王弟殿下と妖精達
52話 革命的な一皿
「ショーン大叔父様、おはようございます。ユレイアが参りました!」
笑顔全開で東の塔を訪ねることなんて、絶対にあり得ないと思っていたのに、人生なんて分からないものだ。
扉を守るショーン大叔父さんの護衛騎士は、流石の統制で顔色ひとつ変えなかったけれど、室内の足音はどたばたとやかましく、勢いよく扉を開けた部屋の主はわなわなと震えていた。
「馬鹿者! 私達は仲の悪い親戚ということになっているんだから、こんな真っ昼間から大声で訪ねてくるんじゃない……!」
極力小声で怒鳴りながら、ショーン大叔父さんは猫の子でもひっつかむようにして私を部屋に入れてくれた。
信頼する幼侍女イヴリンと、青年護衛騎士バーナードも当然のように後について入ってくる。
ショーン大叔父さんは、扉を守る彼の護衛騎士をひと睨みし「忘れることだ」と呻いて扉を勢いよく閉める。
「それで、何の用だね」
ショーン大叔父さんの部屋は、香り高いお茶の香りが立ちこめていた。
朝食はまだだから、朝のリラックスタイムという感じなのだろう。
片手を振って侍従を追い出した彼は、ため息交じりにどっかりとソファーへ腰かけると、飲みかけだったらしい華麗なカップへ口をつける。
私は、勝手にソファの反対側に腰かけると、にっこり笑って上品に胸に手を当てて、朗らかに言った。
「ショーン大叔父様、いい商売があるので諜報活動をしながら船で国中を回ってください!」
ショーン大叔父さんは勢いよくむせて、身体を折りまげて苦しみ始める。
「あ、大丈夫ですか……!」
私は慌てて腰を浮かせながら、昨日の夜、寝る前にウィルとした会話を思い出していた。
* * *
「ねえウィル、あなたまだ即位出来たことないのよね?」
夜風でくしゃくしゃになった髪をベッドの上で梳きながら聞くと、ウィルがきょとんとしてから頷いた。
「そうだよ。その前にいつも暗殺されてたから」
「それじゃあ、今まで殺されないように、暗殺者や首謀者を探すってことに気を取られてたでしょう?」
「そうそう。よくわかったね」
「なら、幽霊はもう絶対暗殺なんかされないんだから、今は王様の練習しましょう」
「待って、ごめん、急にわかんなくなった」
「スペラード伯爵領を、小さなアウローラ王国だと思うの」
「ど、どういうこと……?」
目を白黒させながらシーツにちょこんと降りてくるウィルに、だからね、と私はブラシを振った。
「スペラード伯爵は、心配性の先代の王様。大叔父夫婦は大臣で、アメリは先代王の宰相。イヴリンやバーナードは仲の良い領地の伯爵だと思って、これからの身の振り方を考えたら、ちょっとは練習になると思って」
「領地経営と国の経営ってかなり違うんだけど……」
「何事も、小さなものから始めるものよ。統治なんだから同じ場所だってあるはずだわ」
「馬に乗るのと船に乗るのは違うんだけどな……」
「移動出来るってところは一緒でしょう? さあ、やっかいな外交が始まったわ。この地の財宝を求めて難癖をつける客が、これから沢山やって来る。ウィルは王様として、臣下に命令をしてうまく切り抜けなくっちゃいけない。頑張って国を大きくしてね、よーいどん!」
ぱん、と手を叩いて告げたら、ウィルは勢いに押されて慌ててこめかみに指先を当てて唸り始めた。
「え、ええと。それじゃあまず、僕の美貌でにこやかに外交官を籠絡……あ、出来ない!」
「ウィル、あなた普段そんな手を使ってたの……」
「使えるものは使うべきだよ。ええと、これが出来ないなら……そう! 相手の好みと弱みを調べて仲良くなってから、僕に味方すると得だよってほのめかして……」
「多分かなりの量の客が一気に来るけど、一人一人やれそう?」
「大丈夫、王宮に来る貴族の人間関係も弱みも好みも全部把握してるから、七日間くらい宴席を盛大に開けば……あっ」
「私達、今からスペラード伯爵領をどうにかしなくちゃいけないのよね。半分くらいは多分、知らない人だわ」
うーっと頭を抱えたウィルは、それでもすぐに切り替えて、決意を込めて拳を握った。
「それじゃあ、知っている人を使うよ。シレーネ大叔母さんならある程度の人間関係は把握してると思うし、アメリやスペラード伯爵に聞けば教えてくれるはずだ。……ねえユレイア、君の所に多分いくつも贈り物が来てるよね?」
