障害物競争。それは、障害物を越える速さを競う競争である。

 雑に言えばレースだ。詳細は、聞かされていないが……。


(運動能力を問う種目、か)


 腕組みし考え込みながら、ヴァンは第7講義室へと向けて歩んでいた。


 どっちの選択授業を受けることを決めたか。それは、開いてみてのお楽しみ、とルーナは言っていた。今日に限り午前の警護もサラが兼任し、ヴァンとルークは授業の準備をして待っていろと。


 その言葉に従い、午後。

 ヴァンは第7講義室の扉の前に立った。


(こんなことをしている場合なのか?)


 そう思わないこともない。襲撃者が来ている。敵がいるのだ。ならば戦わなければならない。


 だが、……それは戦争時代の理屈なのかもしれない。戦争は終わった。ヴァンの師であれ他の誰かであれ、それを続けたがっている輩に対抗するには、日常を維持するべきなのだろう。


 それにこの授業もまた、ヴァンのすべきことの一つである。


 ザイオン式兵站学。その授業を通してザイオンの文化的優位性を他国に喧伝することは、敬愛するレオナルド・マークス大佐から直々に与えられた命令だ。ヴァンはやり遂げなければならない。


 ミスコンもそうだ。その至極くだらないイベントにおいてサシャが活躍しサシャが優勝しサシャがこのザイオン式兵站学に生徒達を導く。その全てはザイオンの栄誉の為。


 ……ザイオンが戦場でしか生きられないと言った師匠への、反論にもなる。


 そんなことを考えながら、ヴァンはガララと教室の扉を開き、ツカツカと教壇へと歩み寄ると、シンと静まり返る教室へと向き直り、声を張った。


「――これより、ザイオン式兵站学の講義を始める!」


 そして、その瞬間。


「「「「「は~~~~~~いっ!」」」」


 妙に明るく華やかな生徒の声が、ヴァンの耳に届いた。


 この間まで閑古鳥だったはずの第7講義室。ザイオン式兵站学の教室に、生徒が集っている。


 まばらに、男子生徒も混じっている。だが、ほとんどは女子生徒だ。なんの因果かザイオン式兵站学に興味を持ったらしき女学生達が、ニコニコしながらヴァンを見ている。


 そのあまりに華やかな光景を前に、ヴァンはふと、手に持っていた資料を取り落し、感涙でも流しそうな表情で、呟いた。


「オレの、戦争が。……今、終わった気がする」

「感動し過ぎだと思うよヴァン兄?」


 そんな言葉を教壇手前の席に着いたサシャは投げていた。


「サシャ……。これはどういう事だ?なぜ急に俺が女学生に大人気のヴァン先生に?やはり俺はイケメンだったのか?」

「錯乱しないで?ヴァン兄が人気なんじゃないと思うよ?じゃなくて、えっと……」

「みんな、ザイオンの格闘術に興味があるんです、ヴァン・ヴォルフシュタイン。いえ……ヴァン先生」


 そんな声を投げてきたのは、ロゼだ。サシャの隣に腰かけ、ヴァンの授業を受けに来ている、ロゼ。


「ロゼ・アルバロス……。ルーク・ガルグロードの授業を受けに行ったんじゃなかったのか?」

「私が行かないと奴は授業を放棄して探しに来るので付き合いで出席してただけでして……選べるなら私は別の講義を選びます。今更あのバカから学ぶことは私には特にありません」


 涼し気な笑顔でお姫様は忠義の厚過ぎる男を切って捨てていた。


「……なぜですか、姫様……。姫様に聞かせる俺の武勇伝を……」


 ぶった切られた男の残骸が教室の隅っこの方で膝を抱えているような気がしたがヴァンは見なかった事にしてあげる事にした。


 そんなヴァンへと、また別の声が投げられる。


「……サシャ、昨日カッコ良かったから。リリも投げたいの。投げられる?」

「出来るようになりますよリリィ~~~っ!何ならお姉ちゃんが教えます!寝技!寝技で良いですか!?寝技が良いですよね!?お姉ちゃん投げるのも極めるのもへし折るのも前歯抜くのもバラバラにするのも全部得意ですよリリィ~~~~っ!」


 サシャの逆隣りに座っているリリの言葉に、窓の外でワイヤーで浮かんでいる残念な美人が身もだえしていた。


(…………結果的に3人とも来てるな)


 まあ、こいつらに自由時間を与えたら何をするかと言えばこうなるのかもしれない。おそらく戦争以外の娯楽が姫様と妹だけだった英雄である。


 そんな事を思ったヴァンへと、サシャは言う。


「だからあの、兵站学じゃなくてさ。格闘術教わりたいってみんな来ちゃって……。ちょっとすれば収まるだろうし。格闘術教えてくれる、ヴァン兄?」

「格闘?……だが、戦闘技能は禁止のはずだが」

「そこをどうにか……ね?あの、格闘じゃなくて護身術って事で。それなら、平和な時代でも無駄にならないし。ね?」

「「「「お願いしま~~~~す、ヴァン先生っ!」」」」


 サシャの声を後押しするように、多くの女学生の声が呼び掛けてきた。

 ヴァン先生の教えを願う若い少女達の、声が……。


 それを前に、やはり感涙を浮かべそうな表情を零しながら、ヴァンは呟く。


「……これが、モテ期という奴なのか?」

「それ教師としてアウトな発言だからね、ヴァン兄?」

「確かにアウトかもしれない。だが、……教師として。俺には、生徒の期待に応える義務がある。教えよう。教えたいと思う。ザイオン式格闘術を。だが……戦闘技能は教えるなと、俺は命令を受けている。我が敬愛するレオナルド・マークス大佐に。そして、理事長閣下にも……だから。お前達。これだけは言っておく」


 そしてヴァンは生徒を見回し……堂々と、こう言った。


「今日、俺に格闘術を教わったと言うのは……理事長には内緒だぞ?」

「「「「「は~~いっ!」」」」」


 教室に集まった少女達は一斉に返事を投げていた。


 その耳障りの良い声の群れを前に、“鉄血の覇者”ヴァン・ヴォルフシュタインはフッと笑みを零し、呟いた。


「フっ。……なんか楽しいな、これ。これが、教師の喜びなのか……?」

「絶対違うと思うよ?教師としてあるべき姿と真逆の楽しみを見出しちゃってると思うよ、ヴァン兄今」

 サシャは呆れたように言っているが……集った生徒達は期待するような視線をヴァンに向け続けている。


 故に、ヴァンは言い放つ。


「――我が生徒達よ!至急、体操服に着替え……グラウンドへ集合せよ!そこでまずは軽いウォーミングアップから始めるとしよう!」

「「「「「は~~いっ!」」」」」


 少女達は応え、ぞろぞろと教室を後にしていく。

 その光景を見送り、サシャは若干頬を引き攣らせつつ言った。


「ね、ねぇ、ヴァン兄。軽いウォーミングアップってさ……」

「ザイオン式ウォーミングアップである!」


 そう言い切ったヴァンを前に、……サシャは、ひたすら苦笑し続けていた。

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