幽霊王子と虹の城

31話 王城へ



闇の中を、歩いていく。


裸足だった。

氷のような砂利の上を進むたび、鈍い痛みが頭まで鈍くのぼってくる。


どこまで歩けばいいのだろう、どこまで歩けば救われるのだろう。

常に胸を押さえられたような閉塞感にあえいで喉をそらせば、空には小さな星がひとつ、ふたつ、明るくまたたいている。

耳元で、くすくす、とひそやかな笑い声が聞こえた。


小さな声が、はやく、はやくと私を楽しそうに急かしている。

懐かしさに胸が締め付けられる。

この声を知っている。ずっと傍にいたのだ。

何もしてくれない事の方が多かったけれど、でもずっと傍にいてくれた。


今行く、すぐに行く。


そう言いたいのに、身体が重たくて動けない。足が冷えて重たい。

泥の中を歩いているようだ。走りたいのに、走って行きたいのに。

私の焦燥をよそに、耳元の声は繰り返す。


はやくはやく。はやくはやく。


楽しげで、かそけき、虫の音のように澄んだ声だった。


──もうすぐ、起きてしまうよ


「はやく! 起きてってば! もおユレイア、起こしてって言ったの君じゃないか!」


すこん、と枕を引っこ抜かれて、私は泥のような眠気の中で、辛うじてまばたきをした。

目の前に、半透明の美少年の顔が、口をへの字に曲げて浮いている。


「あれ……ここ……?」


私は寝ぼけ眼をこすって周りを見回した。

温かみのあるトーラスの羊毛織りの布団でも、豪華な天蓋付きのベッドでもない。

寝具こそ水鳥の羽を詰めた、ふわふわの羽毛布団だが、天井は倉庫のように低く、家具と言えば壁に打ち付けられた机と椅子があるばかりだ。

小さな蝋燭がともったガラスの燭台が、ぼんやり鈍い光を放っている他は、あたりは闇に沈んでいる。


「はいはい、ねぼすけさんに教えてあげる。ここはスペラード伯爵私有帆船の一等席。カウダ川港から出航したのが一昨日の朝。王都オーブに着きそうになったら教えてって頼んで君が寝たのが昨日の夕方。働き者で約束を守るウィリアムが僕だよ。わかるかい?」