「うん。王都オーブに居た時山程もらった気がする」
「後で目録を探してくるよ。その中から、もらった情報を元にして、籠絡したい相手の好きそうなものを贈ったりして、仲良くなっていく!」
前もそんな感じのことをしてたんだろうな、という手慣れた感じに、私は絡まった毛先をブラシでほどきながらため息をついた。
「王子様に贈られた宝物って、全部が王子様のものになるのかと思ってた……」
「気に入ってますよ、って言わなくちゃいけない相手の時はちゃんと使うよ」
「夢がないわ……」
「すごく大事な相手の時はちゃんと思い出に残すけどね。でも、今回は時間がないから外交用には贈り物を使いたいかな。あとは、教育した使用人を、贈り物と一緒に潜り込ませて……いや、そんな人いないな。じゃあ、お金で雇う……いや、そもそも雇う相手に通じた人なんていない。ああもう、相談出来る家令も宰相もいないなんて!」
しばらく両手を勢いよく回していたウィルは、ふいにぱちんと両手を叩いて私を見た。
「……いた」
私の指から勝手にブラシが飛び出して、丁寧に髪を梳き始める。
「ユレイア、スペラード伯爵が先代王なら、君は僕の宰相だよ」
「私でいいの?」
鏡台の上にあった柑橘類の髪油が瓶ごと掌に飛んできたので、両手に出して揉み込みながら首をかしげる。
ウィルは楽しげに指を振ってブラシを操り、ぱちんと音が出そうな完璧さで片目をつむってみせた。
「君しかいないよ。僕の知らない世界のことを思い出して、知恵を授けて欲しいな。僕のレガリアさん?」
まあ、確かにこんな例え話をしておいて、私自身を数に入れていなかったのは変なことだ。
うーん、と毛先にさわやかな香りの髪油を塗り込みながら、私はウィルを見た。
「じゃあ聞くけど、ウィルはこの後、スペラード伯爵領をどうしていきたい?」
「そりゃ、君を守り切れるくらいの力が欲しいな。人脈、武器、財力、特産品なんかを使ってさ。街を整備して暮らしやすくして、今ある特色を生かしながら、もっと価値の高い商品を流通出来たら理想だよね」
「つまり、お金が欲しいと」
「急に生臭くなったね」
「金策は大事よ」
「まあ、必要だね。僕としては、人脈を作ってしまえば後から諸々はついてくると思ってるけど。そうだ、せっかくだから君の方針を教えて。後は、ユレイアが個人的に大事だと思ってることとか」
同じくらいの目線でベッドに浮き、上品にせがむウィルに私は頭をかしげて思案した。
ブラシが巧みに踊り、さらさらになった髪が背中に落ちる。
「……トーラス子爵領の事件と、ウィルを殺した犯人を」
「今は無理。どっちも王城から情報持って帰れなかったんだから」
「うーん、だったら……」
私はしばらく腕組みをして再び悩んでから、実に小庶民的な結論にたどり着いて、はい、と肩のあたりで挙手をした。
「とりあえず、お世話になった人へお礼をしに行った方がいいと思う」
* * *
「ええと、それで……何だ? 諜報を私にさせようって言うのか? 船で? あれだけ私に手間をかけさせておいて、まだ何かさせようっていうのか?」
信じられん、と呻いているショーン大叔父さんに、私は「まあ」とわざとらしく両手を頬に当てて見せた。
「驚かせてしまって申し訳ありません。ひとまず、こちらを召し上がって落ち着かれてください」
うさんくさそうな顔をしているショーン大叔父さんの前に、イヴリンがしれっとした顔で銀の盆を運んでくる。
彼女がかたんと音を立てつつ皿を机に置き、埃よけの陶器のフタを開くと、中から香ばしい匂いが立ち上った。
白いパンに、緑や黄色、白や茶色の食材が挟まっているのを見て、拍子抜けしたようにショーン大叔父さんは鼻を鳴らした。
「なんだ、サンドか。古い臭い庶民の食べ物だな」
「まあそう仰らず。とりあえず、食べてみてください」
つまらなそうに手を伸ばしたショーン大叔父さんが、無造作にサンドイッチにかじりついた。
さく、と口元から軽やかな音がして、ショーン大叔父さんの目が丸くなる。
小言ばかり垂れ流す口が夢中で動き、二口目、三口目ごとに目線が皿へと釘付けになる。
