間章 崩壊歴245年5月/初めての帰郷

 少年は質素な街の中を歩んでいた。まだまだ幼さの残った、少年だ。


 13歳。13歳の、表情の起伏の少ない少年。彼が袖を通しているのは、その年齢には似つかわしくない軍服で、しかもすでに戦闘を経験しているかのように、その軍服はところどころ破れ、補修された跡が目立つ。


 そんな赤い目の少年は、質素で面白みのない街を歩む。ザイオンと言う都市国家だ。一応少年の所属元らしいが、師匠がほとんどこの場所に戻って来ないせいで、ついて行っているヴァンにとっては未だに特に何の思い入れもない。


 そんなつまらない町並みを歩み……やがて少年は、先を歩く男の背を見上げた。


「師匠。ここで何をするんですか?今回の命令は?」

「命令は、……待機だ。暫くな」


 軍服にコートを纏うその男は、振り返らずただそれだけ言った。


 少年にとってはなんの思い入れもない場所だ。だが、師匠にとっては故郷なのだろう。知り合いが多いのか。どこか珍しがるように、街行く人々が師匠に声を投げ、それを鬱陶しそうに、師匠はあしらっている。


 そうして進んで行った末、師匠は足を止めた。


 ある家の前だ。この質素な街において、それなりにまともな暮らしをしていそうな家。


 師匠の傭兵家業についていろいろな都市国家を見てきた少年からすれば、別に豪邸にも見えない。どこにでもありそうな家にしか見えない。


 そんな家を師匠は指さし、言う。


「あそこがお前の待機所……。お前の家だ。これからはあそこで暮らせ」

「はあ?」

「はあ、じゃねえよ……。まだ微妙に態度直ってねえか?覚え遅過ぎんだろ、クソが……」

「クソが」


 真似て呟いた少年の頭を、師匠は軽く叩いた。

 そして、言う。


「とにかく待機だ。次の作戦が決まったら呼んでやる。それまであの家にいろ」

「修業は?」

「暫くおあずけだ。俺も俺で別の……」


 そう男が言いかけた、次の瞬間、だ。ふと、眺めている家の戸が開き……その中から女の子が一人、飛び出してきた。


 少年より更に幼い。まだ10にもなっていないだろう、金髪に灰色の目の少女。おさがりの様なワンピースを身に付けた……師匠と同じ瞳の色の女の子。


 その女の子がこちらへと駆け寄ってきて、そして、師匠のコートにしがみ付いた。

 そして、その女の子は何も言わず、灰色の瞳で師匠を見上げていた。


 そんな女の子を前に、撫でようとしたのか。あるいは引きはがそうとしたのか。


 珍しくかなりばつの悪そうな表情のまま、師匠はその女の子へと手を伸ばし、けれど、触れる前にその手は落ちる。


 そして、師匠は言う。


「ヴァン。……引きはがせ」

「はぁ?」

「その口調やめろって言ってんだろうが……。ヴァン。命令だ。引きはがせ」

「……しかたねえな」

「真似すんなって言ってんだろうがよォ」


 苛立たし気に頬を引くつかせる師匠をよそに、命令は命令と言われた通りに、少年はその女の子を引きはがした。


 そしてそれに、女の子は抵抗しなかった。されるがまま、師匠から引きはがされつつも、その目でじ~っと、師匠を見上げ続けている。


 その視線を追いかけるように、少年もまたじ~っと、師匠を見上げた。

 そしてその二つの子供の視線に師匠はさっさと背を向ける。


「別命あるまで待機だ。あの家の中にいろ、ヴァン」


 そしてそれだけ言い捨てて、師匠は足早に歩み去っていった。


 来る時はゆっくり歩いていたのに。去る時は急ぐらしい。


 そんな師匠を観察するように眺める少年の腕の中で、女の子は落胆したように視線を落とし、それからその灰色の視線を少年に向け、少し舌足らずに言う。


「だれ?」

「ヴァン・ヴォルフシュタイン」

「ばん、ぼる……?」

「あの家で待機するらしい」

「いえ?……サシャのいえで?」

「サシャの家なのか……。サシャとは誰だ?」

「わたし」

「そうか……」


 春の陽気の最中、親に置いて行かれた二人はけれどどこか暢気に言い合い、やがて、女の子は言う。


「ばんぼる、お父さんとなかよし?」

「おとうさん……。師匠の事か?」

「ししょー?」

「ああ。弟子に、なった。なかよしかは、知らない」

「そうなんだ。……サシャ、お父さんとなかよしじゃないよ」

「なかよしじゃないのか?」

「うん。……サシャ、お父さんにきらわれてる」


 そう言って、女の子はまた俯く。それを少年は眺め、それから言った。


「嫌われてはないと思うぞ。……少なくとも敵とは見なしていない」

「…………?なんで?」

「……師匠はお前のタックルを無防備に喰らった」

「たっくる?」

「師匠は他人の間合いに入ることを嫌う。肩を組まれそうになると必ず躱す。そして他人の接近に際して、子供相手でも反射的にナイフを警戒する。さっきもしてた。だが、躱さない選択をしていた。だから、少なくとも敵とは見なされていない」

「そう、なんだ……?」


 まったく理解できていないように女の子は首を傾げ……それから、また問いかけてきた。


「サシャ、お父さんにきらわれてないの?」

「ああ」

「……そっか、」


 まだまだ幼い少女は、ただただ表面的にその言葉に安堵したように微笑み、それから少年の手から逃れると、家を指さし言った。


「サシャのいえ」

「ああ、らしいな」

「……あんないする?」

「ああ。まずは窓と出入り口の位置を教えてくれ」

「まど……?なんで?」

「師匠がそうしろと言ってた。……そうすると強いらしい」

「強いんだ……?」


 良くわかっていなさそうに女の子は首を傾げ、それから、一足先に家へと駆けていくと、扉を開けて少年を手招きした。


 その手招きに誘われ、少年は物心ついてから初めて。


 我が家の玄関を踏んだ……。


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