45話 港町ユグルム

竜首湖のほとり、アウローラ王国最大の交易街ユグルム。


その巨大な桟橋群に降り立った私達は、現在全力で密輸業者のふりをしていた。

といっても、密輸業者でございと名乗る密輸業者はいないので、薄汚れてきょろきょろしながら歩くだけだ。

ぼろぼろの逃亡者という実情と相まって、あまりやることは変わらない。


しかし、もともと私達が乗っていた船は、悪い事をしている大商人の密輸船をショーン大叔父さんが勝手に持ってきたものだ。

普段から使っている密輸の港を使えば、少なくとも無事に通り抜けられる可能性はあるはず。

とにかく今は無事に黒翼城に帰ることが最優先だ。


なんだかショーン大叔父さんと一緒に居ると、次々悪いことを覚えてしまう気がするが、これは私とウィルがうっかりしていたせいなので文句を言える訳もない。


「うわぁ、このあたりは変わらないんだなぁ……!」



ウィルがつぶやき、ショーン大叔父さんに手を引かれて桟橋を渡りながら、私も物珍しく周囲を見回した。


まだ薄暗い夜明け前でも、ユグルムの街は活気づいていた。


港の中でもやや隅に寄った、船の数だけはやたらと多い桟橋は、無数のランタンが吊り下げられ繁華街めいていた。

真っ暗な水面にごちゃごちゃと浮いた帆と網が、波に合わせてゆるやかに上下して、濃い影を伸び縮みさせている。


「おい、馬鹿! 舐めた結び方してんじゃねえぞ、死にてえのか!」

「あー、世話になってるなあ、どうだ調子は?」

「お母ちゃん、待て待てこっちも持ってけって! 船で食べりゃいいだろ!」


多くの商人や船乗り達は、せわしない蟻のように船へ積み荷を上げ下ろしをして賑わしい。


「ほら見てみて、木箱のサイズが均一だろう? アース一世の時代に居た竜のレガリアが考案したんだって。お陰で今までの何倍も楽に物が運べて……ほら、あの桟橋の荷車を見て! ……ね、木箱がぴったりはまった! 気持ちいいね」


ウィルにも一応の危機感はあるはずなのだが、彼の性格上、懐かしい景色にはしゃがずにいられないようだ。

話としては興味深いのでこっそり頷いたけれど、ウィルが元気なせいでしかめっ面で青ざめたショーン大叔父さんが目立つ。


彼は今、上着をひっくり返してぺらぺらの裏地を表にし、華美な装飾をふたつに減らして目立つ位置へつけていた。

夜中の死闘のせいで服がよれているので、ほどよくみすぼらしく、どこからどう見ても、貴族の古着を買い求めて身を飾る、虚栄心みまみれた商人だ。

男と一緒にいるお陰で、私は多分親戚の侍女見習いなどに見えることだろう。


「……あの、叔父さん。大丈夫ですか?」


いつもの愚痴がないのが心配でそっと声をかけたら、ショーン大叔父さんは盛大にため息をついた。


「大丈夫な訳ないだろう。あんだけ苦労したのにまたこれか、とうんざりしてるに決まっている。早く帰って、思う存分肉を食べて暖かいベッドで寝たい、それ以外の望みなんかないぞ私は」


