白い肢体に真っ赤な布地が映えている。


 ワンピースの真っ赤なドレスだ。ロングスカートには段々のフリルが付いていて、腰にはリボンの様な大きな飾り。幅広な布が二枚、ロングスカートの腰部分から伸び首の後ろで結わえられているようなデザインで、流石におへそが出ていたりはしないが、胸元はまあまあ空いている。そして何よりも、背中は大開きだ。


 そんな、どこぞの英雄と聖女と仕立て屋のおじさんが真剣に議論を重ね仕立てられた背伸び感と幼さを両立させつつ貧乳をカバーする真っ赤なドレスを身に付けた少女は、その夜。


 どこかで兄貴分がテロリストと拳で語り合い、どこかで父親が派手に暴れ始めた少し後。贈られたばかりのドレスを我慢しきれず部屋で着て、姿見を前にくるくる回っていた。


 そしてはにかみつつポージングしてドレスの様子を確かめて、言った。


「……綺麗だし可愛いし凄い良いんだけど、流石に背中空き過ぎじゃない?」


 そう呟いたサシャの背後で、ドレスを着るのを手伝ってくれと呼び出された皇女は、満足げな表情でこう言った。


「何も問題はないさ、サシャ。……こないだのポロリより全然マシだ」

「なんかもう全ての悩みがそれで解決させられちゃうような気がするんだけど……蒸し返さないでくれる?」

「先に仕掛けたのはお前だ。私はお前を許さない」

「復讐に囚われないでよ~~、」


 サシャは肩を落とし、もう一度姿見に写る自分。ドレスで着飾った自分自身を眺め、それからちょっと拗ねたように言った。


「……くれたのは嬉しいけど、直接渡してくれれば良かったのに」

「ヴァン先生も忙しいんだろう。近頃姿が見えないしな」

「うん。……なんか、危ないことになってるんだろうね。まあ、言わないってことは多分大丈夫なんだろうし。ねぇ、ロゼさん。髪型どうしたら良いかな?あと、髪飾りとか欲しいかも……あと靴欲しい靴!ハァ……いたら珍しく可愛くねだるのに」

「はしゃいでるな」

「だってこんなドレス着たことないもん私!ヴァン兄の手作りドレス風つぎはぎワンピースなら昔着たけど」

「……裁縫できるのか?ヴァン先生が?」

「なんか軍事技能らしいよ?」

「ああ……なるほどな」


 納得したようにロゼは呟き、それからサシャを眺めて言う。


「髪型は、アップが良いかもな。せっかくだから雰囲気を変えよう。あと、小物は……私の持ち物で良ければ、」


 そうロゼが言いかけた、その瞬間、だ。

 ふと、窓の外。すぐ近くで、稲妻が瞬いた。


 一度だけではない。断続的にいくつも、雷が地面から夜を照らし出している。

 その光景に、ロゼとサシャは窓へと歩み寄り、言う。


「ねえ。あれってさ……」

「ああ。ルークの魔術だ」

「……戦ってるとか、言う?」

「可能性はあるが、ルークが後れを取ることはないだろう。見物に行って手間を増やすのは良くない。ほっといても奴は帰ってくる。聞いてもどうせ何も言わない」

「……だよね、」


 呟き、サシャは窓の外を眺めた。そこでまだ、雷鳴は鳴り響いている。


 戦闘、襲撃。……仮に戦闘だったとして、英雄が幾度も魔術を使うような敵。しかも今、おそらくヴァンはこの都市にいない……。


 サシャとロゼは二人、さっきまでのはしゃぎようを消してただただ窓の外を眺め……と、そこで、だ。


 サシャは、気付いた。


「え?あれって……」


 女子寮から、戦場。雷鳴の元へと歩んでいく、人影があることに……。


 *


 女子寮の傍の茂み、林の最中――風切り音が舞い散る枝刃を引き裂いていく。


「――チッ、」


 ルークは舌打ちした。舌打ちして風切り音――目視すら怪しい細いワイヤーの群れを跳ねて躱し、躱し切れないタイミングでは、雷を周囲にはなってその悉くを灼き切る。


 そうして、剣を抜くべきか否か。その時点で悩みながらも、ルークは退いていき……そして、見上げた。


 見上げる先。月夜を背に、“新月の悪夢”が宙に立っていた。


「サラ・ルーファン。なんだこれは。どういうつもりだ。洗脳を喰らったのか?……そのザマでユニオンの英雄か?」


 ルークは問いかける――その問いに帰ってくるのは、けれど、風切り音だけだ。


「チッ、」


 また舌打ちし飛びのいたルークの眼前を、細いワイヤーが引き裂いていく。


(……倒すべきなのか?)


