ザイオン式お菓子作り教室。


 一応担当教師のはずのヴァンがずっと教室の隅で考え込み、お嬢様たちで技術を教え合う場が最終的に何を作っても焦がす皇女様の料理下手強制教室となりつつも、その数日は過ぎていき……そして、その日。


 *


「さあさあ、始めるのじゃ!ミス聖ルーナコンテスト2次予選……、“ご主人様、これが私の気持ちです!必中悩殺!お菓子作り対決~~っ!”」


「「「「「おおおおおおおおおお!」」」」」


 案の定というか当然のようにメイド服を着ているルーナの声がイベントホールに響き渡り、今日も集っている主に男子生徒な観客たちは、歓声で応えていた。


 そしてそんなイベントステージに並んでいるのは、運営の側で用意された調理機材とテーブルと、材料の数々。そして奥の方には、審査員席として座席が3つ、用意されていた。


 その光景をステージ横の裏手から眺め、もはや当然のようにメイド服を着ているサシャは、胸中呟く。


(良し……私、頑張るよ、ヴァン兄!今日は私が、勝って吉報を届けるよ!)


 そうしてグッと拳を握り締めたサシャの隣で、やはり当然のようにメイド服を着ているロゼはぶつぶつ言っていた。


「砂糖小麦粉つなぎはミルクと卵、焼き加減はもはや秒数を信じるな目視を続けて体感で全てを為せ……そう!レシピなど甘え!」

「なんでお菓子をレシピ通りに作って失敗できるんだろうね?」

「その場合はレシピが悪い!」

「そのはずなんだけどね。ホントはね……。あれ?ていうか、リリちゃんは……?」


 言いながら、サシャは周囲を見回す。そこにいるのは、このミスコンの参加者。お菓子作り教室を共にした全員メイド服を着せられたお嬢様軍団である。


 だがその中にリリの姿はなかった。それに首を傾げたサシャをよそに、ステージ上でルーナが言う。


「ではまず!厳選なる!本日の審査員を発表しようぞ!今日だけは!姫様への忠義を捨てるとわらわが念入りに念書を書かせた実は料理できる系男子!忠義さえ捨てればモテるだろうに肝心の姫に足蹴にされて満足げな漢!“雷迅の貴公子”!ルーク……ガルグロード!」


 その呼び声の直後、審査員席の一角にチリと、雷鳴が瞬いた。


 そして次の瞬間――今日は気分を変えるのだろうか。スーツを着込み眼鏡を装着した金髪の美青年が、姿を現す。


 そうして、稲妻と共に審査員席に着いた遂に忠義を捨てた男。


 ルーク・ガルグロードは、伊達メガネをくいっとやりながら、言い放った。


「……焦げてさえいなければ全員満点にします、姫様」

「結局忠義捨ててないじゃん……」

「生焼けで良いか?それは生焼けで良いって事だな、ルーク!信じてるからな?」

「その台詞自分の汚点隠し以外の時に言ってあげようよ……」


 呆れたサシャを横に、ルーナは続ける。


「そして、二人目の審査員!直談判の末にその席に掴み取った、姉の代理の若き美食家!幼い頃から育てられたその金持ちの舌は良いか悪いか!料理は作るものじゃない……食べて文句を言う物だ!ユニオンの令嬢!リリ・ルーファン!」


 その呼び声と共に、逆側のステージ裏から、何やらメイド服に眼鏡を装着したリリが姿を現し、ルークの横の審査員席に付くと、眼鏡をくいっとしながら言う。


「……よくよく考えるとこう言うのって審査員の方が目立つの。フッフッフ……生き残りたければこの毒舌メイド長リリに媚びてみれば良いの!」

「いないと思ったら……もうホント自由だよねこのミスコン」

「クぅ……。私も、予選抜けさえしていれば、あちらに座れたものを……。人前で料理なんてしたくない……」

「もうホント自由だよね、皆さ……」


 遠い目をしたサシャの視線の先、ルーナは言う。


「そしてそして、3人目の審査員にして、フェアな勝負の代弁者!奴はきっと一番メイド服を着こなした一番可愛い少女を選ぶだろう……ザイオンの英雄!“鉄血の覇者”!ヴァン・ヴォルフシュタイン」

