3
夜に瞬く雷迅の群れ。窓から見えたその嵐が凪いでから、どれほど経ったか……。
理事長室の机に頬杖を付き、ただただ窓の外を眺め続けていたルーナは足音を聞いた。
この部屋へと歩み寄って来ていた誰かが、扉を前に立ち止まった音。
と、思えば次の瞬間。ガシャンと派手な音と共にその扉が蹴破られ――上機嫌な道化が堂々と、その場に踏み込んでくる。
「よう、詐欺師の婆。……俺の勝ちだな。さあ、戦争を始めるぞ?」
ブラド・マークス。牢から抜け出して来たらしい狂人は踏み込むなりそう嗤う。
それをルーナは冷静に眺め、……お返しとばかりにブラドを嗤う。
「……お主、もしやヴァンが怖いのか?」
「あァ?」
「一度負けたから怯えておるのじゃろう?鬼の居ぬ間に住処を占拠とは、よほど畏れて――」
言いかけたルーナの言葉が、止まった。
直後、窓を背にしていたルーナ。その背後の窓、壁に、切り裂かれたような跡が生まれ、言いかけていたルーナの首が、ぽとりと床へと転がって行く。
そうしてルーナを一閃の元に黙らせ、その手元に一瞬前に刃にしたのだろう血を集め纏わせながら、ブラドは呟く。
「恐れてねえよ、婆。……期待してるんだ、」
「ほう……。実は弟子に止めて欲しいとか言い出すのか、“鮮血の道化”よ」
殺したはずのルーナの声が、その場に響き渡った。見ると、床に転がったルーナの頭部。その目がぎょろりとブラドをねめつけている。
「しかしいきなり実力行使とはな。そんな怯えんでもわらわ弱いぞ?ハチャメチャにしぶといだけで。え~っと、接着剤どこじゃったかの」
生首はいつもの調子で呟き、残された体はあたふた引き出しを漁って接着剤を取り出した。
その切り口から、血が一滴も垂れていない。切り口にあるのは空洞。あるいは、木目だ。
「人形……噂では聞いてたが、マジだったか。代償魔術か?」
「いかにも。わらわは信じたら常に全ベット!肉体の全てを捧げて、“奇跡の聖女”は永遠にして劣化してもすぐ直る美貌を会得したのじゃ!」
「会得ってことは、自分の意思でそうなったのか?……イカレてやがんな」
「お主も似たようなもんではないのか?死の淵からどう蘇ったのだ?心臓を貫かれたのじゃろう?」
「……企業秘密だ」
「秘密と言うことは種も仕掛けもあるのじゃな、道化。え~~~っと、接着剤塗って、と」
そんなことを言う生首を片手に、ルーナの身体は切れた首に接着剤を縫って、そこに生首をむにゅっと接着していた。
そしてちょっとズレた頭部を左右に調整した末、ルーナは言う。
「うむ、直った。まあ、とにかくだ三文道化。残念じゃったの、わらわは殺しても死なん!血の代償魔術で洗脳も、出来ん。人形じゃからな~、わらわは最強の毒耐性持ちなのじゃ!ハ~ッハッハッハ!どうじゃ?当てが外れたか?悔しかろう?悔しかろう?」
「いや、別に」
「む?」
平然と呟いたブラドを前に、高笑いしていたルーナはおかしな表情を浮かべ――そしてそんなルーナの周囲に、血の刃がいくつもいくつも、生み出されていた。
そして、次の瞬間――その刃の全て、ルーナへと襲い掛かる。
「お?……いや~ん!あれか?遂にわらわもポロリする日が来たのか?服だけ切る奴とはもう~~、流石ヴァンの師匠じゃな~、」
とか能天気に呟くルーナの首がポロリと床に落ち、そして残された体の方は、血の刃に細切れにされる。
パーツにまで分解されるように完全にバラバラに床に散らばったルーナ。そんなルーナの元へと歩み寄り、依然「イヤ~ン!」とか言っているルーナの生首を拾い上げ、それを趣味の悪いオブジェのように理事長の机に設置すると、ブラドはどっかり、理事長の椅子に座り込む。
「確かにまあ、殺すなり洗脳なり出来りゃ一番楽だったが……テメェに鼻からそんな期待してねえよ詐欺師の婆。てめえの動きなり口なり封じられればそれで良い」
