「――手間取るな、雑魚がァ!」


 “雷迅の貴公子”が咆哮を上げる。振り抜かれた剣から巨大な稲妻の刃が放たれ、赤い霧に染まった夜を断ち切り迫ってくる。


 それを目の前に、もはや回避を止めた“鉄血の覇者”は、腕組みし仁王立ちし、吐き捨てた。


「……黙れ。うるさいぞ、馬鹿が」


 同時に、ヴァンの足元に生まれた血の沼から、意志を持つように血が浮き上がって行き――ヴァンの眼前を血の壁で覆い隠す。


 ガガガガガガガガガガガガ!


 稲妻の剣と血の壁がぶつかり合うその音は、剣檄であり雷鳴。爆発でありもはや地震だ。


 稲妻が血を灼き抉り削り取り、――血が稲妻を防ぎ切る。


(威力が落ちている。……本気で無駄撃ちしてるらしいな)


 身体の自由が一切利かない状態で、精神力で自分から魔術の精度を落として自分から疲弊しているらしい。隙あらば自傷しようともしているし、……見上げた忠義と言えるだろう。


「望み通り……打ち倒してやろう」


 幾度かの攻防。その末にガードで雷撃を防げると気付いたヴァンは、ガードの直後血の壁をほどき、稲妻の名残が空間を灼く赤い霧の向こう、攻撃直後で動きを止めているルークを睨んだ。


 そして、カウンターのように、血を槍に変えてルークへと放とうとして――。


「チッ、」


 舌打ちと共にまたガードに入る。作りかけた血の槍をほどき、即座に、自分の周囲一帯を覆い隠す血の殻を作り上げた。


 そしてその殻が、作り上げられたその瞬間に――ワイヤーの群れに襲われ、えぐり取られていく。


 ガリガリガリガリと、仁王立ちするヴァンの周囲で、血の殻が音を鳴らし剥がれていく。


 雷撃より威力は低い。だがその分小回りは効く。直撃すれば死ぬのは同じ。


 そして、“新月の悪夢”が攻撃してくるのは、ヴァンが反撃に移ろうとしたその瞬間――。


 的確な運用である。動かしているのが師匠だから、それはもう他人の隙を付くのは大好物だろう。今師匠は大喜びで、拾った派手な武器でヴァンを虐めて嗤っているはずだ。


 ガリガリという音が止む。ヴァンは血の殻を溶かし、仁王立ちしたまま敵を眺める。


 その視線の先――

「――いつまで、手間取る気だ、カスがァ!」


 ほとんど間断なく。ルークが巨大な稲妻の剣を振り下ろしてきた。


「わかってる。黙ってろ、うるさい馬鹿が。今考えてるだろ……」


 それだけ呟き、またガード。血の壁は稲妻の剣を受け止める。


 防ぐ分には、安定している。ただ攻めるタイミングがないだけ。派手な雷撃と姑息な鉄線。


 交互に来られて突破しきれない。多少無理やりでも、どちらかを潰す必要がある。


 そして、潰しやすいのはサラの方。あのバカはどう考えてもタフ過ぎて、一発殴っただけで沈んでくれるかわからない。逆にサラの方なら、一発ぶん殴れば大人しくなるはずだ。


 問題は、あの暗殺者の姿が一向に見つけられない事……。


 どこか近辺に隠れている事自体は間違いない。そして隠れ場所の候補は、町中だからこそ、山ほどある。建物の影、塀の影、建物の中――。


 流石に一つ一つ探っていく余裕はない。そもそも、そうして探ってる間にも、あの暗殺者は位置を変える……。


 安定している。安定した膠着で、防戦一方。それに苛立ったように、仁王立ちしたままヴァンは舌打ちし、吐き捨てた。


「……めんどくせぇな、」


 戦闘に全力になって行くほど。血を多く流していく程――どこかの誰かに近づいていく。


 そんな粗野な口調で吐き捨てた直後――ヴァンの周囲に浮かぶ血が、三度、ヴァンの身体を貫いた。


 夥しく傷痕が増えていく。そこから流れ落ちる血が沼のように仁王立ちするヴァンの足元で広がって行き――そうしている間にも、敵は攻撃してくる。


 迫る雷撃。それを血の盾で防ぎながら――新たに流した分の血で、同時に、攻撃の為のストックを作る。ヴァンの足元で血の沼に波紋が広がり、それが地面へと溶け込んでいった。