緊張はしているのだろうが、それでもまだ声を掛けられれば愚痴を言う元気はあるらしい。


「お肉だけだとお身体に悪いですよ」


ほっとして助言したら「私の乳母かねお前は」と嫌な顔をされた。


「……いいか、せいぜい年相応の子供っぽい顔で大人しくしているんだぞ。お前は年のわりにしっかりし過ぎているからな」

「や、やってみます」

「さあ、もうすぐ着くぞ。せいぜい、上手くいくように祈ることだ。お互いにな」

「あ、わかった。船の登録所だね。ここで許可証をもらわないと、出船も入船もできないし」


親切に解説してくれるウィルと共に、私達は港の倉庫群のひとつへ足早に入っていった。

奥に作られた仕切りの向こうには役人らしき人が居て、列をなす人々の対応をしている。


「あれ? 並ばないの?」


けれど、ショーン大叔父さんは登録所を無視して倉庫の隙間をくぐりぬけると、裏路の奥に入ってしまった。

列に並びかけたウィルが慌てて戻ってくる。


港町ユグルムの路地裏は、酒瓶やごみ、吐瀉物でまだらになっていて薄暗かった。

この世界で治安の悪いところに入ったのは初めてだが、軒を連ねて並んでいるのはおそらく船乗り達が泊まる安宿なのだろう。

ランタンの下、派手な格好をした女性の給仕が、あくびをしながら眠そうにこちらを見送っている。


「こんな所があったんだ……」


そう言ったきり、ウィルまで急に黙るから、何だか居心地が悪い。

ショーン大叔父さんは私の腕を引きずるようにして引っ張って、脇目もふらず足早に抜けていく。


やがて、薄汚れた戸の前にたどり着いたショーン大叔父さんは、一度大きく深呼吸して、路地裏の酸っぱい匂いにうぐ、と呻いた。

それから思い出したように頭をぐしゃぐしゃに乱して、いっそうみすぼらしくなると、覚悟を決めたように戸を開ける。


「まだやってるかね。いつもより早いが」

「やってるよ。入りな」


部屋の中はつんときつい薬草の臭いがして、路地裏よりもっと暗かった。

店内の調理場に居た痩せぎすの店主は、芝生のように髪が短かく目の下に濃いクマがある。背後に酒瓶が並んでいるところを見ると、飲食店なのだろう。


「朝から一杯ひっかけたいのかい」

「いや、フェネストラの小魚が、竜首の鱗の色を確かめに来た」


軽くうすら笑いを浮かべた男は、ちらりと私を見て低い声で呟いた。


「人は買ってないよ。近頃厳しくてね」

「ああ、違う違う。この子はな、ちょいと訳ありの子供でな。最近親を亡くしてね、親戚の家に届けるんだ。私はただのお使いだ」

「へえ」


男がにやにやして私を見るので、居心地が悪くなってショーン大叔父さんの太い腿の後ろにさっと隠れた。

当のショーン大叔父さんは顔をしかめながら上着を探り、茶色い塊を取り出している。

彼の手で、染みのついたテーブルへ慎重に置かれたのは、丸い青緑色のおせんべいみたいなものだった。


「なんだこれ?」


目利きに自信があったのだろう店主は、薄ら笑いを引っ込めて眉をひそめていた。

ショーン大叔父さんが、青緑の塊を抉り、欠片を半分にして男に渡す。


「新薬だよ。私達のような奴らが知らんでもいいようなたぐいのな。まあ、まあ、ちょっと一緒に試してみろ。それとも怖いかね」

「まさか」


度胸試しと受け取ったのか、店主が青緑の欠片を受け取った。ショーン大叔父さんが薬を飲み込んだのを確かめてから、無造作に店主も口に含む。


「……こいつは」


とたんに、店主が息を飲んで青ざめた。

味に心当たりがあったのか、あるいは体中の疲労が消えたのか、その両方だろうか。


「おいこれ、まさか」

「買うのか、買わないのかどっちだ」

「帰ってくれ。こんなヤバいもんは使えねえ。人売ってた方がまだマシだ」

「わかった。向かいの店に行こう」

「待て!」

「私だって君に迷惑をかけたい訳じゃない。ただ、わかってくれ、私も必死なんだ。金が必要なんだよ」


店主とショーン大叔父さんが、押し殺した低い声で言い合っているのを、ウィルは「だよねえ……」と同情交じりのまなざしで見守っている。


私は、せいぜい不思議そうな顔を作りながら、ウィルのささやかな「だから言ったでしょ」と言わんばかりの視線を受け流した。


青緑のおせんべいみたいな塊は、竜の薬ドラゴヴィータを作った時の残りカスだ。

人魚の花を煮込んだ後の、くたくたに溶けた葉が水分を蒸発させて固まった部分。

カップの底にへばりついていたのをこっそり剥がして、何か手頃な密貿易品はないかと船倉を漁っていたショーン大叔父さんに、最初から船にありました、というふりで渡したのだ。


