間章 崩壊歴250年12月/英雄と代替品
冬のザイオン。まるで四方から山陰に捕らえられているかのように、巨大な黒い防壁が夜闇の中朧気に昏く、それが囲う街の姿には色味が欠けている。
家々も人々も、飾りや遊びがほとんど見えず、景色の中で一番華やかなのは、うっすらと白雪の積もった古びた街灯だろう。
そんな質素な街のど真ん中。豪邸と呼ぶよりとことん事務作業所の様相の、石造りの角ばった建物。中央庁舎のエントランスを背に、黒いコートを着た二人の男が、雪道に歩み出た。
一人は、黒髪に赤い瞳の青年だ。いや、まだ少年と呼んでも良いかもしれない。大人と子供の丁度中間の年齢の、ただただ生真面目な顔の少年。
そんな少年を背後に、つまらなそうに眉をひそめているのは、黒髪に灰色の瞳の、無精ひげの目立つ男だ。
「クソ……勝ち戦の途中で呼び戻されて、挙句待機だと?余所が賑やかなこの時期に、このクソ面白くもねえ
「例の協定の影響でしょうか?加盟国が増えていると聞きますが、」
「ハッ。んなもん本気にするだけ無駄だろ。何が平和だ……アルバロスもユニオンもまだまだやる気だろうが。両方引き込むくらいのウルトラCでも決めねえと、ただデカい勢力がまた一個増えるだけだ」
「……平和にはならないと?」
「なってたまるかよ。……んな易々平和になっちまったら、俺らは何してたんだって話になるだろ。傭兵産業も廃業になっちまうしな。ザイオンの唯一の取り柄って奴もパアだ。滅ぶね、この国は」
無精ひげの男はそう言い放ち、肩をすくめる。
「まあ愚痴言ってもしょうがねえな。暫く待機だ、ヴァン。ガキは家で大人しくしてろ」
それだけ言って、無精ひげの男はヴァンに背を向け、明かりの少ない夜のザイオンへと歩み出す。
その背に、生真面目そうな少年――ヴァンは、声を投げた。
「師匠はまた、顔を見せないつもりですか?……サシャは、会いたがっていると思いますが」
「ガキの相手なんざするかよ。オレの分もテメェが面倒見てろ。俺はザイオンで一番文化的な場所に行く」
「文化的な場所?」
「テメェにはまだ早ぇよ。……ガキはガキ同士乳繰り合ってままごとでもしてろ」
そして、無精ひげの男は後ろ手に手を振り、夜の街の中へとフラフラ消えていった。
その背を眺めた末、ヴァンは男が消えたのとは別の方向へ、歩み出す。
(……出過ぎた真似だったか)
師匠。ブラド・マークスは優秀な軍人だ。近頃はヴァンの実力が増し名が売れてきたことでその影に隠れるような動きが増えたが、“鮮血の道化”と他国に畏れられたその実力は本物。
ヴァンと違って指揮能力も高く、ザイオンを雇った“都市国家”で練兵や参謀役をやったりしている。多少、口と態度は悪いが、それ以外はひたすら優秀な軍人である。
そして……徹底して、実の娘の事を避けている。
ヴァンはブラドに戦場で拾われた。そしてブラドに魔術や戦闘術を教わり、ブラドの家に引き取られて暮らしているが……あの男がその自身の家に踏み込むことすら、極稀だ。もう8年程あの家に暮らして、それがあったのは数える事。しかもすべて事務的な用件で、玄関口から奥に入ろうとはしない。
妻を失くしてからああなった。ブラドの父にしてサシャの祖父。そしてヴァンの上官であるレオナルドはそう言っていた。任務でザイオンを離れている間に妻の訃報を聞き、それ以来家に入ろうとも、妻と入れ替わるように生まれ落ちた娘とも、会おうとしないと。
そして、まるでその代わりのようにヴァンを拾い、ヴァンをあの家に置いている。
そう、代わりだ。子供の代わり。そして……父親の代わり。
「あ!」
ふと雪の夜道に声が届き、物思いに沈みながら歩んでいたヴァンは視線を上げる。
その視線の先――ザイオンの一角にある、簡素な家屋。他の都市国家に行けばそれこそどこにでもあるような、けれどザイオンの中では豪邸に数えられるだろう家の玄関先で、一人の少女が玄関を飛び出て、ヴァンの元へと駆けてくる。
質素なワンピースに身を包んだ少女だ。金色の髪に灰色の瞳。生真面目で、ルールを良く守るいわゆる良い子で、そして明るく人当たりが良い。そんな、まだまだあどけない少女。
そんな彼女――サシャは、まるで誰かを探すようにヴァンの周囲に視線を向けると、それから一つ小さくため息をつき、笑顔と共にヴァンへという。
「……お帰り、ヴァン兄。スープ作ってあるよ?あったかい奴」
「ああ、」
頷き、ヴァンはサシャの後を追って、我が家の温かい明かりの中へと消えていく。
父親の事を何も尋ねようとしない少女の背を眺めながら。
だとしても、そこは
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