 剣の柄に手を伸ばし、けれど抜き切らずルークは迷った。

 極めて――極めてめんどくさい状況である。


 サラを倒すこと自体は可能だ。おそらく洗脳されているからだろう。攻撃が単調だ。戦時下出遭った“新月の悪夢”は無限にこちらの隙を狙うような陰湿な攻撃をしてきた。


 今は、それがない。サラ本人のスペックが活かされていない。そもそも姿をさらしてきている時点でアレが本気ではないことは明白だ。


 隙は幾らでも付ける。そもそもそう言う駆け引きを全て無視して、周囲一帯稲妻で灼き払ってしまえばルークの場合は大抵の状況は片付く。


 だが、それをして良いのかに躊躇いがある。


(ユニオンの軍勢が来ている。アルバロスも……)


 情報共有はルークも当然受けている。ここでもし、ルークがサラを倒してしまえば、それはユニオンの軍勢がリリ・ルーファンの護衛と言う名目で進軍する口実になる。


 そうなるとその後どうなるのか……。


(……わからん、)


 そう、わかっていないのである。ルークは半分くらい状況を理解していない。だが完全にわからない訳でもない。ルークは半分くらい理解している。


 そして下手な行動をとるのはヤバいと言うこともわかっている。


 そもそもルークは本質的に超制圧能力の高い鉄砲玉だ。


 あそこを制圧しろと言われたから制圧して来て、ついでにお前も死ねと上の人間に思われながら生き抜いて来た帝国最強の座に近いスラム上がり。


 よほど気に喰わない上官だったら敵味方まとめて全部灼き払って好き放題暴れまわっても良いのだが、今のルークの上官である婆は別にそこまで気に喰わない訳ではない。


 それに、ロゼもこの近くにいる。洗脳されているとはいえ英雄相手にルークが全力で魔術を使えば、ロゼを巻き込む可能性がある。


 ならとりあえずサラ・ルーファンを切って捨ててしまおうかとも思うが、だからそれをすると国際問題なのかもしれないし姉を失ったリリ・ルーファンが悲しんで姫様が怒るかもしれない。


(ブラド・マークスを探し出して始末するか?)


 それが究極的なこの状況の解決方法な気がする。ブラド・マークスに関してもサシャ・マークスの身内というどこまで行ってもめんどくさい状況だが奴は間違いなく自分の意思で戦いに赴いている。なら、多少恨まれようとも切っても問題ない。


 意志と殺意を持って戦場に立った敵を前に手心は無粋だ。その決意に敵として応えることは姫様への御機嫌取りにギリギリほんのわずかにちょっとだけ上回る。


 ある種、皇族の姫君に忠誠を誓った男の覚悟である。


 敵ならば。例えそれが、殺した場合に姫様に恨まれるような相手であっても殺す。


 そして今、その決意を持ったスラム上がりの騎士の前にいるのはあからさまに洗脳されて自分の意思とは無関係に行動してるだろう殺した場合に姫様の笑顔が陰る可能性が高い、女。