ショーン大叔父さんも、名門騎士団に親しむ身だ。おそらく人魚の花自体は扱ったことがあるのだろう。

なんだこれは、と言って臭いをかいだ直後、驚きと疑念の狭間でもみくちゃにされていた。

更に追い打ちで「お薬だと思ったので飲んだら、あっという間に傷が消えたんです」と言ったら、ショーン大叔父さんは青ざめて黙った後に「これを使おう」と絞首刑寸前の罪人みたいな顔で呻いたのだった。


「あんただって、昨日の騒ぎ見ただろ。俺だって手をつけちゃいけねえモンってのはわかってるんだよ。いくら長年のお得意さんでもな。そっちも金回りが悪くなってんだろうが、向かいに行ったって扱っちゃくれねえよ」

「渋って足下を見たいんならそうしろ。だが、あんただって……」


二人の言い合いを眺めながら「本当にすごいものだったんだ……」と知識が現実になる瞬間を実感していた私の耳元に、ひょいとウィルが私の肩近くに漂いながら囁いてきた。


「ねえ、ユレイア。店の周りに誰か来てるよ。盗み聞きしてるみたい」


私は静かに青ざめた。

ウィルが店の周囲をうろついて、身体の半分だけ壁抜けなどをしていたのには気付いていたが、やはり早々に見つかってしまったらしい。

ウィルさえ居れば、兵士を路地でまくことは出来るかも知れないが、店に踏み込まれたらまずい。早く出なければ。

私は低い声で言い合うショーン大叔父さんの上着を引っ張り、なるべく子供っぽい口調で言いつのった。


「ねえ、お腹減った。まだなの?」

「うるさい、黙っていろ」

「お腹減ったよ……」

「黙れと言っているんだ!」

「おい、そんなに怒鳴りつけることないだろ。周りに聞こえちまう」

「そうだろうな。他のがめつい奴らもそのうち寄ってくるだろう。だが、今買えばお前の独り占めだ。どう思う。危険な橋を渡るのは好きかね?」


血走った目でショーン大叔父さんがうめくと、とうとう店主は苦い顔で両手を挙げた。


「わかった……。わかったよ。よし、買おう。ただし口止め料はもらう。いいな?」

「あんまり儲けちゃ、金の重みで口を潰されるぞ。いいか、これを口にした時点であんたはこっちの共犯者なんだ。よくよく考えて、恨みの天秤が釣り合う値段にしろよ」


ハッ、と低い声で笑った店主は、身につけた小さな皮袋から、薄汚れた金貨ひとつかみと「フェネストラ商店」と書かれた木札を取り出すと、古びた皿を取り出して上に乗せた。


「確かめろ」

「信頼してるさ」


同じように古びた皿に、人魚の花の残りカスを乗せると、ショーン大叔父さんは金貨を受け取り、懐に入れた。

ウィルが小声で「ぎ、偽造入船許可証……」と呟いたが、今回ばかりは見逃してもらわなければなるまい。もしも上手くいったら、今度この街にもお礼をしに来よう。正しい方法で。


