ひっきりなしに鳴り響いていた戦闘の轟音が、止んだ。


 都市の外縁部の地形が変わっている。外壁にいくつも巨大な切れ目が入り、地面は砕け競り上がっている。


 そんな英雄同士の戦闘の跡が血霞の向こうに見え……そして、古城の周囲には、虚ろな目で佇む人々の群れがあった。


 この聖ルーナの生徒。そして、ここで暮らしている大人たちの全員。


 ブラドのまき散らした血の霧を吸い込み、ブラドの意のままに動く兵隊になった生徒の群れが、ブラドの意志通りに、この聖ルーナの本校舎傍に集っている。


 こいつらで、都市近郊までおびき寄せたアルバロスかユニオン。どちらかの軍隊を襲撃すれば、それは明確な戦争の引き金になるだろう。


 だが、それをする前に、目下一人残ったブラドのウォーゲームの障害への対処だ。


 ブラドは理事長室の椅子に付き、砕けた窓越しに血霞の先を眺め……小声で呟いた。


「どっちも殺さず、か。どっちか殺してイラついて来るかと思ったんだがな……」


 理事長室の中にはブラドの他に一人しかいない。ただの兵士にするには惜しい、大国の娘。一級の人質が一人だけ。


 直々に人形にしたリリは、部屋の隅に立ちただ佇んでいる。


 そしてその部屋。蹴り開けられて半開きの扉の影から、――他の人質候補が、ひょこりと顔を覗かせた。


「あ。……お父さん。まだいたぞ。ほら、サシャ」

「う、うん……。でも、」


 都市全体が血霞に呑まれテロリストに占拠され、向こうで英雄が地形が変わるレベルの戦闘を繰り広げていたとは到底思えない雰囲気で、少女達は言っていた。


(……平和ボケか)


 うんざり、呆れたようにブラドは胸中呟き、振り返る気にすらならずただ、窓の外だけを眺め続ける。


 そんなブラドへと、ロゼと共に部屋に踏み込んできたサシャは、言う。


「お父、さん?あのね……?」

「何しに来たんだ、ロゼ・アルバロス。気が変わって俺の駒にされに来たのか?」


 サシャの言葉を遮るように、振り向きすらせず言い放ったブラドへと、ロゼは応えた。


「アナタの計画にも、アナタの戦争にも、興味はありません。私はただ、……友達に家族と話す時間を上げたいだけです。その機会がなくなる前に」

「なくなる前?ハッ……んな機会はもう、ずいぶん前になくなってるよ。サシャが生まれた瞬間に。いや、……2年前に、か?」


 そう嘯き、道化はその顔に笑みを張り付け、ゆっくりと、振り返った。


 その視線の先。稲妻のバリア、結界で血の霧を遮断しているロゼが、僅かに顔をしかめてブラドを眺めている。


 そしてそんなロゼの横では、赤いドレスの少女が、伺うような視線をブラドに向けていた。


「だろう、サシャ?俺を殺した奴と随分仲良くしてたみてえじゃねえか。今更だとは思わねえか?話す事なんかなんもねえだろ。お前はもう選んだ。俺はお前の敵だ。それ以外に何かあるのか?」


 嘲るように、切り捨てるように。そう言い放ったブラドを、サシャはけれどまだ伺う様に見据えて――やがて、ポツリと言う。


「お父さん、」

「あァ?」


 まだ父と呼ぼうとして来る小娘を、“鮮血の道化”は鬱陶しそうにねめつける。だがそれに臆する気配はなく、どこか戸惑う様に視線をさ迷わせ、やがて意を決するように、サシャは言った。


「この、ドレスね。ヴァン兄が、くれたんだよ?」

「ハァ?」

「私、嬉しくて……何にもないのに着ちゃって、そしたら、こうなって。それで、あの……。お父さんは、誰かにドレス贈ったりとか、した事ある?」


 ブラドは返答せず、ただイラついたように顔を顰めた。

 そんなブラドを見据えて、サシャは続ける。


「ドレスじゃなくても、プレゼントとか、誰かに……。お母さんに、贈ったことある?」

「………………」

「あの。あのね?私ずっと、聞いてみたかったの。お母さんって、どういう人だったの?お父さんから見て、その……」


 戸惑う様に、どこか怯えたように問いかけてくる少女を、“鮮血の道化”は冷たい目で眺めていた。感情を廃したように、ただただ冷淡に道化は実の娘を見据え、それからその顔に、狂人の笑みを張り付ける。


