第30話 ハッピーエンドをお望みですか?

 見張りをしていてくれたレイラのおかげでしっかりと眠ることができて、そこそこ疲れが取れた気がした。


 私は昼過ぎくらいに目が覚めて、そこからはレイラと軽く話したり、食事を取ったりしていた。


 ロティは疲れ果てているのか食事の匂いでちょっとだけ起きてきて、少しご飯を食べてまた寝てしまった。


 そうやって過ごしていると再び夜になったので私達は暗闇に紛れて出発した。


 前日に治癒魔法をかけたロティは少しだけ元気になっているようだけどそれでもやっぱり熱が下がりきっていなかった。私は歩きながらロティの体調が悪化しないように定期的に治癒魔法をかけていた。


 そうやって昼間は小屋を見つけて休み、夜に歩き続けて3日目。


 今日は土砂降りの雨が降っている。


 流石に体調のことも考えて、今日は外を歩くことができないからと雨が降り始めてからすぐに見つけた小屋で立ち往生している。


 あの日からロティの体調が本当に良くならない。ずっと微熱が続いているし、息も荒い。ほとんど寝ているけど、ご飯を食べる時に起きると苦しそうに咳をする。治癒魔法は定期的にかけているけれど、なぜかほとんど効果がない。


 元の世界でいう風邪に近い症状ではあるけれど、ここは異世界。元の世界にはないものが存在し、あるものが存在しない。元の世界の常識では測れないのだ。


 私達はロティの体調を逐一確認しながら、雨がやむを待っていた。


 しかし、一向に雨はやみそうにない。それどころかどんどん雨足が強くなってくる。


 窓ガラスに打ち付ける雨の音、吹き荒れる風で小屋の壁が軋む音、時折遠くで聞こえる雷の音。


 その音に紛れて足音がした気がした。


 そう思ったのは私だけではなかったようで、窓からこっそり外を覗っていたレイラが血相を変えて近寄ってきた。


「この小屋に近づいてきている人がいます。それも一人ではなく大人数です」


「え?!」


「ソフィア様、お静かに。相手に聞こえるかもしれません。」


 レイラは小さな声で囁いた。


「まだ遠いですが、じわじわと逃げ道を塞いでこちらに近寄ってきています。」


「でも、敵って決まったわけでは...」


「逃げ道をなくし、囲んできている時点で十中八九敵でしょう。」


「どうすれば...」


 私がそう聞くと、レイラはなるべく音を立てないように床下収納みたいな扉を開けた。中には階段があり奥まで続いている。


 下を覗き込むことをやめてレイラの方を見ると覚悟を決めたような顔をしたレイラが私の方を見ていた。その顔を見た瞬間に嫌な予感がした。


「私が残って彼らを足止めします。ソフィア様はその好きにここから逃げてください」


 当たってほしくない予感ほど当たるものだ。こんな予感当たらないで欲しかったと、レイラが囮にならないで欲しいと強く思った。


「嫌よ!そんな、レイラをおいて逃げるなんてできないわ!一緒に逃げればいいじゃない!どうして囮になろうなんてするの?!」


 声が大きくならないようにしながらも、必死でレイラに一緒に逃げようと訴えかける。そんな私にレイラは幼い子供を諭すように説明する。


「そうした方がソフィア様が逃げ切れる可能性が上がるからです。


いいですか?


ソフィア様はシャーロット様を抱きながら逃げなければなりません。どうしても移動速度が落ちるのです。


だからと言ってシャーロット様を置いていくことなどできません。だからこそ私が残り、追手の足止めをするのです。」


 そんなこと言われたって、これまでずっと私のために尽くしてくれてきたレイラを死なせるわけにはいかなかった。ロティだって本当の姉のように懐いている。レイラがいなくなったらきっと悲しむだろう。勿論、私だって悲しい。絶対に死なせたくない。


「いや、絶対に嫌!レイラを置いて行けない!!逃げよ?お願い、私、レイラがいないとダメなの」


 わがままを言う子供のようにレイラに訴える。しかし、私が何度一緒に逃げようと言っても、覚悟を決めたレイラが首を縦に振ることはなかった。


「私のことはいいので逃げてくだい!お願いします、わがまま言わないで逃げてください!


聖女であるソフィア様と、聖女様と王家の血を継ぐシャーロット様のお二人さえ生きてくださればこの国は何度でも立ち上がれます!

