第22話 城下町の幽霊騒動
「ユレイア、準備はいい?」
「いいわ。ウィルも大丈夫?」
「もちろんさ」
私達は、皆が寝静まった深夜にうなずきあうと、そっと寝台を抜け出した。
侍女アメリに寒いと嘘をついて増やしてもらった毛布を丸めて自分の形にし、靴下を三重にしてブーツを履く。
音を立てないように苦心していたら、ウィルがぱちんと指を鳴らした。
とたんに、洋服棚からはコートやマフラー、手袋、リュックサックがふわふわ浮いてきて、あっと言う間に身体にまとわりついた。
「エスコートするのでお静かに。お手をどうぞ、レディー・ユレイア」
しいっと唇の前で指を立てたウィルは、最初に目を丸くしていたとは思えない程、いたずらっぽくて楽しそうだ。
寝台に腰かけた私は、ちょっと口の端で微笑むと、彼に手をさしだした。
手袋越しに、掌へ風が巻き付いたのがわかった。
部屋の高い位置にある窓が勝手に開いて、私の身体がふわふわと浮き上がる。
私はまるで羽のない妖精のようにかろやかに空中をすべり、夜空の中に飛び出した。
「さあ、幽霊騒動のはじまりだよ!」
私の手を引くようにして空を飛んでいたウィルが、はじけるように笑いながらこちらを振り返る。
「遊びじゃないんだから、慎重にね」
そう言いながらも、私だって久しぶりの外にわくわくしていた。
外は息が真っ白く寒かったが、星が明るくて夜空は見事に晴れている。雪が積もっていないから、足跡も残らなそうだ。
振り返ると、私が出た南棟の窓はしっかり閉められ、一度開いたなどとは思えない。
高い所から見ると、スペラード伯爵の領主屋敷は、まるで要塞のようだった。
子爵の領主屋敷の十倍はある本館に隣接して、南北に客間や使用人用のお屋敷がある。
東西にはちょっとした森のある庭が広がっていて、そちらは今は深い闇に沈んでいた。
スぺラード伯爵家の屋敷は城を名乗ることを許されているから、別名黒翼城と呼ばれているらしい。黒い石壁と南北の別館を翼に見立てているのだと、この間、家庭教師のアルマ先生に教わった。
「本当に、大きいお屋敷……」
私は小さく呟いた。
屋敷と庭を囲む高い塀には灯りがともり、ゆっくりと動いている。塀のてっぺんで兵士が巡回しているのだ。
トーラス子爵領の使用人たちは七割近所の農家からの通いだったし、兵士だって普段は羊飼いか畑作をやっていたけれど、きっと彼らは騎士や兵士だけでお給金をもらっているのだろう。
そして、彼らを支えるだけの税収がスぺラード伯爵領にはあるのだ。
「王宮を見せてあげたいな。きっと驚くよ。……さ、スペラードの街はあっちだ」
ウィルがふわりと手を引いて、少し高度をあげた。
足元に広がっていたスぺラード伯爵領の領主屋敷が、軽々と後ろへ流れ去っていく。
水の流れる掘を飛び越えれば、山の斜面の中ごろに三つ、臣下達が住む砦が作られていた。
普通に歩いていけば、険しい山道を下りて兵士の守る砦を抜けるのは至難の業だっただろうが、飛んでしまえばちっとも関係ない。
最後の砦を抜けた先、山のふもとに広がっているのは、中心に運河が流れる、大きな街だった。
大通り沿いにきらきらと光が灯り、暗い中でもまだ街が目覚めてざわめいている。
城下街もやはり壁に囲まれていて、真横に切ったたまねぎみたいだ。塀と塀の間には町があり、どの隙間にも、みっしりと家が詰まっている。
「うん、強そうな街だね。流石、王国屈指の強さを誇るスペラード騎士団を持ってるだけあるよ。……あ、みてみてユレイア。あの大通り、ほとんど宝石店じゃない?」
「本当だ。お祖父様はダイヤモンド鉱山を持ってらっしゃるって聞いたから、それかな?」
「うーん、豊かな街だなぁ」
ウィルがなんだか嬉しそうに頷いて、一番外側の街までひとっとびしてくれた。
一番外側の壁は、一番新しくて高さがあった。きっと、外から攻め込まれたら、塀についた扉を閉めて戦うことができるのだろう。
けれど、今、街は平和そのものだ。
レンガ造りの街に街灯が淡くともり、行き交う人の中には騎士や兵士が目立つ。
私は、コートのポケットから、ウィルが夜中のうちに図書館から書き写してきた地図を引っ張り出した。
「えーと。まずはあそこかな」