「お母さん?……ミラの話か。ああ、鬱陶しい奴だったよ。うるさくてウザくて鬱陶しい奴だった。何もできねえのになんでもやろうとする奴だ。おまけにスタイルも悪い。色気ってもんがねえ。どこぞの小娘みてえにな。なんの取り柄もねえカスだ」

「もう少し、言い方が……」


 苛立ったように、ロゼはそう言いかけていた。けれどサシャはそんなロゼを手で制し、父をまっすぐ見据え、言う。


「それ、で?」

「それで?ハッ……。それだけだよ。家にいたクソ使えねえ使用人だ。なんで俺がメイドの尻拭いしなきゃならねえ?なんで俺がクソ爺に小言言われんだよ。ハッ、ハハハハハ。そうだな。あのクソ爺の髪がまだ生えそろってた頃の話だ。俺もまだまだガキだった頃の話だ」

「うん……」

「惚れた腫れた言う気はねえよ。それなりの家の若造が、うるせえメイド黙らせるために手籠めにした。そしたらテメェが出来ちまった。ただそれだけの話だ」


 嘲笑う様に言った道化を、他人のはずのロゼが憤ったように睨みつけていた。


 けれど、当事者であるサシャは、戸惑う様子を消して、静かにブラドを眺めて、促す。


「……それで?」

「それで?……話は終わりだ」

「終わりじゃないよ。……それで?」


 ただただ、静かに……どこか覚悟を決めた様な雰囲気で、サシャはブラドを見据えている。


 それをブラドは忌々し気に眺め、……やがてその顔に、また笑みを張り付けた。


「ハッ……。それで?続きか?ああ、そもそも贈り物をしたかって話だな。指輪は買ったよ。だが、俺も戦争で忙しくてなァ……。渡さずに捨てる羽目になったよ。誰かが生まれたおかげでな?」


 そうブラドが言った瞬間、サシャは僅かに眉を顰めた。

 それを、人の弱みに鼻の利く男は目ざとく見極めた。


 だから、――“鮮血の道化”は他人を嗤う。


「俺が指輪抱えて戦争してる時に、ミラがお前を生んだ。そしてその時にミラは死んだ。ハッ、……人間誰しも生まれる時は血塗れだよな。テメェは母親の生き血を啜って生まれた。母親を殺して生まれ落ちた。俺は指輪を贈る機会を失くした。……思ったよ。今も思う。テメェなんざ生まれてこなきゃ良かったんだ」

「…………っ、」


 突き放すように。意図的に、距離を置かせるように。


 怨嗟の言葉を投げつけた“鮮血の道化”を前に、サシャはドレスを握り締め、耐えるように唇を引き締める。


 けれど次の瞬間、サシャが口にしたのは、憤りでも恨みでも恐怖でも敵意でもなかった。


 サシャはただ、呟く。


「……良かった、」

「ハァ?」


 完全に予想の外にあった言葉に、“鮮血の道化”は思い切り顔を顰める。

 そんなブラドを。娘に対して生まれてこなければ良かったと言い切った男を、サシャはけれど安堵したとすら言いたげな微笑みで見据え、言い放った。


「お母さんは、ちゃんと。お父さんに好きになって貰えてたんだね?」


 その言葉を聞いた瞬間、ブラドの中で何かが欠け落ちた。


 それは情だろうか。それとも理性だろうか。“鮮血の道化”の仮面が欠け落ち、その奥から、何もかもを喪失した空虚な男の顔が覗く。


 もう、十分だ。

 反射的に、ブラドの脳裏にそんな思考が浮かぶ。


 ――これ以上喋らせる必要はない。


 ただそれだけを思ったブラドの周囲で、血の霧が集まり固まり、即座に大鎌の形を作り上げると、それは次の瞬間――母親とよく似た顔をした娘へと切り掛かって行った。


 究極的で反射的な、対人関係の解決方法だ。


 殺した相手は二度と自分に関わって来ない。

 明確に殺意を持った訳ではない。意図や思惑がある訳ですらない。


 ただ、戦場で生き続けてきた男にとって、他人を黙らせるために反射的にとる方法は、それだった。


「くッ……、」


 英雄崩れの一撃を防ごうとでもいうのだろうか。ロゼは大鎌へと両手を翳し稲妻の結界を強化しようとしていたが、それで防げるはずもない。


 ただただ冷徹にブラドは全てを眺め、刈り取ろうとする。

 そんなブラドを、サシャは安堵と諦めがないまぜになったような表情で眺め、囁いた。


「……話してくれてありがとう、お父さん」


 瞬間――轟音が、衝撃が、その空間を揺るがした。


 巨大な血の槍。バリスタとも呼ぶべきそれが、突如としてブラドの背後の窓枠を壁ごと粉砕し、ブラドの真横を通過して、降り抜かれようとしていた血の大鎌にぶつかると、それをへし折り粉砕していく。


