56話 目指すは西方大森林

──なお、ユレイアの西方大森林行きについては、来年の春とする。


「……遠すぎ!」


私はスペラード伯爵のサインが書かれた木札をぐっと握り込むと、居心地の良いソファから勢いよく立ち上がり、自室を飛び出した。

小さなランタンをいくつも腰に下げたイヴリンが、影のようにするすると私の後をついてくる。


「確かに敵が多いのはわかっているけど、ちょっとは考えてくれても良くないかしら!」


ずんずん廊下を歩く私の肩近くで、足を組んで優雅に浮いたウィルが肩をすくめた。


「貴族の動き方としては妥当なんだけど、来年の春だともう回帰しちゃってるからねー」

「シレーネ大叔母様はあんなにしょっちゅう領外に出てるのに、私は駄目だなんて!」

「そりゃユレイア、君のささやかな逃亡劇が記憶に残ってたら、いくら厳格な伯爵でも、ちょーっと手元に置いておきたくなるんじゃない?」

「お祖父様ってば、私を城の外に出したら風船みたいに空へ飛んでくと思ってるんだわ!」

「フウセン……?」


私の、独り言のふりをしたウィルとの会話を、イヴリンが静かに聞きとがめる。

私は焦ってごまかし笑いをした。


「こ、故郷にあった、お洗濯のしゃぼん玉みたいに空を飛んでいく丸いオモチャよ。あんな風に飛べたら素敵よね」

「……ユレイア様は、空が飛びたいのですか?」

「そうね、それが出来たらお祖父様にばれないようにお出かけできるもの」

「ユレイア様がお望みなら、叶えますが」

「イヴリンがお祖父様に叱られちゃうわ。あなたは今や重要な魔術具研究員なんだから、そんなことで評判を落としたら駄目よ」

「そんなことではありません」

「あら、じゃあ私、無茶できないわ。あなたが大事だもの」


ころころ笑って言ったら、イヴリンは黙ってしまった。

評判の才女たる彼女が言葉に詰まるのは珍しいな、と思っているうちにお祖父様の部屋についてしまった。

扉を守る騎士が、少し迷ったように先客があることを告げてくる。


「必要でしたらお呼びとお伝えしますが」

「いいわ。応接室で待たせてもらうから」


お祖父様はいつも私の話を優先してくれる。

それが逆に私は申し訳なくて、よっぽど急ぎでない限り、順番を飛ばさせるようなことはさせなかった。

少しお茶でももらおうかと思っていたけれど、騎士に開けてもらった扉をくぐった瞬間、執務室に居る客の声が響いてきた。

声が大きすぎて、盗み聞きするつもりもないのに聞こえてしまう。


「お祖父様! どうかお……私を騎士見習いとして傍においてください!」


先客はアースだったらしい。

何故か最近は顔を合わせてもあまり嫌味を言ってこないと思っていたら、いつの間にそんな野望を抱いていたのだろう。


思わずソファで耳をそばだてれば、ウィルがこっそり執務室に続く扉を薄くあけてくれた。


「騎士の訓練を真面目にやっている事は知っている」

「ありがとうございます!」


お祖父様の低い声まで聞こえてきて、私はついつい扉に近い側のソファに座ってしまった。


「だが、何故」

「船のランタンを射貫くような騎士になりたいからです!」

「……ユレイアを助けたいのか」


意外そうなお祖父様の低く渋い声に、私も思わず頷きそうになった。

必要だったとはいえ、私が始めた事業の影響でご両親は今までの何倍も忙しくなってしまったし、後から来た私の方が黒翼城の中心のような存在になってしまったから、さぞ嫌われていると思っていたのに。


「そういう訳ではありません。ただ、お祖父様の後ろ姿が格好良いと思っただけです」


案の定、気分を害したようなアースの声に、お祖父様はわずかに黙ってから、低く呟いた。


「お前には寂しい思いをさせた」


えっ、とアースが戸惑う声が聞こえた。


「最近この城では、誰もがユレイアばかりを見る。黒翼城で生まれ育ったお前ではなく、来たばかりの少女を褒め称える。そんな中で、自分の夢を見つけたのならば、お前は騎士の素質がある」


私とウィルは、思わず目をまんまるくして顔を見合わせた。


あのお祖父様が! 子供に気を遣っている!


