5章 血夜の英雄
1
平和の象徴が、血の色に霞んでいる。
学園都市国家“聖ルーナ”。華やかで活気に溢れ、各国の技術が入り混じる平和な時代を保障する楔のようなその都市が、真っ赤な霧に覆いつくさせ陰っていた。
その夜空すら血に染まるような景色を、ヴァンは防壁の上から見下ろしていた。
(防壁内全て、……師匠の血か。これほどの規模の魔術を)
生き返って会得したのか。あるいは……前からできたがヴァンに教えなかっただけか。
いや、それはどちらでも良い。問題は効力だ。
ヴァンは、血の代償魔術を扱える。だが、極めているとは到底言えない。
フィジカルと体内の血を硬化させる防御。そして、血を操り武器を作ったり壁を作ったり……そういう基礎的な戦闘能力だけをひたすら極め切ったのがヴァンだ。
だが、師匠は――ブラドは違う。腕力だけならヴァンが上だろう。血を硬化させる防御も、血で作り上げた武器を操るのも、若干、ヴァンの方が上手いかもしれない。
代わりに手数と殲滅力と搦め手が、ブラドの方が上だ。
代償魔術。血を代償に、奇跡を起こす術。毒のように血を他人の体内に入れて洗脳したり弱体化させたりもできるし、逆に派手な技。血を代償に爆発の様な威力の火炎を生み、射線上全て弾き飛ばしたりもできる。
因果な話と言うべきか、当然の帰結というべきか。
ヴァンの前衛の資質が強かったから、師匠は後衛としてほぼ万能になった。若い頃はまた違ったのかもしれないが、少なくともヴァンがそれなりに動けるようになってからは、派手な戦闘での役割分隊は決まり切っていた。
そして、そんな後衛の極みの、都市丸々包み込む血の霧。
同じ血の代償魔術を使うヴァンなら、吸い込んでも洗脳はされないだろう。だが、
(これ全て索敵範囲で、これ全て爆発範囲か……)
踏み込んだ瞬間にその地点一帯が全て爆破されてもおかしくない。
警戒のままヴァンは暫し状況を確認し……やがて、懐から血の入った瓶を取り出すと、それを握りつぶした。
握りつぶした瓶の最中からヴァンの血が棘のように跳ね飛び、ヴァンの身体を浅く裂き、そこから溢れ出た新たな血が、ヴァンの周囲を舞い始める。
わざわざ極め切らずとも英雄と呼ばれるくらいには、血の代償魔術は万能に近い。
デメリットは、出血しなければいけない事だ。本気を出すにはある程度傷を負わなくてはいけない。血を使った分、当然体力も消費する。
だから必要最低限を見極めるべきではあるのだが……。
(これを前に無粋だな)
魔力で血を増幅させてはいるのだろう。だが、だとしてもこの霧は限界を超えているように見える。それに挑むのに、細かい計算などしていられない。
かなりの量……最低限自分の周囲を完全に覆い切れるくらいには血を流し、それを周囲に躍らせ……ヴァンは、血の霧の最中。
聖ルーナへと、飛び降りた。
血の霧が肌に触れる。爆発は、しない……。ただ、僅かに焼けるように、ヴァンの頬に熱が走った。
(やはりバレたな……。遠隔爆破までは、する気がないのか)
ヴァンと直接遊びたいのだろうか。ああ、確かに。それは師匠の望みの一つのはずだ。
防壁から飛び降り、着地する。聖ルーナの外縁近く。師匠の居場所は、血霞の向こうにそびえて見える、本校舎。城……。
周囲に人の気配はない。住人は全員洗脳されて、どこかに集められたのだろうか。
兵隊にするために。平和の象徴をそのまま、反逆の旗印に、真っ赤に塗り替えるために……。
そんなことを考えながら、ヴァンは血霞の先の古城へと歩み出した。
だが――その足は早くも止まる。
「……戦いはしたいが、負ける気はない。準備も戦略も用兵も全て、駒を作る所から勝負。そう言う視野も学ぶべきだったと、近頃思います……」
嘯いた直後――ヴァンは、自身の周囲に血の盾を作りながら、その場から一気に飛びのいた。
飛びのいたヴァンの眼前。そこを満たしていた血の霧が、突如、一角欠け落ちたように、晴れる。
いや、晴れたのではない。範囲丸々ばらばらに切り裂かれ、欠け落ちたのだ。
血の霧を。その下の地面を。更には周囲にあった建物が目視すら怪しい細いワイヤーに切り裂かれ、えぐり取られる。
知った魔術だ。戦争中見た、――敵対する英雄の、魔術。