「お主、わらわが黙る日が来ると本気で思っておるのか?わらわは運と舌と不死身チートで世界を平和にした“奇跡の聖女”じゃぞ?」
「リリ・ルーファンは握った。サラ・ルーファンも。ルーク・ガルグロードは……ハッ。活きが良いなァ。あとはロゼ・アルバロスをどう使うかだな。俺の駒にしても良いんだが、正直どっちか握ってりゃ片方はもうどうでも良いしな……」
「無視か?シカトかお主!おのれ……やるではないか道化。この短期間でわらわへの対処の最適解に辿り着くとは。だが、くっくっく……お主に本当にわらわをシカトし通せるかな?唐突じゃがここでわらわリサイタルを始めてやろう!一曲目、聞いてください!“娘と息子が怖いピエロ・オブ・ダメ男のう”たぁ!?……あが。ふご、」
ほっとくとずっと喋ってそうな生首は、突如として口に纏わりついた血によって、発言を封じられていた。
そうしてやっと静かになった生首を眺め、ブラドは呟く。
「うるさくてふざけた奴はめんどくせえな……。ヴァン以外にまだなんか隠し玉あんのか?」
「ふがふがふが!」
「お言葉だな、聖女様よォ。俺はうるさくねえよ。聞いた奴の耳が痛くなることしか言わねえだけだ……」
そうブラドが嘯いたところで、だ。ふと、蹴り開けられたまま半開きだった扉が押し開けられ、そこから3人。ブラドの制御下にある奴らが、この場所へと踏み込んでくる。
まるで人形のように完全に表情が消えているリリとサラ。
そして、かなりの量の血を飲ませブラドの制御下に置いているはずだと言うのにそれでも尚、殺意を帯びた視線でブラドを睨みつける、“雷迅の貴公子”。
「お前は本物だな、魔力バカ。だが、首輪はもうついた。いくら睨んでも、テメェはもう何もできねえよ。そうやって大人しくして……お姫様が俺の奴隷になって高貴な口でナニ咥えるところでも見物してろ」
ブラドはそう、露骨な挑発を投げた。瞬間――完全に制御下に置けているはずのルークが、けれどブラドの意に反して動いた。
「――殺すッ!」
ただただ純粋な殺意。手負いになり苛立ち切ったスラム上がりの英雄が、殺意でブラドを睨みつけ、腰の剣に手を掛けたまま、突っ込んでくる。
だが――その動きは、普段のルークとは比べ物にならない程に遅かった。
「青いな。つうか、ただのバカか……」
嘯き、ブラドは片手を振るう。その手の動きに導かれるように、宙を漂う血が剣となり、飛びかかるルークへと真横から殺到していき――。
「――ぐッ、」
苦悶の表情で、剣を抜き切ることすらできず、血の剣の群れに貫かれたルークは地面へと転がり、血の剣は解けるように纏わりつくように、ルークの身体へとしみこんでいく。
「ぐ、……が、」
「噛みつく余力があるなら、隠しとけよ忠義の騎士。クズの背中切ってやるためにな。正面突破は手段の一つだ。全てじゃねえ。こざかしさも必要って話だ」
どこか説教臭くブラドは呟き、血に塗れて今度こそ完全に動きを封じられていくルークから視線を切ると、窓の外に視線を向けた。
さっきルーナを生首にする時についでに切り裂き砕け散った窓。その向こうには、夜の聖ルーナ。寝静まり始めた聖ルーナの街並みが見える。
聖ルーナ。平和の象徴。聖ルーナ協定という相互安全保障条約の担保となる、人質の街。
それを手中に収めた“鮮血の道化”は、血の滴るその掌を、街並みへと翳し掛け……。
そこで、一瞬だけ、渋面を浮かべた。
「……見逃してやってたのによ、」
小さく呟いたブラドの耳に、突如背後で、声が響く。
「サシャ?待て!」
どこぞの、育ちと品性と態度の割に迂闊で好奇心旺盛な皇女様の声。
そして、――ブラドからすればある意味、一番聞きたくなかった声が届いた。
「……お、父さん?なの……?」
砕けた窓の外を眺めたまま、ブラドは一瞬浮かべた渋面の上にまた、いつもの様な笑顔を張り付け、……それから、ゆっくり振り返る。
