走る。夜の校舎の中を走って行く。

 走りながら、サシャは背後をちらりと振り返った。


(追われて、ない……)


 それからサシャはその視線をすぐ、スカートのすその辺りに向け、それから、少し後ろを走っているロゼに視線を向けると、不安げに問いかけた。


「ホントに、切れちゃったりしてない?汚れたりしてない、ドレス……」

「気にするところそこで良いのか?」

「そんな事言われたってだって……、正直頭追い付かないって言うかさ。アレ、本当にお父さんだった?」

「面識がないから聞かれても困るんだが……。父親、なのか?お前の?だが、正直完全に敵にしか見えないぞ?」

「うん。それは私もそう思う。敵では、あるんだと思う。でも、私は敵対はしないでおきたいって言うか……」

「どういう事なんだ……?複雑な事情があるのか?」

「うん……」


 俯く……というより考え込むように、サシャは下を向いた。


「ヴァン兄は、知ってたんだよね。だから、ピリついてたんだ……」


 そんな呟きと共に、サシャはその視線を窓の外に向けた。

 と、そこでだ。サシャ――そして釣られるように窓の外を眺めるロゼの視界に、妙な光景が映り込んだ。


 夜空が。……景色が、ゆっくりと、赤く染まっていく。


 霧に包まれていくようだ。赤い霧が校舎――さっきブラドがいた部屋の辺りから放たれて、聖ルーナを包み込んでいる。


「アレも、血の代償魔術なのか?」

「全然わかんないよ。ヴァン兄、血の魔術の事教えてくれなかったし。お父さんはそもそも何年ぶりに会ったのかわかんないし……」

「なんか複雑なんだな。……安心しろ、サシャ。私も父上と数えるほどしか会えないぞ?」

「いや、皇族はまた話し違ってくるんじゃないかな……」

「うむ。謁見機会が少ないのと育児放棄は話が違うしのう」

「そう言うものなのか?」

「うん、多分。ていうか……今の声、」

「理事長だな。さっき生首があったように見えたが……不死身なのか?不思議と驚けないが……」


 言いながら、サシャとロゼは背後を振り向いた。けれど、その視線の先に、生首もなければ年齢不詳な10歳の幼女の姿はない。


 ないが、声は聞こえる。


「あの霧……血の代償魔術だとすれば、まさか範囲洗脳?そんなことできるならなぜ最初から使わん。使えんのか?いや、抗う可能性のある英雄やわらわを先に排除した上で、か。ヴァンへの対策か?それとも……起こすのか、戦争を、」


 何やらシリアスなルーナの声は響く。が、どう探そうともその姿は見えない。


「え?……理事長の幽霊とか、言わないよね?」

「元々近いジャンルの人の様な気はするがな。む?サシャ、リボンから何か、出て来てるぞ?」

「え?……虫とか?」

「――誰が虫じゃ誰が!?まったく能天気な奴らじゃな……わらわいつまでもそのままでいて欲しい!とう!」


 そんな掛け声とともに、サシャのドレス。その腰の辺りから何かが飛び出し、シュタッと地面に着地した。


 ルーナだ。見た目10歳の、白い髪に赤い瞳の少女。なのだが……そのサイズが普段より更に小さい。


 身長20センチもないだろう。それこそ完全にお人形みたいなサイズのルーナがフフンと誇らしげに胸を張り、サシャ達を見上げ言った。


「フッフッフ……驚いたか!これぞわらわがスペアボディの一つ……フェアリーフォームじゃ!」

「……なんか、ちょっと可愛いな。理事長のはずなのに、」

「それは普段のわらわは可愛くないってことか?ん?……やめよ、つつくな!」


 言いながらじたばたするちっちゃいルーナの頬を、ロゼはしゃがみ込んでつついていた。


 そんな光景を前に、サシャは言う。


「ていうか、理事長。なんで私のドレスから……」

「フッフッフ……こんなこともあろうかとわらわを忍ばせておいたのじゃ!いや~、まさか着たまま尾行するとまでは思っとらんかったがな。なんでドレス着とるんじゃお主」

「え?だって……。着たかったし」

「我慢できんかったのか……。まあ、良い。色々話すことはあろうが、とりあえずお主らの安全確保じゃな。ここはわらわの城じゃ。隠れ家には困らん。わらわが無事安全なところまで送り届けてやろうぞ!」


 そう威勢よく言って、ルーナはだっこと言わんばかりに両手を差し出していた。

 そしてそんなルーナを、ロゼは何も言わずぎゅっと抱き上げていた。


「よし、あっちじゃ!まっすぐ行った右の壁が隠し扉になっとる……その先に避難するのじゃ!」

「はい、妖精さん!」


 かつて日常的にゴスロリを着せられていた皇女は、童心に帰ったように元気に返事をして、抱きしめたぬいぐるみサイズの自称妖精の指さす先へと駆けていく。


 その後をサシャもかけていきながら、また窓の外に視線を向けた。

 窓の外は、さっきよりも濃い赤い霧――血煙に染まっている。


(戦争を、起こす……。お父さん、まだ……)


「サシャ。そう心配そうな顔するでない。まだヴァンがおるし、この後すぐわらわが呼びに行く。すぐ飛んでくるじゃろう!」

「うん……」

「……それはそれでまた心配、か?」

「……うん。あ、あの、呼びに行くって、ヴァン兄と連絡とれるんですか?」

「というかわらわが直接行く。こんなこともあろうかと、奴にも妖精さんを持たせておいたからな!じゃから……。伝言とかなら伝えてやるぞ?」


 そう言ったルーナを前に、サシャは少しだけ、考えて……それから、伝言を口にした。


 *


(やはり難しいな、説得は)