ウィルがそう言って、不満そうにぱちんと指を鳴らした。

途端に、空中に浮いていた枕がふわふわと私の胸の中に戻ってくる。

私は枕を抱きしめながら、ゆっくりと現実が頭の中に戻ってくるのを感じていた。


そうだ。

いよいよ王都オーブで行われる、王太子の葬儀に向かうのだ。


スペラード伯爵家の出席者は、大きな帆船でカウダ川を遡って水路から行く組と、馬車の行列で王都街道を上っていく組に別れた。

王太子を悼むお見舞い品が多岐にわたり、陸路と水路で分けなければ運びきれないから、というのが理由だ。

ウィルは「見事な警戒態勢だね。王太子でも毎回はやらないよ」と苦笑いしていたけれど、どちらかと言うと壮麗な行列は馬車の方だ。


地味な帆船に乗る私のことを、アースはひとしきり馬鹿にしてきた。

大叔父夫婦は、スペラード伯爵の乗る帆船をこき下ろすような真似はしなかったけれど、豪華な馬車に乗れることを、肩をそびやかし大きな声で自慢しながら去って行った。

王都街道沿いに建つ貴族の屋敷からお茶会の招待を受け、流行のドレスを譲ってもらうのだと、聞いてもいないのにくどくどと教えてきた声が、まだ耳に残っている。

あれが、周囲を油断させるための愚か者の演技だとは、多分誰も気付かないだろう。

あまりにも堂々と賑やかで、自然な別れだった。


船の方が足が速いから、きっと私達の方がずっと速く着くだろう。

そしてシレーネ大叔母さんと、多分ショーン大叔父さんは、あちこちででたらめな噂を流しながら、あらゆる情報を集めてオーブまでたどり着くのだ……。


「ユ、レ、イ、アー?」

「あ。うん、起きる起きる……」

「もう。本当はレディの寝てる部屋に入る無礼なんかしたくないんだからね」

「何か……何か大切な夢を……見ていたような気がして……」

「大切な僕の声もしっかり聞いて欲しいな。ほら、はやくはやく」


また、夢の残滓が頭の隅で騒いだけれど、私はウィルに急かされて、のそのそとベッドから滑り落ちた。

船の上は常に揺れていて、寝起きに立ち上がると平衡感覚が危うい。

昼の内にベッドの下に隠しておいたコートを引っ張り出して、寝間着の上から羽織っている間中、壁の外から波の音が絶えず響いていた。


ウィルは壁の中にするっと一瞬顔だけ突っ込んで、すぐに戻ってきて魅力的にウィンクしてみせた。

隣室の老侍女アメリと幼い侍女イヴリンは、まだ寝静まって静かなようだ。

彼がわくわくした顔で再び指をぱちんと慣らすと、天井の扉が開き、壁に引っかけたはしごがゆっくりと落ちた。

ランタンがふわふわと浮いて、私の足下を照らす。


「寝ぼけて落ちないでね、ユレイア」

「その時はウィルがどうにかして……」

「最近、僕のこと便利屋だと思ってるでしょ」


唇を尖らせているわりに妙に嬉しそうなウィルが、ふわりと私の周りに冷たい風をただよわせた。

眠気に揺れていた私の足が、急にかろやかにはしごを上っていく。

ほんの数歩もたたず、頬に湿ったぬるい風が吹き付けた。


一等船室からは、私の部屋のみ直通の小さな甲板に出られる。

舳先にほど近い観覧用のスペースで、狭いながらも椅子と日よけの屋根があって、長い船旅の気晴らしになってくれるのだ。


「ユレイア、逆だよ逆。舳先はあっち」

「そっち? うわ、風つよい……」


びゅうびゅうと風が吹きつける夜の甲板は肌寒かったが、分厚いコートを突き抜けるほどではなかった。もう春なのだ。

ずっと向かい風が吹いているらしく、船は器用に帆を斜めに立て、川を遡って進んでいる。

組んだ木材の濃淡で幾何学模様を描いた欄干に、ちらちらとランタンの影が踊っていた。


「もうオーブに入ってるの?」

「入ってる入ってる。スペラード伯爵領はオーブを真似て街を作ってるから、城下町の真ん中に川があるんだ」


へえ、と呟いてぼんやりとただよう川霧の向こうを透かし見ると、ふいに大きな建物が眼前にぬうっと現れた。

陸地に近づいたからだろう。四角く茶色いレンガ造りの建物が見える。

濁りのない窓ガラスの向こうにはカーテンがしまっているが、優雅な鉄柵のバルコニーにはランタンが引っかかり、夜を照らしている。

庭には小さな温室が輝き、川べりには美しい小舟のくくられた狭い階段が下りている。


趣味の良い居心地の良さそうな家々が、次から次へと現れては、滑るように後ろへ過ぎ去っていく。

ほう、と私は白い息を吐いて、きれいね、と囁いた。


「これ……貴族街っていう……」

「いや、まだ。ここは王都の商人街」

「うそでしょ」


冷静に首を横に振られて私はショックを受けた。

トーラス子爵領の王都屋敷は、オーブの外れの外れにあった。

庭はとても広かったけど、だいたいこのぐらいの大きさの屋敷だったのに。


──そうだ。あの襲撃があった王都オーブに、私は帰ってきたんだ。


すうっと、胸の底が冷えるような心地がした。

新年祭の日に積もっていた雪はもう消え、風は暖かく春の気配を色濃く告げている。


それでも、あの日の井戸の底の冷たさを、雪の中を逃げ惑った恐怖を、壁を蹴り壊す靴音を思い出すにはあまりに生々しく、私は指先が震えるのを感じて拳を握り込んだ。


「……ねえ、ウィルは他の幽霊って見られないの?」


ざざ、と川波が打ち寄せる音が、あたりにこだまする。

私の会いたい人を察して、ウィルが少し眉を下げて苦笑してから首を横に振った。


「死んでから僕が見えるようになったのは、妖精だけみたい。半透明の銀の馬とか、緑の瞳の梟とか、小さな茶色い子犬とか、そういうのばっかりだよ。みんな、ユレイアの近くでうろうろしたり、くっついたり、肩に停まったりしてる」