「ヴァン兄舐められ過ぎだよ、流石に……」


 と、呆れて呟いた妹分の視線の先。

 一つだけ空いている審査員席に……ヴァンの姿は、現れなかった。


「……む?ヴァン・ヴォルフシュタイン!現れよ、ヴァン・ヴォルフシュタイン!」


 ルーナは叫び声を上げるが……ヴァンは一向に現れる気配がない。

 それを前に業を煮やしたのか、「……あのバカが、」と小声だがばっちりマイクに拾われた声で呟き、そして次の瞬間。


 ルーナはひょいっとルークのかけていた眼鏡を奪い取ると、それを装着しながら自ら審査員席に座り込むと、眼鏡をくいっとやりながら、言った。


「……ヴァン・ヴォルフシュタインだ。お菓子を渡す時に一番胸元開けてた子が優勝だ」


 その極めて雑な物まねに、観客席から苦笑が漏れていた。

 それら全てを前に、サシャは何も言わずただただ呆れたような視線を向け……そんなサシャに、ロゼが言う。


「ヴァン先生はいないのか?何か聞いてないのか?」

「うん。まあでも、……良いよ別に。慣れてるし」

「慣れてる?」

「そんな気はしてたって言うか……。別に、居なくても良い。会いに来てくれなくても良い。でも、応援とかは、してくれてるんだろうなって。そう信じるしかないって言うかさ……」


 それからサシャは、どこか寂しそうな表情で、呟いた。


「勝ったらさ。頑張ったら、喜んでくれるよね、ヴァン兄……」


 呟いたサシャをよそに……ミスコンの2次予選が、始まった。


 *


 ミスコン会場は、今頃大騒ぎだろう。ヴァンがサボったからとかは関係なく、あの場所はいつも騒いでいる。


 やり過ぎだとしてもそれが平和なのだろう。むしろ、戦争ばかり続いた時代の直後に訪れた平和。その象徴の場所だ。やり過ぎなくらいのにぎやかさが丁度良い。


 そんなことを思いながら、ヴァンは戦時中、任務中のように表情を消し切った表情で、本校舎の地下室を歩んでいた。


 元が城だったのだろう。学校には似つかわしくない鉄牢の群れが、薄暗い廊下の左右に並んでいる。それらの最中、やけに響く足音を耳に進んで行くヴァンの耳に、ふと声が届いた。


「止まりなさい、ヴァン・ヴォルフシュタイン。……ここには来ない約束でしょう?」


 声は聞こえる。だが、姿が見えない。そして、戦争を思い出すような一切の躊躇のない殺気が、ヴァンの背筋を走り抜けた。


 “新月の悪夢”だ。暗殺に寄った英雄。暗がり、閉所。視界の通らない場所でこそ真価を発揮する髪の代償魔術の使い手。


 その声が、殺気が――あるいは、殺意そのモノとも呼べるだろうピンと張られたワイヤーが、ヴァンの喉元をいくつも通り抜けた。


 その感触にヴァンは足を止め……答える前に懐から品を取り出した。袋だ。手土産のつまった、袋。


 それを暗がりへと差し出しながら、ヴァンは言う。


「差し入れの菓子だ。……近頃種類を覚える機会が多かった。女の好みに差があることも認識した。数種類入ってる。まとめて持っていけ。気に喰わないモノは全て捨てろ」

「今のアナタの行動が一番気に喰わないと言ったらどうします?ザイオンの英雄……ブラド・マークスの弟子」


 虚空から声が届く。それを前に、けれど、ヴァンはこう言うほかない。


「どうしようもない。俺はただ……師匠と話がしたいだけだ。一時的に監視の役を代わろう。今、お前の妹の晴れ舞台が行われているはずだ。見たいだろう?」

「それはアナタもでしょう?」

「それどころじゃない。……頼む、サラ・ルーファン。このタイミングしか思い浮かばなかった。理事長の命令が滞るタイミング。師匠が襲撃を起こそうとする可能性のあるタイミング。俺は、今の師匠をサシャに会わせたくないんだ。……どんな手を使っても」

「私情で殺しに来たと言うなら、尚の事通せません」

「選択肢の一つとして覚悟を決めてきただけだ。俺もサシャの父親を二度も殺したくない。だが、その必要があるならそれは俺の役目であるべきだと思う。頼む、サラ・ルーファン。通してくれ」