 都市国家聖ルーナ近郊の、廃棄された鉱山街。その一角にある広場に腕組みし仁王立ちし、“鉄血の覇者”は胸中呟いた。


 目の前には、文字通りの鉄拳を前に気絶した男達の群れがある。


 100人。100人のならず者を、ヴァンは制圧しきっていた。説得を試み、全て拳で相手をしながら、100人。


 そのうち何人が説得に応じ、戦争を止める気になってくれたのか……。


(結局、腕力で黙らせただけか)


 胸中どこかアンニョイにそんなことを呟いて、ヴァンは先ほど投げ捨てたコートを拾い上げようとする。


 と、そこで、だ。ヴァンが触れる前にそのコートはもぞもぞと蠢き……やがてそのポケットから、ひょこりと、ぬいぐるみサイズの少女が顔を覗かせた。


 それを目にした瞬間、ヴァンは思い切り顔を顰め、絞り出すように呟く。


「……師匠が?」

「うむ。脱獄して暴れておる。サラとルークは、洗脳を喰らった。あとリリもじゃな。ロゼとサシャはわらわの方で保護した。それから、奴め。血の霧を聖ルーナに撒いておる。どういう術式かわかるか?」

「血の霧?そんな魔術は、見たことがありませんが……この2年で新しく覚えたのか?」

「なら、お主への対策か?」

「かもしれません。が、違うかもしれない。血の霧をまき散らす……範囲殲滅。もしくは、範囲洗脳」

「やはりそうなるか。狙いは全校生徒の隷属かのう。人質の数を増やしたいのか?」


 呟いたルーナをコートから退かし、拾い上げたコートに袖を通しながら、ヴァンは言った。


「もし、全校生徒を手駒に出来るなら、師匠はおそらくそれをそのまま兵士にするでしょう」

「聖ルーナ軍、か?」

「平和の象徴だったはずの場所が、まるまるそれと真逆の行動をとる。兵士の一人一人が子供で、かつ、そこには要人の子息が多く混じっている。おまけに、……初陣の相手は、ロゼやリリを襲撃して見せて、近場まで呼び寄せてある」

「聖ルーナに攻め入って来るまで待つのではなく、自分から喧嘩を売りに行くのか?」

「師匠のやりそうな事ですね。自分が主役で状況を動かす。聖ルーナ軍と言う、皮肉。そしてそうなればもう、暴れれば暴れるだけ戦争時代が戻ってくる……」

「ふむ。結果的に、完全に後手に回ったか」

「そうでもない。ここにいたのは、それなりに精鋭でした。統率がなかったから楽に済みましたが、完全に連携されたらもう少し手間取ったでしょう。直掩を潰せただけ僥倖です。都市一つ全ての洗脳。それだけの魔術に負荷がないわけがない。補佐か護衛か……とにかく駒は一つ潰せた」


 どこか冷徹な声音で言って、コートに袖を通したヴァンは、顔から表情を消していき……そのまま歩み出そうとする。


「潰された駒を補うために、サラとルークを活かして制御下においておるのか……?む、待て、ヴァン。伝言がある。サシャからじゃ」


 その言葉に、戦場へと歩もうとしていたヴァンは足を止め、振り返った。


「お主の思う様にせよ、と言っていた。全て、任せると」


 2年前と同じ言葉だ。2年前、ほとんど同じ状況で、サシャから投げられた信頼と、諦観。


 けれど、2年経って……サシャも変わったのだろうか。


「それから、もう一つ伝言がある。……お父さん、生きてて良かったね、ヴァン兄。だそうじゃ」

「…………っ、」

「他人事のように言っておったぞ。……父に対して思い入れがないのかの?」


 とぼけるように言ったルーナを、ヴァンは鋭く睨みつけ、言った。


「そんなはずがないでしょう。ただ……それが一番楽なだけです」

「楽、と?」

「他人を心配している間は、自分の事は気にせずに済む。物心ついてからずっとそうです、サシャは。俺の前では……」


 だが、そのサシャの言葉は、本当に言葉通りの意味だけではないだろう。


 戦争絡みで。父親絡みで。酷く難しい問題を前に、諦めて待つことに慣れてしまった少女は、自分の希望を口にできない。


 けれど、希望や望みが無い訳ではないのだ。


 ヴァンが、師匠を殺さないで済んでいて、良かった。そうヴァンを慮った。

 その裏には間違いなく、サシャ自身の祈りにも似た想いがあるのだろう。


 ヴァンは拳を握り締める。そして、覚悟を決めたように遠く――聖ルーナの方向を眺める。


 そんなヴァンへと、ルーナは言う。


「紙一重まで来てしまったのかもしれん。が、まだ平和な時代だとわらわは言おう。その上で、聞くぞヴァン。お前はなんじゃ?英雄か?それとも殺人鬼か?」

「……どちらでもない。俺は師匠の息子で、サシャの兄だ」


 それだけ呟いて、ヴァンは夜の最中、駆け出した。

 その背を見送り、ルーナは呟く。


「それで良い。望むようにせよ……平和な時代の英雄よ、」


 そしてルーナは、まず何から取り掛かろうと算段でも始めるように、腕組みし月夜を見上げた――。

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