「お、お祖父様……!」


歓喜のあまりか涙の滲む声で呟くアースに、冷水を浴びせかけるようにお祖父様が「しかし」と言った。


「かつての罪は償わねばならん。ここに来たばかりのユレイアに悪いことをしたのは分かっているな?」


う、と呻いた後に、納得いかないと言わんばかりのアースの声がした。


「だって、お父様とお母様がそうしてたから……」

「お前は、どうだ。お前はあの行いを正しかったと、今でも思うか? 父母を咎めなかった己は、騎士たりえると思うか?」


有無を言わせぬ低い声に、アースが押し黙った。


「他人ではなく、自分の騎士道に従い、罪を償う方法を考え、行うといい。それが出来たら、私の騎士見習いの道を考慮しよう」

「……わかりました」


アースの声はむくれていたが、私から見たら破格の条件だ。

それこそ、将軍伯爵の傍に仕える騎士になりたい人間なんて、スペラード伯爵領には山ほど居るのだから。


挨拶の後、執務室の扉が開いた。

少し痩せて陽に焼けたアースは、私が応接室に座っているのを見てぎょっとしたらしい。

とっさに何か言いかけて、けれど、結局やはり、いつもの朝食の席のように、顔をしかめて気まずそうな顔をして無言で横を通り過ぎていった。

騎士になる道のりは遠そうだ。


何度か振り返って物言いたげな顔をしたので、お茶を飲むふりをして待っていたけれど、結局アースは黙って応接室を去った。


頑張れ少年。ごめんね、私がたまたま人生二回目だからなだけだからね……!


心の中で励ましつつアースを見送って、私はソファから立ち上がる。

けれど、何故だかウィルはついてこないまま、閉まった扉を見つめていた。


「……妖精が騒いでる」

「え?」


どうしたの、と顔で問えば、静かな緊張を身にまとったウィルが、ふっと私耳元へ顔を寄せ、小声で告げた。


「ユレイアはお祖父様と話してて。僕ちょっと見てくる」


言うなり、ウィルは逃げていく小魚みたいに素早く、ぱっと廊下へと消えていってしまった。

追い掛けたかったけれど、今から引き返すのは不自然だ。

私は後ろ髪引かれる思いで、お祖父様の応接室に入っていった。


「ユレイアか」

「お祖父様、ごきげんうるわしく。今日もスペラード伯爵領に赤き軍神の加護がありますように」


スペラード領内では鉄板の口上を、ウィル仕込みの優雅さでスカートをつまみつつ足を下げて告げる。

ほう、と顎を撫でたお祖父様が、執務机から立ち上がった。

わざわざ私の前に立ち、膝をついて目線を合わせると、目の端に皺を寄せて柔らかく言った。


「ユレイア。祖父に成長を見せてくれたこと、嬉しく思う。近々、お前に相応しい報酬を与えねばと思っていたところだった」


文句を言いに来たのに、挨拶もそこそこに褒められて、私は出鼻をくじかれた。


「そ、そうでしょうか……? 評判の料理店を何軒も作ったのはショーン大叔父様ですし、スペラード領に殺到する客を安全に誘導したのは騎士達です。食品の冷凍を実現出来たのはイヴリンあってのことですし、各地の飲食店に卸す船乗りを集めてきたのはシレーネ大叔母様です」


私の気持ちを知ってか知らずか、お祖父様は、将軍伯爵の顔しか知らない臣下が見たら三日三晩うなされそうな柔らかい表情で、私を優しく見つめる。


「何を言う。急に人が増えたのだ、食料の問題は急務だった。解消したのはおまえだ、ユレイア」

「いえ、でもそれは……」


私は困って曖昧に微笑んだ。


このまま美味しいレシピを教え続けたら、絶対に食料が足りなくなる、と一番最初に察知したのはウィルだ。


私としては、スペラード伯爵領は、カウダ川周辺の穀倉地帯や点在する街、竜背山脈を超えた先の極寒のダイヤモンド鉱山までを含んでいるから、そこまで緊急ではないと思っていた。


確かに、最も栄えているのは間違いなく黒翼城付近の城下町で、極端に土が少ない。

岩と薄い土の層ばかりが広がり、畑作にはあまり向かない。

でも、だからこそ、ここは、主に貿易によって経済が成り立っているし、その基盤もあるのだから……と悠長にとらえていたのだ。


だがウィルは、料理の店で評判になったのなら、自分の領で生産出来る方がいいに決まっている、と頑として譲らず、急務でどうにかしようと大騒ぎしてくれた。


だから私はそれを聞いて、一緒に頭をひねっただけ。


「多くの人の助けがあってこそ、です」


幸い、黒翼城が建つ山は、元々湧き水と細い川が多い土地だった。

その影響もあって水路は作りやすく、お陰で城下町の庶民の足は基本的に船だ。

山に築かれた坂ばかりの街を、石組みで囲われた川が葉脈のように流れているのを見て、ふっと思いついたのだ。


水栽培ならできそう、と。


それで、こんな水栽培の棚があったらいいな、と思って絵に描いて提出したら、周りが現実的な案として落とし込んでくれて、あれよあれよという間に実現してしまった。


「造船の過程で出る廃材を使えばいい、と言ったのはシレーネ大叔母様ですし、育てて欲しい野菜を教えてくださったのはショーン大叔父様です。何より、水路の沿いに水栽培の棚をあっという間に作らせてしまったのは、お祖父様ではありませんか」


