはソファに腰かけて、静かに私を見た。
「王宮に行くのでしょう。立ち回る時に、使いなさい」
普段の、口うるさくて、自慢げで、金切り声で騒ぐシレーネ大叔母さんの様子とはあまりにも違って、私はわけが分からない顔で彼女を見返した。
「どうして……」
痩せぎすの喉をそらして、シレーネ大叔母さんは、ふん、とさもおかしそうに、小馬鹿にした風に笑った。
「こうやって私があからさまにお前を嫌い、騒いで分裂すれば、スぺラード伯爵家に下心のある連中はまず私に声をかけるでしょう。わかりやすいこと」
私は落雷を受けたような衝撃で目を見開いた。
餌だ。
この人は、自分を餌にして、間諜達をつり上げている!
「そんな……。だって、今までずっと……?」
「大したことではありません。スペラード伯爵家のお家芸です。お前の父親も、かつては女好きの放蕩息子の名を馳せて、私と同じようなことをしていたはずですから」
お父様の知られざる過去を思いもよらぬところで知ってしまい、私はますます混乱した。
「お茶会の時だけで、いいのではありませんか? 屋敷の中でまでやる必要があるのですか」
「間諜を見抜いて追い返す女を、誰が侮るというのです」
ウィルが小さく口笛を吹いて「完敗。全然わかんなかった」と両手をあげる。
「も、もっと別のやり方があるかも知れないじゃないですか。大人しそうにするとか……」
声を震わせる私に、シレーネ大叔母さんは、口元を薄くつりあげて、本当に意地の悪そうな、楽しそうな笑みで冷たく言った。
「男が言い寄る女というのは、声をかけたらよろめきそうな女です。説得力のない愚かしさなどという半端なもの、ただ恥をさらしただけの徒労です」
こともなげに言われて、私は戸惑いっぱなしだった。
意地の悪い、愚かな人だと思っていた。
邪魔だと思っていたし、それでも、嫌いな自分になりたくないからそれなりの対応をする。
それだけの相手だと思っていたのに、こんな面を見せられて、自分の無知に顔から火が出るほど恥ずかしかった。
「どうして……?」
私は途方に暮れたような顔をしていたのだろう。
シレーネ大叔母さんは、少しだけ黙ると、厳しそうな目のまま、突然言った。
「ユレイア、おまえ恐ろしいものはあって?」
「ええと、私は……怯えながら眠る夜が、怖いです」
訳も分からないまま、ぱっと思いついた事を言うと、そう、とシレーネ大叔母さんは頷いた。
「私は、馬鹿にされるのが怖いわ。嘲笑われ、見下され、陰で笑われるのが怖いわ。そして、その陰口が正しく私の愚かしさを言い当てていることが、何よりも怖い」
それは、確かに私も恐い。
一番恐いことではないけれど、そんなことをされたら、やっぱり怯えながら眠るような気がする。
私は、イヴリンと違って他人の評価が気になるし、それで自分の価値を計ろうとしてしまう癖が、まだ抜けないから。
「勇気とは何だと思う?」
また、突然話を変えるシレーネ大叔母さんに、今度はあまり驚かず、でもまた困りながら聞き返した。
「強いものに、立ち向かうことですか?」
「少し違うわ。恐ろしいものに立ち向かうことよ」
正解などないと思うのに、あまりにもきっぱりと言い切るから、それが本当なのだと信じてしまいそうになる。
シレーネ大叔母さんは、わずかに苛立ったように、細く長い息を吐いてから、痩せた胸にすっと手を当てた。
「だから私は、この屋敷で一番勇気がある人間です。この屋敷の男どもといったら、怖いものから逃げてばかり。私は確かに完璧ではないけれど、少なくとも私が一番怖いことをして、働いている。……そう自分で思えるから、誰に知られずとも、こうしているのです」
ウィルがはっとしたように「まさか」と呟いたので、私もほとんど被せるようにシレーネ大叔母さんに聞いた。
「まさか、誰にも教えていないんですか。シレーネ大叔母さんの働きを」
「夫と、お義兄様と、一部の腹心だけね。今日からはお前もよ」
「アースにも……?」
「あの子は、喋るわ」
それはそうだろうが、だとしても、今の話が本当なら、シレーネ大叔母さんの毎日はほとんど戦場だ。
そんな間諜のような仕事、報酬をもらって伯爵家で働くのとは訳が違う。
誰にも気を許せず、常に気を張っていなければならない。しかも、終わりがない。
彼女が辞めたいと願ったとしても、自ら愚か者として振る舞った過去は消えないし、貴族社会も許さない。
そんな果てしない、狭い泥だらけの道など、考えただけで怖かった。
もしも私がそんな役割をやらなくてはならないとしたら、歩くことが出来るだろうか?