さあ、お早く!!」


 レイラはそう言って私を床下の通路へ押し込んだ。そしてベッドで寝ていたロティを抱き上げ、上からロティを私に渡した。


 荷物はロティの分が入った小さなカバンだけがぽとっと落ちてきた。そして入口の方からレイラが下にいる私たちの方を覗き込んで話し始めた。


「いいですか、一回だけしか言えませんのでよく聞いてしっかりと覚えてください。


まずは、この通路をまっすぐ進んでいきます。


間に何度か交差している地点がありますので、三回目の交差地点で右に曲がってください。


それ以降はずっとまっすぐです。


そこからしばらくまっすぐ進むと突き当たりに、上に上がるためのハシゴが見えてきます。そこを登ると森のそばの寂れた町に出るはずです。


街に出たら、すぐに見えた森に入ってください。そうしたら少し遠くに見えるはずです。クレアフュール学園の大きな校舎の明かりが。そこが目的地です。


ソフィア様の足も腕ももう限界かと思います。ですが、絶対に諦めないで、シャーロット様を連れてクレアフュール学園まで走ってください!


あそこは全ての国の知識が集い、歴史を紡ぎ、未来ある学生が通う場所であるために、こういった戦争において中立の場所になるのです!あそこだけは絶対に狙われません!


クレアフュール学園の学園長には事前に伝書鳩で話は通してあります!きっとソフィア様とシャーロット様を守ってくれるはずです!


そして、道中の森や町で、何があっても、何を見ても、何が聞こえても気にせずに走ってください!貴女様とシャーロット様が生きることだけを考えてください!いいですね!!」


 言いたいことは言い切ったと息を荒くするレイラに私は泣きながら縋り付く。


「レイラ、いや...行かないで」


 私がそう言うとレイラは優しく笑った。


「ソフィア様、私は貴女様のお側に仕えることができとても幸せでした。どうか、シャーロット様のこと、この国のことよろしくお願い致します」


 その言葉と同時に私の足元の土が盛り上がり扉も階段も覆い尽くした。最後に見えたのは優しい光を宿したレイラの美しい水色の瞳だけだった。


「レイラ!レイラぁ!」


 何度も名前を呼んで土壁を叩いたけれどレイラの魔法でできた土壁はまるでコンクリートのような硬さをほこっていて私の力ではどうすることできなかった。


 私は静かに涙を流しながらしばらくの間ここに座り込んでしまった。


 しかし、このままここに残って追手に気付かれてしまってはレイラが命をかけてくれた意味がなくなってしまう。


 私は涙を拭って、荷物を背負い、ロティを抱き、ランタンを手に持って立ち上がった。


 私は進まなくてはならない。


 我が娘、ロティのためにも。


 命をかけて私たちを逃すため囮になったレイラのためにも。


 今もなお国のために戦っている人たちのためにも。


 覚悟を決めてレイラに言われた通りに暗い中通路を歩いていく。十五分くらい歩いて遂に突き当たりにあるハシゴの下へと辿り着いた。


 ロティを抱きながら上に登るのは苦労したけれど必死で登った。辿り着いた場所は寂れた町の隅っこにある埃や蜘蛛の巣まみれの家だった。


 コートについているフードを目深に被り直し、家から出た私の目の前に広がっていたのは悲惨だなんて言葉では言い表せないほどの光景だった。


 そこら辺に無数に転がる布に包まれたモノ。


 雨の匂いとナマモノが腐った匂い。


 異様な色をした水が溢れる川と井戸。


 壊された家や塀。


 飛び散ったガラスやレンガ。


 あまりの光景に息を呑んで立ち尽くしてしまった。それらが指すことはなんなのか。寂れた町と言っていたけれど、この町は元々こんな状態だったのか。違うのだとすればどうしてこうなってしまったのか。考えたくないけれどぐるぐると思考が巡る。


 しかし、すぐにレイラの言葉を思い出して考えることを捨て去り、私は近くの森に向かって歩き始めた。


 あと少しで森に入れるところで後ろから声をかけられた。雨や風の音に遮られないように大きな声で叫ぶように呼び掛けられる。

 

「私はアヴァリーシア帝国軍の兵士である!