「……私も、オーブに居た時は、まだ見えたんだけどな」


生まれた時からそばに居た、あの小さなくすくすという笑い声が聞こえないというのは、胸にいつも小さな穴が開いているようだ。


わずかに口元を笑ませた私に、ウィルがわざと明るく、お茶目にウィンクをしてみせた。


「多分、僕が幽霊として特別なんだよ。十年分生き返れるけど、八歳に死んだからその間は幽霊、なんてさ。他の幽霊と違って、随分とこの世に縛られてる感じがしない? まあ、冥府の神の暖かなローブに包まれて、とこしえの喜びの野に辿り着けないんだから、このあたりをうろつくしか出来ないとも思うけどね」


暗に、きっと取り戻せるから大丈夫、と言われて、私はもう少しだけ笑ってみせた。


そうだ、大丈夫。ウィルがきっと時間を戻してくれる。

あの悲劇を、なかったことにしてくれる……。


そう思った時、ふっと思いついて私は首をかしげた。


「ねえウィル。あなたが死んだら十年分時間が戻るってことは、もしかしてウィルって死ねないのかしら? この後生き返ってから、よぼよぼのお爺さんになって亡くなっても、また十年前に戻ったりしない?」


うーん、とウィルは腕組みをしたまま梟のように首をかしげ、そのまま胴体までくるっと斜めになったまま眉間にしわを寄せた。


「どうなんだろう。試したことはないけど、大丈夫なんじゃないかなぁ。そうしたら世界の時間が僕の人生に釘付けられて停まってしまうし、どこかで寿命ってやつが来ると思う」

「考えたことなかったの?」

「うん。だって回帰の竜だって眠りについて、今じゃどこに居るんだかわからない訳だし」

「竜背山脈とか、竜首川とかあるじゃない。あのあたりに眠っているんじゃないの?」

「そんな地名、アウローラ王国中にあるよ。でも、ほら、やっぱり地名があるってことは、回帰の竜にすら寿命はあるんだよ」

「あ、なるほど。寝てなければそんな地名も生まれないものね」

「うん。歴史上にも回帰の王って呼ばれてる王はいるけど、やっぱりちゃんと没年が記録されてるし。どこかで回帰の限界が来るんだよ。……あ、今回は大丈夫だと思うよ、明らかに不自然な幽霊してるし、ちゃんと戻るはず」


