誰も幸せにならない呪いの言葉がある事を、ヴァンは知っている。

 その呪いを吐く者にとってそれは懺悔で、同時に自傷行為。

 その呪いを吐かれた者にとって、それは烙印にして生涯心を蝕み続ける毒。


 ――生まれてこなければ良かった。


 父が娘に投げたその言葉。その間を取り持てるほど、ヴァン・ヴォルフシュタインは器用ではない。


 だが、だからと言ってもう、無視する気はない。


 そう。もう、だ。2年前。無視して、究極的な解決に逃げたからこそ、今度はしくじらない。その決意と共に拳を握り締め――ヴァンは愚直に、間合いを詰めていく。


「ブラド・マークスッ!」


 咆哮と共に突進するヴァンへと、“鮮血の道化”は片手を翳しその顔に笑みを浮かべた。


「はしゃぐなよ、……バカ弟子がァ!」


 直後――放たれた代償魔術。血を対価に威力を増した爆炎が、正面突破を計るヴァンの眼前を埋め尽くす。


 それを前に――“鉄血の覇者”は毛頭躱す気はなかった。


 自分の周囲に血の盾を。壁のように分厚いそれを作り出し、それで爆炎を防ぎながら、正面からブラドへと肉薄していく。


 防ぎきれなかった爆炎が肌を、髪を僅かに焼いた。だが、多少のダメージは織り込み済み。多少、少し、かなり、痛いだけだ。


 そして痛みに耐えられない者は、そもそも血の魔術など扱えない。


 正面から爆炎を突っ切り、目前に見えたブラドの顔面――そこへと、ヴァンは鉄拳を振るう。だが、


「……舐めんなよ、ヴァン。そう何度も喰らう訳ねえだろ」


 嘯いたブラドの姿が、ヴァンの視界から消えた。


 異様に素早くブラドが動いた。それは、その通りだろう。だが、それによってブラドが鉄拳を躱したわけではない。むしろ、ヴァンの視界の方が動いて、ブラドの姿が視野の外にズレた。


(……投げられた?)


 遅れて状況を認識したヴァン。その身体はいつの間にやら宙に浮かび上がっていて、見下ろした戦場。数回の激突でもうめちゃめちゃになっているイベントホールの客席で、道化はヴァンを見上げて、嘯いた。


「殺意が足りねえ。……手加減して勝てると思うな」


 そして次の瞬間――ヴァンの周囲。身体のすぐそばに、幾つも幾つも幾つも、血の玉が浮かび上がる。


 血の雨が途中で止まったかのような、その光景。そこに浮かんだ血の全てが――爆弾。


「――ッ、」


 歯噛みし文字通り身を固めたヴァン。そんなヴァンを、爆炎の群れが包み込んでいく。


 空間全て埋め尽くすような爆炎がイベントホールの最中で上がり、飛び火が座席を壁を、華美な空間を焼いていく。


 その最中、爆炎に焼け焦がれ地に落ちたヴァンはけれど倒れず、着地と同時にブラドへと正面突破を計る。


 だが、だ。


「ホントにバカになってんのか?」


 呆れたようにブラドが嘯いた直後――直進しようとしていたヴァンの眼前でまた、爆炎が上がった。


(――無暗に喰らい過ぎれば、流石に)


 倒れかねない。そう判断し、爆炎が自身を包み込む寸前でヴァンは一旦正面突破を止め飛び跳ねて爆炎を躱す。


 そうして、飛び跳ねて避けたヴァンが再び、地面に足を付いたその瞬間。


「――チッ、」


 三度、ヴァンの視野に爆炎の兆しが映り、ヴァンは再び飛び上がってそれを回避した。


(血の霧を使って爆破を始めた?いや……)


 視界全部が血霞に覆われている、という訳ではない。血の霧はこのイベントホールを満たしてはいない。おそらく誰もいなかったから、この中には血の霧を入れていなかったのだろう。その血の霧が、確かに壁の大穴から入り込んできてはいるが、この空間全てを満たすほどにはなっていない。なら一体――。


 考え、観察を始めながら、また、ヴァンは着地した。その瞬間。


 ピチャン。水たまりでも踏んだような音がヴァンの足元から響き渡り、視線を下ろした先――血の沼から跳ねた水滴が、光を帯びている。


(……床一面に?)