「からあげのサンドイッチです」
私は心持ち胸を張って晴れ晴れと笑った。
からあげは、ちょっとダマになるくらいの小麦粉で作った衣をくぐらせて、たっぷりの油で揚げたから、外はざっくざくで、お肉はほろっと柔らかい。
レタスに似た柔らかい葉は少しピリ辛で、口当たりが爽やか。
お酢と油と卵で作った手作りマヨネーズに、ゆで卵とピクルス、オリーブの実をくわえたタルタルソースが絡んで、衣の油っぽさがまろやかさに変わっているはずだ。
「いいなぁ。美味しそう。ねえユレイア、回帰したら僕にも食べさせてね」
羨ましそうにため息をつくウィルに肩を軽くすくめていると、ショーン大叔父さんが目を白黒させ、早々に新しい一切れを取りながら言った。
「ど……どこの、誰が……こんな」
「私が厨房をお借りしました」
二切れ目で口が塞がっていたショーン大叔父さんの目が力一杯丸くなるので、何故かイヴリンが誇らしげに胸を張った。味見段階で一緒に沢山食べたから、どれだけ美味しいか知っているのが嬉しいらしい。
「これは……いや、なんだこれは……こんなもんが……うまい……」
ぶつぶつ呟きながら、ショーン大叔父さんは三切れ目も吸い込むように食べていく。
私は澄ました顔を取り繕いつつ、快哉を叫ぶのをぐっと堪えた。何だかんだ、美味しいと言ってごはんを食べて貰えるのは嬉しい。
早朝に起きてお弁当を作るなんて前世で毎日やらされたから、こんなのちょっと手間はかかるけど、簡単だ。
久しぶりだったけど全然手が覚えていたんだから、私も捨てたもんじゃない。
「ユレイア、お前はこの料理を一体どこで覚えたんだ? サンドっていうのは普通、ジャムだけか、葉と塩漬け肉だけだろう。こんな訳のわからん……信じられん……うまい……」
四切れ目を手に取りながら、ショーン大叔父さんがため息をつく。
質問には答えず、私はイヴリンが淹れてくれた薔薇のお茶を楽しみつつ、意味ありげに口の端を上げた。
「このような料理を、私はまだ百以上知っています」
大叔父さんは喉の奥で変な音を立てた。
「ショーン大叔父さんは、船で私の考案する料理を輸出して欲しいんです」
追い打ちをかけられて咳き込んだショーン大叔父さんは、思いっきり鼻に皺を寄せながら、何とか口の中の物を飲み込んで言った。
「船の上で食堂でもやる気か? 儲けが維持費と釣り合わんぞ」
「私がランタンで風を起こしたのは覚えていらっしゃいますね?」
すごく気持ち悪そうな、思い出したくもない顔で頷かれた。あれで船の皆の命を救ったのだから、そこまで嫌な顔をするのもどうかと思う。
「実はダイヤモンドを使えば氷が作れますし、目的の物を凍らせることも可能です」
ちなみにスペラード伯爵領にはダイヤモンド鉱山がある。
「宝飾用に使えないくずダイヤが、おそらく鉱山には山のように捨てられているでしょう。それを使って、物を冷やす箱を作ります。商売の基本は、安いものを使って何かを作り、他所に高く売りつけることです。スペラード伯爵領内で料理を作り、肉や野菜、料理を凍らせたまま船に積み込んで領地の外で売れば、領内で作った作物が、かなり高価になることでしょう」
王城でも食事をしたけれど、あの宮廷料理が最高峰なら、勝ち目はある。
アウローラ王国の料理事情は、私が見た限りだと味は美味しいが多彩さはない、が正直な印象だ。
アウローラ王国は、回帰の王が戦争を繰り返していた道中で衛生観念を手に入れたらしく、蛇口はなくても下水道はきちんとしている。
けれど、食事に関しては、良くも悪くも単調なのだ。
焼いた肉にソースをかけるとか、焼き菓子に砂糖衣で飾りをつけるとかそういう事はしても、肉に衣をつけて揚げる、とか、三つのパン生地の中に違う味のクリームを入れ、くっつけて焼き上げるとか、そういう複雑な発想はあまりない。
「沢山の料理を凍らせて、各地にスペラード領でしか作れない料理を出す店を作りましょう! 高級志向の店、庶民派の店、色々作ってその先で情報を集めれば、国中の噂が手に入りますよ。ショーン大叔父さんには、その統率をしていただきたいのです」
昨日ウィルと一緒に考えた、お礼と金策と人脈の確保をする方法だ。
これなら、一気に全部を解決出来るはず!