店主が人魚の花の残りカスを革袋に入れている間に、ショーン大叔父さんは私の腕をひっつかみ、足早に店を出た。

ウィルが厳しい顔をして路地の安宿の壁を抜けて消えていき、反対にショーン大叔父さんはほっとした顔で私に耳打ちする。


「よし、うまくいったな。よくやったぞ。助かった」

「そ、そうですかね……」

「ああ。上出来だ。だがまあ、おまえはわがままを言うのが下手だな。子供っていうのはもっと地面に転がって全力で駄々をこねるもんだ」

「や、やったことありません……」

「ラルフめ、楽な子育てしおって」


まあいい、と上機嫌でショーン大叔父さんは上着を押さえ、懐に入れた木札と金貨の重みを確かめた。

もうこんな路地裏に用はない、とばかりに大股で歩き、額に汗を浮かべてせかせかと大通りへの小道を曲がる。


その時ちょうど、向かいから歩いてきた船乗りらしい若い男と、とショーン大叔父さんの肩が軽くぶつかった。

失礼、と言って通り過ぎようとしたショーン大叔父さんの顔を見て、青年はへらっと笑って声をかけてくる。


「お兄さんこんばんはぁ。ねえねえ、一緒に飲みませんー?」

「い、いや私は……」

「ねえいいでしょお兄さん、一緒に飲もうって、な? 何か急に兵士達がやたらと増えてね、俺達いつもの店を追い出されちまったんだよぉ」


その時、哀れっぽく大げさに泣き真似をする青年の真横の壁から、ウィルが勢いよく飛び出してきて、うわぁっと悲鳴をあげて指をさした。


「そいつ! そいつレイモンドの近衛兵だよ、気付いて!」


私は一気に顔を強ばらせた。

ウィルの声が聞こえた訳でもないだろうけれど、ショーン大叔父さんが無言で私の腕を放し、しっしと後ろ手で私を追い払う。

ウィルが「さっきの店の裏と、左の路地裏に騎士が居る!」と知らせてくれたので、右の酒場の壁際に身を寄せて、樽の隙間に隠れて様子をうかがう。


「や、やっぱり手を回してるのね。関所だもんね……? 絡め手に変えて来たんだ、どうしようウィル」

「それでも絡め手ってことは、とりあえず騒ぎは起こしたくないみたいだ。王都ならいくらでももみ消せるけど、ここはレイモンドと折り合いの悪い、第一王妃様の管轄だから……」

「じゃあ、私が出て行って、強引に連れ出してしまった方がいい?」

「いや、近衛兵も、正体がばれてるってわかったら、面倒覚悟で襲ってくるかも知れない。手ぶらで帰るよりはマシだからね。何とか自然に逃げられないかな……」


船乗りに扮したレイモンドの近衛兵は、ショーン大叔父さんの肩へ親しげに腕を回すと、酒臭い息でごきげんに海の神を讃える歌を口ずさんでは身体を揺らしていた。


「いつもの店がだめならさ、行ったことのない店、会ったことのない奴だ。ね、あんた一緒に飲もうよ、飲もう。お兄さんも商人ならさ、船乗りの噂話が大好きだろう? 次に来る絹の色を教えてやるよ。それとも急いでるのかい?」

「いやぁ……実は金がなくてね。飲んでちゃおっかない主人に怒られる」

「しょうがねえな、ちょっとくらいなら奢ってやるからさ」

「はっはっは、船乗りは気前がいいこった」


酔っ払い船乗りのふりした近衛兵が、冷や汗をかいて愛想笑いを浮かべるショーン大叔父さんにべたべたとからみつく。

商人のふりをしている以上、奢ってもらう上に、商売関係の情報をちらつかされて断るのは不自然だ。無理に断れば疑われる。


「どうするかな、帰りの船に間に合えばいいんだが……」


ひきつった顔でとぼけるショーン大叔父さんを見つめながら、ウィルが小声で「兵士が増えてきた……」と呟く。

流石に、これ以上じっとしていたら掴まってしまう。ショーン大叔父さんに声をかけ、一か八かで走るしかない。

私がぐっと拳を握って樽の隙間で立ち上がり、走り出そうとしたその時だ。


「うるさいな、店先で騒がないでよ」


ギイィと蝶番の軋む音がして、ショーン大叔父さんのすぐ後ろにあった安宿の扉が開いた。いかにもかつらな金髪の痩せた女が、露出の多い派手なドレスの肩を直しつつ、だるそうに顔を出したのだ。

