間章 崩壊歴242年8月/道化と野良犬

 血生臭く鉄臭く、腐臭と死臭が立ち込めた瓦礫と死体の群れの最中で、一人の男が自身の手を眺めていた。


 血塗れの軍服を纏った黒髪の男だ。20代中盤程だろうか。


 その灰色の瞳はくすんだように輝きを失い、眺めた手は血みどろだ。


 他人の血で染まり切った己の掌。それをただ空虚に、瓦礫に腰かけ眺め続ける男の耳に、ふと音が響く。


(後ろ……生き残りか?)


 もはやただの反射だ。反射的に殺意に――あるいは近寄る他人を警戒するように、男の背後で意志を持った血が蠢き……。


 カキン。そんな、音が背後で響き、そして忍び寄って来た何者かの声が届く。


「……む?」

(……子供?)


 声で漸くそう認識し、男は背後へと振り向いた。

 その先に立っていたのは、ボロボロの服を着た薄汚れた少年だ。


 その手に、半ばでへし折れた剣を持っていて……折れたその剣と、折った血の盾。その両方を、不思議なモノでも見るように眺めている。


 そしてその少年。10歳程だろうか。まだまだ幼い割にその眉が妙に寄っている赤い瞳の少年は、半ばで折れた剣をブラドに向けてくる。


 それを眺め……周囲に散らばる死骸の群れ。傭兵として命令通りに制圧しきった虫の蔓延る地獄を見回し、ブラドは言う。


「なんだ、ガキ。復讐か?俺が殺した中にテメェの親でもいたか?」

「おや?……しらない。いたのか?」

「テメェが知らないのに俺が知ってる訳ねえだろ……。復讐じゃないなら、なんだよ」


 そう言った男へと、少年は折れた剣を向けて、融通の利かなそうな雰囲気で言った。


「おい、へーたい。くいもんよこせ」

「物取りかよ……。誰かの指示か?お前に兵隊襲えって言った奴は?どこだ?」

「…………?そんなやつはいない。おれはひとりだ。ずっと。はらへった。くいもんよこせ。もってるだろう、へーたい」

「野良犬みてェな奴だな……」


 呆れたように男は呟き、懐から何かを取り出そうとして――けれど、躊躇う様にその手が止まった。


 そして血塗れの手を降参したと言わんばかりに上げ、男は言う。


「右ポケットに入ってる。腹の足しになるかは怪しいが、……生憎手持ちはそれしか、」


 言っている途中で、少年は剣を投げ捨て、妙に慣れた手つきで男のコートを漁りだした。


「……お前、死体漁りしてんのか?」

「しんだやつはもうくわない。だからもらう。はらへった」

「……ひでぇ時代だな、まったく」


 嘯いた男のコートを漁り……やがて探り当てたのだろう。少年は何かを取り出した。


 それはけれど、食べ物ではない。何かの入ったケースだ。随分長い事持ち歩いていたんだろう。拳より二回り小さいサイズのケース。


 それを少年が探り当てた直後、男は取り返そうと手を伸ばし掛け……けれどその血塗れの手で触れる事を嫌う様に、また両手を上げた。


 そして、言う。


「それは食いもんじゃねえ。もっと別のもんあったろ……。袋に一杯入ってる奴がある。食いもんをやるからそれは元に戻せ」


 そう言った男を少年は眺め、それから興味を持ったようにそのケースを眺め弄った。


 その末に、パカリとケースが開き……その中身。特別飾り気がある訳ではない銀色の指輪が、現れる。


「……?なんだこれは」

「…………指輪だよ、指輪」

「くいもんか?」

「食いもんじゃねえよ……。食えたもんじゃねえ、」


 呆れ切ったようにそう呟いて、それから男は自嘲気味に言った。


「……渡しそびれたんだよ。せっかくだから良いもんくれてやろうと思ってな。余所の方が品揃え良いからよ。けど、派手なもん渡してもアイツ持て余しそうでな。結局、故郷でも手に入りそうなもんを買った。高いんだぞ、それ」