うすぼんやりとした月光の中、建物についた丸を見つけだし、あそこ、と指さす。
まだ夜の早い時間だが、酒場には灯りがともり、表通りに楽しそうな声が落ちている。
私達は顔を見合わせ、慎重に降りていき、ひときわ賑やかな店の屋根にそっと降りた。
これで、屋根の上といえど、私はお店の中に入ったことになる。
だから小声で、そっとウィルに囁いた。
「ウィル、入っておいで。この酒場に入っていいよ」
すると、ウィルの足がするんと屋根の中に消えていった。
手を振って「いってくるね」と笑うウィルを「頑張って」と両手の拳を握り頷いて見送った。
屋根に一番近い窓がほんの少し開いたのか、中からにぎやかな歓声が聞こえてくる。
「スペラード騎士団に、かんぱーい!」
「ああ、黒き輝きを持つ我らが四つ翼の鷲よ! っかー、かっこいいねえ、騎士団様はよぉ!」
「お前も入ってみろよ。何しろ実力主義だ、鉱夫出身の荒くれ者でも、規律がたたき込まれれば騎士団に入れるらしいぜ!」
「馬鹿野郎、俺が騎士団に入ったら、誰が大通りの街路樹を管理すんだよ!」
どっ、と客の笑い声が足元から噴水のように湧き上がる。
酒場の人間は楽しそうだったが、たぶんここではないだろう。
「なかったよー」
案の定、ウィルがそう言って、にゅっと屋根から生えてきた。
私は「ありがとう」とねぎらうと、地図を取り出し次の酒場を指さす。
ウィルが頷いて窓を閉め、またふわりと身体を飛ばしてくれた。街は街灯で明るかったが、それも大通りだけのことだ。小さな暗い路地を選んで飛べば、屋根の上を飛ぶ子供を見とがめる者など誰も居ない。
私達は地図とにらめっこしながら、次々と街の酒場をのぞきこんだ。
「ダイヤモンドはでっかいのが正義だろうが!」
「いいや、透明度が高いのを職人技でカットするのが一番いいに決まってんだろ!」
──ここではない
「急にドレスの注文が入って大変なのよ。急ぎで次々に。ありがたいけどね」
「よかったじゃないか」
「でもあのお客様わがままだから、王都風にしてくれって後から言ってきそうなのよ……」
──ここではない
「ああ、本当に許せないさ……。信じられないね、俺は。あのいたずら小僧が、ラル坊ちゃんが……」
いくつか酒場を点々とした私達は、ようやくそこで、ぐっと拳を握った。
ウィルが屋根の上にすうっと顔をだして、興奮気味に前のめりになる。
「あった、あったよ! 銀髪の少年の肖像画が隅っこに飾ってあった! あと、骨付き肉のスープがメニューにあったよ!」
「お父様が自慢してた通りだわ……!」
私はさっそく屋根の上でリュックサックを降ろして中身を取り出して、全部を順番に屋根に乗せた。
指を鳴らしたウィルの不思議な風に従って、布地がふわっと起き上がる。
「どう? 似合ってる?」
「お父様はもっと背が高い。あと掌ひとつぶん上にあがって。……いいえ、もっと。もっとあがって、うん、そう……そのくらいね」
「えー、ちょっと背が高過ぎない?」
「背が低いお父様なんて、偽物だってすぐばれるわ」
こそこそ最終調整をしてから、私は、うん、と頷いた。
ごみ処理の焼き場から見つけて来たスペラード騎士団の廃棄マントと、半分焦げたせいか捨てられていた銀の刺繍糸を組み合わせた特製変装セットはなかなかの出来だった。
材料調達はウィルで、制作は私だが、マントが本物のお陰でかなり本格的だ。
「よろしくね、ウィル」
「まかせて、ユレイア」
ウィルがぱちんとウィンクして、ふわふわと酒場の扉から少し離れた所に降り立った。
表通りは人の目があるので、裏路地に近い、薄暗いけどぎりぎり街灯の光が届くところだ。
ウィルが小石を浮かせて、コン、コン、と酒場の扉を叩く。
「あいてるよ! 勝手に入りな!」
店員さんが乱暴に叫んだけど、無視をして、コン、コン、と小石で扉を叩き続ける。
しばらく店員さんは店の中から怒鳴っていたけれど、やがて「まったく、なんなんだ……」と言いながら扉をあけた。
くたびれた感じの、頭のてっぺんがはげ上がった筋肉質のおじさんが、暗闇の中で目をこらす。
「誰だ……? おい、いたずらか?」
半分酔っているようで足はふらつき、暑がりなのかこの寒いのに半袖のままだ。