私は私の弱さをよく知っている。自信がまったくない。
「どうしてですか。何故、そんなにスペラード伯爵家に忠誠を誓えるんですか。一番、恐いことができるの」
泣きそうな気持ちでそう言ったが、シレーネ大叔母さんは、ちらとも動揺しなかった。
当たり前のマナーを淡々と教えるように、芯の通った声で低く言う。
「エリーゼ……。亡くなったあなたの祖母は、私達夫婦が黒翼城に転がり込んで来た時、見返りひとつ求めず私達を守りました。私は、その時に貴族の誇りとは何かを、初めて知りました」
そして、それこそが、彼女をいつもの姿とはまったく違う、思慮深く冷静な女性に見せていた。
「例え屋敷の者が誰も知らなくても、私が冥府の神の外套に包まれた時、出迎えたエリーゼが褒めてくれます」
ユレイア、と冷たい目のまま、シレーネ大叔母さんは厳しい声で静かに告げた。
「食堂でショーンがおまえを叩いたことも、哀れなおまえを葬式の日に倉庫へ入れたことも、私は謝りません。ここは厳しい場所です。葬式の日は多くの人間が黒翼城をうろつきました。当主も、アメリも忙しかった。おまえの身の安全を保証するならば、あの倉庫が一番よかった。このスぺラード伯爵家の名誉にかけて、必要なことだったと、今でも私は思っています」
ふいに、あの日受けた仕打ちのことを思い出して私は顔を歪めた。
葬式の日に、馬鹿にされて、突き飛ばされるようにして埃っぽい倉庫に閉じ込められた日。
あの屈辱と孤独感、そして絶望は、今もはっきりとした手触りで思い出せる。
だけど同時に、同じ場所でウィルと出会った事や、今の話の衝撃はあまりにも強く、恨みだけに引っ張られるのは少し難しかった。
許すとも許せないとも言えず、複雑な感情で黙り込む私にとシレーネ大叔母さんは傲慢に顎をあげた。
「けれど、おまえが私を恨むことは許します」
私はしばらく、じっとシレーネ大叔母さんの顔を見た。
私は恨んでいただろうか。怒っていたし、面倒だと思っていたし、軽蔑もしていた。
でも、恨むというのはもっと、骨の髄まで炭化するような激しい炎熱で、シレーネ大叔母さんへの感情ではない気がする。
「もともと、恨んでいません」
心からそう言ったけれど、シレーネ大叔母さんは片眉をあげただけだった。
しばらく気まずい沈黙が流れた。
やがて、ため息をついて「話しすぎましたね」シレーネ大叔母さんは立ち上がった。
私も思わず立ち上がって、彼女を追いかけたけれど、ちらっと睨まれて足を止めた。
「簡単に信じるのではありません。私の話が全て嘘だったらどうするのですか」
間に障害物を挟め、と暗に言われて私は眉を下げた。
こんなことをされたら、逆に信じたくなってしまう。
けれど彼女は、続きの間へ続く扉へ手をかけながら、突き放すように厳しく告げた。
「これからも私は、おまえの愚かなシレーネ大叔母さんよ」
外では嫌ったふりをして、話しかけるな、ということだとすぐにわかった。
彼女の戦う戦場に、私も否応なしに巻き込まれたのだ。
けれど、その努力がスペラード伯爵家を、ひいては私を守るためだとわかれば、一体何が言えるだろう。
黙ってうつむき「はい」と小さく答える私に、呆れたようなシレーネ大叔母さんのため息が聞こえた。
わずかにためらってから「けれど」と本当に小さく、かすれた声で囁いた。
「アースをかばってくれたユレイアのことを、私は忘れないでしょう」
はっと私が顔を上げた時には扉は既に閉まり、部屋には暖炉の薪がはぜる音だけが響いていた。
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