「サラ・ルーファン!……妹が師匠の玩具にされてるぞ!攻撃する相手が違うだろう!」
声を上げる。だが、今攻撃してきた相手――サラの返事はなく、姿すら見えない。
“新月の悪夢”。夜襲と殲滅、暗殺を得意とし、戦場では忌み名のように恐れられていた、反英雄とも言うべき不意打ちと罠と即死の塊。
それが、近くに潜んでいる。
(……得意戦術は使う。が、能力は落ちてる。本気なら当たっていた。だが、血の盾は削られなかった……)
流石に、洗脳された状態で本領を発揮することはないのだろう。だから油断して良いと言う話ではないが、居場所を探り当てさえすれば黙らせられる。負けはしないだろう。
――敵が、反英雄だけならば。
ふと、ヴァンの視線の先。城を背にする道路のど真ん中で、稲妻が瞬いた。
そして次の瞬間――叫び声が轟く。
「おい!……躱せ雑魚がァァァァァッ!」
支離滅裂な咆哮の直後――巨大な稲妻の刃が、ヴァンの眼前に振り下ろされた。
「――ッ、」
鼻からガードしようと言う意思を捨て、ヴァンは全力で、その一撃を回避する。
そんなヴァンの真横を――稲妻が灼いた。
ヴァンがさっきまでいた場所を。地面を――あるいは、背後に聳える防壁を。
巨大で圧倒的な稲妻の刃は灼き裂いていき、焦げ、溶け、裂かれた防壁の向こうの景色が、見え隠れする。
それに思い切り顔をしかめたヴァンの耳に、また、咆哮が届いた。
「――アアアアアアアアアアアアアアアアッ!」
絶叫だ。苦痛と苛立ちと憤りと怨嗟が籠もりに籠もった、どう考えても貴公子とは思えない咆哮。
その叫びと共に、剣を握ったスラム上がりの化け物は、己の稲妻で己自身を灼き、ふらつきながらも倒れることが出来ず、苛立たし気にヴァンを睨みつけ、稲妻を帯びた剣を振り上げながら、吠える。
「あの女はダメだ!……忠義が足りない!人形だ!」
「らしいな」
「俺は……死のうにも死ねん!全力を挙げて無駄撃ちしてやる。全身全霊を賭けて手を抜いてやる!だから……さっさと済ませて、あの道化を殺しに行け。業腹だが貴様に!姫様を救う栄誉をやろう!ヴァン・ヴォルフシュタインッ!」
完全に支離滅裂――意識だけ残っているが体の自由が利かないらしいルークは、叫び声と共にまた、稲妻の刃を振り下ろしてきた。
派手な攻撃だ。派手に、稲妻がまき散らされている。そしてその破壊力、正面から押し付けてくる圧と制圧力は、それこそ――絵に描いたように英雄だ。
“雷迅の貴公子”。黙ってさえいれば眉目秀麗で、正面から敵軍を破綻させる生きた戦略兵器。
躱したヴァンの真横を、巨大な稲妻の剣は派手に灼いていく。
(当たれば死ぬ。だが、鋭さはない――)
そもそも“雷迅の貴公子”は敵陣の一角をこじ開けてそこに単身突っ込んで、そして敵陣のど真ん中で全方位雷撃で敵を全て処理する、というのが正しい運用方法だ。
全方位雷撃は、使わないらしい。ルークが抗っているのか、使うとサラを巻き込むから師匠が意図的に使っていないのか……。
どちらであれ、単体としては大分弱体化している。
弱体化しているが――、
「チッ、」
舌打ちと共に、稲妻の刃を躱した直後のヴァンは、自身の周囲に舞わせた血を蹴って、着地地点をずらした。
そうして逃れた足の下。ヴァンが着地するはずだった場所が、ワイヤーの群れにえぐり取られ空間ごと消え去って行く。
(着地の隙を狙ってくる。喰らうと両方ほぼ即死……)
英雄と呼ばれただけあって、技の性能が良すぎる。それが、二人同時。
しかも……。
(……殺さずに無力化か、)
どこか苦々しく胸中呟き、ヴァンは着地し、敵を睨みつけた。
正面には、“雷迅の貴公子”。
陰には、“新月の悪夢”。
……操っているのは、“鮮血の道化”。
「フッ。……地獄だな。良いだろう。踏み越えよう」
まともでは死ぬ。そんな気がした。だから、――ヴァンは少し羽目を外すことにした。
“鉄血の覇者”は嗤う――師がそうだったように笑みを零し、周囲に舞う自身の血で、自分自身を更に傷つける。
夥しく血が流れ落ち地面を濡らしていく。早くも少し限界を無視し始めながら、ヴァンは英雄達へと挑みかかった――。
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