私は、玄関の真上にある屋根に伏せ、なるべく低い声でひそひそと囁いた。
「やあ、おじさん」
まだ耳の裏に鮮やかに残る、お父様の気さくで柔らかい声をまねして、私は囁く。
「だ、だれだ……?」
怯えるおじさんが周りをきょろきょろ見回す。
私は少し黙った後、唇を舐めて、またそっと囁いた。
「やってるかい、半袖おじさん」
おじさんの身体が、びしっと固まった。
お父様は、騎士団の時の話はしたがらなかったけれど、下町の優しい人達の話はよくしてくれた。
フライパン兄さんに、花柄おばあさんに、半袖おじさん。色んなあだ名で呼んでたって聞いている。あっていてよかった。
「う、うそだ……うそだろう……いや、まさかな……飲み過ぎだ……」
半袖のおじさんが、怯えた目で周囲を見回す。
後ろに一歩下がった瞬間、コン、と今度は後ろで小石が跳ねた。
おじさんは勢いよく振り返り、喉の奥でひっ、と野太い悲鳴をあげた。
街灯がかろうじてとどく薄暗い路地に、ぼんやりと焼け焦げた銀の髪が垂れ下がって、風もないのに揺れている。
埃をかぶった黒い布地がひるがえった。ぼろぼろの騎士団マントの紋章が一瞬、街灯に照らされる。
背の高い誰かが、たたずんでいる。
屋根の上から、私は囁く。
「半袖おじさん、骨付き肉と野菜のスープ。チーズ大盛りでお肉も増やして。黒パンもつけてくれるかい」
半袖おじさんは、今度こそ「うわあああ!」と野太い悲鳴をあげた。
けれど逃げようとはせずに、裏路地の方、ぼろぼろのマントの男がたたずむ方に走っていく。
ウィルがくるりと一回転すると、マントのフードからたなびいた銀髪が、きらきらと月光に輝いた。風にひるがえるマントの下に、足はない。
顔の近くで浮いている赤い実は、暗い中だとほの赤い瞳のようだ。
「おい! おい! おい待ってくれ!」
半袖おじさんが近づいた瞬間、ウィルは暗がりの中に飛び込んだ。
半袖おじさんは気付かずに路地の裏まで駆け込んで、井戸とゴミ焼き炉がある広場に出てしまった。
がらんとして誰もいない広場をうろつく半袖おじさんに、店の裏戸から出てきた青年が心配そうに声をかける。
「どうしたんだい、親父」
「あの子だ! あの子が居た! ラル坊ちゃんが! 俺に会いに来てくれたんだ! きっとお腹を減らしてるんだ!」
「何言ってんだよ、ランドルフ隊長は、この間……」
「だから幽霊さ! 幽霊が出たんだ! ああ、きっと何か言いたいに違いない!」
「親父、飲み過ぎだぜ……」
青年になだめられても、半袖おじさんは目に涙を浮かべて興奮気味だ。
扉が閉まったのを確認すると、私はそっと身体を起こした。
ごめんね、半袖おじさん……。
胸の中で小さく呟き、膝を抱える。
騙してしまって申し訳ない気持ちが半分と、本当じゃなくても、お父様の幽霊に会えてうらやましい気持ちが半分の複雑な気持ちで、胸がもやもやとする。
ウィルが、マントを壁にぴったり貼り付けて、するすると屋根の上にあがってきた。
どうやら変装道具を折りたたむ事で難を逃れたらしい。
ウィルは私を見つけると、キラキラと目を輝かせ、お人形みたいに整った顔をはじけるようにほころばせた。
「すごい、楽しいね! 僕、今すっごく幽霊っぽい! やっぱり幽霊たるもの、一度はこういうのやってみたかったんだ……!」
私はウィルのはしゃぎっぷりに、ちょっと笑って立ち上がった。
「大成功ね、ウィル。お疲れ様」
「上手だった? ねえ、ユレイアは上手だったよ。少年っぽい声がよく出てた!」
「ウィルは暗がりの立ち方がとっても恐くてよかったわ。銀の糸もちゃんと銀髪に見えてたし」
「やったーー!」
褒められて、くるくるとつむじ風みたいに回るウィルの足下で、私はリュックサックへ変装セットを畳んで仕舞い込んだ。
まだまだやることは沢山ある。
今日だけでも、あと四件はお父様が昔常連だった店を見つけ出さなくっちゃいけないのだから。
「さぁーて! どんどんいこう!」
ウィルは元気いっぱいで私の周りを飛び回り、私はマルをつけた地図を広げた。
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