「それはいいことをきいた」

「ふざけんなよ……。返せガキ。もっとお前に似合いのもんがポケットに入ってる。なあ、おい。返してくれ。頼む。渡すもんなんだ。……プレゼントだよ」

「わたすもの……。おれに?」

「ちげぇよ、殴られたいかクソガキ」

「じゃあだれに?」

「……もう、居ねえ奴にだ」

「じゃあくれ」

「やらねえよ……。手放す気にならねえ」

「なんで?」

「……なんでだろうな」


 どこか自嘲気味に男は呟き、それから独り言のように言う。


「帰ったら渡そうと思ってたんだ。思ってんだが、忙しくてな。雇われじゃなくてザイオンの国防の問題だった。無視できる訳もねえ。……まさかよ、思わねえだろ?戦争してる俺じゃなくてあっちがいなくなるなんてよ。クソみてぇな話だ。死に目に産湯に浸かる子供見てる女ほっといて、俺が何してたと思う?……人殺しだ」

「うんがわるかったってやつか?」

「どこでその言い回し覚えたんだクソガキ」

「しにかけのやつがよくいう。うんがわるいやつはいいやつだ。くいもんをくれる」

「……まあ、そうかもな。もうどうでも良いって気分なんだろ、そいつらも。……いっそ派手に暴れて派手にくたばろうと思った。けど、幾ら暴れても死ねやしねえ。挙句なんて呼ばれたと思う?英雄だとよ。“鮮血の道化”だ。ピエロだよな……。戦場に立っても死ねやしねえ。自殺なんざしたらあの世でアイツがキレる。わかってる。娘の世話焼けって話だろ?ハッ、血塗れの手で?……んな権利は俺にはねえだろ」

「そうか。たいへんだな」

「興味なさそうだな。……その言い回しはどこで覚えたんだ?」

「めしくれないやつがいってくる。これをいうやつはだめだ。ひとでなしだ」

「なんでお前変な言葉だけ無限に覚えてんだよ……。良いから返せ。それはテメエには過ぎた代物だ」

「それはおれがきめる」

「何様なんだよテメェはよ……。良いから、返せ!」


 僅か苛立ったように――諸々の葛藤が瞬間的な苛立ちに勝ったように、男は血塗れの手で少年から指輪のケースをひったくると、それをすぐさま内ポケットにしまい込み、代わりに、袋を取り出した。


 透明な欠片が多く詰まった袋だ。血に塗れた手で取りだしたそれを、男は少年の足元に投げ捨て、それから立ち上がる。


「……かねめのもんか?」

「今度は食いもんだよ……。角砂糖だ。悲しいことに我が愛しの故郷ザイオンでは高級品でな。丸ごとくれてやるから消えろ、」


 それだけ言って、男は歩み去っていく。

 それを横に、少年はすぐさま血の跡のついた袋。角砂糖のつまったそれを拾い上げ……その中身を頬張る。


 その瞬間。


「………………!」


 まるで未知の文明に出会ったかのように少年は目を見開き、次から次と角砂糖を口に運んで行った。


 そしてその末に、一瞬で空になってしまった袋を、口いっぱいの甘さをぼりぼり齧りながら眺めて……それから、その視線を歩み去っていく男へと向けた。


 そして少年は、男の背中を追いかけて行く。


「あ?……なんだよ、クソガキ」

「……なかみ、はいってなかった。よこせ」

「せめて口元の欠片拭いてから言えよ……。何なんだよまったく……」


 頭を抱える男の後を、角砂糖を貰った少年は、ついて歩いていった。


 ただただ、食い物が欲しかった。ただそれだけだ。


 ただ生き延びるためにと、野良犬のように生きていた少年はついていった。

 道化と呼ばれて自分を嗤う、どこまで行っても死ぬに死にきれない男の後を……。


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