第××話 レイラの祈り

NO side


 地下から聞こえる泣き声がやみ、歩き始めた足音が少しずつ遠ざかっていた。


 そしてそれと対照的に大勢の足音や馬が地面を蹴る音が雨に紛れて聞こえてくる。


 たった一人ここに残ったレイラは膝をつき、静かに空に向かって祈りを捧げていた。ソフィアとシャーロットと過ごしたかけがえのない思い出を思い起こしながら。


「女神様、どうかソフィア様とシャーロット様をお守りください」


 レイラはただただ祈る。己の敬愛するソフィアとシャーロットの無事を。


 レイラの背後の扉がセレスティナ王国では見かけない軍服を着た男によって蹴破られた。


 その瞬間レイラは立ち上がりあらかじめ開けておいた窓から飛び出して走り出した。


「女が一人逃げたぞ!追え!」


 雨音にかき消されないくらい大きな声で偉そうな男がそう叫ぶと周りの男達が馬に乗り一斉にレイラを追い始めた。


 土砂降りの雨の中をレイラは走る。ただひたすら走る。


 少しでも長くソフィアが逃げられるように、少しでもソフィアとシャーロットから遠くに追手を連れていくために。


 レイラには地の利と運動神経の高さがあった。数日間寝ずに行動していたとは思えないほどの身のこなしで、雨の中ぬかるんだ地面を蹴って逃げていく。しかし、馬と徒歩では速さに差がありどんどん間が縮められていく。


 そして遂にレイラは追い詰められてしまった。前には絶壁、背後には己の命を狙うアヴァリーシア帝国軍の兵士たち。


 レイラは己の死を悟った。


 レイラを取り囲んだ兵士の中から、さっきいた小屋の扉を蹴破った偉そうな男が出てきた。男はレイラを頭のてっぺんから足の先まで舐め回すように見て、レイラが王族ではないことを確認してから口を開いた。


「王妃様と王女様はどこにいった?」


 偉そうな男はレイラにそう問うた。


 レイラには自分の命可愛さに敬愛する主人を売るなんてそんな考えは微塵もなかった。


 ただただ絶壁を眺め、どうせ命尽きるなら一人でも多く道ずれにしてやろうと覚悟を決め、レイラはゆっくりと振り向き、美しく笑って言った。


「残念でしたわね、私は囮。さっきの場所は数多ある偽の拠点の一つよ。王妃様と王女様は今頃無事に安全な場所に辿り着いているところ。貴方達はまんまとハズレの場所を引いて全く関係ない女を馬鹿みたいに必死で追いかけてたってわけ」


 男達を逆上させ少しでも長く意識を自分に向け続けるためにレイラはわざと煽るように話しかける。その煽りに男は青筋を浮かべわかりやすく機嫌を悪くした。


「どうしますか?団長」


 部下だと思われる若い男が、機嫌を悪くした男に問うた。団長と呼ばれた男が何かを言う前にレイラは口を開いた。


「拷問でもなんでもするがいいわ!私は王妃様と王女様の場所なんて知らないし、知っていても絶対に貴方達のような人に話したりしないわ!」


「......そのようだな」


 団長と呼ばれた男は一瞬のうちに剣を抜き、レイラの方にめがけて突き刺した。即座に見切ったレイラが一瞬で身をかわしたために、剣はレイラの脇腹を掠めただけで終わった。


「少しはやるようだな」


 己の一撃が避けられたというのに余裕そうに男は笑った。レイラはすぐさま反撃の態勢を取り男たちに向けて魔法を放った。


 レイラの放った水球は一対多数の現状に慢心していた団員たちの多くを貫いた。あたりどころが悪く一瞬で絶命した者もいれば、腕や足、腹を貫かれたけれどまだ生きていて動ける者もいた。


 その一撃でそこにいたすべての者が臨戦態勢をとった。


 己の周りに小さな水球をいくつも浮かべ、いつでもさっきのように貫けるのだぞと構えるレイラ。対するアヴァリーシア帝国軍の兵士たちは皆そろって剣を構えて対面した。


 今、戦いの火ぶたがきられた。


 さて、レイラと帝国軍が戦っているところではあるが、ここで一つ、アヴァリーシア帝国について小話をしよう。


 アヴァリーシア帝国ではソフィアたちの暮らす国であるセレスティナ王国に存在する女神信仰というものが存在しない。というかそもそも神など存在しないという現実主義な者の国だ。現実主義な上、凝り固まった血統至上主義この国が圧倒的に他国に遅れをとっているのはこのせいである。