慌てて私の前で手を振るウィルに、私は頷いて「お願いね」と囁いた。


ちょうどその時、巨大な黒い壁がまた新たに近づいてきて、私ははっと息を飲んだ。

やや闇の薄れた青い霧の中、高い塔が何本も天に向かって伸びている。

塔に刻まれた窓からは、寝ずの番をしているのか光が落ちて、川霧を斜めに光らせていた。

塔より低い屋敷の屋根には、黒い神像がいくつも建ち並び、思い思いの荘厳な格好で闇夜を睨み付けている。

川縁には高い壁がせり出して、庭の様子はうかがえない。

今度こそ私はごくりと息を飲んだ。


「ここが……王城?」

「いや、まだ。ここは灯火神官や巡礼神官が修行する大神殿」

「うそでしょ」


やはり冷静に首を横に振られて私はさっきより強めにショックを受けた。


トーラス子爵領にこんなに立派な神殿がなかった。断言できる。

スペラード伯爵領にだって、ここまで規模の大きいものは流石にないだろう。

王都での神殿の権威におののきつつ、私はこれだけ大きければ、壁の向こう側からでも御利益がありそうな気がして思わず手を組んだ。

甲板に跪き、頭を垂れ、スペラード城の小神殿でいつもやっているように胸の中で祈りを捧げる。


──冥府の神様、私の家族を無事にとこしえの喜びの野に送り届けてください。

険しき黒い死者の山へ家族が差し掛かったら、白銀の山羊が引く荷車に乗せて飛んで行ってあげてください。

どうか、私が祈るたびに、彼らに暖かな追い風が吹きますように……。


目を開けて振り返ると、幽霊の王子様は真剣な顔で両手を組み、私と同じようにひざまづいて祈りを捧げていた。

真剣にお祈りをしている幽霊って変な感じだな、と思いながらも、その真摯な仕草に一瞬私は見とれた。


本当に、喋らないと綺麗なのよねえ……。


大いに失礼なことを考えながら見まもっていると、金色の瞳がふわりと開く。

私はほんのり小首をかしげた。


「誰の思し召しで蘇っているのかしらね、ウィルも私も。山羊の馬車に乗る冥府の神様? 運命の糸を巻く片足の神? それとも季節を巡らせる輪を持つ時の神かしら。そのものずばり、回帰の竜でもおかしくはないけど」

「どうだろう。でも、僕ら神官じゃないんだから、神の声なんて聞けやしないよ」


あっけらかんと言うウィルに、私は「そうだけど」とちょっと口を尖らせた。


念入りにお礼を言う相手くらい、探したっていいじゃないか。

少なくとも私は、今世の家族に会えたことだけは、絶対に絶対に感謝したいのだし。

もしも無事に回帰し、時間が戻って家族を救えたなら、今後絶対に信仰の灯を絶やさない自信だってある。


けれどウィルは、ひょいと肩をすくめてあっさりと話を切り替えた。


「そんな遠い神の思惑の話よりも、今世の話をしよう。ここでどんな情報を手に入れられるかで、僕らの次の人生が決まるんだから」

「そうね。どうせ私達には、あと一年半しか情報収集の時間は残されていないし……あっ」


私は今度こそ欄干から身を乗り出して、目の前に迫る建物へ指をさした。


淡い白銀に明るくなってきた陽射しの中で、白い石造りの壮麗な屋敷が、川岸に迫ってきていた。

明るい赤のカーテンが閉まった窓ひとつ取っても格段に大きく、見るからに豪華だ。白いバルコニーが丸く張り出し、春の花があふれんばかりに飾ってある。

広広とした緑の芝生は丁寧に刈り込まれ、白い石が敷きつめられた小川がさらさらと流れていく。


「ここはもう王城よね?」

「二大公爵、三大公爵、五大伯爵家。つまり十貴家以上の階級を持つ貴族屋敷街だね。スペラード伯爵家は五大伯爵の序列一位だから、多分停泊するのはまだまだ先だよ」

「もうここが王城でいいでしょ」


ぐったりした私に対して、ウィルが嬉しそうに笑っているのが腹立たしい。

また世間知らず合戦でしょうのない喧嘩はしたくないので何も言わなかったが、ちょっと唇は尖らせた。

ウィルが、ごきげんではあるものの何も言わずに、腕組みをして私の肩近くにふわふわと寄ってくる。


「これはねユレイア。僕にとって大いなる好機なんだよ。今、僕が幽霊になってるってことは、とても重要なことなんだ」


急に重々しい口調を取り繕うので、そう? と私は耳に髪をかけた。


「死んでたら、犯人も捕まえられないじゃない」

「でも、生きていたら忙しいんだよ。帝王学を勉強して武芸を磨いて社交をして、って色々成長しなくちゃいけない。暗殺も警戒しなくちゃいけないし、その上で前世の僕の暗殺犯を捕まえなくちゃいけない。立場もあるし年齢も邪魔してうまく動けない」

「王太子って大変なのね……」

「そうなんだよ! でも、幽霊なら盗み聞きもし放題。鍛錬も勉強も必要ないから時間もたっぷりある。陰謀のすべてを知ることさえ出来れば、次の人生こそ上手くやれる……はず!」