 血の沼が広がっている。そう気付いてまた躱したヴァンの足元で、爆炎が上がり躱し切れなかったヴァンの身体を焼く。


 そしてその爆発によって跳ね飛んだ別の血の雫が、ヴァンを追いかけるように飛来し、輝き――。


「チッ、」


 舌打ちし、ヴァンは爆炎を躱し、あるいは自身の血の盾で爆炎を防ぎとめた。

 そんなヴァンに、師匠の声が届く。


「教えただろ、ヴァン。正面突破は愚策だ。やるなら電撃攻勢――敵の体勢が整う前に殺し切れ。下手に甘えて手間取ると、敵の体制が整って、お前はただ敵地のど真ん中で孤立無援の鴨になる。2年で鈍ったのか?前はもっと思い切り良かったろ?殺す事に対してよ」


 嘯くブラドは、燃え上がるイベントステージの一角。無事な客席にどっかり腰を下ろし、逃げまどうヴァンを嗤っていた。


 それを横目に捕らえつつ――迫る血の玉の群れ。爆炎の群れと、ほぼ猶予の貰えない着地の最中、防戦一方、ヴァンは飛びのき続けている。


「だから俺はお前に負けた。鉄拳制裁?自己満足で死ぬのか?ああ、別にそれも良いさ。そうして気取って全部失えよ英雄。お前を殺した後はサシャを殺す。その後はもう愉しい愉しい戦争だ……。お前の甘えが全部を台無しにするのさ」


 そう嘯いたブラドの声を耳に、まだ血の沼に侵されていないステージへと着地すると、ヴァンは言い放った。


「それはもしかして体験談ですか、師匠?」

「いいや、一般論だ。生憎そんなカッコ良い人生は送ってないもんでな。殺して殺して殺して殺して……それしかしてない人生だ」

「他もあったでしょう。俺を育てた」

「便利な兵器の製造だよ」

「隙あらば女のいる酒場に行っていた」

「殺ししかない人生からの逃避だよ。酒と女だ。似たような話はこないだしただろ?」

「逃避したいなら今すれば良い。馬鹿を止めれば手に入る世の中です、今は」

「いいや、手に入らない。……俺の逃避先はもうねえのさ」


 “鮮血の道化”は嘯く。座り込んだ英雄崩れの周囲で、血が鮮やかに輝きながら踊るように浮かび上がって行き――それがナイフの群れとなり、イベントステージにいるヴァンへと切っ先を向けた。


「……遊んでねえでマジメにやれよ、ヴァン。飽きて来たぜ?」


 道化が嘯いた瞬間――浮かび上がったいくつものナイフが、一斉にヴァンへと放たれた。


 100本。いや、飛来しながらも分裂しその数を増やしていくナイフが、逃げ場がない程に空間を埋め尽くし、襲い来る。


 もちろんただのナイフではない。いつでも好きなタイミングで爆炎へと成り代わるナイフだ。


 躱した所で意味はない。いやそもそも、躱す隙間すら見当たらない。


(……甘かったか)


 ただ殴る。殴り続ける。それだけで屈服させられるような相手ではない。


 そうだと、元々わかっていたはずだ。だが、刃を――殺意を向ける気にはならなかった。


 それは完全に甘えだろう。甘えを、選択したのだ。2年前の後悔を胸に、それが許される世界であろうと、願って。


 だが――、


(負けては、意味がない)


 胸中呟いたヴァン。その身体を、飛来した血のナイフの群れが引き裂いていき――そして次の瞬間、それらが一斉に、起爆した。


 もはや完全に制圧兵器だ。血の沼で、血の霧で、血の雨で、血の武器の乱打で敵を圧倒し、そして爆炎によって吹きとばす。


 一際大きい爆音がイベントホールを包み込み、爆炎が空間を踊り狂い燃え落ちる華美な建物を更に壊し焦がし廃墟に変えていく。


 そうして辺りを赤く赤く染め上げる爆炎と鮮血。


 それに包まれたイベントステージを、ブラドは椅子に座り込んだまま眺め……やがて、その顔に愉し気な笑みを浮かべると、呟いた。


「ああ、そうだ。それで良い、ヴァン。本気でやれよ、最初から」


 嗤う道化の視線の先――ステージに立っていたのは、血塗れの覇者だ。


 黒い軍服が赤く染まるほどに、夥しく血を吸っている。吸ったその血はヴァン自身のモノ。任意で硬質化し任意で鎧と成り代わる血の衣。


 そしてそれを纏うヴァンの背後に、3本。血で出来た大槍が浮いていた。


 強固で巨大な槍だ。その気になれば見上げるほどの血の柱を作れる血の魔術の使い手が、許容できる出血のギリギリまでを流した上で、その全てをまとめ上げた槍3本。


 ヴァンはまるで、血の代償魔術を極めていない。洗脳も爆破も出来ない。血を捧げて奇跡を得ると言う代償魔術の本質を、まるで会得していない。


 だが――だからと言って何も極めていないと言う訳ではない。


 ヴァンは極まっている。戦闘自体。自身の血という便利な武器を使った戦い自体。


 その気になれば大槍3本どころではなく、何十本を作れてしまうだろう。だが、あえて3本で留めた。それが一番、操作する上で効率が良いから。


 そう。根本的かつ究極的に、ヴァンは軍人として育っているのだ。

 その理念はただ一つ――。


「――ナイフで刺せば人は死ぬ。殺しに見栄えは必要ない」


 それこそ戦争中。戦場でそうだったように、ヴァンはその表情から冷徹に感情の全てを廃し、そして、この青年は師匠のダメなところを引き継いでしまったのだろう。


 削いだ感情の上に、一瞬だけ、戦闘狂の笑みを張り付ける。


「教えの通りに。……殺す気で行きます」


 “鉄血の覇者”は嗤った。――瞬間、その姿が、ブラドの視野から消える。


 血を吸った衣はただの鎧ではない。ヴァンの意志通りに自在に動く、衣だ。それは素の状態で反復横跳びで残像を出す怪物の身体能力を無理やり引き上げ――そうして視野から外れたヴァンの姿を探す余裕は、ブラドにはなかった。