 その光景を目の前に、父親はすぐさま“鮮血の道化”の仮面をかぶり直し、嘯いた。


「……ずいぶん、良い時に出てくるもんだな、」

「興味深い話をしていたので……、聞き入りました」


 声が、ブラドのすぐ真横から響いた。今、血の大槍と同時に、この場所に踏み込んできたのだろう。


 軍服を身に付けた青年。

 血のように赤い瞳で、苛立たし気にブラドを見据えているその弟子は、現れた瞬間にはもう拳を握り締めていて――。


「……場所を、変えさせてもらいます。師匠、」


 ――その呟きと共に、鉄拳は放たれた。


 ノーガードで喰らったブラドの身体が面白いように吹き飛んで行き、背後に開いた大穴からこの校舎の外。集めた兵士たちの頭上を飛び越えていく。


 そうして無理やりサシャから引きはがしたブラドを、飛び込んできた青年。

 ヴァンは睨みつけ……それから、言う。


「サシャ。師匠は……」

「良いよ、ヴァン兄。大丈夫だから」


 振り向いたヴァンの視線の先。どこか疲れた様な微笑みのままヴァンを見据え、呟いた。


「ヴァン兄に任せるよ。お願い、」

「……ああ、」


 それだけだ。それだけを言い放ち、吹き飛ばしたブラドを追いかけ、ヴァンは地を蹴った。


 *


 派手に吹き飛ばされた男は、やがて落下する。


 勢いのまま建物の壁を打ち砕き、瓦礫に塗れて地面に落ちて――そして降りかかった瓦礫に埋まる。


 だが、次の瞬間。男に覆いかぶさっていた瓦礫の群れが爆炎によって吹きとばされ、“鮮血の道化”は立ち上がった。


「……バカ力が、まったく」


 呻きブラドは周囲に視線を向ける。


 思い切り吹き飛ばされて無理やり変わったその場所は――ステージと客席を備えた広大な空間だ。


 オペラハウスの様なイベントホール。廃墟にしてしまうのは少し気が引けるような、華美な舞台。


 それを見回した末、ブラドは今自分が開けた大穴。壁の亀裂に視線を向けて、言った。


「変えた場所がここか?ここで暴れんのか?」

「場所を選ぶほど加減は出来ませんでした。だがまあ、……最低限広い場所だ。十分です」


 その言葉と共に、追ってきたヴァンがコートのように揺らめく血の波を引き連れて、その空間へと踏み込んだ。


 そして“鉄血の覇者”は、ブラドへと歩み寄りながら、言う。


「師匠。アナタを説得……するつもりです。ですが、その前に……」


 言葉が途切れる――その直後、まだ距離があったはずのヴァンの姿が、ブラドの目と鼻の先にまで迫り、突進の勢いのまま、その拳が振り抜かれていた。


「チッ、」


 舌打ちと共にブラドは両手を上げる。それだけでは足りないと、自身の血を盾のように集め、ヴァンの拳を防ぎに掛かる。


 だが、それらのガードの全てを、覇者の拳は打ち砕いていった。


 血の盾を砕いて尚余りある威力の拳が、ガードに上げたブラドの両腕を軋ませ――一撃の威力に、ブラドの身体はまた吹き飛ばされる。


 防御した分、さっき程の威力はない。だとしてもそれでも吹き飛ばされ、座席の群れをなぎ倒しながらブラドは背後へと滑って行き……けれど今度は倒れることなく、ヴァンを睨みつけた。


 そんなブラドを、赤い瞳は正面から睨みつけ、両の拳を硬く握り締めていた。


「まずは、俺の気が済むまで殴らせてもらいます、師匠。嘘だとしても、言って良い事と悪いことがある」

「ハッ、……なんだよヴァン。キレてんのか?」

「娘に泣きつく気になるまで殴ります。……どうせ鼻から情けない奴でしょう?」

「キレてんな、珍しいこった。ハッ……良いぜ。やれよ。やって見せろよ。派手に遊ぼうぜ、ヴァン!」


 道化は嗤い、その周囲で血が燃え上がり爆炎がまき散らされ、ヴァンへと襲い掛かった……。


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