糸。そう、ただの糸である。


 自身の髪を媒介にした代償魔術。

 細く長くけれど強靭に、蜘蛛の巣のように浮島の上に張り巡らされた黒い鉄線。


 触れればその瞬間に手が裂けるだろうその鉄線の巣のただ中で、けれどその全てを制御している美女はまるで傷を負うそぶりも見せず、ただただ美貌を歪め、並み居るうら若き少女たちを見下ろす。


「所詮奴はバカ。知能指数的に我ら英雄の中で最弱。わかっていません、女心を……。通りたくば通りなさい。私は弁えております。あなた方の柔肌に、この鉄線は一片たりとも傷はつけません。ただし……その薄布だけは裂かせていただきましょう」


 そして“新月の悪夢”。そんな異名を取るまでに夜襲により制圧をこなし続けてきた暗殺者にして、ユニオンの英雄。


 サラ・ルーファンは、生娘を嗤った。


「フフフ……恥をさらして尚ミスコンの優勝を狙う覚悟があるなら、通りなさい!アナタには異常な男子生徒の支持……そして、ポロリの子の異名が生涯、付きまとうでしょう……フフフフ、」


(((同性な分大分性質悪い!?)))


「フフフフフ……(私のリリ以外)、ですがねェ……」


(((でも言ってる事騎士バカと一緒だ!?)))


 突破の難易度が余りにも高すぎる英雄障害物を前にミスコンの参加者は二の足を踏み……そこに最後尾をゆっくり進んでいたサシャとリリは合流した。


「あ~……まあこうなるよね、やっぱり。ん?でも、この流れだと、最後のバカはヴァン兄?って事はもしかして……」

「ここ突破したらサシャ1位になれるかもなの。……突破、出来たらね?フフフ、」


 悪だくみでもするような笑みをこぼしながらリリはそう言って、二の足を踏むミスコン参加者達の間をかき分け、堂々と鉄線――英雄の制圧した浮島のど真ん中を歩み始める。


 そしてそんなリリが歩みを進める度に、彼女の往く手を阻む鉄線がひとりでに道を開けていく。


「リリちゃん?本当にその勝ち方で良いの?」

「私は邪魔モノバカをどかしたぞ。正々堂々、勝負する気はないのか?」


 サシャとロゼがそう言葉を投げ、そんな二人に続くように、他のミスコン参加者たちもブーブー文句を垂れる。だが、そのブーイングの全てへと、リリは余裕の笑みと共に振り返り、こう言った。


「……勝てば官軍。どんな手を使っても勝った奴が一番偉いの。ユニオンは資本主義なの。ね、お姉ちゃん?」

「その通りですリリ。敗者の戯言になど耳を貸す必要はありません……。勝った奴が正義。リリこそが世界の正義。正義リリが必ず勝つように世の中は出来てるんですよ?いえ、作るのですお姉ちゃんがそんな世界を。どんな手段を、使っても。フフフ……」

「フフフなの……」

「もう絶対自分が悪者の自覚ある笑い方しちゃってるじゃん」

「敗者の戯言なの、フフフ……」


 そんな余裕の笑みを零しながら、リリは鉄線地帯をくぐり抜け、ちょっと駆け足にコースの先頭を走り始めた。


 そんなリリの背中を眺めながら、サシャは呟いた。


「ホントに行くし。……え~、どうするのこれ。リリちゃんがどかしてくれないと私達ここ一生通れないよね?」


 そんなサシャの横で、何やら覚悟を決めたように唇を引き締め、ロゼは言った。


「いや、通れる。……通るんだ、無理やりにでも」

「え?正面突破するの?」

「アルバロスの辞書に撤退はない。アルバロスの皇女として、ユニオンの背を見続ける訳にはいかない。それに、口ではああ言っていたが、サラ・ルーファンも同じ女性だ。過度に辱めるような事は……」

「ハァ、ハァ、……早くいらっしゃい、お嬢さん。私の巣に踏み入ったアナタ達を捕らえ縛り上げじっくりとその薄布を剥いで紅潮する柔らかな頬をお姉ちゃんが優しく撫でて差し上げましょうハァ、ハァ……。リリには、内緒ですよ?フフ、」

