間章 崩壊歴251年10月/過ぎ去った分岐点

 ヴァン・ヴォルフシュタインは故郷を見ていた。


 生まれ故郷ではない。だが、自分を拾った男がこの場所でヴァンを育てた。

 だから、故郷だ。貧しく厳格で生真面目で、産業らしい産業が傭兵しかない、小国。


 軍事都市国家ザイオン。


 その外縁の防壁の上に腕組みし立ち、渇き冷たくなり始めている空気を頬に感じながら、ただただ、ヴァンは街を見下ろす。


 どこか迷う様に。同時に、感情を削ぎ落したように。

 そうして街を見下ろし続けるヴァンの耳に、ふと、声が届いた。


「あ、ヴァン兄。……今日もここにいたんだ。寒くないの?」

「サシャ」


 呟いたヴァンの視線の先。質素なワンピースに、ヴァンのお古のコート。そんな出立の少女が歩み寄ってきて……ヴァンが眺めていたモノを追いかけるように、その視線を眼下に落とした。


「何見てたの?」

「何も見ていない。……考えていただけだ」

「じゃあ、何考えてたの?」

「………………」

「そっか。……私にしたくない話か、」


 ただただ沈黙したヴァンを横に、サシャはそんな事を呟いて……そして、そのままちょこんと、その場にしゃがみ込んだ。


 暫く、沈黙がその場に下りた。別に何をするでも何を話すでもないただの沈黙。


 それはヴァンにとって、普段なら心地良いものである。誰とでも沈黙を良しとすると言う訳ではないが、たまに家に帰った時妹のようにヴァンを迎え入れる少女となら、それも悪くなかった。


 だが、今は……まるで心地よくない。ただただ、下手すれば背筋が凍りそうなほどに、寒く冷たい。


 そんな沈黙を、やがてサシャが破った。


「……お父さん。裏切ったの?」

「…………っ、」

「アンおばさんが、言ってたんだ。ほら、お隣の。難しい話は分からないけど、もしかしたらって。お父さん、ザイオンの敵になったの?」


 ヴァンは何も言わない。答える言葉を見つけ出せなかった。そんなヴァンへと、視線を向けることなく、サシャは言う。


「私ね……。あ、ヴァン兄からするとさ。ちょっと意外かもしれないけど。結構勉強してるって言うか、おじいちゃんがね。ザイオンの未来への投資って言ってね?だから、あの……アンおばさんよりはいろいろ、わかるよ?お父さんは、平和が嫌なんでしょう?」

「イヤな訳じゃない」


 ふと、ヴァンはそう言っていた。何か深く考えて言ったわけではない。反射的に反論していた。そして反論してしまってから……言葉を継いでいく。


「……師匠は、戦場以外に、居場所を見出す気になれないんだ、きっと。血に塗れ過ぎた。だから、」

「クーデター起こすの?他の人達巻き込んで?」

「…………そうだ」


 そう頷いたヴァンに、サシャは何かを言おうとした。

 何を言おうとしたのかは、わからない。言う前に、サシャは言葉を呑み込んでしまったから。そして、言葉を、……話題を変える。


「ヴァン兄。お父さんと、戦うの?」

「……ああ。消去法だ。俺以外、ザイオンにいる誰も、師匠と互角には渡り合えない」

「そっか、」


 ただそれだけだ。ただそれだけを、状況を受け入れることに慣れてしまっている少女は呟いて、やがてこう、呟いた。


「ヴァン兄が思う様にしてよ」

「……俺が?」

「うん。それが多分、一番正しいんだよ。ヴァン兄にとっても、……お父さんにとっても」


 そして、サシャは立ち上がると、寂しそうな笑みでヴァンを見上げ、こう言った。


「……私よりヴァン兄の方が、お父さんに詳しいもんね?」


 それからサシャは、くしゅんと、どこかわざとらしくくしゃみをして、言う。


「寒い……。私もう行くね?あ、スープ温めとくから。凄いんだよ!最近安いお肉出回るようになって。私嬉しくってね~、スープにまでお肉入れちゃった。美味しそうでしょ?」

「……ああ、」

「ね?……早く帰って来ないと全部おじいちゃんにあげちゃうからね?」


 そう言って、サシャは笑顔と共に手を振って、防壁の階段へと歩んでいく。


 それをヴァンは見送り……そしてまた、眼下の街並みを見た。


 けれど、見ているのは景色ではない。その目は何も映さない。考えるのは、答えのない問題。いや、答えの出せない、問題。


 答えは出なかった。ただ、……作戦決行の日が訪れただけだ。


 そしてヴァンはその命令に従った。師匠にそう教え込まれたように、命令に忠実に……。


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