この町は帝国の支配下になった!そこの者、ここでは見ない身なりをしているな?何者だ?別の町からの避難民か?」


 剣に手を添えたままこちらに近寄ろうとしてくるので怯えながら後退りをする。


「何故後ろに下がる?」


 そう言われた瞬間だった。びゅーっと一際強い風が吹いて私のフードを取り去ってしまった。そして私の金色の髪ロイヤルブロンドを風が撫でる。


「その髪、王族や聖女の証?!ということは逃走中の王妃か!」


 ヤバい!バレた!


 私は兵士の言葉を聞いた瞬間に走り出した。“王妃だ!王妃が逃げたぞ!”と言う言葉が後ろから聞こえたけれど気にすることなく私は森の中に走って行った。


 森に入って少し走ると遠くの方に光が見えた。あそこがレイラの言ったクレアフュール学園だとあたりをつけてその方向目指して走る。


 土砂降りの雨の中を走る。ただひたすら走る。少しでも早く学園に辿り着くために。


 結構走ったおかげか追いかけてくる足音はまだ聞こえない。雨も小雨になってきていて一旦落ち着けそうになったので、少し休憩しようと木陰に腰を下ろした。


 そして私は違和感に気がついた。腕の中のロティが冷たくなってきているのだ。コートを着せているとはいえ、体調が悪い中、長時間雨にあたってきたのだ。冷たくなるのも無理はない。


 私はなんとかロティを温めようと抱きしめる。しかし、そもそも芯から冷え切ってしまっている私の体温ではこの子を温めてあげることができなかった。


 切り替えて治療する方針に変えて、ありったけの魔力を込めてロティに治癒魔法をかける。しかし、全くもってロティが良くなる兆しは見れなかった。


 それどころかどんどん衰弱していった。


 諦めきれなくて私はわずかに残っている己の命を灯す魔力でさえ使ってロティに治癒魔法をかける。


 それでもロティが目を開けることはなかった。


 魔力を使い果たし、もう動くことも話すことできなくなった私はただひたすらに我が子を抱きしめて願うことしかできない。


 せめてこの子だけでも助けてほしいと。


 この世界で、この国で信仰されている女神に願った。


 今まで一度も私のことを助けてくれなかったのだからせめて今だけでも助けてほしい。


 女神様か何かの勝手で飛ばされてしまった異世界。思い入れもないし、すぐに帰ってやろうと思ってた。そんな中で愛してもいない、ただ相手ウィリアムに愛されたというだけで、他者国民や貴族に望まれて産んだ子。それがシャーロット。


 父親に愛されることは終ぞなかったけれど、出産なんて子育てなんて全く経験したことのなかった、母親になる覚悟もなかった、母親として必要最低限の知識すら持ち合わせていなかったそんな私が四年間全力で愛した愛しい我が子シャーロット


 この世界から元の世界に帰れなくなってしまった、私をこの世界に繋ぎ止めていた存在。


 どうか、女神様。私の命はもうどうだっていい。元の世界に戻れなくたっていい。どうかこの子だけでも助けて欲しい。


 私はそう強く願った。

















 


 しかし、それは叶わなかった。


 愛するロティは私の腕の中で息を引き取り冷たくなってしまった。


 冷たくなった我が子を抱きしめて私は泣いた。私の感情とリンクしたかのようにまた土砂降りになった雨の中、声を上げて泣いた。


 雨の音に紛れて私を探す追手の声と足音がする。もうすぐここに来るだろう。


 彼らに見つかれば私の命もここまでだ。でも、もう私はこの世界で生きていたいなんて思わない。私をこの世に留めていた我が子はもういない。生きる理由はなくなった。


 セレスティナ王国?国民?


 もうどうだっていい。


 レイラとの約束だってロティがいなくちゃ叶えられない。もう、無駄なんだよ。


 思ったより長くこの世界で生きてきたせいで忘れてしまっていたけれど、もしかしたら死んだら元の世界に戻れるかもしれないんだった。


 こんな結末で終わってしまっていいのかと思わないこともないけど、もう私には何もできない。


 結局、平民の聖女が王子と結ばれても幸せになれるはずなんてなかったんだ。


 そんなことを考えていると後ろに誰か人が立っていることに気づかなかった。


「まったく、鬼ごっこはここまでですよ、ソフィア王妃様?」


 その声を最後に私の意識は途切れた。





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