 感情を殺し切った冷たい目で、けれど情の話ばかりを、ヴァンは口にしていた。

 そんなヴァンの前に、やがて暗闇の最中から、暗殺者が姿を現す。


 サラだ。いつも通りの恰好、美貌で――けれど、口にしろ尋問にしろ、ブラドの相手をし続けたせいだろうか。どこか疲れた雰囲気のサラは、ヴァンの手から菓子の入った袋を奪い取り、その中身を物色しながら、言った。


「リリはどうしてますか?のびのびしていますか?」

「多分な。……そこまで観察する余裕がない」


 正直に言ったヴァンを、サラは片眉を吊り上げ睨み、そしてお菓子の袋を物色しながら、道を開けるように廊下の壁に背を預けた。


「なら、次私にねだる時は注視していなさい。ああ、あと……うん。別にキライなモノはないですが、もう少しチョコレートを多く献上しなさい。甘い奴ですよ?好きなんです」

「意外だな」

「可愛いでしょう?余裕がある時、殺す可能性のある相手には見せることにしてるんです。しくじった末にまた巡り合った時。そしてその場で私が後手を踏んだ時。生き残れる可能性が上がるでしょう?女のプライベートは」


 そう嘯き、本当なのかどうなのか、袋の中からチョコレートの菓子を取り出しつつ、廊下の奥を顎でしゃくった。


「ほだされる事にしよう」

「お互いに、ですね。……またあの暮らしはイヤですよ?多少笑われようと今が良い」

「同感だな」


 それだけ呟き――殺意の消えた首元を確認した上で、ヴァンは廊下の奥へと歩み出す。


 暗がりの最中に緊張感が満ちている。そこら中に、“新月の悪夢”の糸が張り巡らされているのだろう。


 その最中を歩みつつ、ヴァンは懐から血のつまった小瓶を取り出した。

 そして……扉が見える。最奥の扉。とりわけ厳重な、鉄の扉。


 歩み寄るヴァンの前で、サラが髪でやっているのか。その扉の錠が落ち開かれる。

 そうして、目の前に現れたのは……何もない部屋だ。


 椅子が一つあるだけの、窓すらない部屋。その椅子の上に、両腕を手枷に縛られ、両足に鉄の枷を嵌められ目隠しまでされている男が座り込んでいた。


 けれど、そこまで徹頭徹尾自由を奪われていながら、尚愉しそうに……ブラド・マークスは言う。


「おう、サラ、待ってたぜ。今夜はどうやって俺と遊んでくれるんだ?水責め?窒息?他を思い付いたか?大変だよな、出血させずに拷問するってのも……。そろそろ色仕掛けに入っても良いんじゃねえの?ハハハハハハッ!」


 ブラドは嗤っている。それを目の前に……ヴァンは取り出した血の入った小瓶を、握り締めた。


 砕けた瓶の破片で、掌が細かく傷つく。だが、それだけでは足りないと言わんばかりに……握り砕いた小瓶から溢れた血が、刃の群れとなって襲い掛かった。


 目の前にいる敵。ブラドへではない。自分自身……血の代償魔術の使い手である、ヴァン自身に対して。


 傷がいくつも、ヴァンの体に出来上がる。そこから流れ始める血が……全て、意思を持ったように浮き上がる。


 そして、その物音の全てに、この魔術をヴァンに教えた男は気付いたらしい。


「お?ああ~~、我慢しきれなくなった訳か。怖いか?目障りか?それともそろそろ、俺と遊びたくなったか?」


 嘲笑う様に言ってくるブラドを睨み……ヴァンは周囲を舞う血を操作した。

 その一部がブラドへと飛んで行き、その目隠しだけを切り裂きはぎ取る。


 そうして露わになった、灰色の瞳。サシャと同じ瞳を持った男は、ヴァンを眺め、言い放った。


「もしくは……殺すか?俺を、もう一度。それでも良いぜ?そうすりゃお前も立派に殺人鬼、“戦争教導団”だ」


 そう嗤う師を前に、ヴァンは完全なる臨戦態勢。夥しい量の血をその空間に舞わせながらも、攻撃する意図がないと言わんばかりにその全てを集め、椅子のように終結させた。


 血で出来た椅子。血で出来た玉座。ブラドの前に作り上げたそれに腰かけ、ヴァンは言う。


「いいえ。説得を試みに来ました。今更ですが……2年前にそうするべきだったと思う」


 そう言い放ったヴァンを、ブラドは、ただただ面白がるように眺めていた……。


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