「犯人の検討はついてるの? 候補がどのくらい居るとか……」

「もうね、すごい数いる」

「王子様がしていい顔してないわよ」

「うようよいる」

「強めないで」

「すべてが敵」

「わかったから。私は共犯者よ。安心して」

「おおユレイア! 我が親愛なる同盟者よ! あなたとの取引が天秤の神の平等なる御手と共にありますように!」


芝居の役者のごとく、大げさな身振りで両手を広げたウィルに、私もちょっと笑って、胸に手を当てた。


「ええと、光栄です……?」

「こういう時は、天秤の神が持つ水晶の天秤に掛けて、とか、白き御手は私と共に、みたいなこと言っておけば大丈夫だよ。宮廷貴族のたしなみさ」


どうやら神話にからめてのご挨拶らしいが、お茶会の時に覚えた文言と全然違って私は青ざめた。


「え、まさか新しくまた覚えなくちゃいけないの……?」

「ユレイアの年齢なら大丈夫。いざとなったら僕が助けるから」

「そこだけは本当に頼りにしてる。宮廷って大変なのね……」

「三回もやってると結構慣れるけど、まあそこそこね。今回も八歳で暗殺されちゃった訳だし」


あまりに気楽な言い様に、ちょっとため息をついて私は肩をすくめた。


「ずいぶんあっさり言うじゃない」


すっ、とウィルの瞳の温度が下がった。

硬質に整った鼻筋と、長いまつげに縁取られた目元が、完璧な笑みを浮かべて優雅に微笑む。


「そう思う?」


ただ生まれてきた立場が王太子だったからって、何度も何度も殺されて、本当に何も思ってないだろうって、君がそう言う?


言葉にしない、けれどあまりに濃い手触りの感情が飛び込んできて、冷えた刃を突きつけられたような寒気が背筋を走った。

私はわずかに息を詰め、声を震わせないように細心の注意を払いながら、そっと囁く。


「……ごめんなさい」


いいよ、とウィルは、まだ冷たい笑みを唇に残したまま、甘やかに囁いた。


「でも流石に僕だって、どこの下賤な輩にこの身を損なわれたのかと思ってはいるから、誤解しないでね」


ひやりとした声はあまりに静かで、彼が子供の顔をしていることが一層不気味だった。

この世のものではない、静かな冥府の使者のごときたたずまいに、心臓の裏が震えるようだ。


どうして、と思ってふいに気づき、頬が燃えるように恥ずかしくなった。


ウィルも、自分が死んだ場所に近づいて、辛いのだ……。


「ごめんね、ウィル」


私は顔を上げて、改めて心から言った。


彼は私を心配しておどけてくれていたのに、私は自分の辛い話ばかりで、彼が誰かに殺された辛さのことを、ひとつも考えていなかった。

ウィルがひとつまばたきしてから、またゆっくり、うん、と頷いた。


「僕も……」


その時、ちかりと朝日が輝き、川面が一斉に輝いた。

気温があがったせいか、いつの間にか川霧はゆっくりと薄れはじめていた。

吹き始めた風に飛ばされて靄は晴れ、まぶしさに目を細める。


船の舳先の向こうに、大きな白い橋が見えた。


川をまたぐアーチ状の石橋は、朝日に照らされて明るく光を放っている。

その向こうに、三本の白い塔を備えた城が建っていた。

巨大な城だった。

窓の様子も、壁の様子も、細かくは分からない。大きすぎるのだ。

スペラード伯爵の黒翼城がおもちゃに見えてしまうほど巨大な城は、周囲の屋敷を見下ろして、ただ白く輝いていた。


戦うためにいくつものと砦を持っていた黒翼城と違って、高い城壁を備えながら、その城はただ権威を誇るためだけにあるようだ。

壮麗で、優雅で、絢爛で、途方もなくただ美しい。

巨大な城の背後に、天を貫くような青い山がそびえている。


私は静かに、息を吐いた。


「ここね……」


ウィルが床に足をつけ、私の肩にそっとよりそった。

手元にひやりと冷たい風を感じ、視線だけ下げる。

彼の掌が私の指先を包んでいた。

半透明の指先が、ほんの少し、震えている。


「うん」


彼を助けてくれる人、彼を守ってくれる人、信じていた人。

その全ての人が嘘つきに見える場所が、あそこなのだ。


ウィルは、かさかさに乾いた声で、かすかに笑って静かに告げた。


「虹の宮殿、アウローラ王城だよ」


私は掌をほどき、震えるような冷たい風を、そっと握り返した。


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