 そんなアヴァリーシア帝国、女神信仰がないために女神から授けられる力である魔法というものが存在しない。それは彼らの戦い方を見れば一目瞭然だ。彼らの戦術は剣や斧、槍や弓といった武器を構え突撃していくことしかないのだ。国内に魔法を使える者が一人もいない上、諸外国との国交を絶っているために魔法についての研究が一番進んでいないのだ。


 魔法に対する戦い方など知る由もなかった。


 ではこの戦い、どちらが優勢になるかと言うと当然の如くレイラの方であった。


 レイラはまるで舞を披露しているかのように華麗に剣を避けて魔法を放つ。一人また一人とレイラの周りに男達が倒れていく。しかし、数だけが取り柄、質より量なアヴァリーシア帝国軍どれだけ倒しても一向に数が減らなかった。


 少しずつ少しずつレイラの体力と魔力の両方がなくなっていき、レイラの体に切り傷が目立つようになってきた。


 レイラの魔力が尽きて、攻撃を避け魔法を放つために動き続けていた足を止めたその瞬間だった。今まで戦いに参加せず見ていただけだった軍団長がレイラの背後を取り剣を突き刺した。


 レイラが己の現状を認識するより早く軍団長はレイラの背中を蹴って剣を抜いた。蹴られたレイラが力なく地面に倒れる。


「それは捨ておけ。」


「よろしいので?」


「あぁ、どうせその女は王妃について口を割らん。時間がかかって面倒なだけだ。それに幼子を連れた王妃がこの短時間で必死に逃げたとしてさほど遠くまで行けまい。この近辺に王妃もいるからな、そちらを優先するまでだ」


 軍団長はそう言いながら馬に乗り、元来た道を戻り始めた。


「かしこまりました。


全兵士に通達せよ!医療班は負傷者を連れて基地まで退避!それ以外は団長に続け!セレスティナ王国、王妃捜索続行!」


「「「はっ!」」」


 大きな足音をたてながらアヴァリーシア帝国軍がソフィアを探すために元来た道を戻って行った。


 かろうじて意識が残っていたレイラはぼーっと己の命の終わりが近づいてくる足音を聞いていた。刺された感覚も痛みもなくてただ少しずつ意識が遠のいていく感覚だけがあった。


 そんなレイラの頭の中を占めているのは、命の灯火が消えかけている自分のことではなく、今もなおどこかで逃げ続けているであろうソフィアのことだった。


「(ソフィア様が逃げられる時間を少しでも多く稼げただろうか。ソフィア様はクレアフュール学園まで辿り着けただろうか。ソフィア様は一人で泣いていないだろうか、寂しがっていないだろうか。)」


 考えることは、思い出すことはすべてソフィアのこと。


「(あぁ、ソフィア様。素直で純粋で誰にでも思いやりを持って接することのできる優しいソフィア様は、私が仕えてから約七年間一度もわがままらしいわがままを言ったことはありませんでしたね。


高価なものを強請ることもなく、会いに来なくなったウィリアム王にでさえ会いに来てと言うこともなく、ただずっと王妃に与えられた部屋で仕事や子守りをしているだけでした。


私は常に思っていたのです。貴女はもっとわがままを言っていいと。


甘いものを食べたい、オシャレなドレスが欲しい、演劇を観に行きたい、そんななんてことない誰もが思うようなわがままをもう少しくらい言っても誰にも責められなかったと思うのです。


そんな、小さなわがままも言ってこなかった貴女が初めて私に言ったわがままが、私のことを思って言ったわがままだなんて。


あぁ、私は本当にソフィア様に大切にしていただいていたんだ。最後の最後にそれを知ることができて本当によかった。


私の仕える聖女様がソフィア様で本当によかった。貴女に仕えられたこと、貴女のために死ねること、私はとても幸せに思っています。


どうか、どうかソフィア様に女神の祝福があらんことを...)」


 レイラの意識はここで途絶えた。そしてそれと同時刻、ここから少し離れた場所で小さな命が空へと旅立った。



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