きつい香水の匂いが、湿った路地裏の土の匂いに混ざり、男二人が振り返る。


「あー、すみませぇん。お姉さんも一緒に飲みませんか」

「もう飲めないわよ。買ってくれるなら別だけど。ねえ、あなた、一夜の夢はいかが?」


その時のショーン大叔父さんの変わりようといったらすごかった。

あっという間に笑み崩れ、ここまで伸びるものかと感心するほど鼻の下を伸ばして、棒のように細い女の腰を抱き寄せたのだ。


「いやあすまん! 誘うのは別のやつにしてくれ!」

「なんだよ、つれねえな。金がないんじゃなかったのかい!」

「はっはっは、何とでも言え。美女に生まれ変わってから出直してくるがいい!」


清々しく片手を上げて話を切り上げようとするショーン大叔父さんに、偽船乗りの青年が笑顔をわずかに引きつらせる。

この状況で更に追いすがるのは、船乗りとしては不自然だ。さっきと立場が逆転している。


「さあ行こう、すぐ行こう。君の店はこっちでいいのかい?」

「あら、いいの? うふふ、じゃあ暖めてあげるわ」

「もう今夜は冷えて冷えて! 船の上じゃ凍えるかと思ったんだ!」


ちらっとショーン大叔父さんが裏路地を見渡して私を見つけ、こっちだとばかりに親指を傾け、キラキラした目で安宿の扉を開けた。

ウィルが「嘘でしょ!」と頭を抱え、屋根の上まで勢いよく引く。


「流石に一夜の夢が盛り上がってる宿にユレイアを隠すのはどうかと思うな!?」


幽霊の叫びはもちろん届かず、金髪の娼婦は色っぽく笑ってショーン大叔父さんの顎を撫でた。

早くしろとばかりに腕を大きく振るショーン大叔父さんの笑顔が、見たことがないぐらいまぶしい。


シレーネ大叔母さんに言いつけてやろうかな……。


身を挺して矢から私を守ってくれた尊敬がごりごりと削れていくのを感じながら、私はのそのそと樽の間から抜け出した。


「え、ユレイア行くの? これ行くの?」

「行くよ……だって行くしかないもん……しょうがないよ……」

「え、まあ、うん。そりゃそうだけどぉ……」


ウィルが、心底嫌そうにため息をつくと、美しい顔を最大限ゆがめてぱちんと指を鳴らした。途端に、ポケットに油断なく手を伸ばしていた偽船乗りの近衛騎士が、突風に足を取られて横倒しになった。

私は小走りで突然肘を強打して悲鳴をあげる男をなるべく迂回して小道を横切り、半端に開かれた安宿の前の石段を登り、扉をくぐる。


店に足を踏み入れるなり、扉は勢いよく閉じ、娼婦の香水の匂いが更にきつくなった。

室内は思いの他ランタンが多くて明るく、色鮮やかな美女の絵画が一面に飾ってある。


「私の部屋はこっちよ。一夜の幻でよかったら」

「はっはっは、君のような美人なら、一夜と言わず何夜でも滞在したいものだ」

「あら……嘘でもそうまで言ってくれるなんて嬉しいわ。沢山、優しくしてあげたくなっちゃう」

「や、優しく……!? それは、もう、ぜひそうしてもらいたい。いやはや、苦労したらそれなりのご褒美があるものだなぁ!」


ショーン大叔父さんは今にも踊りださんばかりの弾んだ足取りで、しなだれかかる娼婦の針金のような腰を抱えて薄暗い廊下を歩き、私はうつむき猫背でとぼとぼと後を追いかける。


