2
遠くから轟音が響き渡ってくる――。
ヴァンが到着した。一瞬だけ魂が戻って来たルーナが、気遣ってだろう。おどけた様な言葉や励ましと共にそう言って、またどこか別の所に魂を飛ばしていった、その少し後だ。
ヴァンが戦闘をしているのだろう。
「………………」
聖ルーナ学園本校舎の最中。そんな場所があるとはまるで知らなかった、隠し扉の奥の部屋。窓すらない殺風景な倉庫の様なその場所で、サシャは膝を抱えて俯いていた。
ヴァンが戦っている。相手は、父だろうか。それとも、洗脳されたルークやサラと?
どちらであろうと、そう時間はかからずに、決着が付くだろう。サシャはそんなことを思った。
ヴァンが負ける事はないだろう。ないだろうと、信じて待つ。
それが戦時下からずっと続く、唯一サシャに出来る事で、事実ヴァンはいつも必ず帰って来た。普段通りの、暢気でどこかズレた生真面目な、兄として。
だが、不安が無い訳ではない。洗脳されているとはいえ、ルークやサラはヴァンと同じ英雄だ。そんな相手と戦って無事に済むのだろうか。
そうじゃなくても……今、ヴァンの敵に回っているのは、ブラドだ。
あらかたの事情は、ルーナから聞かされた。“戦争教導団”。戦争を起こすことを目的に、聖ルーナを制圧したブラド。それを止めに動く、ヴァン。
2年前と同じような状況になっている。クーデターを起こしたブラドと、命令されてそれを止めに行ったヴァン。
その時も確かに、ヴァンは帰って来た。父親のドックタグだけを持って、酷く憔悴した様子で。
それを、サシャは努めて普段通りに出迎えた。
父親が死んだとわかって悲しくなかった訳ではない。だが、それよりも、自分の手でブラドを殺したヴァンの心配をし続けた。その方が楽だったし……自分よりヴァンの方が父親との絆が深いと、サシャは良く知っていたから。
その出来事から約1年。何事もない日常があって、サシャが聖ルーナに来ることになったその頃にはもう、少なくともサシャの前では、ヴァンは傷を忘れたように振る舞っていた。
そして聖ルーナに来た後は、ヴァンはもうはしゃいでいた。
それでこのまま平穏に、ミスコンやら騒がしい授業をしたまま全てが風化するかと思っていたら、……死んだはずの父が、蘇った。
父が生きていて嬉しい。サシャは本気で思う。師匠を殺したとあれだけ憔悴していたヴァンにとって、良かったと思う。……ブラドが敵のままでさえなければ。
だから、2年前の焼き増しだ。ヴァンはまた、ブラドと決着をつける羽目になった。それを、サシャは座り込んで待っているほかにない。
「……良いのか、サシャ」
「え?」
ふと問いを投げられて、俯き物思いに沈んでいたサシャは、顔を上げる。
そんなサシャの向かいで、魂の抜けたルーナ人形を抱えたまま壁に背を預けていたロゼは、気遣うように言ってきた。
「このまま、父親と話さないで。さっき、話がしたかったから、飛び出したんじゃないのか?」
「え?ええっと……アハハ。そう言うんじゃないよ、別に。ただ、なんか、……幽霊みたから驚いて出てっちゃったていうか。ホント、何にも考えずに飛び出ちゃっただけだし。それに、今出て行ってもさ。何も出来ないって言うか、邪魔になるだけって言うか……」
「だが、」
「足手まといになるのはイヤでしょ?それに、ヴァン兄も、お父さんも。私に、戦場には出てきて欲しくないんじゃないかなって。ヴァン兄、私に戦争の話しないし。格闘は、ちょっと教えてもらったけど、魔術は全然教えてくれないし。多分、怪我しないと覚えられない魔術だからってのも、あると思う。ちょっと過保護なんだ、ヴァン兄。お父さんは全然会いに来ないし……」
どこか愚痴のように、サシャは呟いていた。
そんなサシャは眺めて、ロゼは言う。
「……ずいぶん色々、言いたいことがあるように聞こえるが?」
「それは、そうだけど、」
言いたいことが無い訳ないのだ。色々と積もりに積もっている。
ヴァンには、いつでも幾らでも結構好きなように言える。けれど、父親絡みは話し方がわからない。父親とは、そもそも話す機会がなかった。
今がその最後のチャンスかもしれない。ロゼはそう言いたいのだろう。
けれど、……ついさっき、父はサシャに攻撃してきた。
殺す気はなかっただろう。だが、……おめおめ出て行っても黙らされてしまうのがオチだろう。それこそリリのように洗脳されて、脇に追いやられてしまう。
それだけならまだ良いが、最悪そのままヴァン相手の人質にされるかもしれない。
サシャの父だ。だが、ザイオンを裏切った敵でもある。そして、……話した記憶がほとんどない。
だから、……父が本当の所何を思っているのか、サシャにはわからない。
そう俯いたサシャを前に、ロゼはふと「……良し、」と呟くと立ち上がり、抱えていた人形をサシャへと渡した。
そしてそのまま、ロゼはこの隠し部屋の戸へと、歩んでいく。
「じゃあ行くぞ、サシャ」
「え?……ロゼさん?話、聞いてた?」
「ああ。聞いていた。父親と話したいんだろう?なら、話に行こう」
「でも……そう言うことして良い状況じゃ」
「父親と話してはいけない状況というのが、あるのか?確かに、私にはあるな。皇帝陛下と謁見する機会は限られる。手続きが必要だ。だが、……謁見と育児放棄は話が違うんだろう?」
「それは、……でも、」
「お前の父親は軍人だ。だから戦時下、出征が多く話せない。それなら仕方がないとも思う。だが、今は平和な時代だ。なら、話したい時に父親と話しに行くべきだろう?その権利はあるはずだ」
そう言い放ち、ロゼは隠し部屋の扉に手を掛ける。
「アルバロスの皇女として、ではなく。聖ルーナの、この学園のただの一生徒として。……私は平和ボケし続けよう。家族と話す機会がないと言うのは寂しいしな」
「……うん。で、でも……」
言いかけたサシャの言葉を無視して、ロゼは隠し部屋の扉を開いた。
途端――赤く霞んで廊下が、隠し扉の向こうに現れる。
赤い霧。血の代償魔術で作られたそれが、校舎の中にも入ってきているらしい。
ブラドの意思なのか、隠し部屋の中までは入ってこようとしないが……。
「これさ。吸い込むと洗脳されるんじゃ……」
言いかけたサシャの視界の隅で、ふと、チリと稲妻が瞬いた。
「え?」
呟きを漏らすサシャの目の前。ロゼの翳した掌から、チリチリと稲妻が瞬き、広がって行くそれが盾――いや、バリアのように霧を押しのけ広がって行く。
そうして、稲妻の魔術で霧を吸い込まずに済む空間を廊下の一角に作り出しながら、ロゼは得意げな笑みと共に言った。
「……私は、騎士にねだると魔術を教えてもらえる。良いだろう?」
そんなロゼを前に、サシャは少し思い悩んだ末……意を決したように立ち上がる。
「ちょっとうらやましい……気はするけど、教わるの大変じゃない?その、習得難易度とかじゃなくて、交換条件的なの」
「言うな」
「ゴスロリ着ろとかさ、」
「……言うな」
頑なに、ふざけた様な事を言い合って……平和ボケし続けることにした少女達は赤い霧の最中へと、歩み出た。
そんな二人の視野の端。窓の向こう、遠く外縁辺りで――派手な稲妻は夜を灼き続けていた。
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