 大槍が一本、正面から飛来する。動くと同時に投げつけてきたのか、ひとりでに直進してきたのか。


 どちらであれ――その一撃に当たれば人間は死ぬ。


「ハッ、」


 依然椅子に座り込んだまま、ブラドは嗤った。嗤ったブラドの視線の先で、ふと血で満たされた床が爆炎と共に爆ぜ、その爆発によって、飛来する大槍が軌道を変え、ブラドの頭上を越えていく――。


 直後、ブラドの体に、影が落ちた。


 飛来する大槍とほぼ同じ速度。ただ地を蹴り跳ね飛んだだけでその速度を実現した“鉄血の覇者”が、その手に血で出来た大槍を握りその切っ先をブラドへ向け、落下してきている。


 いや、ただの落下ではない。宙に浮かべた3本目の槍、それを天蓋と見立てるように強くけり込み、三角跳びのように頭上からブラドへと急襲を仕掛けてくる。


 それをブラドは見上げ、嗤った。


「……それだよ、ヴァン」


 呟くブラドの眼前で、地面から血が競り上がり、爆炎となってヴァンの身を包み込む。


 だがもはや、そんな爆炎程度。今のヴァンには脅威にすらならないらしい。

 避ける気配すら見せずヴァンは爆炎の最中を突っ切り、真上からブラドへ、大槍を突き立ててくる。


「ハハッ、」


 ブラドは嗤った。嗤いながら迫る槍の切っ先へと左手を差し出し――左手で、受け止める。


 ぐしゃりと、肉が立ち切れ骨が砕け散る音が響き渡った。頭上の槍へと左手を差し出したブラド、その嗤う顔面に己自身の血が降りかかる。


 赤い大槍がブラドの左の掌を、腕を貫通していた。槍の威力はそれだけで留まらず、ブラドの肩をも貫いていて――けれど、その深手を気に留めてもいないかのように、ブラドは嗤う。


「そうだ。これで良い。これが良い……。これと遊びたかったのさ、俺はァッ!」


 ブラドが叫ぶ――同時に、地面を満たした血の沼から大鎌がいくつも跳ね上がり、ブラドの真上にいるヴァンを捉え両断するように、襲い掛かって行った。


 ガキン――空だけを刈り取った大鎌はブラドの頭上でぶつかり合い、それが捉えるはずだった赤い衣の“鉄血の覇者”は、一瞬のうちに距離を取り、またステージの上へと戻っている。


 そして直後、ブラドの身を貫いていた血の大槍が解け――ヴァンの周囲でまた3本。血の大槍が現れる。


 そうしてまた臨戦態勢に戻ったヴァンを見据え、……己もまた自分自身の血で衣を真っ赤に染めたブラドは、ゆらりと、立ち上がる。


「それに負けたんだ。それに勝てなかった……。それと遊んだら、死ねたのさ」


 狂人の笑みを浮かべ立ち上がったブラド。その右手に血が集まり、血で出来た大鎌が握られる。


 そして次の瞬間――槍に貫かれだらりと垂れていたブラドの左腕にも血が集まり……その傷痕を修復していく。


 そうして、元通りだ。初めから貫かれてなどいなかったように傷痕の消え去った自身の左手を眺め、ブラドは嘯いた。


「……一度はな。お前は俺を圧倒して見せた。だろう、ヴァン?」

「……再生、ですか?そんな魔術を、」

「覚えちまったんだよ。勝手にこうなってた。代償魔術。……闘争に全てを捧げた末路だろうな、まだまだ俺は楽になれねえ。だが、これは永遠じゃねえ。永遠じゃねえだろ?終わりはあるさ……ハハハッ、」


 “鮮血の道化”は血塗れに嗤い、掲げたその左手にも、巨大な血の大鎌を握る。

 そうして両手に大鎌を握り、“鮮血の道化”は歩み出す。


「遊ぼうぜ、ヴァン。殺せよ、ヴァン。殺してみせろよ、ヴァン・ヴォルフシュタイン……。殺して殺して殺して殺して……死ぬまで殺し切って見せろォッ!」


 タガの外れた様な狂人の笑みのまま、“鮮血の道化”は、ヴァンへと挑んでいった。


 ……かつて確かに自分自身を殺して見せた、手塩にかけて育てた弟子へと。

 

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