 そしてその瞬間――ヴァンの周囲をワイヤーが躍った。


 雷撃は防ぎ続けている。ガガガガガと血の壁が稲妻とぶつかり合っている途中に、ワイヤーもまた迫って来ている。


 ヴァンが反撃しようとしていると、二人を操作している相手――師匠が気づいたのだろう。


 だから、交互に攻撃ではなく同時攻撃に変えてきた。

 そうして迫ったワイヤーを――“鉄血の覇者”は、稲妻と同時にガードした。


 血の殻がヴァンの身体を覆い、ガリガリガリとワイヤーに削られていく。


 目の前ではガガガと、稲妻が血の壁を削り続けている。

 それら両方の弱体化している英雄の攻撃を、ヴァンは同時にガードして――その上で尚多い出血は、ヴァンに反撃に移る手数を与えた。


 稲妻が消え、ルークの一撃を防ぎ切った直後。血の殻を突破しきれなかったワイヤーが、退き戻って行く、その瞬間。


「――更地にしてやる」


 “鉄血の覇者”は嘯く。

 そして、……その場所の地形が、変わった。


 地面へと沈み込んでいった夥しい量のヴァンの血。地面を伝い周囲一帯に広がって行ったそれらが、一斉に隆起したのだ。


 巨大な血の棘が、周囲の建物を貫いては崩していく。


 下から持ち上げられるようにめくりあがった地面にひびが入り、局地的な大地震でも起こったかのように、ヴァンの立っている場所が、陥没する。


 いや、逆だろう。ヴァンを中心に周囲の地形が斜めに、持ち上げられたのだ。


 突如町中に巨大な蟻地獄でも現れたかのように、持ちあがった地面の上で建物が揺れ崩れ、瓦礫の群れがヴァンの元へと転がってくる。


 そしてそれらの最中――崩れた建物。迫る瓦礫のただ中に、“鉄血の覇者”は獲物を見つけた。


「ハッ、」


 ヴァンは嗤った。

 夥しい出血。ふらつきそうな臨死の最中、本能だけが鋭敏になって行くかのように。


 嗤い地を蹴り――ヴァンは無理やりあぶり出した暗殺者へと接近していく。

 自我のない暗殺者は、迫るヴァンへと反撃しようと、その髪を伸ばして来る。


 だが、だ。それらはワイヤーになり切る前に力なく垂れ、ふらつくようにサラは自分からヴァンの方へとよろめき寄って来た。


 そして、……ここしかないタイミングで自分から負けに来た暗殺者は、嗤う。


「……根性がないんじゃない。賢いんですよ、私は」


 ルーク程派手に洗脳に抵抗できる訳ではないのだろう。だが、だからこそその抗える一瞬を、状況を変えられるタイミングまで取っておいたらしい。


 そんな女を目の前に、ヴァンは右拳を握り込み――けれど、その瞬間、だ。


 チリと、ヴァンとサラの間に稲妻が瞬き――その直後、剣を構えた貴公子が、サラを背にかばう様に、ヴァンの目の前に立ち塞がった。……どこか、忌々しそうな表情のまま。


「チッ、……体が勝手に」

「庇うのか、女を?」

「格好良い馬鹿ですね、……まったく」


 英雄3人口々に呟き――そして、次の瞬間には、その戦場の決着はついていた。


 瞬く間だ。ヴァンの眼前で振り下ろされる、稲妻を帯びた剣。それが、突如宙に現れた血の槍によって受け止められ――突き出しかけていたヴァンの拳は、そのままアッパーのようにルークの腹部を捉えると、力づくで、ルークの身体を頭上へと吹き飛ばす。


 そうして、ルークを目の前から無理やり退かし、そしてその勢いを維持したまま、ヴァンは逆の拳を握り込み、眼前に落ちてくるサラを見据えた。


「……殴るぞ」

「どうぞ、」


 短く言葉を交わした直後、アッパーからの連撃のように、ヴァンの左拳が、サラの鳩落ちを捉えた。


「ぐっ……、」


 うめき声を上げながら、覇者の拳を受けたサラはなすすべなく吹き飛んで行き、背後にあった瓦礫へと激突すると、その建物の名残を砕けさせ、力尽きたかそのまま崩れ落ちる。


 だが、“鉄血の覇者”は倒した敵を観察することなく、すぐさま頭上に視線を向け――。


「――甘いぞ、ヴァン・ヴォルフシュタイン!」


 ついさっき思い切り殴り上げたバカが、頭上で稲妻を帯びている光景を見た。


「お前もう……完全に敵みたいになってるぞ、」


 呆れたようにヴァンは呟き、身構えるのをやめて腕組みする。

 ――そう。もう、決着はついているのだ。


「ん?」


 稲妻を帯びたルーク。空中に浮かされて身動きの取れなくなったルークは眉を顰め――そんなルークへと、影が落ちた。


 いつの間に――いやそれこそ、ルークを打ち上げると同時に、ヴァンはそこまで用意していたのだろう。


 ルークの真横に巨大な血の柱があった。棍棒かのような巨大な、血の柱。


 周囲の地形を変えるほどの威力、質量を持った血の代償魔術の全てが結集した巨大な血の柱が、横合いから思い切り、ルークへと振り抜かれ――。


「良し……よくや――ッ、」


 何かを言いかけながら、血の柱に激突したルークが、その威力のまま吹き飛んでいく。


 気を失ったかどうかはわからない。そもそも完全に体を掌握された状態であれだけうるさい奴をどれだけ殴れば無力化できるかわからない。


 だから、もう。物理的に遠くに吹き飛ばしてしまえば良い。


 都市の外壁すらも悠々と飛び越し、ルークは彼方へと吹き飛んで行った。


 遠くで空がまだ光っているように見えるが……遠くに飛ばされながらそれで気兼ねなく無駄撃ちと自傷でもしているのだろうか。


 とにかく、これで暫く、ルークは無力化できたはずだ。


 そしてお言葉に甘えて思い切り殴りつけたサラも、瓦礫の狭間で倒れ込んだまま動かない。殺していないか脈ぐらい確かめたいところだが……。


(下手に近づくと寝首かかれそうだしな……)


 ……骨が折れたような感触も内臓がつぶれた様な感触もなかったから、多分、大丈夫だろう。


 そんな事を考えて、やっと静かになった都市の外縁近くで、ヴァンは深くため息をついた。


「ハァ……。余計な体力を」


 少々血を流し過ぎただろうか。ヴァンはふらりと少しよろめき掛け、けれど倒れるほどではなく……そして、流し過ぎたなら戻せば良い。


 さっきルークを吹き飛ばした血の柱。その一角が解け、ヴァンの体に纏わりつき傷口からヴァンの体内へと戻って行く。


 そうやって多少の体力を自分の体に戻しながら、ヴァンは血霞の向こうに見える古城を眺めた。


「……この上、次は師匠の相手か。まったく。愉しい夜だな」


 どこかニヒルに、皮肉のようにそんなことを呟いて、ヴァンは古城へ。

 師の元へと歩み出した……。

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