「……チッ、」


 ルークは舌打ちした。あらゆる意味においてひたすらにやりにくい。


 ブラドが出てきたら喜んで殺す。が、奴はいない。無視して探しに行っても良いが、それをすると目の前の洗脳されてる女が姫様を狙いに行く、ような気がする。


 なぜならブラド・マークスの性格が悪いことは知っているから。


 防戦一方、状況に縛られ全力を出し切れないまま“雷迅の貴公子”は千日手の中踊り――そしてその均衡を崩したのは、少女の声だった。


「お姉、ちゃん?……なに、してるの?」


 呟きが夜の最中に響く。視線の先――その場にやって来ていたのは、リリだ。


 リリ・ルーファン。ルークの護衛対象の一人。ユニオンの要人。そして、サラ・ルーファンの妹。


 騒ぎに呼ばれてきてしまったのだろうか。林の中姉を見て立ち尽くすリリをサラは感情なく眺め……そして次の瞬間。


 その顔が笑顔に歪んだ。サラ・ルーファンを操る悪意が、そんな表情を浮かべたかのように。


「――――ッ、」


 是非もない。躊躇いもない。ルークは即座にリリの元へと駆け、護衛対象の少女を背に庇い、迫り来る風切り音の群れを見据える――。


「――悪趣味すぎるぞ、」


 呟いたルークの身から、稲妻が走った。背後のリリを灼かないよう、丁寧に丁寧に手心を加えつつ迫るワイヤーの群れを見据え、稲妻を放つ。


 雷迅が瞬いた。稲妻というよりむしろ剣閃に近いような輝きの群れ。

 それが迫るワイヤーの悉くを撃ち抜き灼き裂き、脅威を破綻させる。


 そして、リリ・ルーファンの身を守り抜いた末、ルークは覚悟を決めきり、剣の柄を握り締めた。


「こうなるくらいなら死にたいだろう、サラ・ルーファン……。止めてやる、」


 そしてそれだけ言って、ルークは剣を抜きかけ――だが、その瞬間、だ。


「おう、カッコ良いな、騎士被れ」


 嘲笑うような声。嘲笑うような少女の声の直後――鈍い痛みが、ルークの背に走った。


「ぐ、」


 背からナイフを深々突き刺されたような、痛み。それが体に走った直後――ふと、ルークの体が重くなる。


「な……、お前……」


 身体の中を異物が駆け巡っている。そんな違和感が神経を乱し突如鉛のようになった体が沈み込むように膝を付く。


 振り返ったルーク。その視線の先で、リリ・ルーファンは嗤っていた。


「別にお前、サラ・ルーファンを殺しても良かったんだぜ?……それはそれで未来は戦争だ」


 リリの声で。けれど、リリのモノとは思えない狂人の笑みを浮かべて、少女は嗤っていた。


 その手にはナイフがある。おかしなナイフだ。全部血で出来ているように真っ赤なナイフ。そして、その刃の部分。ルークに突き刺さった部分が溶けたように消え去っている、凶器。


「……ブラド・マークス」

「お?なんだよ、まだ耐えんのか?結構入れたんだけどな……。けどもう、ろくに動けないだろ?遠慮せず、もっと行っとけよ……お代わりはたくさん持たせてるからよ」


 リリが嘯き……そして、動けなくなったルークの目の前に、サラが下りてくる。


 そんなサラの手には、瓶があった。赤い液体――ブラドの血がつまった瓶が、いくつもいくつも。


 それをただただ苛立たし気に睨みつけ……ルークは言った。


「……そんなモノで俺の忠義を満たせると思うか?」

「試してみてから考えようぜ?」


 リリは嘯き、まずは手始めとばかりに手に持っていたナイフ。血で出来たそれを、ルークの口にねじ込んだ……。



 異様な光景があった。


 リリとサラが跪いたルークに血を飲ませている。その末にルークの体から力が抜けていき……やがて、ルークはどこか虚ろな目で立ち上がった。


 その光景を、傍の茂みに隠れ眺めて……ロゼ・アルバロスは呟いた。


「……なんかムカつくなアレ。何やってるんだアイツ」

「そう言う事言ってる場合じゃないと思うけど……」


 着の身着のまま。めちゃめちゃ目立つだろう赤いドレスを着たままに茂みに身を隠しているサシャは、苦笑した。


 リリに付いて来たのである。戦場の見物にでもあの割と勝気な不思議ちゃんが行こうとしているのかと思って止めに来たらこの状況だ。


 とりあえず様子を眺めて、そしてどこかむっとしたようにロゼは言っていた。


「私の血を飲ませれば良いのか?……まさか、口移しか?」

「そんなはずないのに不思議とそれで全部解決しそうな気がして来るよ……ハァ、」


 呆れたようにため息をつき、それからサシャは胸中呟く。


(アレ……血の、代償魔術?)


 少なくとも血を媒介にした何かをしているのだろう。その結果、ルークは、抵抗を止めている。


(ヴァン兄が裏切ってる?訳ないよね……。じゃあ、)


 サシャの知り合いで、その魔術を使える人物は一人だけだ。

 けれど、その人はもう……。


 サシャは、考え込みそうになった。不安と期待がないまぜになった変な気分で、俯きかけた。だが次の瞬間には、サシャは顔を上げる。


 なすがまま、されるがまま。信頼したい相手は皆不器用。


 諦めたまま待つ事に慣れた少女は、俯く事よりも目の前に起こった何かに注力する事を反射的に選んで……そしてそんなサシャの視線の先で、ルークとサラとリリはどこかへと歩んでいく。


「……どうしよっか。見なかった事にする?」

「口移しまでする必要はないな。私が蹴れば治るだろう。……追いかけるぞ、サシャ」

「ああ、うん。だよね……?いっそしてあげれば良いんじゃない口移し」

「調子乗りそうだからイヤだ」

「ああ、そう。……そうだね、」


 そんな事を言いながら、皇女と赤ドレスは尾行を開始した……。

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