その視線の先にいたのは、赤いドレスを着た少女だ。酷く目立つ格好で、様子のおかしい知り合いの後を、皇女様と一緒に追いかけてきた、少女。
その挙句、せっかく潜んでいたのに考えなしに姿を現してしまった……ブラドの娘。
サシャ・マークス。……もう何年振りかわからないが、最後に顔を合わせた時とさして変わっていないように見えるその娘は、驚きと戸惑いの表情で目を見開き、ブラドを見据えていた。
「生き、てたの?」
「……いや。ちゃんと死んだよ。ただ、地獄から帰って来ちまっただけさ」
それだけ嘯き、そして次の瞬間。ブラドは嘲笑うような表情でサシャを眺め、言った。
「ほっといても良かったんだが……ちょろちょろされるのも面倒だ。来たからには駒になって貰う」
呟きと同時に、宙に浮かび上がった血が刃の形を取り、鋭くサシャへと突っ込んでいく。
別に殺す気はない。ただ、血の刃が掠めれば良い。掠めればブラドの制御下における。
いっそ制御下に置いてしまえば……余計な事に気を散らされる事もない。
そんなことを思いながら、ブラドはどこか乱雑に血の刃を放った。
そして次の瞬間――
「え?……うわっ!?」
――驚いたような声と共に、サシャは英雄の一撃を、躱していた。
「……あァ?」
呻いたブラドは、目撃する。
飛来する血の刃を完全に目視し、慌てた様子の割に的確にかつ軽い身のこなしで真っ赤なドレスを翻し、何なら片手でバク転すらして、掠める事すら許さず英雄の攻撃を躱し切る実の娘の姿を。
そして、サシャは後ずさりしながらドレスの裾の辺りを気にし、背後のロゼへと言っていた。
「切れちゃったり、してない?ドレス……」
「大丈夫、だと思うぞ……」
半ば呆れたようにロゼは呟いていた。そんなロゼの元へと後ずさって行きながら、サシャはブラドを見据え、どこか言葉に迷いながらも、言い放った。
「お、お父さん……あの。この、ドレス。えっと、貰ったばっかりで。だから、えっと……攻撃しないでください!」
そう勢いよく言った直後、サシャはふとロゼの手を取り、そのまま、部屋の外へと駆け出していく。
そうして逃げ出していった娘を、ブラドはどこか呆然と見送っていた。
そんなブラドの耳に、どこか小馬鹿にするような声が響く。
「どうしたのじゃ道化、狐につままれたような顔しおって……。軍事都市国家で育った英雄の娘じゃぞ?まさか、実の娘の力量を見誤ったとは言わんよな、英雄崩れよ……」
どさくさの中で口止めの血を吐きだしたのだろう。机の上の生首が、ニヤニヤしながらブラドを眺めている。そして次の瞬間、生首のルーナはブラドにウインクした。
「という訳で、わらわもこの辺で失礼する。中々面白いモンも見れたしの……チャオっ!」
その言葉の直後、生首はカランと、机の上に転がった。
ついさっきまで、たとえ首だけであっても、確かに人間の様な動きをしていたはずだ。けれど今、そこにあるのは完全な人形の頭だ。何なら、口元の継ぎ目すら現れているように見える。
(……体全部を捧げた、代償魔術。魂だけで動けるのか?生首でも余裕だった訳だな)
そう胸中呟き、それからブラドは呆れたように呟いた。
「どいつもこいつも好き放題だな。すぐ逃げんなら何しに出てきたんだよ……」
そんなブラドに、視線が二つ。完全に制御下に置いているサラとリリの視線が突き刺さった。
……ような気が、ブラドはした。それから、ブラドは嗤う。
「ハッ。まあ良いさ。好きにしろよ、後ろ指差す気はねえさ」
そんな言葉と共に、ブラドはまた砕けた窓に視線を向け、その夜へと手を翳す。
「俺も俺の好きにやるんだからな……。さあ、戦争だ。愉しく行こうぜ?」
呟きの直後。翳したブラドの手から垂れた血が、霧のように細かく宙に浮きあがり、夜の街へと広がって行った……。
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