力強く拳を握る私に、ショーン大叔父さんは腹に手を当てて呻いた。
「お前は私の胃に恨みでもあるのか?」
「そんな。危ないところを助けてくださって、感謝しかしていません! お礼を申し上げに来ただけですのに……」
恨みがましいショーン大叔父さんの声に、心外だと訴えつつ口元に手を当てた。白々しい、と言わんばかりに鼻を鳴らされた。
「ただでさえ、お前を守るのにこれから面倒なことばかりだっていうのに、更にやっかいな仕事を持ってきて、何が感謝だね。子供は大人しく勉強して、身体を鍛えてせいぜい健康に気をつけるのが仕事だ」
相変わらず、この人は私のことを子供として守ろうとしてくれているらしい。
私は思わず苦笑した。
「領民達が、皆ショーン大叔父様のように優しい訳ではありません」
「私の胃と一緒に、目が悪くなってしまったのかね」
どこが優しいだ、と言うショーン大叔父さんのぼやきをさらっと流して、私は淡く微笑む。
「今は歓迎してくれていても、いつまでも私が連れてくるやっかい事を処理していれば、面倒に感じることでしょう。私は、スペラード伯爵領に富を与えなくてはいけません」
ショーン大叔父さんは、居心地悪そうに腕を組んで、気を取り直すようにお茶を飲んだ。
「……お前は、そんな庶民の戯れ言に耳を貸さんでいい」
「そういう訳にもいきません。やらなくてはいけないのです。けれど、商売をしたことのない私では、沢山の落とし穴や、細かい調整などは分からないでしょう。でも、ショーン大叔父様は度胸も機転もおありですから、きっとうまくいきます」
「あの時は奇跡的に上手くいった事の連続だったんだ! そもそも、シレーネが迎えに来なければ私も君もここには居ないんだからな、もっと感謝をせんか。感謝を」
「しているから、今こうして商売の話をしているんじゃありませんか。儲かりますよ。私に儲けの何割かは入れていただきますが」
「いつの間にそんなにがめつくなったんだ!」
ウィルが私の肩の近くで「それはほら、僕という有能な男が後ろにいるから、ねえ?」とひらひら手を振りながら微笑んだが、ショーン大叔父さんにはもちろん聞こえない。
「竜のレガリアとして、自由を買って生きるためですから」
静かに言った私に、深く深くため息をついて、ショーン大叔父さんは、一瞬で平らげてしまった皿の上を眺めて、ぽつんと言った。
「……なんだ、このくらいのうまさの料理が、あと何十種類も」
「百種類くらいはあると思います」
「……そんなにあるのか」
「味違いなどを入れていいなら、もう少し増えると思います」
多分、冷凍うどんとかも作れると思うし、餃子や肉まん、シュウマイに惣菜パンなんかも節操なく作れば、結構数が稼げるはずだ。
ショーン大叔父さんは悩ましそうに額を掻いた後、あー、と呻いて言った。
「最初に金と、人が要るだろう。あるのか。そういうのをスペラード伯爵に出してもらおうとするとな、厳しいぞ、あの方は」
「王都オーブで、カエルレウム公爵令嬢が、私あてに船を三艘贈ってくれているのを目録で見ましたから、それを使います。他にも沢山の宝石やドレスがありますから、あれらを元手にして最初の設備を作ります。もしも、最初にショーン大叔父さんが多めにお金を出してくださるなら、お渡しする儲けの割合について考えさせていただきます」
ウィルがあらかじめ考えてくれていた交渉内容をすらすら話すと、ショーン大叔父さんが腕組みをしたまま、ぶつぶつと何かを呟いて思考の世界に沈んでしまった。
「あの領なら確実に……あとは……シレーネには……他に作るとしたら……いくつか屋敷が……」
やはり、少し急ぎ過ぎてしまっただろうか。
お腹が痛いカエルのようなポーズで動かなくなってしまった彼に焦って、私はおずおずと尋ねた。
「……あの、その他に欲しいもの、あります?」
ショーン大叔父さんは、はっとしたように顔を上げると、大きく咳払いをした。
それから、わざとらしい威厳を取り繕って、少し頬を赤らめたまま空っぽの皿を指さし、実に尊大に一言告げた。
「では、こいつをもう二皿。妻と息子に持って行く」
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