単に私が前世、台所で根っこだけのネギや豆苗をちまちま育てていた経験があっただけなので、あんまり褒められると居心地が悪い。


「だが、城内で水槽を作らせ、魚を育て、その水を使って野菜を育てさせよ告げたのはユレイアではないか。お陰で水が濁らず、野菜も魚も強く育った」


それに関しては、金魚の水草を野菜に出来ないかと思っただけだ。


「うまくいくまで繰り返し努力した方々がいてこそ、です」

「確かに一人の力ではない。だが、城下町で食料を作るのは、スペラード伯爵領長年の夢であった。それを叶えるきっかけは、紛れもなくお前だ」


そうだったのか。

言われてみれば、もしもの戦の時に籠城するならば食料の確保は絶対だというのに、思うように畑を作れないというのは歯がゆいものだろう。

軍属らしい考え方だし、私には思い付かない方面だった。


「けれど、実際に水栽培の棚を作り、管理しているのも、収穫して料理をしているのも、それを商売として成立させているのも、別の人達です。私は、ただ……たまたま知っていたことを伝えただけで」


ごにょごにょと口の中で呟いたら、お祖父様は私の頭にぽんと手を置いて、大切そうにさらさらとつむじを撫でた。


「お前は褒め言葉を受け取るのが、相変わらず苦手だな。そこは私に似てしまったか」


急に鼻がツンとして、私は眼の奥があつくなるのをこらえてうつむいた。

お父様は沢山褒めてくれたし、逆に褒められるとおどけながら得意になってくれていた。

そういうところが大好きで、でも同時に寂しかった。

だって。


「……私は、髪の色も、瞳の色も、性格だって、お父様にもお母様にも似ませんでした。それで落ち込むこともあって……。でも私、お父様で繋がって、お祖父様に似たのですね」


私の頭を撫でるお祖父様の手がわずかに止まった。ほんの少しだけ黙って、しみじみと掠れた声で囁く。


「……ユレイア。知っているだろうが、お前の髪も瞳も……亡き妻と娘とそっくり同じだ。私が、どれだけ慰められることか、お前は知るまい」


お祖父様の手が、私の頭を慈しむようにそっと撫でる。

会ったばかりの頃はあんなに下手だったのに、今、髪は絡みもせずに、さらさらと柔らかく揺れている。


「本当は、いつだってお前には褒美をやりたいのだ。いくらでも好きな物を与え、好きなことをさせてやりたいくらいだ」


あながち冗談とも言えない口ぶりでお祖父様が言うので、私ははっとした。

そうだ、ここに何をしに来たのかを思い出さなければ。


「で、でしたら……私、西方大森林へ調査に」

「ならん」


間髪入れず食い気味に断られて、私はぷくっと頬を膨らませた。


「褒美をくださるといったではありませんか!」

「騎士団の訓練が終わっていない。お前への忠誠心を見極めるには、今少し知識と年月が必要だ」


きっぱりと言い切られて反論したくなる。

だって、あの逃亡劇以来、王室も公爵家もほとんど何も言ってこないじゃないですか!

もうそろそろいいと思いません!?


「新しい船の航路が開拓出来るはずなんです。シレーネ大叔母さんと約束したんです」

「ならば尚更、慎重に測量せねばなるまい」

「今、ショーン大叔父様の事業もうまくいっています。どんどん船が新しく必要になり、木材が高沸しています。領民も困っているのですから、西方大森林に向かい、森の王に許しを乞える道を見つけて値段を元に戻したいのです」

「木材は高くなったが、料理のお陰で人が増え、仕事も増え、木材の値段以上の儲けが出ている。そう欲をかくものでもない」

「機を逃したくないのです。お考え直しください」

「もしも本当に出かけたいならば、私に弓比べで勝ってみるがいい。それならば、どのような敵も退けられると認めて、自由を与えよう」


かぐや姫より無茶なことを言い出したお祖父様に、私はちょっと絶望的な顔をして黙った。

誰か勝てるとでも思っているのだろうか、この最強老人に。


「……お前は、少し自分の立場を考えなさい」


穏やかに言いながら、最後と言うようにお祖父様は頭を大きくかき回して笑った。


もう少し何か言えないかと、暖かな掌を名残惜しく思いながら思案していた時だった。


「ユレイア! やっぱりだ!」


ウィルが壁を突き抜けて飛び込んできて、ただでさえ真っ白い顔色を青ざめさせて、一声で叫んだ。


「アースが誘拐される!」


やだ。

またお祖父様が正しかった感じなの?

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竜の妖精姫《レガリア》回帰せよ 沙藤菫 @satousumire

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