「あのレズ、シスコンよりもっとヤバイ性癖いくつか抱えてそうだけど」

「……だとしても!」

「ク、殺せって言いに行くの?自分からわざわざ?」

「私は誇りあるアルバロスの皇女だ。この程度の脅しには屈しない。こんな障害に……私は負けない!」

「どうして丁寧に前振りしちゃうの?」


 半ば呆れたように呟くサシャの横で、覚悟を決めきったロゼは、一歩悪夢レズの巣へと踏み込んだ。瞬間――


「忠告は、しましたよ?フフ、」

 

――美女の微笑みと共に、巣を形成する鉄線が一部ほどけ、ロゼへと襲い掛かった。


「ッ、」


 歯噛みし、ロゼは明らかに水着を狙って襲い来るその鉄線から身を躱そうとする。だが、幾らロゼの運動神経が良かろうと、英雄と令嬢では根本的に生きる世界の格が違う。


(……避けきれな、)


 躱しきれる訳もなく、ロゼはただ眼を見開き、迫り来る悪夢レズの魔の手を眺めた。


 だが、その瞬間。

 ――チリと、ロゼの視界に、稲妻が瞬いた。


 稲妻。雷――雷撃の魔術。僅かに垣間見えた予兆の直後、その場に閃光が散る。


 雷撃。剣閃。舞い踊る閃光が皇女に迫る魔の手の全てを悉く灼き裂いていき、そして尻餅をついたロゼの前に、一人の騎士の背中が、映り込んでいた。


 抜き身の剣をその手に、そして稲妻をその身に帯びた、アルバロスの英雄。


「ルーク、お前、……何しに」


 皇女の呟きに、その男。

 “雷迅の貴公子”ルーク・ガルグロードはただ敵だけを見据え、呟いた。


「無論……御身への忠義を通しに」

「ルーク……」

「姫様。道は俺が切り開きましょう。姫様は構わず……栄光へと歩んで下さい」


 そしてそれだけ言った次の瞬間――ルークはその場に張り巡らされた鉄線の悉くを灼き、切り裂いて、敵へと邁進していく。


「無粋な真似をさせてもらうぞ、サラ・ルーファン!」

「自覚があるならヤンチャは止めなさい……ルーク・ガルグロード!」


 浮島の中央で、雷撃を帯びた剣。幾重にも折り合わされた鉄線。二人の英雄がぶつかり合い、その衝撃が浮島を揺らし、ドンと湖に大きな波紋を散らしていく。


 その光景の全てを眺め、サシャは呟いた。


「大人がはしゃぎ過ぎだよ……このミスコンずっとさ」

「だが、これで道は開けた。ルーク。お前の挺身、無駄にはしない!さあ、皆。今のウチに次に進もう!」


 勢いよくロゼは言い、ミスコン参加者たちへと振り返る。

 だが、参加者たちは全員呆れたような表情でただ目の前の光景を眺めていて、それに首を傾げたロゼを横に、サシャが言う。


「どうやって進むの、これ」


 そう言ってサシャが指さした先。


「姫様を毒牙に掛けようなどと……恥を知れ、ビッチが!」

「アナタもどうせちょっと期待してたんでしょう?見逃しておけば良いものを!」


 何やらヒートアップしていく英雄達の攻防によって、稲妻と鉄線。間違いなく掠めただけで致命傷になりそうな魔術の数々が飛び交っていた。到底無事そこを通り抜けられないだろう密度で。


 その光景を、ロゼは何も言わず睨みつけ……そして次の瞬間。


「まさか、本当に役立つ時が来るとは思いませんでした、ヴァン先生。ザイオンの技、利用させていただきます」


 その言葉と共にロゼはさっと地面に横たわると、そのまま頭を低く、乱戦の隅っこの方を通り抜けるように、匍匐前進を始めた。


「……正しい乱戦地帯の突破方法ではあるんだけどね?これミスコンでする格好じゃないと思うんだよね」


 呆れたように呟きつつ、サシャもまた地面に横たわり、ザイオン国民全員必修のザイオン式匍匐前進で、乱戦の下を潜り抜け始めた……。



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