「あの、ユレイア。僕、君のこと屋根の上まで運ぼうか? 一緒に星の数とか数える?」


ウィルが、私の頭上で申し訳なさそうに両手を握り込みながら慰めてくれたが、ショーン大叔父さんは娼婦の部屋にたどり着くと、さっと扉を開けて私に入れと促してくる。

安全のためとはいえ、教育に悪いにも程があるだろう。


姿はまだ子供なのに……と思いつつ、死んだ目で扉をくぐると、金髪の娼婦がショーン大叔父さんに腕を絡め、甲高く甘ったるい声で囁いた。


「ねえあなた、お忙しいのに、私を選んでくれた決め手はなぁに?」


ショーン大叔父さんは、でれでれとだらしなく頬をゆるめ、ぐいっと腰を抱き寄せて嬉しそうに言った。


「そりゃあ、妻にしたいほど美人だからに決まっているだろう? シレーネ」


私は耳を疑って固まり、ウィルが大声で「え!?」と絶叫した。

派手な化粧の女はしばらく黙ったが、ふかくため息をついて肩をすくめる。


「つまらないこと」


あてが外れたとばかりに退屈そうな顔をした娼婦が頭に手をやると、金髪のかつらがずるりと取れた。

中から現れたのは、きゅっとひっつめて結い上げた、くすんで地味な赤茶の頭だ。

次々とピンを外して前髪を垂らせば、急に年が十は上がったように見える。


「少しは騙されてくれる可愛げがあっても良いとは思いませんこと、あなた。あそこのお嬢さんみたいに」


その声は、まさしくシレーネ大叔母さんのもので、私はあんぐりと口を開けて固まった。ウィルも多分、私の横で同じような顔をしていると思う。

けれど、硬直している私達をよそに、ショーン大叔父さんは妻を抱き寄せた腕をそのままに大げさにため息をついた。


「そこは一目でおまえを見抜いた私の鷲の目を褒めるところだろう」

「よその女に言い寄られた時の、あなたの反応が見たかったものですから」

「勘弁してくれ。これ以上の命の危機は御免だ」

「命の危機を感じるような反応をしなければいいのではありませんこと?」

「気付かなかったらそれはそれで怒るだろう、おまえ」


私、今これ見ていてもいいやつなんだろうか。

さっきとは別の意味で気まずくて無意味に指先を揉んでいると、シレーネ大叔母さんが私に気付いてひょいと眉をあげた。


「生きてまた会いましたね、ユレイア」


淡々と揺るがない静けさで言われて、私は思わず背筋を伸ばした。


「え、あ……はい! シレーネ大叔母さんも、ご無事で……」

「イヴリンとアメリは無事です」

「ほ、本当ですか! よかった……!」


あの時別れたきりの二人の顔を思い出し、思わず涙ぐんでため息をついた。


よかった。本当に、よかった。

あの人達は無事だったのだ。


すん、と鼻をすすって袖口で涙をぬぐう。

ウィルも「よかったぁ……!」と安堵のため息をついて空中で胸を押さえている。

誰にともなく沸いてくる感謝の念に胸を満たしている私を、シレーネ大叔母さんは、派手な化粧のまま厳しい顔で淡々と見下ろした。


「ここは私が個人的に買い取った店です。そう味方も多くありませんから、奥の部屋で着替えたらすぐにスペラード伯爵家の船を出しますよ。ショーン、あなたは自分で着替えられますわね。ここで待っていてください」

「……シレーネ、優しくの件だが」

「空振り覚悟のまま徹夜で迎えに来た以上の優しさがありますかしら?」

「そんなぁ」


ショーン大叔父さんのお腹を、ぺしっといい音で叩いて、シレーネ大叔母さんは踵を返して「ユレイア、着いてきなさい」と言ってさっさと奥の部屋へ歩いて行ってしまう。

私は慌てて彼女を追いかけてその顔を見上げ──さっきと同じくらい衝撃を受けた。


「なんです?」


シレーネ大叔母さんは私に気付くと目元をぬぐって、きゅっと厳しく眉をしかめて冷たく聞いてくる。

私は首を横に振り、彼女の涙に気付かなかったふりをした。


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